自らに課した課題

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今のあなたの課題は何でしょう? きっとそれは乗り越えることが出来るものです!



  人は病を得て、人の痛みを知ることが出来るようになります。その意味で、私はアル症になったことを良かったと、今は思っております。

  私は自分が正しいと思うと、人の心の中のことなど無頓着で、自らの主張をする人間でした。自信満々で、全てのことは自分の都合のよいようになると信じようとする人間でした。

  今日の夢は明日の希望、明日の希望は明後日の現実。今日の夢を明後日の現実にするために、毎日背伸びしながら生きていくのが正しいと考えていました。

  人の成長は、階段のように時折ジャンプするように見えるが、常に力を蓄え続けることで、ジャンプに要する時間を短縮できると考えていました。ですから、毎日の努力が明日の成果を生み出すのであり、成果を得ていない人は努力が足りない人間だと考えていたのです。

  そんな私は、やがてお酒に飲まれ、アル症の悪循環に陥ってしまったのです。ストレスリリーフに良いと思いながら酒を飲み、お酒に飲まれていったのです。やがて鬱状態となり、思考が空回りし出します。そうなると、いくら気力を振り絞っても、何も出来ません。気力を振り絞ることすら出来ず、全てのことから逃げ出したくなりました。

  成果を得ていない人は努力が足りない。そう、私は自分で自分のことを、怠け者だと考えなければならなくなったのです。

  やがて、お酒の飲まれ方も酷くなり、ついに体がギブアップ。内科入院を経て、アル症の専門病院での治療が始まります。断酒したからと言って、直ぐに全てが好転する訳ではありません。理由の無い不安を感じ、朝起き上がることが出来なくなって、間欠的に会社を休むことが続きました。胃潰瘍にもなりました。断酒して3年経過し、5年経過しても、何か障害が現れてくるのです。

  それでもお酒を止め続けていると、少しずつ変化が現れてきます。すこしずつ、物事が好転していくのです。決して、私の努力の成果などではありません。これは時間薬の成果なのです。断酒継続のための努力はしましたが、断酒初期の辛い時期を乗り越えると、後は驚くほど簡単でした。断酒して1年経過しても、3年,5年経過しても、時には大きな危機が訪れますが、それを乗り越えることは徐々に難しいことでは無くなってきたのです。そう、すこしずつ物事が好転しだしたのは、断酒にもそう大きな努力をしなくて済むようになってからなのです。

  私の場合、目に見える形での好転には時間がかかりました。しかし、心の中の変化は、もっと早かったように思います。
  断酒していると、様々な考え方を教えてくださる方々がいらっしゃいます。面と向かって教えて下さるのでは無いのですが、体験談を通じ、素敵な言葉を通じて教えて下さるのです。

  等身大の自分を見つめること、自分自身を愛すること。そして、無理せず生きること。

  アル症の悪循環に囚われている間に、私の考え方は少しずつ変化していました。断酒して、様々な方のお話をお聞きしている過程で、私の考え方は大きく変化しました。そして、様々な考え方に出会って、自分の考えを整理することが出来たのです。

  アドラー心理学をご存知でしょうか、岸見先生のHPに出会い、共感するものを多く得ることが出来ました。
  飯田教授の生きがい論は、私が断酒を始めてから得た考え方を整理させていただくのに最適の書物でした。
  今は、自分のことを苦しみを超えて祝福を受けた人間であると思えます。

  人は生まれてくる前に、自らに課題を課して生まれてくる。そしてその課題は決して乗り越えられないものではない。そう考えるなら、私がアル症になったことは、私が私に課した課題なのです。そして、それは乗り越えることが出来る課題なのです。

  本当にそうなのでしょうか、アル症になり、断酒することなく、家族を路頭に迷わせ、一家離散に導いてしまうアル症者も多く居るではないか。家族から見放され、ホームレスとなったり、孤独に死んでいく方々も多く居るではないか。そんな迷いが、始めの間は払拭されることはありませんでした。

  今は違います。人はそれぞれに乗り越えることの出来る課題を設定し、それに取り組むために生きていると思えるようになりました。たとえ、現世で乗り越えることが出来なくとも、来世でさらに挑戦し続けるのだと思えるようになってきたのです。

  現世だとか来世だとか、宗教じみた言葉ですが、適切な言葉が他に思いつかないだけで、この考え方は宗教論ではありません。私の母は浄土真宗のお寺の娘ですが、私の信心などは無いに等しいのです。

  今困難に取り組んでいる方には、その困難は乗り越えることが出来るものであることを知っていただきたいと思い、この考え方を書いています。 その困難が大きければ大きいほど、あなたは素晴らしい人なのです。それだけの困難を自らに課し、それを乗り越えることが出来るだけの方なのですから。

  障害を持った子供を授かるということは、非常な困難を伴います。私には想像できないような苦しみがあるのだと思います。しかし、そのような子供を授かっても、その困難を乗り越えることが出来る人だからこそ、その困難に遭遇しているのです。

  アル症の家族を持つということは、心に大きなストレスを生み出すことになります。でも、それを乗り越えることが出来る人が、その境遇を自らに課したのです。きっと、乗り越えることが出来る課題なのです。

  自らにアル症という課題を課した人は、アル症の悪循環から抜け出すことが出来ます。それが出来るからこそ、自らにアル症という病気を課したのです。

  障害を持って生きていくということは、非常な困難を伴います。しかし、その障害を持って生まれてきたということは、心の中で、その障害から派生する不利益以上のものを得ることが出来るのだと思います。そして、その障害を乗り越えることが出来るのだと思います。それだけの強さを持った方だからこそ、障害を持って生まれてこられたのだと、私には思えるのです。

  それぞれの困難には、それぞれに援助が必要であったり、対策が必要であったりしますが、それは与えられるのです。そう簡単に乗り越えることは出来ないけれど、乗り越えることに必要なだけのものが与えられるのです。それを与えてくれるのは、断酒の仲間であったり、家族であったり、時には親や子供がそれを与えてくれるのです。それは、生まれてくる前に、互いに現世での再開を約し、互いの役割を取り決めて生まれてきているからなのです。

  人は決して一人ではない、互いに助け合いながら、互いの課題を乗り越えて生きていくものだと、今の私は思います。一人で、頑張って、頑張って、それでも頑張って失敗してきた方は多いのではないでしょうか。頑張らなくても良いのです。互いに助け合いながら生きていけば、自然と心に平和が訪れてくれます。

  生きがいの言葉にあるように、やり直すことは何時からでも出来ます。
  その助け合う方法を見出すことは、難しいことですが、その難しい方法を一緒にさがしていきませんか?
  心に幸せを抱き、生きていきませんか?

  社会的な地位や、経済力は生きていくうえでの必須条件ではありません。心の幸せは、地位や経済力よりも大きなものだと、私は思うのです。



平成17年5月14日    



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