アルコール依存症への過程

top next

本格的にアルコール依存症へとなっていった時期の私

  毎日お酒をのみ仕事のストレスが大きく精神的にも肉体的にもダウンした時期がありました。男なら誰でも一度は通る関門かと思います。人によって鬱状態になったり、自律神経失調症になったり様々です。私の場合はアルコール依存症への道を突き進みました。

  自分がすべきと考えている仕事を処理するには、一人では困難でした。そのため人を増やしてくれるように上司にお願いしましたが、有効な対策は何一つ取ってくれないように感じ、半ば意地となって自分が処理すべき領域の業務に突き進みました。しかし、所詮無理な話で、睡眠時間が2〜3時間の日が3ヶ月ほど続いた後、自分の役目は終了したと勝手に判断しました。その直後から、心身ともにダウンし9月から年末までの間に約40日間の休暇を取りました。

  この時、会社を休むとともに精神的な落ち込みが激しくなり、毎朝休むための連絡で会社に電話することがとても辛かったのを覚えています。そして、電話連絡が済むと会社から呼び出しの電話がかかってくるのではないかと怯えました。電話が鳴ると、手が震え受話器を取る事が出来ずに耳を塞いで布団にもぐり込んだことがあります。そして電話の呼び出し音が10回,20回・・・長いときには100回を数えたことがあります。その電話の恐怖から逃れるためお酒を朝から飲みました。そうこうする内に職場の同僚や上司が心配し、家を訪ねてくれるようになりました。とても嬉しかったのですが、同時にとても辛く嫌でした。家にいると会社から人が訪ねてくるのではないか、電話だけでは無く訪問者の恐怖が加わりました。

  自分が処理すべき業務を放棄し、勝手に会社を休んでいるとの思いから「どうしよう、どうしよう、・・・」の繰り返しでした。

  会社に出ても仕事が手につかず、正常であれば30分で処理できることに1日かかりました。こうなるともうダメです。会社でも「どうしよう、どうしよう、・・・」。明日も出て来いヨ!同僚や上司から励ましの言葉がありましたが、退社すると全てを忘れるためお酒を飲みました。そして、翌朝は気の重い電話をしなければなりませんでした。電話をすると、会社から呼び出しの電話があっても出て行けないようにと朝からお酒を飲みます。そして、お酒を飲みながらも「どうしよう、どうしよう、・・・」。

  当時は独身で、自分がアル中であるとは思っていましたが、それが病気であるとは思っていませんでした。ですから、体調が悪いと内科医の診察を受け、肩が痛いと整形外科にかかり、次々と異なる医者に診てもらいましたが原因は判りませんでした。

  精神的に少し立ち直っても、すぐに落ち込みました。いっそうのこと死んでしまいたいと思いました。しかし、まだ少しは正気が残っていたのか、「死ぬぐらいなら会社を辞めよう、男一人工事現場で働けば飯ぐらい食うことは出来る。」そう思うと心が軽くなったのを覚えています。しかし、お酒を止めよう等とは思いませんでした。アル中が病気であるとは思わなかったのです。内蔵が悪ければ治療すれば良い、医師がお酒をひかえるようにと言えば、少し抑えれば良い、そう考えていました。

  当時の飲酒量はすでにアル中のもので、飲酒量に対する認識が周囲の人と自分では大きく異なっていることに気付いていませんでした。そして、お酒がもたらす決断力の低下が、業務の処理能力を低下させ、悪循環に陥っていました。

  それでも、精神的に少しずつ回復していたころ、家内と知り合い結婚しました。そしてそれと時期を同じくして同僚が1年間海外へ出張となりました。同僚は優秀な人材であり、彼がいなければ職場が混乱するとの危機意識から、1年間禁酒しました。その間、お酒を一滴も飲まないことから、精神的には決断力が回復し、肉体的な不調もずいぶん改善されました。しかし、同僚が帰国した時には安心してお酒を飲み始め、再び崩れ始めました。精神的には一度崩れた経験が役立ったのか落ち込みは前ほど激しくありませんでしたが、内臓のダメージは激しくアル症との診断を受けるにいたりました。


top next