命の尊さ

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命の尊さを理解せずのみ続けた日々・アルコール依存症は慢性自殺だったのだと知りました

  殆どの方がそうであるように、私は自分が生まれたときのことを覚えていない。しかし、自分の子供が生まれたときのことは、よく覚えている。

  くしゃくしゃで真っ赤な顔をした我が子、何と私と似ていることかと感じた。長男の時のことである。
周りにいる赤ちゃんの中で、少し大きめの赤ちゃん、家内に何と似ていることか、次男の時のことである。

  この子供たちと共に生きていける、喜びと、湧き上がる力を感じた。

  お酒を飲んでいる頃の出来事であっても、その喜びは大きく、生きる価値を感じたものである。まだ自分がアルコール依存症という病気であるとは思っていなかった頃のことである。

  アルコール依存症、私は遅延性自殺であると思う。その時々には、自殺をする気持ちなど無いのだが、時として死にたくなる。そして、日々の生活では自殺など意識していないのに、自殺の道を歩んでいるのである。時として、殺人者の道も歩んでしまっているのである。

  命は尊いのであろうか。交通事故、地震、そして戦争。一瞬の間に命を奪われることがある。何の価値も無いもののように。

  明日の命は判らないのが現実であろう、無呼吸症候群で朝起きれば伴侶が他界していたという事態が生じることだってあるのだ。平凡な一日のつもりが、突如我が子が帰宅せず、交通事故で命を落としていたというような事態だってあり得るのだ。

  それでも私は、命を尊いと思う。我が子の命、家内の命、そして自分の命。母や、姉,兄。共に生活をした者の命は、特に尊いように感じる。そう感じることは、自然なことのように思う。それが、私なのだ。

  お酒を飲んでいた頃思ったことがある、こんな生活は嫌だ、死にたいと。まだ結婚する前のことであるが、直ぐに打ち消した。死ぬぐらいなら、生活を変えれば好いのだ。その時の生活を変える事は、一人身であった分だけ簡単に変えることが出来そうに思ったのである。

  それから後も、何度死にたいと思っただろう、何度全てを捨てて何処かへ行ってしまいたいと思ったことだろう。

  やがて結婚し、子供が出来、死にたいとはあまり思わなくなった。しかし、お酒を飲み続けていた頃の私は、毎日が自殺への道を歩んでいたように思う。

  お酒を受け付けなくなっていった頃、朝から吐き気がする。それを抑えるために、休日であれば朝酒だ。そして、一時の猶予が与えられる。しかし、それも長くは続かない。次は飲みすぎて吐き気がするのだ。自分では信じられないくらいの少量で、嘔吐してしまうのだ。胃液しか出ない状態、何度経験したことか。

  そんな状態でも、仕事があると、朝からは飲まなかった。仕事が終わるまでは飲めなかった。おかげで、今も生きていることが出来るのだ。

  自らを殺そうとする行動、それは自殺である。私は意識せず、自殺への道を歩んでいた。ただ自分の置かれた環境のおかげで、急速に結果には繋がらなかっただけなのである。

  体の調子が悪いと、病院へも何度も出向いたが、原因が判らない。いや、判っていたのだ、お酒が原因だと。しかし、それを認めたくなかったし、内科の医師からは指摘はされなかった。そして、医療不信が強化されていったのだ。

  体調が悪く、充分に仕事も出来なくなって、それでも入院する気持ちにはなれなかった。お酒が原因であるなら、何時でも止めることが出来る、そう信じて毎日飲んでいた。

  やがて、あまりの体調不良から検査を受け、診療所の医師に休むように勧告された。休んで入院するようにと。私は抵抗した、仕事をしながら診療所に出向くので、治療はそれでやりたいと。何と、何を第一にする必要があるのかを判っていなかったことか。これでは、死にたいと言っているようなものである。しかし、私にはそんな意識は無かった。

  その後、専門医の診察を得て、3ヶ月間の休職をした。仕事など休むことが出来るものだ。命さえあれば、かけた迷惑は後から取り返すことが出来るものだ。その事に気付かぬまま、医師の、上司の、そして友人の助言に従った。もう、抵抗する気力が無かったのだと思う。逃げ出したい気持ちもあったのだ。

  生まれたときのことを覚えていないように、自分の命が危ないなどと言う意識は無かったのである。

  交通事故、地震、そして戦争。一瞬の間に命を奪われることもある。しかし、自分自身を慢性的に殺そうとすることも出来るのである。アルコール依存症、恐ろしい病気である。その命さえ失わず、酒を断つことさえ出来れば、多くのことが出来る人生が待っている。まずは断酒優先である。それさえ出来れば、回復の道を歩むことが出来る恐れるに足りぬ病なのである。

  お酒を止めた今、家族と共に生きることが出来る。人の命を大切にすることが出来る。自分の命を大切にすることが出来るのである。一瞬にして消え去るかもしれない命。それでも私は、その命を大切にしたい。自らの手で、気付かぬままに自殺への道を歩まないようにしたいと思う。

  第一のことを、第一にである!

平成15年4月  二郎      

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