福袋 内容 1: お日身さんから 聖母マリアへ 2: 聖母と私 ーロザリオの祈り 3: マリアの神秘への道…苺 4: クリスマスって何について。。色々 5: その他 色々 |
お日身さん(おカミさん)から 聖母マリアへ
日本では、昔から結婚をすると、男の人は、妻に対して「カミ」「カミさん」丁寧なところでは、これに 「お」 をつけて、「お日身(カミ)さん」 と言う習慣を持っていました。 古代の書き方によれば、「カミ」は「日身」と書き、「日(カ)」は太陽を示し、「身(ミ)」は人の体を表します。 「日(カ)」は古い言葉では「カカ」とか「カアカア」とか「カッカッ」とも言われていました。「身(ミ)」は、私たちの身体という意味で、従って「日身(カミ)」とは 私たちの身体は「カカ」「カアカア」「カッカッ」の身体であるという意味になります。そして「かか」というのは、古代語では、太陽が燃えている様子を表す擬態語でした。 ですから「日身(カミ)」とは、太陽の身体という意味でした。
命の源の太陽のように、母は出産によって自分の体の中で育てた赤ちゃんに日の光を当てます。 また太陽のように、母は、いつも明るく、あたたかく、しかも 「朝、昼、晩」 ずっと一生懸命に 家族のために目まぐるしく活躍し、子供を育てます。母親は太陽のような恵みの力によって 家族を世話してくれます。 母親はまさに太陽そのものだ ということから、母親のことを昔の日本人は「お日身(カミ)さん」といったに違いありません。確かに、母は家庭の太陽であり、命の泉として、いつも家族的で温かい雰囲気を生み出します。
江戸時代の職人達は「日(カ)」の古い言葉の「カアカア」をとって「うちのカカア」といいました。 子どもたちも この古い言葉の「カカ」をとって、「うちのカカさま」といいました。ですから、今でも歌舞伎では、お母さんのことを「カカさま」というのです。 この「カ」が残って、今「おかあさん」というのです。おかあさん…の「か」は、なんと「太陽さん」という意味だったのです。 千年以上も前から、子どもたちが 自分の母を「太陽さん」と呼んでいた ということ知って、私たちはびっくりするでしょう。
さて、「おとうさん」という言い方は「尊(とうと)い」から生まれました。 父は家族のために 外へ出て働き、毎日の生活の糧を運んでくれます。 父は、やはり「尊い人だ」と言えるから、自然に「お尊さん」「お父さん」と呼ばれるようになりました。しかし、最近の日本では 母親は「家族の太陽」であるでしょうか? 父親は、その「家族の太陽」を守り大切にする尊い人であるでしょうか? 皆さん 自由に正直に応えるようにしましょうね!
「満月のように美しい、太陽のように輝き、曙のように姿を現わすおとめは誰か?」と雅歌(6,10)の詩人ソロモン王は質問しました。 これに対して、ヨハネの黙示録(12,1)は 、聖母マリアを『身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっている』一人の女として紹介しています。 日本の文化の中にあった「日身(カミ)」は、マリアの神秘を理解するためにぴったりではないかと、私は思います。 汚れのないおとめマリアの体と魂が、神の栄光に上げられました。 天の栄光で輝いている聖母マリアに向かって「お日身(カミ)さん」「カアカア」「お日(カ)さん」と言うのは、とても相応しい呼びかけではないでしょうか? 主イエスと共に私たちの「お母さん」であるマリアは、いつも、熱烈に 私たちを守り、ご自分の栄光の光線によって 私たちの歩むべき道を照らします。 更に、輝いている太陽のようにマリアは、私たちの心の冷たさや冷淡な態度を溶かし、それを愛の泉やもてなしの態度に変化させます。
ですから、聖母の被昇天の祝日にあたって、母マリアに親孝行しましょう。 そうして、その唯一の「お日身(カミ)さん」が 私たちを真の「神」、真の「お尊さん」「お父さん」のそばに導き、近寄らせてくださるように 切に願いたいと思います。 これからも、自分たちの日本の文化と伝統を通して、キリストにおける信仰を深めることが出来ればと思います。 それは、現代の言葉で「inculturation」だと言われています。 言いかえれば、その国の文化に合わせて、順応することです。
聖母マリアと私 〔ロザリオの祈りについて〕
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ヴァチカンのシスティナ聖堂にある ミケランジェロの天地創造から最後の審判までの絵を御存知と思いますが、これは まさしく人類の歴史における最も大きい、堂々とした壁画と言えます。 その中でミケランジェロは、地獄の滅びと天国の栄光の間に まさに 底知れぬ闇に落ちようとしている 二人の人を描いています。 |
三位一体の流れが 人との神の間に流れ込むには、キリストノように、マリアのように、私達にも柔和で謙遜な心がどうしても必要です。 それは 御父に対して何一つ反対したり 抵抗したりせず、全て、全く神に方向づけられた者であるためです。 聖霊の賜物であり、信仰の遺産である”ave Maria" の祈りは、自然に、又効果的に 祈る人の心と考えを キリストによって守ります。 更に、キリストのご託身は この祈りの中心と頂点ですから、繰り返し繰り返し祈るこの祈り方は 知らず知らずの内に 聖体と赦しへの飢え渇きを深めます。 |
至福1000年説に直面して、ペストの疫病がヨーロッパを脅かした時、キリスト者は昔の出来事を思い出しました。 それは、紀元後590年にペストがローマを襲った時の事です。 大勢の人が死んだので,大聖グレゴリオは疫病の終結を願って、ローマの全てのキリスト者が ラテラノ教会から聖ペトロの墓のあるヴァチカンまで 聖ルカの描いた聖母のイコンを運ぶ行列に参加するように命令しました。 ヴァチカンの地区とローマの町をつなぐ橋の所についた時、突然 マリアのイコンの上のほうから 天使たちの歌声が聞こえました。 「天の元后,喜び給え。 あなたに宿られた方は仰せの様に復活された」 と。 それを聞いたグレゴリオ1世は 天の賛美の歌に地上の嘆きと祈願を加えました。 「我らの為に祈り給え」 と。 民衆と聖グレゴリオは 目を上げて、アドリアヌス皇帝の墓のある建物の上に 血だらけの剣を拭ってから 鞘に収める死の天使の姿を見受け、マリアのお陰で 疫病が終わったと言う事を理解しました。 この出来事を思い出す為に アドリアヌスの建物は 「天使の城」 と呼ばれ、そのてっぺんに 剣を鞘に収める死の天使の像があり、又、ヴァチカンとローマをつないでいた昔の橋も 大勢の天使の像で飾られています。 そうして”Regina Coeli" は 死に打ち勝つ希望を与えた記念の祈り、復活祭の賛美となりました。 |
さて、12世紀までに教会が作って 考えた祈りは (Sub tuum 3世紀、栄光の讃歌4世紀、Regina Coeli 6世紀、アヴェ マリア10世紀、Salve Regina 11世紀、お告げの祈りと Ave verum Corpus 12世紀)全て「Verbum caro factum est」 即ち 人間となったキリストの受肉,御託身を 大事なテ−マとしています。 |
ところで、旧約の時代に 神は乳と密の流れる土地に ご自分の民を導くと約束されました。 キリストの言葉を岩の蜜であるとすれば、成長を促す乳は聖マリアの祈りではないでしょうか? その故に、マリアの祈りを唱える人は、丁度乳を飲みながら成長する子供のように キリストの一つの言葉、一つの奥義から汲み取られた 霊的な糧で自分を養います。 この様に 成長しながら キリストの神秘から得られる様々な体験、喜び、恵みという霊的な蜜を味わっていると言えます。 |
ところで、ご存知と思いますがトルコに対するレパントの海戦の時、ロザリオの祈りによってもたらされた勝利を記念して 教皇ピオ5世は 10月7日をロザリオの聖母の祝日としました。 が、10月は ヨーロッパの農夫にとっては 種まきの時であり、又、収穫の季節でもあるので、自然にキリスト者はこの10月をロザリオの月としました。 種まきの時に合わせて、日常生活のあらゆる状況の中で ロザリオの小さな種をあちらこちらに絶えず撒き散らす人は 必ず豊かな恵みの収穫を得ると信じられていたからです。 |
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Joyeux Noel Merry Christmas |
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あなたは私の前に歩み 全き者となりなさい。 創世記17,1 私の恵みはあなたに十分です。 力は弱さの中でこそ十分発揮されるのだ。 2 コリント 12,9 私は主、憐れみ深く、恵みに富む神,忍耐強く、 慈しみとまことに満ち、罪とそむきと過ちを 赦す神である。 出エジプト 34,6 私は柔和で謙遜な者だから、私に学びなさい。 マタイ 11,29 私は道であり、真理であり、命である。 ヨハネ 14,6 二人または三人が私の名によって集まる所には 私もそのなかにいるのである。 マタイ 18,20 私は門である。私を通って入る者は救われる。 ヨハネ 10,9 私を離れては、あなたがたは何もできません。 ヨハネ 15,5 一人の罪びとが悔い改めれば、 神の天使たちのあいだに 喜びがある。 ヨハネ 15,10 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。 母親が自分の生んだ子を 憐れまないであろうか。 たとえ、女たちが忘れようとも 私はあなたを忘れることは決してない。 イザヤ 49,15 私は、平和をあなたがたに残し、 私の平和を与える。私はこれを、 世が与えるように与えるのではない。 ヨハネ 14,27 |
私はあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。 エレミヤ1,5 私は世の光である。私に従う者は 暗闇の中を歩まず、命の光をもつ。 ヨハネ 8,12 見よ、私はあなたをわたしの手のひらに 刻みつける。 イザヤ 49,16 誰も私の手からあなたを奪う事はできない。 ヨハネ 10,28 私はあなた方の中で、いわば 給仕する者である。 ルカ 22、27 私は命のパンである。 私のもとに来る者は決して飢えることがなく 私を信じる者は決して乾くことがない。 ヨハネ 6,35 私は地上から上げられるとき、 すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。 ヨハネ 12,32 私のいる所に、あなたもいることになる。 ヨハネ 14,3 私の言葉があなたがたの内に いつもあるならば、望むものを何でも 願いなさい。そうすればかなえられる。 ヨハネ 15,7 見よ、私は戸口に立って、たたいている。 誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば 私は中に入ってその者と共に食事をし、 彼もまた、私と共に食事をするであろう。 ヨハネの黙示録 3,20 安心しなさい。私だ。恐れることはない。 マルコ 6,50 |
僕が神に言いたくてたまらない聖書の言葉 |
どうか主よ この僕に聞き分ける心 をお与え下さい。 列王記 3,9 主よ、私の魂は夜あなたを探し、私の中で霊は あなたを探し求める。 イザヤ 26,9 神はとこしえに私の心の岩、 私に与えられた分。 私は神に近くあることを幸いとし、私は主を 避難所としその業のすべてを語り伝えよう。 詩篇 73,26-28 私たちは神の御手にある。 知恵の書 7,16 私に与えられた主の恵みに、 何をもって報いようか? 詩篇116,12 神よ、あなたは私の神。 私はあなたを捜し求める。私の魂はあなたを 乾き求める。あなたを待って、私の体は乾き きった大地のように衰え 水のない地のように 乾き果てている。 詩篇 63,2 主よ信じます。信仰のない私をお助け下さい。 マルコ 9,24 主よ、私たちに祈りを教えて下さい。 ルカ 11,1 神よ、罪びとの私を憐れんで下さい。 ルカ 18,13 主よ、命の泉は あなたにあり、 あなたの光に、 私たちは光を見る。 詩篇 36,10 神,あなたは心の誠実を喜ばれる。 知恵の深さを私に教えて下さい。 詩篇 51,8 命ある限り、私は主を賛美し、 長らえるかぎり、私の神に ほめ歌をうたおう。 詩篇 146,2 |
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私の祈り かぐわしい香のように 私を燃やしてください あなたの愛の 真っ赤に燃える炎で あなたの 栄光の祭壇のまえで かぐわしい香のように 私を焼きつくして下さい あなたへの 賛美と崇拝のうちに 兄弟たちのための とりなしとして 私のいけにえの 渦巻く煙は なんと あなたのみ前まで立ち上る あなたの 栄光の賛美のために 神様 あなたは生命のみなもと あなたの為に 私は喜びのみなもととして生きたい 神様 あなたは焼き尽くす炎 あなたの為に 私は愛の炎となって生きたい 神様 あなたは永遠のみ言葉 あなたの為に 私は預言者となって生きたい 神様 あなたは信仰の息吹 あなたの為に 私は希望の宣教者として生きたい 神様 あなたは愛の力 あなたの為に 私は信仰の証人となって生きたい 神様 あなたは人類の光 あなたの為に 私は教会を照らす光となって生きたい (神への道にまかれた小石 グイノ神父作)より |
あなたに打ちあけたい神の言葉 |
心に責められることがあろうとも、 神は私たちの心よりも大きく、 すべてをご存じです。 1 ヨハネ 3,20 神に近づきなさい。そうすれば神は 近づいて下さる。 ヤコブ 4,8 人にしてもらいたいと思うことを、 人にもしなさい。 ルカ 6,31 悪に負ける事なく、善をもって悪に勝ちなさい。 ローマ 12,21 思い煩いは,何もかも神にお任せしなさい。 神が、あなたがたのことを心に かけていて下さるから。 1ペトロ 5,7 あなたは 希望するすべてもないときに、 なおも望みを抱いて、信じなさい。 ローマ4,18 もしあなたが、神の恵みを知っているなら。 ヨハネ 4,10 私はあなたがたを友と呼ぶ。 あなたがたが 私を選んだのではなく、 私は あなたがたを選んだ。 ヨハネ 15,15-16 |
私達は皆、神の満ちあふれる豊かさの中から 恵みの上に、さらに恵みをうけた。 ヨハネ 1,16 あなた方の命は、キリストと共に神のうちに 隠されているのです。 コロサイ 3,3 あなたがたの天の父が憐れみ深いように、 あなた方も憐れみ深い者となりなさい。 ルカ 6,36 神を愛する者たちには、万事が益となる。 ローマ 8,28 神の前で、自分の正しさを主張するな。 シラ書 7,5 あなたがたの信仰と希望とは 神にかかっているのです。 1ペトロ 1,21 福音は信じる者すべてに救いをもたらす 神の力である。 ローマ1,8 実に神のみ旨は あなたが聖となる事にある。 1テサロニ 4,3 |
私は 神のかば |
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