
意見交換の広場へCream’s Blogを開設されているクリームさんから多くの方へ有益なレスをいただきました。
そのレスを参考のためまとめてアップいたしました。
よく「バースデイの前後は落とし穴が待ってる」とか「3のつく時期は特に気をつけなさい」などと得意になってアドバイスする人がいます。
確かに話としては面白いかも知れませんが、そんなもんは迷信のようなもので実際には何の根拠も無いはずです。
いや、むしろ、そういう事を言われて特定の日などというものを返って意識することの方が危ない場合さえあるのです。
断酒が安定して軌道に乗るまでは「いついつがヤバイ」などと言うものでは無く、毎日がヤバイ日々なのです。
やっぱり「今日一日」であって「日々の積み重ね」なのではないでしょうか?
【あややさん】
遅ればせながら、断酒5ヶ月おめでとう☆
現在、いろいろと厳しいようですが、どうか乗越えて欲しいと願ってます!
ハイヤーパワーという考えに落ち着いた経緯、丁寧に説明してくださり感謝したします。
正確な情報を知る事が出来、嬉しく思っています。
「ハイヤーパワーにお任せ」のひいらぎさんなりのご意見にも感謝します。
どうも私とひいらぎさんとは、かなり頭の中の「出来」が違うようでして(笑)
10回以上読ませて頂きまして、ようやっと理解出来たような気がします。
(決して皮肉とかじゃありませんからね☆)本当にありがとうございました。
私としては個人個人が「神にお任せ」というものを、自分なりにどのような判断をし、また、どのように当てはめようと、まったく文句をつける気もありませんし、そもそも私がそのようなことを言える人間ではないことは重々承知しています。
ただ私が何故あのような事を申しましたかといいますと、例えばチェアパーソンなどの権限を持っている人や、古参メンバーで、発言に大きな影響力を持つ人達が「ハイヤーパワー」や「神」を自分勝手な形で利用し、自分の怠慢や利己的な欲望を果たす為に用い、他のメンバー達に迷惑やら不安やら憤りやらを与えたりする事がある。と、何度も聞いたことがあるからです。
細かい内容などは書くつもりはありませんが、実際、不満の声の元になってる事実があります。
ひいらぎさんもAAに長く通っていらっしゃるので、そういうことは当然存じているはずです。
そういう事に、私としては(関係ないにも関わらず)何だかムカついていたわけなのです。
ここから先は相当なお節介になりますが、ついでというものです。書かせて下さいね。
低迷している日本のAAのようですが、私個人としてはAAの教理やシステムは本当に素晴らしいと思っています。
それをそんなくだらない事でAAが嫌になってしまう人がいるのなら、もったいなさ過ぎです。
権限や影響力を持ってる人達は、もっと責任を持って慎重に行ないをすべきだと思います。
なんせ病気が病気なのですからね。
日本人は自由というものの考えがとても下手なのです。
それは宗教的なモラルが非常に少ないからなんでしょう。
「自由」とは大きな自己責任が伴ってそれが成り立つのですが、勝手気まま、放任と勘違いしてる人が多いのです。AAの自由もそれとごっちゃになってる人がいるからではないでしょうか?
それこそ責任を持つ人は、他人をつまずかせないように「神」に誓いを立てるくらいの気持ちを持ってしかるべきです。
私は日本のAAがもっとアル中にとって魅力的になるべきだと思っているのです。
話の方向がかなりズレましたが、以上、私の能書きでした(笑)
私は貴方に対して、驚きと清々しさを感じました。
何故ならば、貴方のように半端な形ではなく所属している、ご自分の自助Gの問題点をここまではっきりストレートに指摘した人を見るのは初めてだからです。
普通は自分のお世話(?)になっている組織や団体の悪い部分や恥部は言い辛いものです。
なので、そのような事は隠し、良いところしか言わず見え透いたおとぼけをするチンケな根性を持った人が多いのです。
人が多く集まるところには、問題が起こるのは当たり前です。
良い部分と問題の部分を、ご自分の中できちんと整理し承知している貴方が仰ることは増々信頼されるものになると思っています。
『まあ、そう言いながら僕は日本AAの改革者になろうとも思いませんし、かといってAAに見切りをつけて出て行く決断もできない「半端なニヒリスト」であります。』
実を言いますと、私は前から貴方が二郎さんと同様、大きな自助Gの改革者だと思っていました。
貴方のように、PCを用いてあそこまできちんとAAの活動を広げようとしている人は他にいません。
自助Gの中には、ネットでの活動をバカにしてせせら笑っているような、知恵の無い人達も数多くいるとお聞きしています。
しかし、これからの社会において、ネットのような便利な道具を使わない手はないのです。
アメリカのAAでは、すでにネットを使っての活動もきちんと組織されていると耳にもしました。
ネットでの活動は、実際に人と会い、励まし合うこと以上のものには、どうしたってならないでしょうけれども、断酒への大きなきっかけや維持の為の大きい力になり得ると思っています。
これからもどうぞ頑張って下さい。ご活動、陰ながらですが応援しています。
それから又、私の投稿を混ぜ返して下さい。
でも、まさか私に惚れてるわけではありませんよね?(笑)
再飲酒に関しての色々な考え。興味を持って、読ませていただきました。
特に
『殆どの場合、命を大切にすることとは、断酒を継続することです。但し、例外があることも忘れないで下さい。』
という部分にはかなり考えさせれるものがありました。
再飲酒に関しては私も今、自分の中で考えの確認や修正のようなことをしている最中です。
が、私が依然として強く思っている考えを書かせていただきます。
「スリップするなら一年以内」確かに、そうかも知れないという気持ちも持ちますが、それを毎年やってるような人さえいます。
そのようなスリップ常習者に私は物申したいのです。
「一体自分は本当に酒をやめたいのだろうか?」または、「自分は本当に酒をやめなければならない状態なのか?」ということを良く考えるべきです。
考えて、もし、その自問に抜け穴があると自覚するならば、簡単に「断酒します」などと公言しなければいい。
そうすれば「スリップ」もないのです。
耳タコの面倒な「アドバイス」やらも聞かずに済むし、余計な自己嫌悪も味わう必要もなくなるのです。
すべてアル中関係のお話や能書きは自分の圏外のお話でいられるわけです。
そうして根性決めて飲むべきです。
それで死んだとしても決して愚かでもなければ不幸なことでもないのです。
しかし先ほどのその自問に「YES」という答えが出たならば必死になって断酒すべきです。
そうなれば、それこそ坑酒剤が効果的だと思えば欠かさず飲むことでしょうし、毎日自助グループにでも行くでしょう。病院にも通うだろうし、可能ならば専門病院に入院だってするでしょう。
大体において、そのような労力や努力をしないくせに、スリッパーはいとも簡単に再飲酒して「断酒できませーん」とか「また出直します☆」などと言う人が多いのです。
断酒してのちに残念なことに自殺してしまった人の事ですが、そういう方はまことに不幸なことだと思います。
しかし、それはご自分が選んだことであり、その方は「飲酒するよりは自殺を選んだ」と考える方が良いのでは。と私は思います。
【かんたさん】
『「今は亡きクリームさん、もとい、今は無きクリームさんのホームページでは…」クリームさん勉強頑張ってね(^_^)』
オレは生きとるわい!!
だけど、サンキュー☆ テスト勉強頑張ってるよん _(・・ )φ ボーッ。。。
【あしたのJOEさん】
『しばらく顔を見せないとすぐ物故者にされてしまいますですよ。一段落ついたら、またHP立ち上げてください。待ってます。』
ホントッすね〜、忘れ去られないようにたまには顔出させていただきますわ☆
またHPで能書きでもコイてやろうかと思ってますので、その時はヨロシクゥ!
だけど、まだ先になりそうなので、ここ二郎さんちにちょっくら間借りして能書きコクね。
【能書き言わせてもらうね☆】
まだ酒をやめて、あんまり時が経ってない人達の、頑張りの言葉を読ませて頂いてますが、そういう言葉を読むと、本当に応援したい気持ちでいっぱいになります。
今は不安定でフラフラとしてて、これから先が不安で堪らなくなるかも知れません。
また、強い飲酒欲求が出たりして飲みたくって仕方ないこともあるかも知れません。
しかし、いつまでもそのような状態ではなく、しばらくすれば「必ず楽になる」と、私は声を大にして言いたいのです。 だからどうか頑張ってください!
断酒していて貴方に「不幸」や「害」が及んだりする事はありません。
私はもう少しで酒を飲まない生活が6年になろうとしています。
しかし、悪いことといえば「酒が飲めない」という事だけです。
そのほかは皆良いことばっかりです。
考えてみて下さい。
(アル症以外の病気を持っている場合はとりあえず別としまして)断酒が元となりアルコール依存症者が殺人を犯したとか、断酒が原因で死亡したというニュースは聞いたためしがありません。
私が通院している病院にも断酒して20年とか30年とかいう、もう相当な爺さん的な方々もいらっしゃいますが、皆まだ生きていますし、大罪もおそらく犯してないみたいです。
皆様も近くのアル中が集まっている場所を探して行ってみて下さい。
きっと長年断酒していながらもノウノウと、いやノビノビと日々の生活を送っている方々が多数おられるはずです。
この事は「私達アル中がこのまま何十年も断酒をして、年寄りになっていったとしても決して悪いことではない。多分大丈夫である」という、大いなる裏付けである。と言えるのではないでしょうかー!!
一旦アル中になったが最後『数々の崩壊劇を繰り返し、短めの人生を終える』・・。
これぞまさしくアル中のごく当たり前で自然な姿といえるでしょう。
ちょっと理不尽に思えるかも知れませんが、そうなっているんだから仕方ないのです。
それを裏付ける証拠として、アルコール依存症患者の断酒率の異常な低さを示すデータがその真実を無言に語っているのであります。
例えて言うならば、アル症者が辿るその自然な人生というものは、水が高いところから低いところに流れるが如く、はたまた冷たい空気が暖められれば、上昇してゆくが如く。・・
このように、自然の摂理のようなものに酷似しているのであります。
そう、つまりアル中のくせして「断酒」なんて事は不自然極まりない「無謀な行為」です。
従いまして、ちょっとやそっとの事で「断酒する」などと言わない方が利口です。
何故ならば「無理」だからです。
<飲んだとしても、まだなんとかなっちゃう切羽詰っていない余裕のあるアル中>が
「断酒します!」と、宣言しても、おそらく99%ぐらいは又飲むのではないでしょうか?
というわけで自分がアル症者だと気付いたとしても、すぐに断酒を決断する必要などありません。
それこそ、じっくりと黙想し自分の置かれてる状況を良く良く考え、深遠に自問自答したうえで「うむ、やはり私には断酒しか残された道はない」と悟ってから断酒した方が良いのです。
思いつきや衝動的に、いとも簡単に「断酒します」などと高らかに宣言するのはやめましょう。
「誓約して果たさないよりは、誓約しないほうがよい」と聖書にも書かれているではありませんか。
PS それでは麦茶さん、明日はよろしく☆
最近アル中って様々な人がいるなぁ、とつくづく思います。
「アル中は皆同じ」なんて言う人がいますが、あれは全くの誤りです。
私は「こいつと一緒にすんな」と、強く感じる人はゴロゴロといます。
当然、私が逆に思われている場合もあるでしょうしね。
「アル中は皆同じ」この言葉は「人間は皆同じ」と同レベルの言葉でしょう。
同じアル中という病気だからといって「仲間、仲間」だと、思いを強要する人がいますが、やっぱりあれは大いなる間違いだと思います。
「病気」というその人そのものの、ほんの一部分を指して「君もアル中、僕もアル中、ほら!同じ仲間じゃないか!」なんて事は超ウザッたいのであります。
真面目誠実な人間から不真面目不誠実な人間。働き者から怠け者。
大学院卒から中卒。大統領からホームレス。根性のある奴からヘボたれた野郎。
まさに、アル中の世界は人間社会、人間個性の縮図であります。
昨日はどうもありがとうございました。
楽しく、また有意義な時間を感謝です☆
最近オフで会っても、なかなかDさんとゆっくりお話が出来なかったですが昨日はわりとお話が出来、Dさんのお話も聞けてうれしかったです。
『仲間という言葉は小学校以来忘れていた単語だと思います。私は、お互い良くなろうという志の部分では仲間意識を持つ事は良い事だと思うのですが。』
私も「仲間」などという言葉は「仕事仲間」という言葉以外、アル中になってからよくよく聞くようになりました。
入院中、先生は馬鹿の一つ覚えのごとく「仲間作りしていますか?」と聞くのです。
(大抵の人はそうですが)私はその言葉が嫌でした。
しかし、私も時が経つうち「仲間」というものの大切さ、というものを大分解るようになってきました。
私のいう「アル中」という「仲間」という言葉の捉え方は、必ずしも「仲が良い」とは限りませんし、「好きな人」とも限りません。まったくの逆の「仲間」もいるということです。
「飲まないために真剣に努力している人」には「飲まないで一緒に頑張ってほしい」と応援したい気持ちになりますが、何だかよくわからない人には「どんどん飲めばいい!」と逆の応援をしたくなったりします。
アル中の場合、仲間とはサンプルという面も持つんだと思うのであります。
いえいえ、とんでもないことです。
私は「立派」などと言われる人間ではありません。
しかし、このたび留年せず、無事に高校2年生になることが出来ました。
このことは是非、誉めてもらいたいと思います。
『それはその人の性格に問題があるのであり、アル症とは関係ないのです。このご意見には同意いたします。』
自分の欠点やおかしなところすべてを「アル症」のせいにして安心しているような方々もいることも事実です。
中には開き直って偉そうな顔をして病気のせいしてる馬鹿もいます。
まったくこれでは、「死刑を免れるために精神障害者のふりをしているのと同じ」こと・・
いや、この例えは私たちにとって、少なからず「関係している事実」にも触れることなので相応しくないので変えましょうか・・。
(それでは違う例えでいいます)
まったくこれでは「大した罪にならない事を計算した上、少年法を盾にして無茶苦茶をやってる悪ガキどもと同じ」ではありませんか!
飲酒しているアル症者はアル中という病気の症状によって、世にもおぞましい光景を作り上げることは確かにあるでしょう。
しかし、M、Kさんが言われますように、回復中のアル症者が問題を起こしても仕方の無い事と考えてはいけません。
それは元々問題を持っている人が、たまたまアル中になっただけのことだと思います。
よくいそうなタイプですが、断酒期間も長くなったくせに、何やらヘマをやらかすたび、「やはり私はいつまでたってもアル中ということですな、ハッハッハ」などと呑気に誤魔化しているような人がいますが、本当はそんなことを言ってる場合ではないのです。
そういう人は、そう言えば許されると思って、その人自身の問題をチョロくはぐらかしているのであります。
自分の問題点をなんでもかんでもアル中のせいにせず、アル中から離れた考えを持ち、自己責任というものをきちんと考えて行くのが「大人」というものではないでしょうか。
昨晩の宿泊先は相当「危ない場所」だったですが無事に帰還されて良かったですね☆
『今は「自分なら断酒できる」と信じていくしかない、と思ったりします。』
「自分なら断酒出来る」私もこの言葉は好きです。私もそう考えてきております。
世界中のアル中が再飲酒して全滅し、たった一人自分だけになっても続けてやろう。
と、決意しています。
「慢心は危険」。よく自助Gなどの「先輩達」が好んで言われる言葉です。
私も何回も聞いた言葉です。しかし、これ、本当のことなんでしょうか?
そもそも慢心とは何のことを指しての「慢心」なのでしょうかね?
自分が飲みたくって飲んで再飲酒となるわけですが、皆が使い回している単なる無難で便利な「言い訳」に過ぎないんじゃないんでしょうか?
競争心を抱けば「これは慢心だろうか?」といぶかったり、酒を止めていることに感謝する気持ちが薄れれば「自分は慢心が育ってる」など不安がったり、いちいちそんな事考えていられるもんじゃないでしょう。
飲んでない事に対し自尊心を持ち、たくさんの断酒してるアル中が挫折して行く中、自信と優越感を持って断酒を継続してゆく事が「慢心」なんでしょうか?
それが「慢心」ならば、私は慢心だらけで断酒してます。
聖職者じゃあるまいし、悟ったように謙遜ぶってりゃいいってもんじゃありません。
慢心だろうが小心だろうが、まだ飲みが足りない奴は飲むんです。
「横浜オフ会」いいですよね。
昨日もお話しましたが、私は若い頃、山下公園をペアで歩くというスタンダードなことをした事がありません。オフ会の時、是非したいと密かに思っています。
かずまさんは私などが想像してるよりも、遥かに色々なことを考えておられるはずですので、けちをつけるのはいけないことではないか?と、も思ったのですが、あまりにも霊的な考えへの結びつけみたいなものが、やけに先走っていて無理に形式ばっているような、そんな感じがしたので横レスさせていただきました。
更に言わせていただくと、私の横レスの書き込みに対して、あっけないくらいあっさりと肯定されて、私は戸惑いを持っているのです。
『アルコホーリクだからいいんじゃないかな・・・ってそれだけかも。』
そう言われまして、確かにこのBBSでのカキコはそれでいいんだと思いました。(私もあっさり肯定することにいたします)
話はちょっとズレますけど、AAの言葉のいろいろは、人によって好き嫌いはあると思いますが私個人としては、その言葉に心より頷いている場合が多いです。
ただAAに行き始めた途端、「ハイヤーパワー」とか「祈る」とかの言葉を常用語として頻発するようになり、パウロの電撃的な改宗のごとく、突然スピリチュアルな人格に変貌してしまう方がおられます。
私はそういう人の言葉や態度には、何やら胡散臭さを感じてしまい、その突然変異は、ほんのいっときの感情的なものではなかろうか?と、いぶかったりしてしまうのです。
本当にAAの言葉を自分のものにしている人は、言葉を引用する場合、説得力、重み深みを感じます。(例、ひいらぎさん(笑))
私もM、Kさんの仰るとおり、底つきを待つのではなく、出来れば底上げが理想的だと思います。何の病気にせよ早期発見、早期治療に越したことは無いです。又、アル中の治療には医師の力が必要であるとの意見にも全くの同感です。
けれどもその段階に行くまでが最も大変です。M、Kさんのように根が素直なアル中なら、家族が懸命になり、どうにか説得し、病院に連れて行くのも可能かも知れません。
しかし、私のような頑固で傲慢な性格を持つアル中ならば、それは不可能です。本人がまず「もうこれ以上は駄目だ、誰か助けてくれ!」というようになるまでは、例え病院へ連れて行ったとしても「無理やりオレをキチガイ病院に行かせやがって」と、家族は後々も根に持たれるのが関の山です。
そして、私はこのような態度でいるアル中が多いと想像しています。
アル中を抱えている家族は、アル中を甘やかしたり、アル中になめられたりしたらいけないのです。
多くのアル中は、いい気にさせていれば、天井知らず、どこまででもつけ上がるのです。
私の考えは、わがままで甘ったれのアル中なんぞは、放っておく方が良い。
その方が「底上げ」に繋がる場合が多い、と考えているのであります。
『でも、「放っておく」ことは難しいのが現実ではないでしょうか。』
その通りだと思います。
部屋が何十もあるような家なら別ですが、せいぜい2つ3つの部屋しかない家に住んでいるのが大半の家庭ですので、同じ屋根の下に住んでいて、「知らん顔していなさい」とは実際は無理なことです。
一番手っ取り早い方法は、家から出てしまうことでしょうが、出ていって飲み続けているアル中(の状態にもよりますが)をいつまでも放っぽっているのも危険です。
やはり家族は専門的な知識や知恵を学び、「放っておくため」のノウハウを得る必要があると思います。
『「底」の深さを測るときに、やはり「子供」「家族」というファクター抜きには語れないと思うのです。』
人によって違うのかも知れませんが、私も同じ考えです。
現在私としては健康、仕事、社会的信用の喪失などより、家族、家庭を失うことが一番衝撃的出来事であり、最高の恐怖であり、最大の苦痛です。
もし私が家庭や家族を失ったら、飲酒の抑制力は薄っぺらなものとなってしまい、きっとスリッパーになるでしょう。
そうして崩壊への加速度は増し、今あるものが逆雪だるま式(こんな表現あるのか?)に次々奪われて行くのではないか、と想像出来ます。
ついでに言いますと、私は妻に「次、貴方が飲んだらもう耐える力はないしその気もありません。私は出て行きます」とはっきり言われています。
だから飲むならば、相当の覚悟を決めて飲まねばなりません。
今の私にはとてもそんな勇気や根性はないです。
【エミリーさんへ】
私も睡眠障害なのですが、これは子供の頃からのもので、酒の魅力を一番最初に感じたのはすぐに眠れるからでした。
それにはまってからは酒抜きで眠ることが増々出来なくってしまい、断酒したての頃は眠剤は非常に貴重な道具でした。
断酒して数ヶ月は眠剤を毎日飲んで眠っていましたが、2錠を1錠にしばらくして半分に、と徐々に量を減らしていき、最後のほうは錠剤を自分で3分の1に割って飲んで、最終的に全く飲まないで眠れるようになっていったのでした。
アルコールも薬も何も飲まないで眠れた時は、本当に自由という気持ちを持って感動するほど嬉しかったです。
しかし私は朝起きて「本当に気分の良い朝だ!」と感じることはほとんどありません。
確かに人工的手段を使わなくっても「自分も普通に眠ることが出来るのだ!」ということは判ったのですが、寝つきが異常に悪いのも途中覚醒も早朝覚醒も全然普通のことです。私はきっと、脳のどこかがいかれてて睡眠のスイッチがおかしいのだと思います。
そんな感じなので、あんまり睡眠の状態がひどくなると薬を飲みます。
しかし私は眠剤を飲むと次の日に残ってしまい、すごく不満足な日々を送らないといけなくなるし、それに加え、癖になるのです。
なので「二錠を一錠に、その一錠を半分に・・」と、またまた減らして切っていくのに面倒な作業をしないといけなくなるので、今ではよっぽどじゃないと飲まないです。
現在、眠りがおかしくなると先生が処方してくれる薬はデパスですが、これは眠剤ではありませんが入眠作用もあり、途中覚醒も激減しますし、次の日に残らないという私にとってはうってつけの薬です。
色々な薬を貰って飲んだのですが、自分に合っている薬を見つけたな。と思っています。
あまりに次の日に残るようならば、先生に何度でも相談して薬を変えてもらって、自分に合う薬を見つけるのが良いかと思います。
断酒していけば、睡眠障害は良くなるか?とのご心配ですが、今よりは絶対に良くなる。と、私は言い切りたいと思います。
私は断酒当初、眠れないことに異常な不安や恐怖を抱えていましたが、今はそれも大したことじゃない。と思えるようにもなってきました。
だからきっと貴方も大丈夫だと思います。
私が思うに、飲んでるアル中に対して家族などが「愛を示すこと」とは、ごく普通の一般的な意味での愛を示すのとは違う形になるのではないかと考えます。
例えそれで死んでしまっても、飲ませてあげることが愛になる場合もありましょう。
その人と別れることが愛になる場合もあるでしょう。
自分も飲み狂うことで、なれることならば同じアル中になるのが愛になる場合もあるでしょう。
とにかく何しろ、「アル中に愛を示すこと」。
これは異常異端異形なものとなり、尚且つ、非常に苦難困難災難なことでありましょう。
って言うか普通、愛を示すのは無理でしょう。
私は「愛を示さないのが即ち愛である」という禅問答的な態度が最良であると思うております。
『ともかくクリームさん、早くHP再開してください。』
この前のJOEさん、二郎さんに続きまして、励ましの言葉に感謝致します。
HPはちょっとづつ進めております。そのうちの再開の折にはまたどうか宜しくです。
『あ、お孫さんの写真も掲載してね!』
はぁ? 孫??? 「孫」って何のことですか?
言ってる意味が私には全然解りません。
きっと誰かと勘違いしてるんでしょうね(・m・ )プププッ
「断酒出来ない」のは、まだ自分の中に「しなくて良い」とか「しなくても平気」という思いがあるから出来ないのです。
つまり、そういう人達は飲んだとしても、その人にとってみれば「まだどうにかなる」とか「まだ何とかなる」人達なのです。
実際そのようになっているから今現在生きてられるわけであり、しかも余裕もあるのでPCをいじってネットなどもやってられるというわけです。
「酒をやめたい」。そんな気持ちは重要でもなければ大切でも必要でもありません。
アル中を放っておいて飲ませとけば、そんな気持ちなど何度も何度も(一時的に)必ずや持つことになるからです。
更に言わせてもらうならば、「酒をやめたい」と言いつつ飲酒を続けている人は意地や根性が不足していて、意思が薄弱なのです。
更に更に言わせてもらうならば、現状に甘え舐めている人なのです。
「酒をやめたい」なんて気持ちだけでアル中が酒をやめるわけがありません。
むしろ「やめたくないけど、絶対に飲めない状態、又は飲むわけにはいかない状態」になった時にやめられるのです。それでやっと本気になれるのです。
「出来ない!」って、おさむさん怒っておられます?
私の書き込みにムカついて酒量が増えたりしてませんか?
「クリームさんのように」と、書いてありますが、それが断酒を意味することならば断酒している人はたくさんいますよ☆
「本気」で断酒を決心した人ならば別に断酒継続はそれほど特別ではないと思います。
飲んで酷くなると「今度こそ本当にやめよう」と決心するけど、ある程度時が経てばまた飲んでしまう。ということを繰り返しているアル中は数知れないと思います。
このような「本当の本気でやめようと思っていないアル中の人」はそういうパターンを何度も何度も繰り返しているのでしょう。
そうやっているうちに、本気になってやめる人もいるだろうし、反対にずっと本気になら(れ)ずに亡くなるまで飲酒を続ける人もいるでしょう。
私は、おさむさんが断酒出来ないのは、本当の本気になってない、又はなれないから。だと思っているのです。
「断酒出来る、出来ない」の大きな分岐は、自分が本当の本気になれるか、なれないか。ということに懸っているのではないだろうか?と私は考えます。
(但し、アル症以外、他の精神病を持っている人は、単純なアル症より簡単にはゆかず、これに加え、更なる努力や助けも同時に必要になるかと思います)
『「最近、本物のアル中が少なくなった」と・・・・』
なんとも趣のある言葉ですね(笑)その古参の爺様の次に続く言葉は「昔は良かった・・あの時が懐かしい」とか言いそうな勢いです。
それはともかく、私が入院しているときも「この人本当にアル中なの?
いや・・話を聞いていると、どうもなんか違うような気がしてならない・」というような人も何人か入院してきました。
入院させた理由は早期治療のためなのか?病院の利益目的ゆえか?
それともただ単に面倒くさいから、とりあえず入院させてしまえ!といった理由からか?そのへんは何とも解りませんが、病院で「貴方はアルコール依存症者です。」と診断されたからといっても、なんか私はそれが絶対のものでは無いように思えてならないのです。
アルコールで問題を抱えて困っている人はアル中だろうとなかろうとその問題をどうにかしなければならないし、飲んでも大丈夫な人はバリバリのアル中だとしても別に酒をやめる必要は無いと思います。
しかし、私も「上から見ても、下から見ても、横から斜めから見ても完璧なるアル中也」という人が入院して退院したら上手に節酒出来るようになってしまった!!というお話を聞いたことがあります。
この人に起こった奇跡的な現象は、まさにハイヤーパワーのなせる技なのでしょうか?!
「お酒が飲みたい・・・」
実に良く解ります。
本当言いますと、私もこれを考えると感情が渦巻いてしまい、以下の通りです。
「酒が楽しく飲めること」
こんな特別ではない普通のことが何故自分には出来ないのか?
周りを見てみろ。あっちを見てもこっちを見ても、みんな楽しそうに飲んでるではないか。これはどういうことなのだ。
俺が一体何をしたというのだ?!俺はそんなに悪いことをしたのか?
何故俺だけがこんな思いをしなければならないのだ。
このままでは済まさないからな。覚えていろよ。
これからよっぽどいい事がない限り、絶対に納得は出来ないからそのつもりでいてくれよ。
と、いった有り様なのです・・・・。
私の真の希望は「酒好きな人という人はもれなく全員アル中になって欲しい」と思っているのです。
そうして皆、酒をやめざるを得なくなってもらいたいのです。
それでもやめない人は酒を飲んだらたくさん苦しんで欲しいのです。
そうなってくれれば私は嬉しく楽しく喜ばしいのです。
世の中は平安で明るくなるのです。
しかし、そんな巧いように世の中は出来ていませんね。
この世は不公平なのです。やっぱり神様はいないのでしょうね。
私はそれが非常に悔しく残念に思っているのです。
私はアル中になって、もう何年(というか20年ぐらい)にもなりますが、アル中という病気は今だもって恥ずかしい病気だと思っています。
が、恥ずかしいといっても、自分がアル中になってしまった事自体が恥ずかしいと感じているのではなく、(アル中以外の)他人に自分のことが「アル中」と知られてしまった時、そのように感じるのです。
実を言いますと私はアル中で入院して出てきた後、わざわざ自分のアル中を告白しなくてもよかった人達、数人に馬鹿正直に言ってしまったことがあるのですが、今だに「ああ言わなければ良かった、俺は何てマヌケなことをしてしまったのだ・・
人間正直に生きれば良いってものではない・・」と深く後悔している始末であります。
そんな私ですので、この前↓の書き込みを読んですごく驚いてしまったのです。
「私はどこでもかしこでも、「私はアル中」ですと言って歩いております。」
そこでチャキさんへ
私は最初、チャキさんが誰彼構わず、自分のアル中を言いふらしているという行動に非常に理解不能な思いを持ちました。
しかし内容を良く読んで洞察した結果、以下のように推論いたしました。
「きっとチャキさんは、ご自身のアル中を一風変わった商売上の戦略として、また、ユニークなアル中空手指導者として人気を得んがため、そのようなキャラで売り出す作戦を考えついた・・。そうして、それを遂行する為に自分のアル中を懸命に宣伝しながら歩き回っているのであろう」と、以上ののように私はこの数日間、自分なりに納得していたのでした。
だけど、どうもしっくりと来ません・・。そこで私はこう考えるに至りました。
「もしかしたらチャキさんは、私が考えているような下世話な発想でアル中を宣明し伝導しているのでは無く、一般的に至極評判の悪いアル中の地位や名誉を改善して行こう、というような啓蒙運動的意味合いが含まれているのではないだろうか?!」と、いうものです。
そこのところどうなのでしょうか? チャキさん、もし宜しかったらお聞かせ下さい。
『どこの世界でも、大勢の人が集まると自然に格というものが生まれてくると思います。』
確かにそうでしょうね。ただ長く居るだけでもそうなる事もあると思います。
私は書くことが生意気ですし態度が意味もなく大きいのでハッタリも混入してそう見られるのかも知れませんね。
私がネットに投稿し出した時はすでに断酒して3年ぐらい経っていました。
断酒継続も比較的安定していたとは言え、私は自助Gに行ってませんでしたし、アル中関係のことは本で読んだことぐらいしか知識もなく、自分としては「これでいいのだろうか」と常々思っておりました。
それで、偏っていようが間違っていようが自分の思いや考えを投稿してみることによって、他の意見や反論を見て自分なりに再確認や矯正をしたり、また逆に自信をつけたい、と思ったのです。
投稿はずっとそういうつもりでしてきたのですが、長くなってくると自然と誰も私の意見などに同調はするものの、反論や他の意見は出て来なくなってきました。
貴方の言われるとおりその、よくわからない変な「格」のようなものが私への批判や異論を遠ざけている、ということは薄々感づいて来ましたけれど、そういう状態が続くとやはり私のような人間は高慢にもなるし、自信過剰にもなるものなんです。
徐々に人の意見を受け入れることは減少し、自分の意見をごり押して自己満足している場合が多くなってきたわけです。
又、そういうのと同時に孤独感のようなものも出てきました。
今回のことだってそういう部分はあると思ってます。
でも「断酒ごっこ」のことは自分でも巧い表現だと自負しています。
言い過ぎた、とも何とも全然思ってません。
本当言えば、もっとキツイ表現をしたかったくらいです。
「断酒ごっこ」なんて愛嬌のある可愛い表現じゃないですか〜。
こんな言葉でいちいち傷ついてたらスリップ後のすこぶる厳しい状態から立ち直れるんかい?(笑)
まあそんなこんなで最近は何となく自分自身シラけてしまい、BBSへの投稿も減らして行こうと思っていたところなんですよ。
そして「体験談」のことですが、もう2年以上前でしょうか、私が投稿したものへ二郎さんがお声が掛けて下さいました。
とても光栄なことですし、快く承諾させて頂きました。でもそれ以来増えない(笑)
だから本当言えば一人だけで寂しいような恥ずかしいような気持ちなんですよ。
自薦他薦構わないということですので誰かご自身の体験談等を書かれて早いとこ名前を連ねて欲しいです。
けれど二郎さんが私の体験談の書き込みを選んで下さったことは嬉しく思っています。
PS、JIDのことはまあ気が向いたら入会してみて下さい。
私も睡眠障害を持っています。
今はそんなに酷くなくなったのですが、でもやはり気持ち良い睡眠が取れる時などほとんどありません。
スリッパさんは退院されてまだ1ヶ月か2ヶ月なのでまだまだ全然不安定でしょう。さぞかしキツイ毎日だとお察しします。
普通でしたら「そんなに睡眠にこだわる必要な無いのに」と誰しも感じてしまう事なのでしょうが、自分でもホトホト嫌になるほど睡眠に異常な拘り方を見せてしまうところが私と同様だったように思えます。
やはり合った睡眠剤の服用しかないでしょう。
催眠作用のある抗不安剤なども試してみればいいのではないでしょうか。
なにはともあれ病院の先生にうるさいほど相談して合う薬を見つけることを第一にしてみたらどうでしょう。
何しろ今は最大級に不安定な時期でしょうし、滅茶苦茶酔っ払いたい気持ちにもなってるかも知れません。
立ち入ったこととは知りつつも言わせてもらうならば、現在もしスリッパさんが再飲酒したら再度の入院、そして離婚、離職などという運命が待っているような雰囲気が漂っています。
飲酒欲求、これは「我慢」の一言しかありません。
酷い時は薬を飲んで寝ちゃって何とか乗りきるのが良いと思います。
それからミーティングに行くのは効果的ですよ。
飲み友達の心配をしているようですが、このままじゃきっと飲み友達が出来る前に一人で酒盛りを始めてしまいそうですからね。
JIDへのご入会嬉しく思います。
「心のつながり」という気休め以外、何の活動もありませんがどうぞ宜しくお願いいたしますね。
断酒を始めたばかりできつい日々を頑張って送っている人に私は心からのエールを送ります。
何しろ飲まないこと、何であれ飲まないこと、を続けて行けば今の辛い状況も徐々に楽になって行くはずです。
心配しないで下さい。必ずそうなると信じて下さい。
まだ断酒を始めたばかりの人たちにとって、大きな障害をなるものに、断酒数ヶ月ぐらいで再飲酒を繰り返している人の存在があるかと思います。
そういう人を知ると何とも言えない大きな不安になるはずです。
そうなのです、それらの人の言い訳や屁理屈をまともに聞いていると途轍もない実害を受容してしまう可能性があるのです。
ですから、どうか再飲酒者のそのような言葉は出来るだけ見ないようにするか、又は見てしまったとしても、無惨な敗北者の言葉、姿として受け取って欲しいと願います。
再飲酒常習者とは、アルコール依存症というものがどれだけ家族、また社会にとってドえらい迷惑者だという事に気づいていない哀れな人なのです。
そして結局のところ、そういう人たちは根性が足りず、意志の弱い人なのです。
病気を盾にして甘えるだけ甘えようとしている人なのです。
そのほかに考えられるものとしては人生を投げているか、アルコールに脳を毒され思考能力や判断能力などが著しく低下してしまった人なのです。
ここの掲示板には、自分や家族の将来をきちんと考え、責任を感じ、そのような人から飛散される害毒に振り回されず、必死になり懸命になって断酒を継続している人たちが大勢います。
どうか安心して下さい。そして自分の人生を有意義に生きて下さい。
『根性と意志が出てしまいましたね。クリームさんらしいです。』
はい。断酒に必要ものは意志と根性、あとは意地と厳しさでしょう。
これは断酒初期ほど必要な要素だと私は思っています。
考えてもみて下さい、再飲酒を繰り返している人がそういうものを持っているとお思いですか?
断酒継続している人は「運の良さ」のようなものもあるでしょうが、簡単に再飲酒する人達より、先ほどの要素をちゃんと持っているからこそ酒をやめているんだと思います。
己の飲酒のお陰で自分や家族の身に危険を感じ、世間から弾かれそうな恐怖を抱え「絶対に酒は飲んではいけない」と、必死な気持ちを持っていたとしても再飲酒の危険は常に付きまとっているのです。
強い意志としっかりとした根性を持って断酒に立ち向かわなければ必ずや再飲酒の道を右往左往することになるんだと思っています。
私がそのように言うと「そういうものじゃないでしょう」とか言う人がいます。しかし、逆に私は聞きたい。
「意志と根性、意地と厳しさが無くして断酒が出来るとお考えなのでしょうか?」と。
更に「もし、それが出来るのならばその断酒方法を教えて欲しい」とお尋ねしたい。
再飲酒ばっかりしている人は「病気だ、何だ」という替わりに己の意志の弱さや根性無しの部分を大いに改善してゆく事が必要なのです。
『自助グループ無用論の方は、この老夫婦のようなケースでは、どんな支えが出来るのでしょうか。インターネット断酒が有りますよと言えますか。一度お伺いをしてみたいです。』
私は自助G無用論の人ではありませんが、チャキさんは少し何かを勘違いしているか思い違いをしているように感じ、書き込ませてもらいました。
まず、自助Gとインターネットを同列に並べていることが変です。
何故なら自助Gと同等のものをネットは持っていないからです。
このことについて私が思うに、将来も決して肩を並べるまでには行かないような気がします。
それが証拠に、真実か虚言かは別としても「自助Gのお陰で私は酒が止まってる」と仰る人はたくさんいます。しかし「ネットのお陰で私は酒が止まってます」という人はほとんどいないのではないではないでしょうか。
少なくとも私は今までそんな事は聞いたことがありません。
何よりアル中が文章を読んでるだけで酒が止まるなんてことは到底考えられない話ですよ。
確かにインターネットが断酒のきっかけになった方も少なからず居られることでしょう。
お酒を飲まない日々の生活の力の一部分になる場合もあるでしょう。
だけど「インターネットによる断酒」なんてこと、少なくとも今のネットではあり得ないと思う。
早い話、今現在自助Gに通わなくっても断酒が出来ている人は、別にネットをやっていなくても断酒出来る、ということです。
また、話は変わりますが、チャキさんはすぐに酒害活動酒害活動と言って、まるで回復中のアル中がやることの第一が酒害活動かのように言いますが、私から言わせてもらうならば酒害活動なんてどうだって良いことです。
酒害活動などというものはやりたい人がやればいいのであり、そのような行動は「自分の好き」でやっているのであります。
当然のことですが、やったからって別に偉いわけじゃありません。
酒害活動などと言って、どれほどの事をやろうと所詮それは自己満足に過ぎないのです。
50歳のいいオヤジが80歳の両親を泣かしていることは分かりました。
そのことに対し、憐みや可哀想だと思う気持ちを持っても不思議ではないでしょう。
でもその両親が何の責任も無いわけではないはずですし、何しろアル中で狂いたい人はそのままにしてあげることが本当の親切かも知れないではありませんか。
勿論チャキさんがアル中にどんなに身骨を砕こうと、それに対して言い掛かりや文句をつけようと思っているわけではありません。
しかし、すべての人は自分の荷を背負って生きていくわけです。
人の荷を担いであげるのは結構なことですが、「人助け人助け」ばかりに思いを馳せているならば、思い上がりや自己中心的なものの考えに陥りがちにならない
でしょうか?
私のぶしつけな質問に答えて下さりありがとうございました。
宗教がテーマの崇高な書き込みのラッシュが続き、何だか気後れしてしまってレスするのが遅れてしまい、どうも失礼致しました。
『『二郎さんの断酒継続の原動力は簡単に言うと何ですか?』ズバリ、「ありません」。』
私は二郎さんの、この「ありません」と言う答えには本当に驚きました。
何故なら、断酒継続への原動力が「無い」という事は最強の答えだからです。
まさにこれこそ究極の答えと言ってもよろしいかも知れません。
私は断酒には原動力(動機付けという意味で)が絶対に必要だと考えておりました。
その内容は人それぞれでしょうが、その原動力こそが断酒を継続させるものだと思っていたのです。
しかし、最近それはイコール「ウイークポイント」だということに気づいたのです。
それが無くなったら飲酒する可能性が高くなるということですものね。
つまり「原動力がない」ということは裏返せば「ウイークポイントが無い」という事にも繋がるわけです。そういうわけで私はビックリしたんです。
二郎さん・・・やはり貴方は仙人だったのですか?!
おお!JOEさん、ご健在で何よりです!
私も同じで御座います。朝起きるのが嫌です。仕事は毎日行きたくないです。
一時期、「こ、これはよもや鬱なのでは!?」と心底心配したことがありました。
ですが、自分でも「鬱だとしたらちょっと変だぞ?」という疑問が出てきたのです。
それは、休みの日は朝も全然平気で起きられ、一日中元気ハツラツなのです。
しかし、休みが終りそうになる夕方、サザエさんが始まる頃には、またもやあの例の憂鬱な気分になり下がるのです。llllll(-_-;)llllll ずーん・・・
(現在でもサザエさんの音楽(特にエンディングの歌)を聞くと暗い気分になってしまうという後遺症は残っています)
ところがまた、休みの前の日や休みの日の早い時間には元気になるのです。
それでついに私は理解致しました。
私の場合、どうやらただ単に仕事が嫌いだから怠け根性が働いてそうなっているだけのようでしたよァ '`,、'`,、'`,、'`,、(´∇`) '`,、'`,、'`,、'`,、'`,、
【ダンテスさんへ】
簡単なことだと思います。
ご自身がアル症だと理解しているにも関わらず、断酒の決意を簡単に翻し又すぐ飲んでしまう人。
こういう人は意志の弱い人だと思います。
更にスリップを何度も何度もしている人。
こういう人は断酒の意志が「すごく」弱い人だと思ってよいのではないでしょうか。
往々にしてそういう人は「断酒は意志の問題ではない」とかいう言葉を逆手に取り、ご自身の再飲酒を正当化したり、自分の脆弱な意志を認めない場合が多いように思えます。
*「する気がない人」「アルコールに脳がやられてしまっている人」などは意志がどうのこうのという問題ではありませんので、この論点からは外れる。
また、酔っている状態で飲酒をコントロールできる人は「意志が強い」のではなく、アル症ではない人だと思います。
頑張っておられたのに残念です。
責めたてられる言葉に同感し、>「全くその通りだ。自分はどうしようもない人間だ」と感じてしまいます。
とありますが、それでくもさん自身どうするかが大切だと思います。
自分の堕落を確認して、それで安心しててもどうしょうもありません。
酔っていると気が大きくなるので、捨て鉢になるのは容易だと思います。
早く病院へ行って断酒を再開して欲しいと願ってます。
また、あしたさんからの励ましの書き込みの横レスになってしまうのですが私はあしたさんの仰ることには共感出来ません。
アル症という病気は「ゆっくり、のんびり」などと言っていられるような病気だとは思えないからです。
私は断酒するチャンスなんて、そんな何度も何度もないと考えています。
酒を飲むことで自分の身体や生活に危険を感じるのならば一日も早く断酒するべきです。
人生なんて短いのです、そんな余裕ぶってたら死んでしまいますよ。
実際、人のスリップなど本当に結局のところ他人事かも知れません。
だけど、応援したい気持ちは本当に持っています。
くもさんがお酒を飲むのをやめて前向きになれますように。
アル症から回復して人間らしい生活をしたいのならば、一番大切な精神はやはり「自立」を目指すことだと思います。
すぐに何かを当てにしたり、人を当てしたりする事を己に許している人は、ずっと依存の精紳から離れることが出来ないのでしょう。
口を開けば「仲間作りしなさい」とか「仲間がいなければやめられない」と囃し立てる病院や自助Gにも責任があるように思うのですが、私が思うにいつまで経っても仲間ばかりを頼ってたら確実に失敗すると思います。
何せ、その「仲間」の正体といえば、どんなに偉そうな面をしてようが一歩間違えれば、たちまち気違いに逆戻りしてしまうアル中ですからね。
そんなものに大切な自分を預けているわけには行きません。
やはり最終的に頼れるのは自分なのです。
そして自分を守るの者は自分しかいないのです。
人など当てにしないで人間らしい人生を送るように努力して行くことが回復というものではないでしょうか。
【あややさん】
色々なところへオフ会旅行の日々のようで(笑)
今度の関東オフでまたお会い出来ますね☆
しかし、ご両親はよくまあそういう旅行の資金を出してくれますね。
何故そんなにあややさんを甘やかせているのでしょうか??
謎といえば謎です。(お節介は重々承知ですが・・)
JIDのことオフ会で是非お話致しましょう!
楽しみにしています♪
ご意見感謝します☆
『なぜなら、普通なら、断酒を先輩としてアドバイスする筈ですが。後輩が、まだ、底をついてなくて自覚が足りないという事で。面白おかしく、観察してるように見えますが。』
その通り、確かに私は彼のことを面白おかしく観察しているんです。
人によっては私の行動が不謹慎に見える場合もあるかも知れませんが、でも面白いものは面白いんだからしょうがないんです。
また、断酒を先輩としてアドバイスするのは良いことだとは思います。
しかし、私は逆にkuraさんに聞きたいです。
彼に対して、何て言ったら良いと思われますか?
前回に書きましたが、彼は「俺はどんなことがあっても酒をやめるつもりはない」と言い放ってます。
社長に強く注意されて一度はおとなしくなりましたが、今では悟りを拓いたかのように平然と二日酔いの日々を重ねています。
「お前はクビだ」と言われても良いつもりだと思われます。
そんな彼に「酒をやめないとアル中になるぞ」と私が熱弁を振るったところでそれが一体何になりましょう。
私は余計なお節介をしたくありませんし、そんな無駄なエネルギーも使いたくないのです。
膨大なパワーでアル症に向っている人を引き止めようなんて事に懸命になるよりも、彼には早いところアル症になってもらって、一緒に断酒の喜びを分かち合う方が楽しいではないですか。
『そして私は、貴方が再飲酒?スリップの方程式にはまってるようにおもえてなりません。』
私はスリップの方程式なんてものがあるのかどうか判りませんが、私のどういう部分がその方程式に当て嵌まっているのかお聞きしたいです。
私は元々、一般的な断酒方法で今まで来たわけではありません。
ですから例え、スリップの方程式のようなものがあったとしても、私の場合、最初からそのスリップの方程式にはまっているので別に気にもしてません。
もし私が再飲酒する時はすべてを捨てるつもりで再飲酒します。
ですからそう簡単にスリップなどしませんので大丈夫です。
ちょうどインフルエンザで休んでたので昨日録画しておいた「溺れる人」を観ました。
昨日観なかったのは妻に嫌な気持ちにさせない為です。
何年か前までは、TVでアル症関係のことをやると、これ見よがしに妻がいるところで観たものでした。
しかし、そういう関係のものを観ると「あのときの事を思い出すから嫌」という妻の本心を知ったときから、私はそういう関係のものを妻と一緒には観ないことにしました。
妻の気持ちも考えず、無理して一緒に観てくれてる妻に向かってまるで勇者の如く得意になって説明したり、余裕しゃくしゃくな馬鹿面を下げてゲラゲラ笑ったりしてました。
全く呑気なのは当人だけですね。
少しやめているとすぐ調子づく。
酒をやめているからって何になったつもりなんでしょう。
家族からすればそんな事、当然なんですよね。
「溺れる人」を観て、そんなことを思いました。
『本人は、断酒会を、欠席で奥さん一人で、断酒会を出席していました。』
奥様も必死の思いから出席されておられるんでしょうが、やはり本人が行かなければあんまり意味は無いんじゃないかと思います。
こういう事を言ったらまずいと思いつつ言ってしまいますが、断酒会でアル症の旦那といつまでもずっと一緒に参加している奥さんは、重度の共依存症者か断酒会に篤い信仰心を抱いてる人だと思います。
アル症本人は自分がアル症であるという事を忘れてはいけないですが、普通に考えれば、家族が悪夢のようなことをわざわざ思い出しに行くなんてことはしないでしょう。無かったこととして、早く忘れたいと思うはずです。
言っておきますが、私は断酒会のおかげでアルコール依存症者と共依存症者が仲睦まじくされている事に対し、それはそれで良いことだと思ってます。
『家族が言うには”病気だと、それで飲酒が合理化される”、またスリップも”病気だから仕方がない”と合理化される”病気の多用は本人をそれで甘えさせる、とのこと。』
ご家族の言葉はまさに真実な感想だと思います。
「病気だから仕方ない」なんてことは、アル症本人や赤の他人だけが喜んで使ってる言葉だと思います。
アル症者と一緒にいた家族はそんなことは決して言いたくないでしょう。
私も何かと言えば「病気だ、病気だ」というのはやめた方が良いと思います。
アル症は他の病気と違って、再発(スリップ)は不可抗力ではありませんし、意志の力が非常に大きいからです。
スリップした人の後の言葉といえば「甘えがあった」とか「気が緩んだ」なんてことが大部分を占めます。
「私の意志とは無関係に飲んでしまった」なんて言う人はほとんど聞いたことがありません。
これがスリップと意志は関係があるということの一番の証拠なのです。
また「アル症は病気だ病気だ」という人ほど、スリップしてる人の場合が多いような気がします。
『せやけど、自分自身、酒止めてこその「しんどさ」って有るやんなぁ。クリーン(断酒)長い人でも有るんかなぁ?うちは、有ると思うねん。』
「しんどさ」・・確かにワシもありまんがな〜。
飲みとうて飲みとうて、どうしょも無いこともあったで。
せやけど、それを何とか堪えたかて家族にゃ言えんもん。
というよりか、そういう事は家族にゃ言っちゃならない思うねん。
言ったら、家族の恐怖が増すばかりや。
そういう時のための仲間やねんと思うんや。
仲間はそういうつらさを解ってるしな。
仲間は大切やとワシも思うで♪
『女性は、しないほうがいいんじゃないかなって感じます。』
いやいや、女性に限らず男性だって余計なことをわざわざ言う必要はないと思います。
大抵の場合、言ったところで良いことなんかありません。
それに結局、カミングアウトは自己満足ですからね。
私は自分がアル中ということを極僅かの人達にしか告白してません。
ですから、仕事の仲間や趣味の友達と一緒にいる時に酒の話になったりすると、ちょっとドキっとする時があります。
一番肝を冷やすのは、たまにそういう人達をアル中の断酒仲間と勘違いしてしまう事です。
つい変なこと(絶対言ってはならないアル中関係の話など)を言いそうになったりしたことも何回かあります。
一度、酒の話題が出たとき、何気なく「連続に入ったら大変」と言ってしまい、後で「しまった!」と全身から血が引くようになりましたが幸いにも皆はその意味が判らず、何ごとも無く過ぎました。
本当にあの時はホッとしました。
だけど私は、そういう思いをしても自分のアル中を発表するより何千倍も気が楽なんです。
もう後がほとんど無い状態みたいですね。
私も断酒する直前は同じような様相でした。
でも、何が何でも飲まずに来ました。
そして飲まずにいれば何とかなることも経験しました。
もちろんその間「どうなってもいいや」なんて思ったことも何十回あったか判りません。
だけどそれでも飲まなかったから今があります。
断酒を継続することは大変ですが、不可能ではありません。
考えてみれば、ただ酒を飲まなければ良いだけのことです。
すごくきついのは断酒したての頃です。
その間、飲酒欲求に負けて飲んでしまわないように断酒する為に使える方法は何でも使ってください。
断酒することはこれからの自分の人生を賭けた大勝負だと思って頑張って下さいね。応援しています!
「底上げ」は私も大切なことだと思うんです。
底上げとは、「早く気付いてもらう」と言うことです。
言い換えれば「早く底に着いていただくこと」なのです。
ですから私としては、中途半端なアル中予備軍のような人には出来るだけ早く完全なアル中になって欲しいと思っています。
いつまでもぐずぐずしていたら時間が勿体無いからです。
その為には「自分の飲み方は普通じゃないな」と思っても躊躇せず飲み続けることが効果的でしょう。
人から何を言われても飲めるうちはとことん飲むことです。
そののち、完全なアル中になったならそれからはたくさん苦しんいただき、早いとこ酒をやめざるを得なくなって欲しいです。
私はアル中の先輩として、職場の後輩に対しキチンとその務めを果たしています。
『自助Gに繋がらないと断酒は無理という意見もありますが、』
そのような事を言う人も確かにいますが、それは違います。
「自分はそうでした」と言うのならばまだしも、他人にまでそんな事を言う人は自助Gに嵌り切ってしまった人なのです。
もう、それしか見えなくなってしまった人なのです。
実際、私も断酒したばっかりの時、「自助Gに行かないと酒はやめられない」と教え込まれていました。
素直にそう信じてたので、退院したら何かはともあれ自助Gに通わないと・・。
と真剣に思ってました。
それで私は入院中、真面目に自助G周りをしてたのです
ところが、自助Gには見た感じ、絶対友達になりたくないような変な人や、何だか理由は分からないけど気に入らない人ばっかりが私の目の中に入ってきて厭になってしまいました。
入院中私は「今、私は一般の世界からは弾かれている」と感じていました。
しかし、その時は「私は一般の世界どころか、アル中の世界にも弾かれる人間だったのだ」と愕然としたことを覚えています。
そんな暗澹たる気持ちでいたとき、私が通院している外来ミーティングに自助Gに行かずに7年やめている人がいたのです。
私は本当に非常な驚きと共に歓喜し、その人から未来への希望を頂くことが出来ました。
そうして今、私は「アル中は自助Gに行かなければ断酒出来ない」という教えが誤っていることを知るに至っています。
『『実際、私も断酒したばっかりの時、「自助Gに行かないと酒はやめられない」と教え込まれていました。』え〜ぇえ! アル症の専門書には、そんなこと書いていませんでしたよ。』
そうなんですよ〜。ホントにそういうことを言うバカみたいのがいるんです。
ひどいのになると「断酒会じゃなければアル中は酒をやめられない」と信じ込んでるような人もいます。
でも、これは断酒会だけでなくAAでも同じような人はいると思います。
自助グループを上手く利用する人、逆に自助グループに踊らされている人。
両方の人がいるのでしょうが、前者は冷静な判断力や洞察力を持っている場合が多いように思います。
しかし後者の場合、本人の所思とは裏腹に自助Gへの偏見や嫌悪感を増大させる役目を果たしていることが多いように思います。
『それでも私が飲みたいと言うと私の前にドシンとビールの入ったコップを置きます。』
実は私もこももさんと似たようなことがありました。
私は飲酒欲求がすごく強い方で、断酒したての頃は断酒に本当にうんざりでしてました。
ですから飲みたくってどうしようもない時、妻にグチるグチる。
よくグチってたんですが、ある時、妻が慈愛と憐れみに満ちた口調で「そんなに飲みたいのなら飲めばいいのに・・・」と言ったのです。
その時、私は「確かにその通りだな・・」と言い「じゃ早速一杯だけ」って、呟きながら、ウイスキーのビンを持って・・・・来れるわけねえだろっ?!(すみません、ちょっとHPを間違えました)
まあ、そんな感じで一気に飲酒欲求も萎えてしまったのでした。
結局、私も小心者なんです。でもそれが自分の身を守る力なんでしょうね。
『私は裏道専門ライダーです。』
バイクはすごく楽しいけど、やはり「危ない」乗り物ですからね。
私もゴチャゴチャした国道は嫌いですよ〜。
だから遠回りになっても裏道を選んだりしてます。
これから気持ちいい季節ですよね♪
裏道でもいいからバイク乗り出してみたら??
アル中が酔っ払って病院に行くと先生にこう言われるそうです。
「鮭鮫鱈鯉!」
・・どうも失礼しました!
消えます♪ヾ(≧∇≦)ノ"消えます♪ (((((**パッ!**)))))
はっきり言って自分は「無理してる」と思います。
本当は酒が飲めるものなら飲みたいからです。
私は断酒してっからも結構いろんなことをして楽しさや喜びなどを追い求めていますが、このような事も本当は酒を飲みながら出来るのなら、何十倍〜何万倍も楽しめると感じてます。
しかし弱音は現在、自分の中で消化させてます。
いつまでも男が愚痴ってたらみっともないと思ってるからです。
また、断酒の歓びも断酒の苦しみも両方共それほど感じてません。
考えてみれば、自分はつまんない人生を歩んでいるものだと思います。
おひさしぶりです♪
断酒してても就職のことなど、いろいろ大変だったと思います。
専門病院に入院するんですか?
『インターネットでも、断酒継続が、できるのだと、身をもって、示してくれた、クリームさん』
というか、「断酒会に行かなければ断酒は出来ない」などと言う、世間知らずのアル中がいる事自体がおかしいのです。
そういう事を言う人は、何とかアル中を自分の会に留まらせようと必死になってる慈善人の仮面を被った自己利益自己満足追求の人か、ただ単に盲信の人です。
それから、みきおさんは前っから俺がネットで酒をやめてるように思ってるようですが、そうじゃありません。
私がネットをやり始めたのは断酒してすでに3年ぐらいは経ってましたので、断酒は軌道に乗ってましたし、断酒するため特別に何かを頼りにしてたわけではありません。
私の場合、ネットのお陰で断酒が出来ているわけではなくネットは始めから遊びです。もっとも私にとって「遊び」は断酒というより、生きてくためにすごく大切な要素ですけれどもね。
しかし、今回すごく驚いたことがあります。
私も人のことは言えませんが、みきおさんの書き込みで誤字脱字が全然見つからないのです。(何回も読み返したわけじゃありませんが)どうなってるんですか? これは?
『「遊び心」「心のゆとり」が無ければ、どんなことも、息切れしてしまいますものネ。』
まったくその通りだと思います。
何でも真剣な中にも遊びが無いとつまんないですものね。
私の場合、ただでさえ何となくシラケてるので尚更です。
ちなみに「遊び心」という言葉が私は大好きです。
ネットの「字」だけの世界で酒を止めることは非常に難しいと思います。
少なくとも私には無理です。人との交流やふれあいは大事です。
やはり先人からの理知の集結である医療、自助Gから知恵と力と勇気を貰って断酒をして行った方が合理的だと思います。
ちなみに
関係無いんですが「知恵と力と勇気」という言葉は私が子供の時やっていた「スーパージェッター」というアニメの主題曲の中にあった言葉です。
いろいろな意見や考えはあるかと思いますが「何度でもやり直せます」なんて言う言葉はまったく無責任極まり無い言葉だと私は思ってます。
何度でもやり直せる人など、そんなにいるはずがないのです。
何度もスリップして、それでも平気な人(普通の生活に戻れるような人)というのは結局は、まだまだ余力が残っている人です。
それか、よっぽど幸運な人とか身体的、精神的が途轍も無く頑強な人です。
つまりまだスリップやっても大丈夫な人なんです。
そういう人が酒をやめるなんて、よっぽどじゃ無ければ無理だと思います。
酒やめるなんて公言しないで、まだまだ飲めばいいと思います。
病院や自助Gでは何度もスリップを重ねている人はたくさん居ます。
そういう人は大体において、身体的な見える部分だけども、末梢神経をやられていて、まともに歩けずビッコを引くようだったり、言語障害で何を言ってるんだか解からなかったり、糖尿が酷くってがりがりだったり、慢性膵炎だったり、肝硬変だったりしてます。
そんな人に「スリップしても何度でもやり直せます」なんて言えますか?
【NISSANさん】
貴方が常々仰っている考えである「100人いれば100の意見(でしたっけ?)があると思っている」というのは私も同じです。
私の意見はその一つに過ぎません。
NISSANさんもNISSANさんの信念やお考えを大事にして、100の意見のひとつを訴えて行ってください。
私はこのBBSではそれが出来るから素晴らしいと感じています。
ちなみに、私もスリップの経験がありません。(但しNISSANさんと違い、強烈な飲酒欲求は何回も経験しています)
ですので、スリップをした人に「貴方にスリップした人の気持ちはわからない」と言われたことは何度もあります。
実際、スリップした人の気持ちは私にはよくわかりません。
仕方ないので、その気持ちを理解するべくワザとスリップしようかと思ったこともありますが、考えたらあまりにもバカバカしいのでやめました。
スピリチュアル・ペイン。
程度の差こそあれ、不治の病を背負った人には付きまとう痛みだと思います。
『「なぜ、多くの人が酒を飲むのに、なぜ自分だけが>依存症という苦しみを味あわなければならないのか」というやりきれなさがあると思います。』
依存症になった私は「そんなに私は悪いことをしたのか?!」と、よく心の中で嘆いておりました。
不公平さや理不尽さ不条理感に怒りを持っていました。
しかし、今現在やっとその痛みも軽くなってきました。
それは「酒好きな人が一人でも多くアル中になりますように・・」という、静かで密やかなお祈りをしているお陰かも知れません。
酒を断って一年、本当におめでとうございます☆
一年経過は季節が一周した事なので、大きな節目だと思います。
それから「去年の今頃は飲んでいた」から「去年の今頃もやめていた」と、状況も変化するので、気持ちの上でも違ってくると思います。
先日も話題に出ましたが、よく自助Gなどで「人の自信」をすぐに「人の慢心」に置き換え注意したがる人もいますが、自信満々でいようと、慎重でいようと、
飲む人は飲むし、飲まない人は飲まないのです。
一年やめた自分に自信を持って行きましょうね♪
やっぱり家族の人からすれば「絶対大丈夫。心配するな」という言葉を言ってもらいたいのが本当の気持ちだと思います。
「先のことはわからない。何せ病気なんだから」なんて言葉は家族からすれば「逃げ口上」にしか聞こえないでしょう。
そしてそれは自分自身への甘えや逃げ道ともなるのです。
「でも未知なことや不確実なことに対して、自身満々なことはやたらと言えません。そんな事言ったら虚偽の言葉になってしまう」なんて言う人もいるでしょう。 でも、考えてみて下さい。貴方。今更何を言ってるんでしょうか?
散々人に嘘ばっかりついて人を裏切ってきたくせに(笑)
私は、「心配するな」的な言葉は、はったりでもいいから口に出してみるべき言葉だと思うんです。
一旦口に出せば、腹も決まり「あとはもう前に進むのみ」となるかも知れません。
やはり、いくら病気とは言え、行動で示さなければ理解の理の字も得られないことでしょう。
ニャロメさんの投稿を読んで、私も親父のことを想い出しました。
来月半ばになると亡くなって16年経ったことになります。
親父は酒の飲み過ぎで肝硬変になり、それでも止まず飲み続け、結局は精神病院に入院していました。
そして数年後、ある時突然、病院側からの半強制的な退院勧告。
親父は妻(つまり私の母)とはとっくに離婚してましたので、不安でしたが私が身元引き受けになり、近くのアパートで一人住まいを始めました。
長い間、薬漬けにされてたので頭はボケ気味になってましたが、生活保護を嫌がり、給付金を削られても未経験の造園業のバイトをしながら暮らしてました。
でも、やっぱり再飲酒。
退院して一年もしないうちに二度内科で入院。
そしてその二度目の入院中に死んでしまいました。
腹水が溜まって黄疸が出て脳昏睡になり、最低な死に様でした。
大体において飲んでいるアル中が死ぬ時(生きている時も同じ?)は、哀れを通り越し、汚く無惨で醜悪な死に方をすると良く聞きます。
親父の最後を思い出すと、それもよく分かるような気がします。
私の場合、その記憶は「再飲酒の恐怖」の大きな理由のひとつになってます。
やはり人間(というかアル中)の心理はよく似ているものなんですね・・。
酒を飲むためには異常な才能や能力を発揮する。
その時の集中力はまさに生き残りを懸けた戦いに参戦している状況に酷似しているかも知れません。(実際は死に急ぐ行為なのですが)
私はこの病気になり「飲んで死にたくなければ懸命にならないといけない」ということを学びました。
今日、電車に乗って出掛けたんですが、斜め前に40歳ぐらいの男の人が缶ビールを持って座席で寝ていました。
まだ午前8時半頃だったのですが、すでに泥酔状態という感じでした。
そしてしばらくすると携帯電話で話しだしました。
呂律の回らない大きめな声で「ばかやろう」とか「なに言ってんだ」などとヘラヘラ笑いながら話していました。
そうしたら隣りに座ってた女の人は立ち上がって逃げてしまいました。
すこし前の私ならば、「いいなあ、こんな朝っぱらから酔っ払って・・
羨ましいなぁ、俺はもう飲めないというのに・・」と思ったことでしょう。
しかし私も本当に成長したものです。
そういう情景を目の当たりにしても穏やかなものでした。
車両の中の何とも言えない不穏な雰囲気とはまったく正反対の平穏な心で、それを見ながら私は微笑みさえ浮かべていました。
見ず知らずの彼に対し、私は親近感を持ち「その調子で頑張って欲しい」と願いました。そしてたくさんたくさん苦しんで欲しいと願いました。
『酔っ払いは落ちるところまで落ちろ、もっと苦しめ、』
まず、このことについて説明をさせて下さい。
私がそのように言うのは、別にサディストとかそういうのではなく、それが「一番手っ取り早い」と思うからそう言ってるんです。
飲めるうちはいつまでも飲み続けるのがアル中という病気の本性であり、例えまだ余裕があったとしても、自分なりの「底」を認定できた人が酒をやめる第一歩を踏めるんだと私は考えています。
なので、ちょっとやそっと身体がおかしくなったり人間関係が壊れたりした程度で「酒をやめます」なんて公言しない方がいいんです。
アル中ならば、それぐらいのことで酒が止まるわけがないのです。
また、「もう飲めないんだ」と悟った後も「酒をやめてより良く生き続けたい」と思わない人(または思えない人)は酒をやめることなくそのまま人生を送っていくのがアル中というものだ、と私は考えています。
酒をやめるかやめないかという決断は、大袈裟でなく「生きるか死ぬか」と同等の決断が必要だと思います。
しかし、だからと言ってアル中が飲む人生を選んだとしても別に悪いことだとは思ってません。飲む人生、飲まない人生、どっちを選んだとしても「その人の生き
方」であり、その人がそうしたいと選択した人生なので、そのどっちだとしても良い悪いの問題ではないと思います。(すみません、説明が長くなりました)
そして「人間は常に自分の行動に責任を取るべきだ」というダンテスさんの意見に関し、申し訳ないのですが「私にはわかりません」と言わせて欲しいと思います。
あと、「まだ酒を止めて○ヶ月だからこの人はしょうがない」とか「いいんですよ、酒のせいにしましょうよ」などの意見は、それを言う相手によって、言っていい場合と言ってはいけない場合があるのではないかと思います。
ダンテスさん、大分怒っておられるようですが、もしかしたらダンテスさん、ご自身に腹を立てているんじゃないですか?
『断酒期間がどれだけ長い期間あっても。自慢は出来ないと思います。』
同感です。よくご自身の断酒期間を自慢気に話す人はいます。
ちょっと賢い人はそれをあからさまにせず、それとなく謙虚なふりをしつつ自慢したりもします。
アル中の狭い世界の中だと、断酒の期間が長いだけで周りが持ち上げたりするので、それで自分が偉くなったと勘違いしていい気になってしまうんだと思います。
本当におかしなものですね。
しかしアル中の中には、自分では大して長くやめたことも無いくせに「断酒期間を自慢するな」と言う人もいます。
これもまたおかしなものだと思います。