美術家見せる 「主の晩餐」  

初代教会から。。。ルネサンスの初めまで。

   裏切られた夜、キリストは 弟子たちと共に過ぎ越しの祭りを祝いました。
その食事は 今も、最後の晩餐と言われているのです。

  あらゆる時代において、キリスト教的な芸術が 主の晩餐の出来ごとを表現しようとしました。初代教会から ルネッサンスの初めまでの様々な芸術的な作品を見ながら 何を伝えているのか? どのように 福音のメッセージが与えられているのかを? 更に 描かれた場面の裏に どんなドラマや悲劇が隠されているのかを? 発見したいと思います。

  まず、芸術家によって描かれている この主の晩餐がどこで行われているのでしょうか?を見てみましょう。初代教会の信者は 晩餐の背景を 中々 描こうとは しませんでした。それは 特に 弟子たちとキリストの一致を表す為でした。 つまり、キリストは「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、いつも 私の内におり、私も また いつも その人の内にいる」と言われました。更に、「二人、あるいは三人が 私の名によって集まる所には、 私も その中にいる」とも言われました。ですから、主の晩餐の記念を行っている 信者は キリストの神秘的な体となっているのです、 従って、彼らが集まっている場所を 特別に描く必要がありませんでした。 初代教会の信者にとって 特に キリストとの一致を失わないように ということが、彼らの第一の務めでした。

   主の晩餐が 建物の外で行われる時には、芸術家は キリスト者の使命を思い起こさせようとします。キリストの食卓に養われ、聖霊で満たされた人は 必然的に、救いの良い知らせと同時に、自分の信仰を述べ伝えるために派遣されます。それで、「全世界に行って、すべての人に福音を述べ伝えなさい。」という キリストの言葉を表現するために、主の晩餐は わざと、建物の前に描かれています。

  主の晩餐が建物の中で行われることを描いている時は、一つは 福音の語っていることを忠実に伝え、もう一つは 共同体的な生き方の必要を示そうとします。このようにして、芸術家は 使徒言行録に述べている事を具体化しています。「信者は 家ごとに集まって、パンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美した」事を表します。

  主の晩餐が教会の中で行われることを描いている時は、その芸術家は 教会が聖体の秘蹟によって生きる と言うことを はっきりと示そうとします。主の晩餐は 秘跡として、キリスト教的な生き方の泉であり、その頂点です。ところで、キリストの教会は また 救いの秘跡とも言われています。キリストが設立された教会は、その全存在によって、すべてのキリスト者と共に 三位一体の交わりの神秘を 告げ知らせ、証し、広めるからです。

   

   主の晩餐のテーブルの形は様々あります。テーブルのない晩餐は キリストとの一致と同時に キリスト者の交わりを強調しています。 実際、テ−ブルがない理由は、キリスト者が 常に派遣されていることも表すからです。確かに、福音宣教は 信仰の足踏みを許さず、キリスト者が 全くのんびりする事などは出来ません。

   祭壇風のテーブルは 特に キリストのいけにえ、キリストの受難、死と復活、更に、教会の典礼をも 思い起こさせます。

   カタコンベの時代に 丸いテーブルは キリストの死と復活を思い出させました。これは おそらくキリストの墓の入り口にあった円形の石を表し、また、テーブルの三本のあしはキリストが言われたように、死んでから3日の後に復活すると言うことを示します。

  伝統的に祭壇は キリストの墓を表します。同様に この半分になった円形のテーブルは カタコンベにある礼拝の祭壇の形をまねています。この種類の祭壇は キリスト者の体の復活をも示します。 というのは、主の晩餐の記念を行うたびに、カタコンベの墓地に入ったり出たりする信者はこの神秘を具体的に生きようとしました。

  それに関して、カタコンベの壁に、試練を受けて、生き残った、獅子に困れたダニエル、又、火の中で賛美を歌う三人の青年 あるいは、ヨナの物語を描く事で、カタコンベ時代の信者は 具体的 に体の復活を宣言し、同時に、実際的に自分たちの運命を見せました。 確かに、彼らは 野獣のえじきになり、生きたまま火によって焼かれるにもかかわらず 確固とした信仰を叫び続けました。 「私たちは死んでも、生きる…体の復活を信じる…命は死に打ち勝つ…キリストの十字架と 私たちの苦しみは 地獄と悪の力を打ち砕く」と。

   中世になると 丸いテーブルは、聖体の形を現わすようになり、キリスト者が 聖体の秘跡によって 育てられ、強められること、また その丸い形が 信仰の交わりと兄弟愛や お互いの助け合いなどを 示すようになります。

  最後に、細長いテーブルは、喜びと祝いの雰囲気を表し、誰であろうと 自由に 主の食卓に 弟子たちと一緒に座るように招いています。

   さて、晩餐のテーブルクロスについて話せば、大抵、それは白くて 当たり前のものに見えます。しかし、この白い布は パウロの言葉である「私たちは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせます」をこだましています。ですから、この白いテーブルクロスは 特に キリストの墓に残された死者の亜麻布を考えさせ、シンボルとして、キリストの復活の出来事を思い起こさせます。

  テーブルクロスは 時々、シンボル的な意味を伝えています。例えば、模様のある、色のついた様子が 表しているのは 魂の憩いと喜びや 信徒の交わりの豊かさを 表現するためです。丸まっている白いテーブルクロスは キリストの体と聖体の秘跡に対するキリスト者の尊敬を示しています。

   ある種類のテーブルクロスは 確かに「タリト」です。それは ユダヤ人が 頭に載せる祈りのヴェール そのものです。典礼的な意味から見ると、このテーブルクロスは まず、ユダヤ人の過ぎ越しを思い起こさせます。そして、キリストが 汚れのないものとして ご自身を神に捧げられたことを現わし、更に、キリストは 唯一の大祭司であることをも考えさせます。

 
 主の晩餐のメニューとは一体どんなものでしょうか? 初代教会では イスラエルの伝統から離れた決意を示すために 過ぎ越しの屠られた子羊を描くよりも、キリストのシンボルであり、また 救いの印となった魚を描く習慣がありました。一匹であろうと二匹であろうとこの魚は、特に、キリストの復活を表現します。つまり、復活の日の夜に現れて、まだ 信じていない弟子たちの目の前で イエスが焼いた魚を食べたこと、 また、数日後、朝早くまだ暗いうちに、漁に出かけた弟子たちの為に イエスが 炭火の上に 何匹かの魚を置いたことも 思い起こさせます。

   更に、ギリシャ語で 魚を書くと、各文字は 次のような意味を示します。「イエス・キリスト、神の子、救い主」。死に直面して、迫害されてきた初代教会の信者にとって、カタコンベの壁に描かれた魚のシンボルが「キリストは、命であり、復活である」こと、主と共に死に打ち勝つ事が出来ることも 思い起こさせたのです。しかし、キリストの復活以外に この魚は 時々 イエスが 五つのパンと二匹の魚で 大勢の人々を 養われた出来事を思い出させます。

  キリスト教が ユダヤ教から完全に離れた時代に 結局、伝統的な過ぎ越しの食事を描くようになりました。この描き方によって 芸術家は ユダヤ教の過ぎ越しの食事を思い起こし、また、キリスト自身が ほふられた子羊であり、ご自分の死と復活によって 世の罪を取り除く 神の子羊であることを表現しようとしました。

  ところで、キリストの救いの神秘を表すパンとぶどう酒は 段々 主の晩餐の明白な印となりました。聖書を見ると 次のように述べられています。「イエスは、パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら 言われた「取って食べなさい、これは私の体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい、これは、罪が赦されるように 多くの人の為に流される私の血、契約の血である」と述べています。

  中世になってから ヨーロッパ全体が キリストの信仰に入りましたので、主の晩餐の食事を表す時に 芸術家は パンとぶどう酒の代わりに 聖体を描くようになります。 というのは、主の晩餐とミサ祭儀の実態が まさに 唯一の神秘だからです。

  不思議なことですが、時々考えられない食べ物も描かれています。例えば フランス人が大好きな さくらんぼ、「ざりがに」のいため料理、 あるいは コロッケ、油であげたものなど。そういう珍しい食べ物は おそらく祝いの雰囲気を作り上げたいと思ったからでしょう。

   時々 食事の内容が分かりません、御馳走の残りしか描かれていないからです。

   さて、 芸術家たちは それぞれの時代の生活に基づいて、食事の食べ方を描がいています。初代教会時代は このように主の晩餐を表します。ローマ風のように 白い衣を着ている弟子達は、小さなテーブルの前で 半円の形になって ベッドの上に横たわったまま 食事をします。

  勿論、キリストと弟子たちが 座ったまま 食事をする姿が多いのです。しかし、テーブルに向かって、行列をしながら 立ったままの場面も 良く見受けられます。

  更に、キリスト自身に対して、あるいは キリストが与える食べ物への尊敬の念を示す為に、弟子たちが 謙遜に ひざまずいているのも描かれています。


  
さて、主の晩餐に参加する 人物の置かれた場所を 見てみましょう。イエスは、テーブルの真ん中に あるいはテーブルの端に座っています。普通 ヨハネとペトロは イエスのすぐそばに描かれていて、ユダは キリストの真向かいにいます。時々テーブルに置かれているパンは 魚の形をしています。中世の人は 古代から伝えられた 伝統的な基本的シンボルを よく守っているからです。

  ヨハネは キリストの胸もとに寄りかかったまま『主よ、裏切り者は誰ですか?』と聞いているのです。ペトロは 答えを待たずに ナイフを手に持って その裏切り者をひどい目に遭わせようと 覚悟しているかのようです。又、このナイフは、イエスガ捕らえられた時に ペトロが 大祭司の僕、マルコスの耳を切り落とした事を 前もって現そうとしています。

  ユダは 普通 キリストの反対側に描かれて、時々 皆から離れた状態で、一人で食事をします。裏切り者をさししめす一切れのパンを ユダは キリストから受けるか、または 勝手に テーブルに置かれている皿の中から 自分で、取ります。

  ユダは 手に裏切りのお金袋を持つか、または、後に 彼が 自殺した事を示すために それを自分の首にかけています。更に、ユダの背中に悪霊の姿を描くか、あるいは一匹の猫を彼のそばに描くことによって、ユダは 呪われていることや サタンにとらわれている事を表現しています。


    初代教会のカタコンベのフレスコには ペトロ、あるいは ユダの姿は 中々見うけられません。というのは、迫害のせいで いつか、誰であろうと、キリストを否定することや、あるいは 自分の信仰を捨てる可能性もあると 芸術家は 知っていたからです。迫害の真中にいる時に 必要なものは ただ一つです。それは、裏切り者や、おくびょう者を厳しく非難することではなく、むしろ キリストと一致して、信仰の兄弟姉妹と共に 試練を耐え忍ぶことです。

   御覧の通り、皇帝の玉座に座っているキリストは 手を広げて 皆を励まし、一緒に 神に祈ります。迫害の試練を耐え忍ぶ力と 心の平和が 与えられますようにと祈っています。当時のキリスト者は どんなことも恐れずに、お互いに支え合い、迫害者のために祈り、赦しを与え、神の愛のうちに留まりたいと願っていました。 恐ろしい時代に描かれた このフレスコは 恐怖の雰囲気よりも、むしろ キリスト者の平安とお互いの信頼を伝えようとします。

  さて、4世紀の後半になってから、迫害を恐れて 信仰を捨てた人々や、特に信仰の兄弟姉妹を 裁判官に みっこくして、裏切った人々に対して キリスト者は 厳しい態度を示しました。 その時、初めて、芸術家は ユダの姿を 晩餐のフレスコに描くようになりました。皆から離れて 皆から無視され、はずかしめられた ユダのあわれな姿が 目立ちます。


   ラベンナにある この6世紀のモザイクは 今説明した事を よく現わします。このモザイクは カタコンベのフレスコを土台にして、信仰の裏切り者に対する許しがたい雰囲気を良く現わしています。ローマ風の白い衣を ゆったりとまとった11人の弟子達が左側に横たわって、皇帝の紫の衣服を着ているイエスと一致しているみたいです。 十字架の後光をもつイエスは、右の手で 彼らを祝福します。しかし、弟子達の半分は イエスを見るよりも、裏切り者のユダを白い目で、つまり 疑わしそうな目で 見つめ、とがめています。恥ずかしくなったユダは 右側に横たわった状態で 皆に背を向けています。 テーブルの上にある2匹の魚が キリストの救い、キリストの死と復活の出来事、信じる人々の一致と交わりをも 表現しています。

   何世紀もが過ぎてからでも、カパドキアのカランルック教会の壁画は 伝統的な絵を見せてくれます。この教会は ただ一つの小さな窓から光を受けているので カランルックl つまり「暗い教会」と呼ばれています。 このお陰で 御覧になっている11世紀の壁画は素晴らしい色を保っています。


   左側で キリストは 右の手をユダのほうへ伸ばし、左の手に 福音の巻物を持っています。彼が座っているのは 椅子の上ではなく、神の栄光のうちに座しています。ヨハネの福音によると、イエスは、自分が受ける受難を 『神の栄光』と言っているから、このことが分かります。『父よ、時が来ました。 あなたの子に 栄光を与えて下さい。』 イエスの頭に置かれた十字架の後光は キリストの受難を表し、テーブルの上にある 一匹の魚は キリストの救いと同時にキリストの復活を具体的に表します。

  不思議なことですが、ユダは 丁度 弟子達の真ん中に座っていて、裏切り者を示すパン切れを取ろうとしています。キリストの右手と ユダの右の手の動作は 福音の言葉を思い起こさせます。「私と一緒に、手で はちに食べ物を浸したものが 私を裏切る」と。

  珍しい事に、普通 ユダが 座っている場所に ペトロは 描かれています。 しかし、ペトロも キリストのように栄光の中に置かれていて、イエスの言葉に耳を傾けています。 それは次のことです「シモン、シモン、サタンは あなた方を、小麦のようにふるいにかけることを神に願って 聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは 立ち直ったら、兄弟達を力づけて やりなさい。」 すると、ペトロは「主よ、御一緒になら、牢に入っても、死んでも、良いと覚悟しています」といった。 イエスは言われた「鶏が鳴くまでに、三度 私を知らないというだろう』という箇所です。その教えに従って、一方では、ペトロが ユダの座るべき場所に置かれているのは 彼のキリストに対する否定を表し、他方では、ペトロを囲んでいる栄光は、キリストの祈りの効果を示しています。

  更に、すべての弟子たちが、ユダを含めて、後光を受けているのは キリストの祈りを思い起こさせます。「父よ、あなたが下さった栄光を、私は 彼らに与えました。私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです」。結局、この壁画は 受難の悲劇の段階を準備して見せようとします。

   さて、12世紀になると キリストも、弟子達も、新約聖書の人物も 中世の人々のファッションを身に着けるようになります。それは キリストに関する昔のすべての出来事を 現実の状況とするためです。当時のキリスト者が キリストの為に 十字軍兵士になって戦う程、自分の生きている時代を キリストと共に生き、キリストに倣って生きることを 大事にしましたから。

  そこで、人々の服 だけではなく 景色も、建物も、使われている器なども 絵が描かれた場所の時代的背景を思い起こさせます。中世の人々の日常生活は どうしても あらゆる面で キリストを映し出ださなければ ならないからでした。

  同時に この考え方に従って、福音が述べる物語をもっと面白くするために、大抵の芸術家は 度々 自分自身、あるいは 町の人々の顔を キリストと弟子たちの顔に おきかえて 描く習慣を取り始めました。皆様が ご存知と思いますが このように、レオナルド・ダ・ヴィンチが 自分の姿を晩餐の壁画に入れ込んだのです。

   フランスのノアンという田舎の小さな村の教会の中に、主の晩餐が描かれています。残念ですが、12世紀にさかのぼる この壁画は 当時の村の人々の顔を見せてくれません。むしろ、(キリスト、ペトロ、 ユダ 以外)、皆が同じ姿、同じ顔をしていることが 目立ちます。 それは まるで 日本のこけし人形の顔のように 描かれた人々の顔に 現わされています。しかし、皆が 着ている服は この地方独特の服です。 この壁画は、まだ 10世紀の描き方の影響を受けながら、既に ロマネスク様式であり、また スペインのカタルーニャの特徴をも 持っています。


   ペトロは キリストの方を指差して、「裏切り者は 誰?」と尋ねます。キリストの胸元によりかかっているヨハネの姿は 既に この質問をしたことを示します。 ユダの口に 浸したパン切れを 入れようとするキリストの動作は 裏切り者を さし示します。ところで、権威のあるキリストは ユダを全く見ないで 遠くを見ている姿勢によって、この裏切りを 絶対に望んでいないことを現わします。同時に、この壁画を見る私たちは キリストの言葉を思い出します。「私は、聖書に書いてある通り、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は 不幸だ。生まれなかった方が、その者のために 良かった」と。

   他の弟子たちと違って、栄光の後光を持たないユダは テーブルにある皿から食べ物を取っていると同時に、キリストの手から パン切れをいただいています。よく見ると、ユダは 左の手の指を使って ラテン語の6 という数の形をしいています。芸術の伝統によると、偽りと不正が 左の手を伸ばして 何かをする人の姿によって表現されています。また、6という数は、不幸と悪の数と知られています。ユダは、ここで 偽る者、不正を行う者、裏切り者、呪われたものとして 描かれています。更に、キリストを囲んでいる弟子たちは 右の手を上げながら 自分たちが 絶対に 裏切り者ではないことを表現します。


    パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂にある ジョットの晩餐の壁画は 御覧の通り 平和と 家族的な雰囲気を伝えようとしています。ジョットは 初めて ペトロ、ヨハネとユダを キリストのすぐそばに一緒に集めました。レオナルド・ダ・ヴィンチが その工夫を利用して もっと優れた風に描こうとしました。

   実際は ジョットと同じように ダ・ヴィンチも キリストを囲んでいる 弟子たちの 全く違った特長に 私たちの眼差しを 無理に 引こうとしています。つまり、十字架のもとまで キリストに対する ゆるぎない愛と忠実を現わそうとするヨハネ、おくびょうのせいで キリストとの関係を 否定するペトロ、そしてイエスを裏切るユダ という不思議な組み合わせで 全ての人間の心の中に共存している 色々のありさまをよく表現しています。確かに 愛する人は 急に、相手を憎くんだり、無視したり、捨てたりする可能性を十分持っています。

  ジョットとダ・ヴィンチが それを上手に現わしています。しかし ジョットは 裏切りの知らせが 起こす興奮と混乱の状態を画くよりも、キリストが 与える平和と信頼、そして 弟子たちが 分かち合っている友情を 現わそうとしました。お互いに見つめ合う弟子たちの眼差しは「裏切りなんて…考えられない」という思いを 見事に示します。そして パンを祝福するキリストの手 そして そのパンを つかもうとするユダの手は ちゅうぶらりん の状態で 私たちの心を はらはらさせます。そういう面で この壁画は 非常に 興味深いと思います。

   主の晩餐が夕方に行われていたので 芸術家は 建物に窓を描く必要がないと思いました。 13世紀、14世紀の芸術家が、行われる晩餐の建物に窓を描いても 外の光が 部屋の中を照らすように しませんでした。 きっと、夕方の事実を守るためでしょう。


   そこで、15世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチは 晩餐の悲劇的な雰囲気を表すために、光を上手に使うことを考えました。それは、左から入って 人々を照らす光と、キリストの後ろにある 三つの窓から 注がれるの光です。『光の中に光を見る』という詩篇の言葉を思い起こすために 三つの窓は 三位一体の神のシンボルとして わざと 世の光であるキリストの後ろに置かれています。壁画の中央に置かれたキリストは 命の光として 裏切りの暗闇の神秘を照らす方です。更に、建物の構造は 裏切りの知らせが 皆の上になだれ込む 激しい衝撃を はっきり見せています。

  御覧の通り 描かれている物は、すべて15世紀の日常生活のものです。 しかし キリストの前に 晩餐のシンボルである、杯とさいたパンが全くありません。 理由は 何かと言えば キリスト自身が それだからです。 「私は命のパン、私の肉を食べ、私の血を飲む者は 永遠に生きる」という イエスの言葉を思い出すように。

   ダ・ヴィンチが キリストの弟子たちの 一人一人を紹介するよりも、ダイナミックなグループとして、3人ずつを組にして 彼らを描きました。 弟子たちは びっくりした状態で、お互いに質問したり、席から立ち上がったり、自分を弁明したり、義の身振りをしたり、興奮の状態を表そうとしています。ユダだけが 裏切りの情報を聞いても、無関心で、平然とした態度を見せます。 キリストのそばに座っている ヤコブは キリストの受難の予感の印として、腕を広げて、十字架の形を現わしています。

   ユダは 右の手で、お金の袋をつかんでいます。裏切り者ですから、当然 彼は左の手を伸ばします。 その手とキリストの右の手が 同じ拒絶のしぐさを表現しています。 ユダの手は イエスの忠告を拒み、イエスの手は 絶対望まない 友の裏切りを拒否します。かえって、キリストの開かれた左の手は 特に、神の救いの計画に対する従順と 完全なゆだねを現わします。ダ・ヴィンチは スクロヴェーニ礼拝堂にあるジョット の審判のキリストの姿を 逆に描きました。 次のことを現わすためです。「さいは 投げられました。 もう戻ることが出来ません、ユダとキリストの運命が 決まりました。キリストの受難が もう始まっています。」

  お騒ぎしている弟子たちに取り囲まれているにもかかわらず キリストの沈黙と孤独は 非常に目立ちます。弟子たちとキリストの間にある 心理的な距離が 受難の出来事 と同時に キリストの言葉を 前もって表しています。 「あなたがたが散らされて、自分の家に帰ってしまい、私をひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている.しかし、私は一人ではない、父が 共にいてくださるからです。」という言葉です。レオナルド・ダ・ヴィンチが これらのことを上手に 表現しました。 更に、キリストのうつろな眼差しが それを具体的に現わします。部屋の壁に飾っている壁掛けと その見えにくい模様は 伝統的なシンボルとして 聖霊の慰め と神の愛やあわれみを現わしています。救いの神秘は 神のあわれみによるからです。

      あらゆる時代のキリスト者が 色んな風に主の晩餐を考えました。キリストとの必要な一致から、体の復活や、ユダの裏切りや、信仰の宣言と信仰を捨てる可能性や、キリストの孤独、弟子たちの混乱、聖体の秘跡などまで。21世紀に生きている私たちは どんな目で主の晩餐を見、どのようにそれを理解するでしょうか? いくら人間が 弱い者、おく病者、裏切り者であろうとも、神の救いは すべての人に及びます。神の愛は永遠から、絶えず注がれています。受難、迫害、災い、無理解、無神論なども 神の愛の慈しみを止めることができません。昔のキリスト者が 特に その大切なメッセージを 私たちに伝え、残したかったのではないでしょうか


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