医療の役割と自分への課題

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医療の力を借りて断酒を始めたとき、自分に対して残された課題とは何でしょうか?

  私は、平成10年8月にアルコール依存症との診断を受けました。その時、一生断酒しなければならない、アルコールに対するブレーキの修復は出来ないと聞き、我が耳を疑いました。「本当?」、「治療すれば飲酒のコントロールぐらい自分で出来るように戻れるのでは?」との思いがが強く、「おさけに対して無力な自分とは」の項で記したような調査の後、始めて納得しました。

  その後自分の人生を考えると、お酒の飲めない自分が情けなく、どうしたら諦めることが出来るのだろうかと、考えました。その時思ったのが、飲酒コントロールマーカの検出です。お酒を飲んでも自分でコントロール出来る状態であれば正常値で、コントロールが出来なければ異常値を示すような検査が無いものか、その様な検査方法が開発されてほしいと思いました。肝細胞の死滅が増加している場合にGOTやGPTが増加し、大量飲酒している場合にはγGTPが増加するように、飲酒にたいするコントロール能力を示す検査数値が血液検査ででも判れば諦めがつくと思いました。しかし、この考え方の根底には、いつか飲酒に対するコントロールを自分だけは取り戻せるのではないか、そしてお酒を飲めるようになるのではないか、と云う期待が有ったと思います。

  今考えるとナンセンスのような気がしますが、断酒初期にはかなりの効力を発揮するのではないでしょうか? 少なくとも、アルコール依存症の否認に対しては大きな効力を発揮すると思います。

  精神科における治療でも、最近は脳内の神経伝達物質と脳細胞の活性機構について研究されており、ビタミンの活用を考慮する等薬学的なアプローチが重視されています。そして、最近の化学の進歩は医療の研究にも貢献しており、何時の日かアル症を完治可能な病にしてくれるものと信じています。しかし、ここで言っている完治可能と言うのは、アルコールに関するブレーキの故障を修理することであり、依存症者の心の問題は病者各自の人生に対する姿勢の問題として残され、これを化学的に解決することは困難だと思います。

  又、アル症のお酒に対するブレーキの故障が修復可能となったとしても、私にはその治療を受け、再びお酒を飲む資格は無いと考えています。そこには、アルコールに対するコントロールを取り戻しても、過去と同じ道筋を通りアル症へと逆戻りしてしまう自分が見えます。自分の飲酒により周囲の人にかけた迷惑や、誤った選択をしてきたことを考えると、再び大きな顔をしてお酒を飲むことは考えられません。このような医療の進歩は、新たなアル症の人間を無くし、それに巻き込まれる悲劇を防止することに役立てるものだと理解しています。

  しかし、私も一生断酒をしたいとまで思っていないのも事実です。子供が大きくなり、自分の人生を自分自身のためだけに使ってよい時がくればお酒を飲みたい、そしてそれが原因で命を落としたとしても、人生の選択肢の一つとして良いのではないか等と不埒なことを考えています。その日を迎えるまでに考え方が変わり、お酒を飲まない道を選択し続ける自分になっていたいと思ってはいるのですが、自信はありません。

  医療の進歩が、断酒をより簡単なものとしてくれること、精神的な落ち込みや鬱状態まで薬学的な治療で克服出来るようになってきていることは素晴らしいことです。
  断酒をより簡単なものとしてくれることは酒害者の回復を助け、精神的な落ち込みや鬱状態の克服は家族の病まで助けてくれるものだと思います。しかし、これは魂の入れ物を修理することを意味しているだけであり、その中に入れる魂をどのようなものにするかは、各自が決定する問題として残されるものだと理解しています。入れ物を修復しなければ、中に入れる魂が毒されてしまい、各自の選択肢が狭められてしまっている現実をみると、医療の進歩の持つ意味の大きさは計り知れないものがあると思いますが、残された自分の魂をどうするのかと云う問題に対しては、解決策を各自が見つけ出さなければならないと思います。


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