
意見交換の広場へクリームさんの体験談を投稿いただきました。その体験談をまとめてアップいたしました。
酒に狂い始めた若い頃 最初に私が『何となく人と少し飲み方が違う』と感じたのは「毎日絶対にかかさず飲むこと」「家で一人で飲んでいても完全に出来あがってしまえること」「休みの日はほぼ一日中飲んでいることもしょっちゅうやっている」ということでした。
そういう事を酒飲み友達などに話すと「よくそんな事が出来るよなぁ」と言われたものでした。しかし私は 特別気にもせず「まあ こんなものだろう」と思っていました。
それからさらにひどくなって「連日二日酔い」「飲み会などの時 必ずと言っていいほど最後は記憶が無くなってしまい 誰かのお世話になって家に帰って来る」といった事になってまいりました。 しかし私はそれでも「それも仕方の無いことだ まあいいだろう」といった感じでした。
が。そのように能天気に日々暮らしてる中でも「これは普通とは違いすぎる もしかしたら俺って人とはかなり違ってるかも知れないぞ」とやや深刻に思っていた部分もありました。
それは二日酔いの時 普通の人は「もう酒はこりごりだ!」とか「もう酒は飲まない!」などと平気で言うのですが 私の場合は「いま酒が飲めたならどれだけ幸せだろう」といつも思っていたのです。しかも二日酔いが酷ければ酷いほど飲みたくなっていました。そんな時 休みの日なら昼ごろから飲みますし(一応朝から飲むのはやめようと決めていた)仕事の日は仕事が終って飛んで家に帰り 即 飲みました。おかしな事に そんな時ほどいつもよりも大量飲酒になってしまうのでした。
でもまだその時分は良かったんです。
そんな事を繰り返している或る日 ある事をキッカケとして『連続飲酒』という甘美で恐怖のミステリーゾーン(原題The Twilight Zone)へ足を踏み入れることになるのです。
20歳ぐらいの頃はすでに酒の不可思議な魔力に取り付かれていた私は日々「酒こそが我が人生だ」と信じて調子に乗っていました。
きっと本音は「出来る事なら毎日 一日中酒を飲んで酔っ払っていたい」と思っていたんだと思います。
勿論 これを実行に移すことはモラル的にも許されませんし 何よりそんな事をしたら働く事が出来ないので 家族持ちの私には実際には不可能なことでした。
ところが ある日 私は大きな怪我をしてしまい およそ一ヶ月仕事が出来ない状態になってしまったのです。
運の良いことに給料はその間保証されていたので 大手を振って長期休みが出来るようになった私は 怪我を負った悲惨さと毎日のヒマさを言い訳に朝から酒を飲むことにしました。
勿論最初のうちは家族の目を気にして遠慮気味にやっていましたが 2〜3日後にはもう「これは私の務めなのだ」というような訳の判らない態度をとって堂々をしたツラをして飲んでいました。
私は偶然の産物としての怪我により 念願の「朝から酒を一日中飲んで酔っ払っていられる」という状況を手に入れることが出来たのです。
しかし この幸せは長くは続きませんでした。
というのも 一週間か10日経った頃 体調が徐々に悪くなってきたからです。
食事は通らなくなり 飲むと吐くようになりました。
それでもそうなりたての頃は 吐いてもまた頑張って少しづつ飲んでいけば段々と気分が良くなって行ったのですが しまいには全く飲めなくなり おまけに急性膵炎になってしまったのです。
(のちに又この病気には何回かなるのですが この時はこんな病気の事は全く知らず恐ろしい事に 2日ほど眠らず痛みに耐えていたら 痛みも引いてきて病院に行かず自然に治ってしまった)
そんな事があって 私は急遽節酒をすることにして(禁酒では無いところがすごいのですが)そのおかげで 仕事にも予定通り戻れましてヤレヤレといったところでした。
しかし これらのことは連続飲酒という禁断の木の実の味を知ってしまった私にとってこれから始まろうとしている壮絶な酒戦争のプロローグに過ぎなかったのです。
まったくもって人間というものは(いや 私だけか?)何故こんなにも享楽主義なのでしょうか。
一度良い思いをしてしまうとそれに味を占めてしまうんですね。
「あの怪我の恩恵」以来 私は『朝酒をくらって一日中酔っ払う』という「蜜の味」を忘れられなくなってしまったのです。
あれからしばらくは襟を正した飲み方をしていましたので そのお陰で体調は良くなって行きました。しかし あれだけ連続飲酒の後半は辛く苦しい思いをしたにも関わらずそれを 忘れ あの時のことをまるで昔の良い想い出のごとく懐かしく思うようになってしまったのです。
無論「そんなことはもう二度とやってはならない」という気持ちもあることはあったのですが「何もあそこまでやらなければ良い事ではないか」「もうあれほどの長い休みなど無いのだから 例えあそこまでやろうとしてもやれないから大丈夫さ」といった危険きわまりない思想が蛇が鎌首をもたげるように湧いてきたのでした。
もうこうなっては駄目です。「それ(連続飲酒)」を実行するのはもう時間の問題でした。
そのうち 休みが続く時はいつもやるようになりました。
さらに酷いことに そのあたりから私は二日酔いで仕事を休むことが多くなってきたのです。
もちろん そうやって休んでる時も必ず「それ」をやっていました。
けれども その頃はまだ25歳前後でしたので まだ若くって体力もあり 飲みっぱなしといってもせいぜい数日ですし きつい事はきつかったですが どうにか酒を切って予定通りの日には仕事には行くことが出来ていました。
しかし その頃から私は 自分で自分が解らない事が多くなってきました。
もとより低かった自尊心は増々低くなり 自己否定感が強くなってきたのです。
さらに 飲むためや飲んだ後の いろいろな「自己弁護」や「言い訳」が前よりも輪を掛けて上手になってきたのでした。 私の中での問題も徐々に増えてきていたのです。
アル症は進行性の病気です。(当時の私はそんな事は知りませんでしたが) 今 私は確かにその通りだと思います。
私の連続飲酒はどんどんと酷くなって行き 一度やってしまうとなかなか酒が切れなくなって(*注1)仕事を休む期間も長くなり 酒を切って仕事に戻るときに ものすごいエネルギーが必要になっていました。
けれども 懲りもせず 短い時は一ヶ月ぐらい 長く持っても数ヶ月に一度は「それ」をやっていました。その為 ついに仕事を辞めることになったりしました。
でも新しい会社に入っても 少しすればそんな事をやっていましたので又々いられなくなり転職を繰り返すことになって行ったのです。
そうなって来ると ストレスが多くなってきますので 連続飲酒の後半に待っている地獄の苦しみはとりあえず置いておいて 前半のあの快楽を味わいたいという気持ちが強くなり さらに連続飲酒の罠に自らはまるという悪循環に陥っていったのです。
こういう状態ですから当然のごとく家庭もガタガタになってきました。妻との関係も険悪になって行き 話をすると離婚や別居とかの言葉もよく出てくるようになりました。
私は前よりもっと 酒を飲む時は後ろめたい気持ちで飲むことが多くなって行きましたが飲むのをやめる訳にはいきませんので 飲むための「自己弁護」「言い訳」もグンと上手くなり 私の『演技力』(*注2)はさらに磨きがかかっていくのでした。
しかし私は「一体私は何者なのだろうか?」「こんな状態を望んでるはずではないのにどうしてこんなになってしまうのだろう?」といった疑問が始終 頭に渦巻くようになり 増々自分の本質が解らなくなっていくのでした。
(*注1) 連続飲酒が切れない大きな理由は離脱症状で 飲む期間が長くなれば長くなるほどその症状は酷くなります。
酒が切れる時の あの何ともいえない深い穴に落ちて行くような底知れぬ恐怖感。
「この世の終り」「自分の人生の終り」を感じさせるかのような強烈な不安感。
それに加え 身体に現れる様々な激的な不快感。
しかしこんな酷い状態でも酒が入れば一発です。(一時的ですが)180度の変化を見せてしまうのです。
連続飲酒は続けば続くほど 飲んでる時と飲んでない時の精神状態 肉体状態のギャップはどんどん大きくなって行くのです。
(*注2) 私はしばしば酒を飲むために妻に演技(と言っても本気のですが)をしました。
ある時は同情を買うため ある時は抵抗を弱めるための不機嫌な態度や怒った態度 ある時はやたらと明るい態度 その他も 時に応じて様々な演技を演じました。
それは酒を出来るだけスムーズに飲むためのものでした。
その時の私の役者としての実力たるや凄まじいもので 私の(まさに命懸けの)迫真の演技の前ではキムタクの演技は幼稚園児のお遊戯であり(キムタクファン失礼!) アカデミー主演男優賞を連続二度受賞したトムハンクスすらも負かす勢いがあったと思います。
私はどんどんセコイ卑し系の人間になって行きました。というよりアルコールのせいで脳がやられ 道徳心 倫理感が著しく低下してしまっていました。
今回は具体的に私がどんな心情でどんな事をしたのかを幾つかあげてみたいと思います。
私の連続飲酒が始まるとお金と酒は妻がすべて隠してしまうので まさに「それ」が始まろうとする時に 私は準備を整えるようになりました。
前もってお金や酒を確保しておくことによって 来るべき困難を前もってすこしでも楽にしようという魂胆です。いろいろな場所に私は「隠し財産」を蓄えて置きました。
しかし 連続飲酒が始まってしまうと そのような隠し財産はすぐ使い果たしてしまいすぐに困ることになってしまうのでした。
そうなると私の次の行動は 子供達が学校に行き 妻が仕事に出かけてから誰もいなくなった家の中を物色することです。
妻が隠し忘れた金はないか? 私の隠し財産の忘れはないか?(自分で隠した場所を酒ボケした私はすっかり忘れてしまってる事がよくあったので)などいろいろ考えながら捜し回るのです。
ある時 私は散々捜しても何も見つからないので途方にくれていた時 フト子供達の「財源」があるはずだ!。とひらめき 子供部屋の机の中を物色し見事財布を見つけたりもしました。(*注1)
そして 家の中にはもう何も無いという事が完全に分かると 次は近所の人や友達の家へ行って飲ませてもらおうと考えたり 酒屋に行って酒をかっぱらってこようと本気で考え どのように言って飲ませてもらおうか?とか どうやって店の酒を盗もうか? と具体的な計画を立てたりもしてました。(*注2)
けれどもこれらの犯罪行為を含む人格破壊的行動は その頃 大抵身体がヘロヘロで すでに外に出て何か行動することが無理な状態になっていますので 幸いにも実行は出来ず未遂に終っていました。
それから少しすると 酒を止めざるを得なくなり 数日ぐらい大いに苦しんで 連続飲酒を脱出するのでした。
その後しばらくの間私は 非常に謙虚になり「イイ人」になるのですが ほとぼりが冷める頃 又々「今度はあんなヘマをやりゃしない」「今までの教訓を活かして上手く飲んでやるさ」などと考え出し 次への兆戦に向けてムクムクと野望が再燃して行くのでありました。
(*注1)私は極力真実に自分の心理状態を書いています。それゆえこのような描写に不快感を持たれる方もおられるかも知れませんが その辺はどうかお許し下さい。
子供の財布から金を拝借した私は 子供に対して「済まない!」という気持ちも当然ありましたが 実際は「これで酒が飲める」という喜びの方が大きかったです。
私はその時 満面の笑みを浮かべ「よくやった さすが私の子供だ」と我が子を称えました。
(*注2)連続飲酒の時の私は「酒が欲しい」というより「酒が必要」という感じになっています。 一番大切なことは「今 酒を飲む事」であり そのためならよっぽどの事以外はやってしまうと思います。
又 この時期の私は連続飲酒でない時も 飲んでいない時と飲んでいる時の精神面及び肉体面のギャップは大きくなっていて 飲んでいない時は「健康面 仕事の事 家庭の問題 将来の事 等々」いつも心配 不安がのしかかっていましたが 飲めば途端に「どうにでもなれ!」「運が悪けりゃ死ぬだけの事だ」などとデカイ気になったりしていました。
私のいつ果てるとも知れない酒への兆戦は続きました。
私にとってこの連続飲酒との戦いは 自分の存在意義と信念を背負った解放そして自由を勝ち取るための命を懸けた「聖なる戦い」だったのです。
しかし この「自由の戦士」は何度も何度もその戦いに参戦してはその度に負けてボロボロになって帰ってくるのでした。(*注1)
このような傷だらけのアホバカ戦士に いいかげん愛想の尽きた妻は別れる事を真剣に考え もう離婚は免れないという所までいってましたが妻としては子供の事がどうしても気になっていて とりあえず離婚は保留という感じで持ちこたえていました。
しかし 私は依然としてそんな事を繰り返していたのです。
もはやその時点の私はまさに 酒に支配され酒の奴隷状態になっていました。
自分ではどうする事も出来ず 半ばヤケになって開き直っていて すでにあまりいろんな事を考えるのをやめ(どうせ考えてもどうにもならないので)アル中思考の「悟り」の心境にいたんだと思います。(*注2)
そんなさなか 私にある日またあの強烈な痛みが襲ってきたのです。この時も2日ほど寝ずにあの強烈な痛みを我慢していたのですが 今回は全く痛みが治まらず とうとうネをあげて入院する事になってしまったのでした。
この時の入院で初めて「膵炎」という病気だという事を知ったのですが 病院の先生には「膵臓壊死などになってショック死しても全く不思議じゃないんだぞ」などと散々脅かされました。
(私はこの入院の時に初めて『振戦せん妄』という戦慄の体験もしました)
普通ならこれで懲りると思いますが 一体全体 私は何者なのでしょうか?!
何と!それから一年少しの間にバタバタバタと今回を始めとして3回も同じ病気で入院する事になってしまったのでした。 続く(*注3)
(*注1)思考表現がマトモじゃないと思いますが 今 私は酔っ払って 「アッチの世界」へ行ってる訳ではありません。これは私の当時のアル中思考を 再現しているのです。
(*注2)「このままじゃいけない どうにかしなくっては」という 考えや思いはいつもあるのですが 結局毎日同じ事を繰り返してしまうという いわば「アル中マンネリズム」に陥ってしまっているのです。
私は何かよほど大きな事などが無いとこれを打破することは出来ないと思います。
(*注3)最初は3回ぐらいでやめようとしていましたが 何だか長くなって しまいまして迷惑をお掛けしています。 もうちょっとですので我慢してください。
急性膵炎の強烈な痛みのため 入院した私は それからの2日間 この世のものとは思えない摩訶不思議で恐怖の振戦せん妄(*注1)という体験をしたのです。
今回はその時の事を書いてみたいと思います。
夕方 急遽 私の住んでいる町では大きめの総合病院に入院した私は 鎮痛剤の入った点滴を受けて6人部屋の病室のベッドにいました。
なかなか痛みが取れなくって苦しんでいましたが 夜中頃 痛みが大分治まって来ました。
私はヤレヤレといった感じで 皆が寝静まりシーンとした病室の中空をポケ〜っと眺めていました。
すると 何やら白い煙のようなものが漂っているではないですか。
けれど その時は「まさか今 この部屋でタバコを吸ってる人がいるはずもないし自分はしばらく眠っていないので錯覚なのだろう」と思い 大して気にもしませんでした。
しかしこの事は 私の不思議ワールドへの旅の始まりだったのです。
その夜は痛みも治まり久々に眠ったようでした。
次の日 目覚めた私は何かポワポワ〜っとした感じで気持ち良いのでした。
昨日の血液検査の結果 急性膵炎という事が分かり24時間点滴をする為点滴の管を直接胸につなげる簡単な手術をして病室に帰ってきました。
依然としてポワポワ〜とした気持ちのまま ベッドに横になったところ 反対側にある壁が地面の底のように見え 私は驚嘆しました。
(解りづらいと思いますが ちょうどアップダウンクイズ[古くって済みません]で答えられなくなった回答者の滑り台が上がったような寝ていても立っているような状態に感じたのです)
私は必死にベッドにしがみつき落ちないように頑張りました。
その時「皆こんなベッドに寝ていて落ちないだろうか?!」「皆何故あんなにも涼しい顔をしていられるのだろう?!」と とても不思議に思っていましたが とにかく私としてはすべり落ちるのが怖くって汗びっしょりで身体をこわばらせベッドに捕まっていました。
傍らにいた妻には「何でこんなベッドなんだ!」とか「高い!落ちる!」とか言っていたと聞きました。
その時 私は妻がとても不安そうな顔をしていたのを覚えていますが なにしろそれを気にしてるどころではなかったのです。
しかし その後 騒ぎを聞きつけた看護婦さんが鎮静剤を注射してくれてどうやら治まったようでした。
それから夜になり 6人部屋ですからいろいろな人がお見舞いに来はじめました。
私は来る人来る人が知ってる人に見え 誰彼かまわずに気さくに声をかけはじめたのです。
病室をちょっと覗いた人を母や妹だと思って家政婦さんに(夕方から家政婦さんがつく事になった)そのたび何回も伝えたりもして ついにその時点で私は病室の人や周りの人に「あの人はおかしい」と言われるようになっていたのでした。
が この時はこれから起こる 不条理かつ無意味 幻想と悪夢の混濁した戦慄の体験の序曲に過ぎなかったのであります。(*注2)
(*注1)【振戦せん妄】後期離脱症状群
主な症状 幻視 見当識障害 興奮。
「幻視」とは 実際に見えるはずのないものが見えて それを信じ込んでいる状態である。小さな動物が群れて見えることが多い。また幻聴を伴うこともよくある。
「見当識障害」というのは 時間や場所 人物の見当がつかなくなることをいう。
このような症状のために 不安や恐怖が強く 興奮して騒ぐ。
このほか 発熱 発汗 振戦などの自律神経症状を伴うことが多い。
(*注2)話を引っ張るパターンが似てきていますが どうかお許しを。
私はこういう引っ張り方が好きなもので。
見知らぬ人に迷惑を顧みず 親しげに声をかけながら夜になりました。
依然としてポワポワ〜とした気持ちのまま 消灯時間になりいくらか眠ったようでした。
しかし フト隣の病室から雅楽演奏が聞こえてきて目が覚めました。
「何とも優雅なものだなぁ」と思いつつ その音楽を聞きながらウトウトしていたら なにやら今度は爽やかな歌声のような楽器のようなものが聞こえてきました。
「何だろう?」と思って目を開けて前を見ると よく田舎にいそうな人の良い50歳ぐらいのすごく小さなオジさんがリヤカー(その中には駄菓子屋にあるおもちゃのようなものがいっぱい入っていた)を引っ張りながら私のところへ来ました。
そのオジさんは私にサイコロをくれてまた去って行きました。
けれども私はそれを落としてしまい 家政婦さんを起こして拾ってくれるように言ったのですが「そんなものは落ちていない。早く寝なさい」というばかりなので仕方無いので渋々と寝ました。
それからどのくらい寝たのか分かりませんが 今度は(ピンクフロイド風の)シンセサイザーのような歯切れの良いとても大きな短い音楽が聞こえて思わず目を覚ましました。
聞こえてくる所を見ると 何と! 病室の入り口のところに白バイの警官のような姿をしたロボットみたいな人が半分隠れてこっちを見ているではないですか!
「何者なんだあの人は?」と思いましたが怖いので 気がつかないふりをしてまた目をつむり寝ようとしました。
しかし またそのロボット人間は私を起こすように大きな音楽を鳴らし 依然としてジッと私の様子を伺っているのです。
「これは大変な事だぞ!」とあわてて家政婦さんを起こし 自体を説明しましたが家政婦さんは確かめもせず 又もや「そんな人はいないから寝なさい」の一点張りです。
私は「もう駄目だ こんな所にいたら何をされるか分かったもんじゃない」とすぐにここから逃げる事に決めました。
家政婦さんは懸命にそれを阻止しようとしましたが 私はそれを振り切って逃げようとしました。
ふと周りを見ると「KKK(クークラックスクラン)」のような格好をした人やガタイのイイ怖そうな人(この騒ぎで起きた病室の人達だったようです)も私を捕まえようとしているのです。
「何?こいつらも皆あのロボットの仲間なのか!」「このまま捕まったら確実に殺される」と増々必死になり サンダルと点滴を持って病室から逃走しました。
それからの事はところどころしか覚えていないのですが 点滴を持ちながら階段を勢い良く駆け降りた事。胸に埋め込まれた点滴の管を引き抜いた事。白衣の人に何人も囲まれた事。など記憶しています。(*注1)
後から聞いた話では あれから私は散々逃げ回ったそうですが 結局捕まって当直の先生に強力な薬を注射され あえなく眠ってしまったそうです。
次の日 目が覚めたら私は個室のベッドの上で縄でグルグル巻きにされて動けなくなっていましたが この「理不尽」な処置に非常に腹が立ち 大きな声で「おーい!ほどけー!」とか何回も何回も叫びました。
そうしたら しばらくして院長先生が私のところへ来て いろいろ説教みたいな事を言ってそののち解放され もうそれからはせん妄は出てきませんでした。
私の2日に渡る不思議時空世界の旅はやっと終ったのでした。
(*注1)せん妄状態になると何故か誰もが被害妄想が大きくなるようで 何かから必死で 逃げようとして高い階の窓から飛び落ちたり 階段から転がり落ちたりして事故死する場合 も多いと聞きました。 私も確かに大いにあり得ると思います。
みきおさんも書いていましたが これらの出来事は後から思えばまるでナンセンスギャグ のようで笑ってしまうのですが その時の当人は大真面目で必死です。
もしこんな面白い体験ならしてみたいと思った人がいるならば(そんな人いないか)それは 違います! 本当に恐ろしく危険なものなのです。
あの2日間の狂乱の惨劇後の私は すっかり大人しくなり真面目に入院生活を送り膵炎も良くなって行きました。
約一ヶ月後 元気に退院した私は早速その日 退院祝いと称して酒を飲んでいました。
あれだけの思いをしても 喉元を過ぎてしまえばどうってことはありません。
「人間生きていればいろいろな事はあるさ」ってなもんです。
そして日々過ぎて行くうちに(当然最初は控えめに飲んでいましたが)次第に大量飲酒に戻って行くのでした。
それから数ヶ月後には又もや急性膵炎で2度目の入院をするハメになり その時も約一ヶ月入院しました。
その時は退院して数日は飲まなかったのですが 又もや飲みだし そののちやっぱり又大量飲酒になって これまた数ヶ月後に急性膵炎で3度目の入院ですわ。
(恥ずかしいので病院はすべて違うところにしました)(*注1)
一度目の入院以降 せん妄状態にはなりませんでしたが さすがの私も「こんな事やっているのは世界でもオレ一人かも知れないな」と思い 心から「このままでは絶対にヤバイ オレは生まれ変わる!」と決意いたしました。
自信の無い自分を「心配しないでも平気さ なんせここまでやってしまったんだからな」「いくらオレでも いい加減懲りているはずだ もう大丈夫!」と自ら励ましました。
酒の時代の自分はもうここまでにして これからは違う時代の自分を歩んで行こうと強く強く誓ったのでした。
・・・が。
・・・しばらくは良かったんです。 そう 本当にしばらくは良かったんです。
嘘じゃありません。 本当にしばらくは良かったんです。
(*注1)やはりアル中は専門病院でないと駄目だと思います。
3回の入院でも(全部違う一般病院でしたが)私は先生に「断酒しなさい」と 一回も言われませんでした。
(現在では大分変わって来ているかもしれませんけど・・。)
せん妄状態になった時 妻は心配して先生に どういう事なのか尋ねたら「酒を飲みすぎるとそうなる事がある」と言っただけだったそうです。ちなみに 私には何の説明もありませんでした。
ああ 一体私は何処から来て何処へ行こうとしているのでしょうか?
酒時代の自分に別れを告げ 新時代の自分に変化する!・・・・・はずでした・・が。
約 一ヶ月後 新しい職場の歓迎会の席で一杯のビールが引き金になり そのうち毎日飲むようになってしまったのです。
けれど あの連発膵炎の恐怖がそれなりに効いていて「節酒生活」は続けていました。
と言っても その節酒生活は非常に苦労しまして 滝に打たれ座禅を組む修行僧のごとく精神統一を行ない 毎日毎日姿勢を正し 酒を飲んでいたのでした。
私はその際 数々の節酒方法を行なったのですが どんな事をしてみたのかをちょっと書いてみたいと思います。
『外へは飲みに行かない。』 (飲みに行くと必ず大量飲酒になるので)
『なるべく遅い時間に飲む。』 (飲み出したら眠るまで飲みつづけるから)
この二つはそれなりに効果がありました。
その他 『毎日決めた量にする為に その分しか買って来ないようにする。』これは上手く行くこともあるのですが 大抵は又買いに行ってしまい(酷い時は何回も)そのうち余計に買ってきたりして(又行くのが面倒だから)酒代も高くつくし かえって良くない結果になったのでやめました。
しかし私はその方法を変形させ 自分の決めた量をまだ飲み出す前に他の容器に移し (私はウイスキーでしたのでデカボトルから小さなビンに移したのです。)
それ以外は鍵をかけて物置にしまい鍵は妻に預けておく という方法をあみ出しました。
けれども やっぱりそれで足りる日はあまり無く 結局妻に鍵を出してもらって「追加注文」の日がほとんどでした。
あんまり意味は無いような感じですが それでもやらないよりはマシだったのでそれはずっとやっていました。(*注1)
その他 自分の考えの及ぶ限りありとあらゆる方法をやりましたが 他の方法はほとんどが全く効果が無いか 逆にもっと酷くなってしまいました。
そんな感じでしたが 約一年ぐらいは二日酔いこそはありましたが 連続飲酒にはならず 過ごせたのですが それでもやはり ゆるやかな上昇カーブを描きながら徐々に飲み過ぎ体制になって行きました。 続く。
(*注1)全く考えるとバカバカしいですが これでも私としては真剣に考えたものなのです。
しかし まあよく妻もこんな事に付き合ってくれてたものです。
根性の節酒生活は 飲み過ぎ上昇カーブを描き 連日二日酔いも多くなりながらも続いていました。 それこそ ちょっとでも気を緩めようものならたちまち大量飲酒ですからそれはそれは力を込めて頑張っていました。
そのうちポツポツと休みが続くと連続飲酒もやるようになってきましたけれど前から比べればやる回数も全然減りました。 また膵炎になる危険ラインも何となく経験上分かっていたので そこまでいく前には力を振り絞り連続飲酒から抜けていました。
しかし その頃には精神的なアップダウンが大きくなってきていて ちょっと上手くいっている日が続くとたちまち傲慢になり調子づきまして「オレも一時と比べたら本当に成長したものだ。すでに酒の問題はオレには無い」などと 偉いような気になっていました。
が 深飲みが続いてしんどくなると ヒイコラ言って仕事をしながら「こんな生活は人間の生活じゃない オレは人間とは言えない 早く人間になりたい」と鉛が詰まったような重い身体を引きずりながらよく思ったものでした。
それでも あの膵炎3連荘の頃と比べれば全然良くなりまして 休みの日などは家族でドライブなどへしょっちゅう出かけるようになり(前日の深酒を避ける為と休みの日 昼間から飲めないようにする為という理由もありましたが)家族には変化したお父さんぶりを見せることが出来ていました。
そんなある時 私の町のはずれにある山へ家族でドライブに行きました。
その山の近くにある精神病院の前を通ると そこには「アルコール専門」という文字の書かれた大きな看板が掲げられていました。 私はそれを見た瞬間「ドキッ」としました。
「家族の者はあの看板を見て何て思っただろうか?」と不安になったのです。
それに加え「どんな病院なんだここは?気味が悪いな」という思いと「でも もしかしたらオレはこういう所に関係している人間ではないだろうか?」という気持ちもよぎったのでした。
その後もその前の道は何度も通りましたが その度「まあオレには関係ないね」と自分に言い聞かせながらも その看板の「アルコール専門」という文字が迫って来て「お前はここに縁のある人間だ」という『声』が聞こえるような気がしてなりませんでした。
私はその道を通るたび背筋の凍りつくようなマガマガしい気持ちで その「アルコール専門」という看板をチラッと見て すぐに目を背けてその前の道を通り過ぎていました。
そんな感じで数年経って行ったのです。
来たる時は来ました。何という事でしょう! あの「お前はここに縁のある人間だ」という恐怖の大予言が成就してしまったのです。(と言うより自ら成就させたんですが)
ポツポツとやっていた連続飲酒がある時 止まらなくなってしまったのです。
それから どうなったかと言うと このままじゃ間違い無く膵炎再発だし かと言って 自力で止めるのはかなり厳しいと思い(自力で連続飲酒を止められなくなったのは初めてでした) 私は妻に例の「アルコール専門」の看板のある病院に電話をしてくれるように頼みました。
そうするとちょうどその日は外来診察の日で予約が取れ あの見たくもない看板のある病院へ妻と一緒に行きました。
病院の待合室のソファーにへたり込んで待つ事一時間以上 ようやっと診察。
先生に子供の頃の家族関係 飲酒暦 起こした問題などなどいろいろな事を聞かれ一時間以上の問診の結果 私は完全なるアルコール依存症だという診断が下りました。しかも驚く事に25歳頃にはすでになっていたと言われました。
先生は私に「通院でも治療は行なえますが 私としては入院を勧めます。」と言われその期間を聞いたら 約3ヶ月(!!)などと言うのです。
「冗談じゃない 何が3ヶ月だ。医者というのは平気でそういう事を言うからな」と思いましたが 私は穏やかに「ちょっと入院は無理なので通院でお願いします」と言いました。
一応通院治療という事になり サッサと帰ろうとしたところ 先生が病室を見ていくように勧めてくれ 看護婦さんの案内で見学しました。
そして行ったらいましたよ。 何やら気の抜けた覇気の無い人達がゴロゴロと。
私は気分が悪くなってきて 病室に鉄格子が無いことや明るい雰囲気を見て安心して貰おうという先生の意図とは裏腹に 増々「こんな所」が嫌になってしまったのです。
「今日から又『いつもの普段の日』に戻って節酒して行けば良いだけの事じゃないか」
「なんでこんなに大袈裟になる必要があるんだよ」「こんな所にもう二度と来るものか」
と私は逃げるように病院を後にしました。
それから。やっぱり駄目だったんですよ やっぱり。
「あんな病院のお世話にならなくったって 今日からまた自分の強い意思で節酒していけば すべては解決さ」って飲み出したらドドドーーって行ってしまったんです。
そのまま結局連続飲酒ですわ。 その二日後には あれほど「二度と来るもんか」と言っていた「あの」病院へ行って 今度は自分から「入院させて下さい」って先生に言ってましたよ。
笑ってやって下さい。 お願いします。 どうかこのドアル中を笑ってやって下さい。
その方が私もすっきりするってもんです。 そう思うでしょ皆さんも?
入院は約3ヶ月間 閉鎖病棟に3週間。開放病棟に2ヶ月間でした。
閉鎖では主に身体の治療で 開放ではリハビリが主でした。
この入院で私が何よりも驚いた事といえば 『アルコール依存症』というものが「本当の病気」であり 単に異常に酒好きなだらしないヤツを形容する言葉では無かったという事でした。
さらに開放病棟に移り いろいろな人と話をすると 自分と全く同じような酒のまつわる体験や行動をしているので最初のうちは聞いては大笑いの連続でした。
それも皆 ごく当たり前に普通のことのように話すのです。
勿論気さくに話をする人ばかりではなく 全く自分を閉ざしてる人やまるで鋼鉄の否認の鎧をまとっているような人もいましたが それでも皆それなりに良い人でした。
「こんな世界があったのか!オレってやっぱりコレだったんだ」と勢いよく納得したものでした。
が 同病とはいえ このような人とは同じだとは思いたくない。と思う事もありました。
散歩しに行って途中で必ず酒を飲んでくる人。 外泊するのを「飲める日」として楽しみにしている人などなどです。
私はこれらの人達の悪影響を受けてはならないと 酒に揺らぐ気持ちを必死に修正しました。
けれども 今から思えば私にとってこの入院は「現在までのすべての事」が有益で有効でした。
私はこの入院を本当に感謝しています。
入院して良かった本当に良かったです。(*注1)
(*注1)入院中のこと書いたら又又さらに長くなってしますので省略させていただきました。
入院での貴重な体験のお陰により 私は目から鱗が落ちました。
これはまるで狂信者が何か特別なキッカケによって気付きを与えられ 今までの自分の誤った信念を捨て改宗したようなもの。といって良いかも知れません。
けれども 自分の慣れ親しんだ酒中心の生き方をいやが応でも変えていかなければならないという事は大変でして 退院してからがむしろ苦しみの始まりでした。
が「断酒するのは私にとって正しいことだ」という新しい信念を自分に植え付けて頑張ったのです。この信念は今まで間違っていません。
よくアル中の飲酒を「慢性自殺」などと言いますが実際そんなものでは済まされないと思うのです。
周りの人間もろとも多大なる被害を与える「慢性自爆テロリスト」のようなものなのです。
特に小さな子供などがいる家族の場合はその被害はさらに大きく悲惨なものとなります。
アル中が酒を飲み続けているならば「早く死に」ます。それもほぼ間違いなくです。
しかし それだけではありません。 家族や周りの人達に嫌われ憎まれ忌むべき者として見られ深い傷を負わせ悪い思い出だけを残し死んで安堵され散々苦しんでみじめに死んでいくわけです。
こんな人生が正しいはずが無いのです。
と言っても「正しい正しくない」だけで 人生送れるわけでは無いことも私は知っています。
ただ 必然なのか偶然なのか判りませんけれど 私は狂信的なアルコール依存教者としての殉教を(とりあえずと言っておきますが)免れたことを心から感謝している。
と今 私ははっきりと言えます。(*注1)
(*注1)何だか今日は話が固くなってしまいましたー!
あの入院から4年少し経ちました。断酒に対しては大分肩の力も抜けましたが飲酒欲求は年に1〜2回やや大きめなのが来ます。それ以外は特に苦しいこともあまり無くなってきました。
私の場合は 家族という存在が断酒する為の多大なパワーとなりました。
しかし 今だに 私が家族に感じてること思っていることと 家族が私に感じてること思っていることのギャップに驚かされる事があります。(ついこの間もありました)それを知った時 怒りが湧いたり大きく落胆したりしています。
私はこれは言いたいです。
家族のある方へ 家族は自分が思っているよりはるかに大きく傷ついています。
まだ大丈夫だろう まだ許されるだろう などとタカをくくって飲んでいたら 大変なことになってしまいます。
私の入院中 ある人は入院最中に離婚届けを書いていました。
また退院した途端 奥さんの実家に呼ばれ離婚を承諾させられてしまった人もいました。
アル症になったという事は そのままならば崩壊破滅が非常に近づいたという事であります。
その事実に目覚めないといけないのであり この目覚めに早過ぎるという事はないと思います。
今の時点で私が感じてることなのですが 突き詰めてみれば断酒するという事は「生きること」への執着だと思います。
その執着心を強め育て維持させて行くのに必要不可欠なものが「愛」(*注1)だと思うのです。
これからも「愛」のパワーによって断酒という聖戦をし続けて行きたいと思っています。
今 現在の私はこんなところです。 終り。(*注2)
(*注1) 他人から受ける愛。 他人へ与える愛。 自分自身への愛。
(*注2) この書き込みで 自分の事を 思い出し又 考える機会となりました。
読んで下さった方 長い間 私の振り返りに付き合ってくださり本当にありがとうございました。