
最近の研究では,ヒト成人の脳は一生を通じて脳細胞の新生が可能で,毎月何百,何千というニューロンが新たに形成されることが示されていますが、アルコール依存時にはニューロン新生,つまり,脳細胞の発生が阻害されます。言い換えれば、アルコール依存症者がスリップしてしまうと、日々ニューロンの形成が阻害され、加速度的に前頭前領域の機能障害を引き起こし、正常な判断が出来なくなるのではないでしょうか?
また、神経伝達物質の授受に異常をきたしますので、飲酒時にマヒしていた大脳新皮質の機能が回復すると、焦燥感が倍化され、言い知れぬ不安に襲われます。その不安から逃れるため、再飲酒を繰り返すと、ますます正常な判断が出来なくなり、体がお酒を受け付けなくなるまで、飲み続けてしまう、連続飲酒に陥ってしまうのではないでしょうか?
一定期間断酒していると、お酒を飲める体質であっても、アルコールに対する耐性が低下します。しかし、多くの方が、スリップしても酔わなかったと仰っております。これは、脳のアルコール耐性は直ぐに飲酒時のものに修復され、体のアルコール処理能力が相対的に低下した状態になることを示しているように思います。
内臓疾患は、断酒により、ある程度回復しますが、スリップするとの表現をされる方々は、断酒を余儀なくされた体になるまで飲み続けた方々です。内臓の受けたダメージは完全には回復するものではなく、傷ついた内臓が悲鳴を上げるのは、時間の問題です。
スリップして、そのまま他界されてしまう方が多くいらっしゃることが、上記仮説を裏付けております。
又、スリップが引き金となって、自殺されてしまう方が多くいらっしゃることを考えれば、脳内の神経伝達物質の及ぼす影響が、自己否定を倍加させることも明らかです。
アルコール依存症のあり地獄に囚われないためにも、スリップしたならば、可能な限り早い時期に専門医の診察を受ける必要が、あることは間違いありません。
アルコール依存症者にとって、スリップとは何でしょうか?
それは、病の再発に他なりません。
病の再発ですから、再発した原因があるはずです。
原因は大きく二つに分類出来るのではないでしょうか?
1.断酒の基礎がぐらついてきてしまった場合。
2.生活上で、耐えきれないようなストレスが発生してしまった場合。
断酒の基礎がぐらついてスリップしてしまた場合には、多くの先輩方の苦い経験を思い出して下さい。
尊い命をスリップにより落とされてしまった方々。楽しいはずの家庭を、スリップで崩壊させてしまった方々。
あなたは、先輩方と同じ苦い経験をしたいのですか?
あなたは、お酒を飲んで、人間を止めてしまうのですか?
あの苦しい、離脱症状を、もう一度乗り越える必要がありますが、専門医に出向き、断酒を再開しましょう!
自助グループに出向き、仲間にスリップしてしまったことを報告し、断酒を再開することを、仲間の前で誓いましょう!きっと、立ち直ることが出来ます。一度、断酒の道を歩むことが出来たあなたです。もう一度、出来ないわけがありません。
そして、断酒の基礎を、土台を、強固なものとして、断酒の道をご一緒しましょう!
耐えきれないようなストレスが発生してお酒を飲んでしまった場合は、どうでしょう?
私は、強烈なストレスが発生した場合に、お酒を飲みたいと思ったことはありませんが、それが解決したときに、非常に危なかった時があります。
ビールの自動販売機の前で、固まってしまったのです。
耐えきれないようなストレスが発生した時、あるいはそれが解決したとき、何故お酒が飲みたくなるのでしょうか?
この先のことを考えると不安で、お酒でも飲まなければやってられない!
そんな感じで、手が出てしまうことがあると思います。
私が、アルコール依存症のことを勉強した過程で、印象に残った言葉があります。
『アルコール依存症者は、お酒を飲むことによって、生きる力を得たのだ。お酒を飲まなければ、とっくに自殺していたり、家庭崩壊を招いてしまうところを、お酒を飲むことにより、乗り越えてきたのだ。』
との言葉です。この言葉に出会った時、私は救われました。
そして、思います。生き延びるためには、必要なスリップだってあるのではないかと。
しかし、スリップして、何時までも断酒の道に復帰できなくては、本当に命を落としてしまいます。
たとえ命は落とさなくとも、大切なものを無くしてしまいます。
スリップしてしまったことは仕方ない、しかし、過ぎ去ったことに何時までも囚われず、再出発の道を選ばなければなりません。
再び断酒して、ストレスの源と、対峙しようではありませんか!
その原因を乗り越え、新たな人生を築こうではありませんか!
断酒に対する 疑問 迷いが生じてスリップする場合があるとのご意見がありました。
これは、『断酒の基礎がぐらついてきてしまった場合。』に含まれるような気もしますが、少し違うようです。
長年断酒していて、もう適正飲酒出来るのではないかとか、断酒していても何も変わらないとか、断酒そのものに対する疑問や迷いが生じてスリップしてしまう場合です。
脳科学の観点からは、ニューロンの再生により、長期間の断酒を経れば、脳のダメージは殆ど回復しているはずです。脳内神経伝達物質の授受も正常に戻っているはずです。なのに、スリップすると、短期間で元に戻ってしまう、何故でしょう?
一度自転車に乗れるようになると、その乗り方を忘れないことや、一度泳げるようになると、泳ぎ方を忘れないのに似ています。これらは、すべて脳内での記憶に起因しているのではないでしょうか?
そう、アルコール依存症者は、一度アルコールのコントロール障害という特性を獲得してしまうと、一生その記憶が消えないのです。
ですから、長年断酒していても、適正飲酒が出来るなどと、幻想を抱いてはいけないのです。多くの方々が、貴重な経験を通じて、そのことを証明してくださっています。
断酒していても何も変わらないとか、断酒そのものに価値を見出せなくなってスリップしてしまう場合はどうでしょう?
人間は、喉もと過ぎれば熱さを忘れる動物です。断酒に至った悲惨な経験も、時が過ぎれば風化してしまいます。自助グループがまだ無かった頃、殆どのアルコール依存症者は再飲酒して、病を再発させてしまっていました。その多くの場合が、この風化に起因しているのではないでしょうか?
現在では、自助グループから遠ざかり、それでも長期間の断酒を継続している方々もいらっしゃいます。その違いは、どこにあるのでしょう。
私は、断酒の底上げによる、生活レベルの向上が一因だと考えております。スリップして失うものが多くある場合には、スリップによるダメージをより明確に持つことが出来、断酒の防波堤になっているように思います。
スリップしても、失い物が少なければ、そのダメージを想起しにくく、断酒の意義を見失いやすいように思うのです。
スリップしても、失い物が少ない。本当にそうでしょうか?
それは幻想です。どのような生活をしていようと、断酒により獲得した脳内のニューロンの再生や、神経伝達物質の授受の正常化という貴重なものは、変わらないのです。スリップしてしまえば、その貴重な獲得物を、急速に失うことになってしまうのです。
では、せめて、月に一度ぐらいの定期的に意図して飲酒するのであれば、脳内の獲得物を失うことなく、お酒を楽しめるのではないか、そんな声が聞こえてきそうです。
本当に、そうでしょうか?
何故、そこまでお酒に囚われなければならないのでしょうか!
月に一度定期的に意図して飲酒していたとしても、何時かはお酒に囚われ、月に一度が、週に一度となり、やがては毎日飲酒するようになる。お酒の罠が待ち受けています。この罠の恐ろしさは、長期間の断酒の後、病を再発させてしまった、多くの先輩方の経験からも明らかです。
断酒の意義、実生活上では見えにくい場合もあるかと思いますが、脳内のニューロンの再生は、生活における様々な場面で、あなたの人生の選択に大きな影響を及ぼし、少しでもよりよい人生へ自らを導いてくれているのです。
そんな、貴重なものを手放す訳にはいきません。もし、上記のことに気付けず、スリップしてしまったなら、なるべくダメージの少ない時期に、できるだけ早く、専門医の門を叩き、断酒の道に復帰して欲しい。私は、そう願っております。
平成19年1月 二郎