スリップの可否

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スリップの可否に関する二郎の考えです


  私はスリップをしたことがありません。ですからその可否についてあまり意見を述べることはありませんでした。もちろんスリップなどしないほうが好いことは決まっているのですが、私がスリップしたことを想定して、精神的ダメージを考えると恐ろしいのです。

  私がスリップしたとしたら、実行すると決めている行動は以下のようなものです。

1)シアナマイドの服用(スリップ翌朝には服用したいと考え、家内にも黙って出してくれと依頼しております)
2)専門医への受診(緊急事態ですから、仕事の用事や、胃潰瘍の診察日と重なっていても、専門医の受診を優先したいと思っています)
3)スリップの報告
  a)このBBSへの報告と、どなたか適切な方へこのBBSの管理をお願いする
  b)断酒会の例会へ出向き報告

  これ以外にも実行することとして、自分が立ち直るには仲間の意見を聞く必要が有ると思いますので、このHPを閉鎖したとしても他のアル症関連サイトへの投稿をすると思います。

  HPの運営については、スリップしたとしたら、一年ぐらい休止した後、その経験をアップするかも知れません。もっとも生きていればの話ですが、...。

  スリップしたときの行動は上記のものだったとして、私は何時、どのような時にスリップするのかについて考えて見ました。

  断酒を始めた頃に何度か聞きました、スリップするなら一年以内だと。その理由はダメージが少なく立ち直りやすいと言うものだったと記憶しています。そうかも知れないとは思うのですが、本当でしょうか?

  専門病院を退院後3ヶ月で断酒継続者は50%に激減するとの調査結果を見たことがあります。これが半年、一年とさらに断酒継続者は激減し、2年を経過すると実に20%まで低下するという内容です。それ程断酒継続はアル症者にとって難しいことなのです。

  しかし、あるアル症者の回復モデルでは、専門病院退院後何度かスリップし、やがては断酒を継続し回復していくようなものがありました。つまり、困難な断酒継続のためには、失敗も経験のうちだとして、回復の道筋を示しているのです。そう考えるなら、専門病院を退院しても、スリップを繰り返している間は本当の断酒を開始したと考えるのではなく、治療期間と考える必要が有りそうです。

  その意味で、断酒を始めてスリップするなら一年以内って考え方に、私は納得できるのです。一年ぐらいは失敗しながら自分に合った断酒の方法を模索する期間があっても好い、その後本当の意味で断酒をはじめ、回復に向かっての歩みが着実なものとなっても良いと思うのです。人生に無駄なものなど何一つ無いのです、スリップの経験が必要な方もいらっしゃるのかも知れないのです。

  では私の場合はどうなのでしょうか?
  断酒して今までスリップしたことが無いのですから、今までの私にはスリップは必要なかったのです。幸運と色々な方のおかげでスリップせずに来られたのです。スリップすると、そのダメージは大きなものがあると思います。周囲からの信頼の失墜、自分自身に対する不信感の増大、その他にも色々あるのだと思います。

  そのダメージから立ち直るために得る経験、そんな辛い思いをせずに今まで断酒できてきたことは、私にとって、とても幸せなことなのです。それは、断酒を軌道に乗せるために必要なことを学び、実践することによって、可能となったのだと思います。

  断酒が安定するのは2〜3年を要すると言われています。今の私は断酒して4年と少々。一応安定期には入っているのですが、何時スリップするかは判りません。安定期に入ったとういうことは、通常の生活ではスリップする危険性は激減しているのでしょうが、自分がアル症であることを忘れたり、感情に強く訴えかけられるような出来事があればどうなるかは判りません。

  具体的には家族が他界するような事態が想定されます。家内には、もし母が亡くなったとしたら私は飲んでしまうかも知れない。その時には止めずに飲ませてくれ、そして翌朝黙ってシアナマイドを出してくれと頼んだことがあります。もう、随分前のことです。

  アル症者は、断酒が安定していなければ、叔父さんや叔母さんなど同居していない親族の不幸にもシンクロしてスリップすることがある、注意が必要だと聞いたことがありました。その時に、母が他界したとしたら考えるとスリップしてしまうかも知れないと考えたのです。

  でも今は異なります。もし母が他界したとしても、その遺影を前にして飲むことなど考えられません。私がお酒を飲むことは、母を悲しませるだけです。天国というものがあるとするなら、そこへ向かう母が悲しむような報を届けたくは無いのです。自分勝手な感傷に浸り、本質を見失うことはしたくない。最近はそう考えるようになってきたのです。以前も同じ考えは持っていたのですが、それを守る自信がありませんでした。感情に押し流されてしまうだろうと感じていたのですが、今は悲しみの表し方が、お酒を飲む行動とは異なる行動として現れるだろうと感じているのです。

  では、家内や子供たちが交通事故で一度に亡くなったとしたらどうでしょうか?
  葬儀や一連の仏事は乗り越えることが出来るかも知れません。しかし、日々一人で仏前に座っているとしたなら、スリップしてしまうように思います。きっとそのスリップは、私の命を落とすことに直結するのだと思います。今の私にはそれを乗り越えるだけの力は無いと感じています。

  でも、一人でも家族が残っていれば、たとえスリップしたとしても立ち直ることが出来るかも知れません。私の今の断酒に対する価値観と感情との力関係は、このような状況が限界であるように感じています。

  こんな偉そうなことを言っていても、明日にもスリップしてしまうかも知れないのがアル症ですが、自分で許せるスリップは上記のような場合だけだと感じます。別の側面で、仕事を失敗したからとか、ストレスが溜まったからとか、人に勧められて断れなかったからと言ったような原因でスリップしてしまったとしたら、私は自分を許すことは出来そうにありません。

  以上のことを要約すると、次のような考えを私は持っているのです。

  断酒を軌道に乗せるまでの、苦しい時期のスリップは病から回復するための過程として必要な場合もあるのだと思うのですが、それが癖になってスリップを繰り返してしまうなら問題です。そのような状況を断ち切るには、何の力を借りても好い、医療の力、仲間の力を借りて断酒を軌道に乗せる努力が必要だと、私は思っています。

  断酒が軌道に乗った後は、自分がアル症であることを忘れず、スリップしてしまったら自分を許すことが出来ないとの気持ちを忘れないようにしなくてはならないと、私は思っています。

  断酒は私にとって、自己実現のための手段。その手段を失うことは、私にとっては人生を放棄してしまうようなものなのです。


平成15年6月1日    



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