福袋      内容  1: お日身さんから 聖母マリアへ
                         2: 聖母と私 ーロザリオの祈り
                         3: マリアの神秘への道…苺
                         4:  クリスマスって何について。。色々
                          5: その他 色々


                    お日身さん(おカミさん)から 聖母マリアへ

    日本では、昔から結婚をすると、男の人は、妻に対して「カミ」「カミさん」丁寧なところでは、これに 「お」 をつけて、「お日身(カミ)さん と言う習慣を持っていました。 古代の書き方によれば、「カミ」は「日身」と書き、「日(カ)」は太陽を示し、「身(ミ)」は人の体を表します。 「日(カ)」は古い言葉では「カカ」とか「カアカア」とか「カッカッ」とも言われていました。「身(ミ)」は、私たちの身体という意味で、従って「日身(カミ)」とは 私たちの身体は「カカ」「カアカア」「カッカッ」の身体であるという意味になります。そして「かか」というのは、古代語では、太陽が燃えている様子を表す擬態語でした。 ですから「日身(カミ)」とは、太陽の身体という意味でした。

  命の源の太陽のように、母は出産によって自分の体の中で育てた赤ちゃんに日の光を当てます。 また太陽のように、母は、いつも明るく、あたたかく、しかも 「朝、昼、晩」 ずっと一生懸命に 家族のために目まぐるしく活躍し、子供を育てます。母親は太陽のような恵みの力によって 家族を世話してくれます。 母親はまさに太陽そのものだ ということから、母親のことを昔の日本人は「お日身(カミ)さん」といったに違いありません。確かに、母は家庭の太陽であり、命の泉として、いつも家族的で温かい雰囲気を生み出します。

 江戸時代の職人達は「日(カ)」の古い言葉の「カアカア」をとって「うちのカカア」といいました。 子どもたちも この古い言葉の「カカ」をとって、「うちのカカさま」といいました。ですから、今でも歌舞伎では、お母さんのことを「カカさま」というのです。 この「カ」が残って、今「おかあさん」というのです。おかあさん…の「か」は、なんと「太陽さん」という意味だったのです。 千年以上も前から、子どもたちが 自分の母を「太陽さん」と呼んでいた ということ知って、私たちはびっくりするでしょう。

  さて、「おとうさん」という言い方は「尊(とうと)い」から生まれました。 父は家族のために 外へ出て働き、毎日の生活の糧を運んでくれます。 父は、やはり尊い人だ」と言えるから、自然に「お尊さん」「お父さん」と呼ばれるようになりました。しかし、最近の日本では 母親は「家族の太陽」であるでしょうか? 父親は、その「家族の太陽」を守り大切にする尊い人であるでしょうか?  皆さん 自由に正直に応えるようにしましょうね!

「満月のように美しい、太陽のように輝き、曙のように姿を現わすおとめは誰か?」と雅歌(6,10)の詩人ソロモン王は質問しました。 これに対して、ヨハネの黙示録(12,1)は 、聖母マリアを『身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっている』一人の女として紹介しています。 日本の文化の中にあった「日身(カミ)」は、マリアの神秘を理解するためにぴったりではないかと、私は思います。 汚れのないおとめマリアの体と魂が、神の栄光に上げられました。  天の栄光で輝いている聖母マリアに向かって「お日身(カミ)さん」「カアカア」「お日(カ)さん」と言うのは、とても相応しい呼びかけではないでしょうか? 主イエスと共に私たちの「お母さん」であるマリアは、いつも、熱烈に 私たちを守り、ご自分の栄光の光線によって 私たちの歩むべき道を照らします。 更に、輝いている太陽のようにマリアは、私たちの心の冷たさや冷淡な態度を溶かし、それを愛の泉やもてなしの態度に変化させます。

 ですから、聖母の被昇天の祝日にあたって、母マリアに親孝行しましょう。 そうして、その唯一の「お日身(カミ)さん」が 私たちを真の「神」、真の「お尊さん」「お父さん」のそばに導き、近寄らせてくださるように 切に願いたいと思います。 これからも、自分たちの日本の文化と伝統を通して、キリストにおける信仰を深めることが出来ればと思います。 それは、現代の言葉で「inculturation」だと言われています。 言いかえれば、その国の文化に合わせて、順応することです。

   聖母マリアと私  〔ロザリオの祈りについて〕 

  
    ヴァチカンのシスティナ聖堂にある ミケランジェロの天地創造から最後の審判までの絵を御存知と思いますが、これは まさしく人類の歴史における最も大きい、堂々とした壁画と言えます。  その中でミケランジェロは、地獄の滅びと天国の栄光の間に まさに 底知れぬ闇に落ちようとしている 二人の人を描いています。
しかし、この二人は 一人の聖人の手から下がっているロザりオにしがみついて、この聖人と共に キリストのほうへ向かっていこうとしています。  これは 非常に印象的な場面です。  勿論、この二人はロザリオによって救われたのでもなければ、聖人やマリアの取り次ぎによって救われたのでもありません。  ただ、ロザりオが 想いおこさせるキリストの神秘の実在によって救われたのです。

    キリストの神秘、それは私達のために生まれ、死に、復活されたキリストの神秘であり、あがないの神秘でもあります。  ロザりオの祈りは 教会の秘跡ではないけれども、あがないの神秘の中心に 私達を導きながらも 「私達の命がキリストと共に 神のうちに隠されている」 事を悟らせます。  結局、ロザリオの祈りによって 私達は自分自身のアイデンティティーを取り戻します。  私達は 神の愛の神秘の証人なのです。

    ロザリオをたゆまず繰り返して祈ることは 言葉遣いの稚拙さ、つまり幼稚さから見て 愚かなように見えます。  更に、形式的な狭い意向に基づいて この祈りをするなら 白痴化される事になります。  しかしながら 来るべき方、つまりキリストの姿を彷彿とさせ、一生懸命探り求めるように 全力を尽くすなら、そこに素晴らしい意味が見出されます。  この観点からすると 初めの一連のロザリオの終わりには もはや前と同じではなく、少しばかり 「からっぽ」 になり、少しばかり 「貧しく」 なり,その故につまり決定的に変わっていきます。

   実に 世界中のあらゆる国、あらゆる宗教の中で この祈り方が見受けられます。  日本の仏教では 「南無阿弥陀仏」 とか、イスラム教では 「アラーは偉大、マホメットはその預言者だ」 とか、ユダヤ教では 「イスラエルよ 聞け、神は唯一である」 とか、東方教会では 「神の子 主イエス 罪びとの私を あわれんで下さい」 とか。  ロザりオの祈りもこの種類に属しています。  考えたことは口から湧き出て、段々人の心をやわらげ、その人の日常生活にしみ込み、常にその人の心の祈りとなります。  ミサの時の 「主に栄光」あるいは 「主に賛美」 という宣言に伴う動作は それを具体的に表しています。

   ロザリオのやり方で祈る事は、結局 砕かれ、押しつぶされた心に導かれる具体的な方法です。  たどたどしく 下手に繰り返しながらも、私達はその事を 少しづつ学んでいきます。  それは、聖霊の言い表し難いうめきの内にです。  このうめき、つまり 嘆きが私達の石の心を掘り下げるのに どうしてもこの祈りの繰り返しは必要です。  丁度、水の一滴一滴が繰り返して、遂には 非常に固い岩をうがつようにです。  神が一致したい心は、神の限りないあわれみの故に 軟らかくなった心です。


            

                                

  
   三位一体の流れが 人との神の間に流れ込むには、キリストノように、マリアのように、私達にも柔和で謙遜な心がどうしても必要です。  それは 御父に対して何一つ反対したり 抵抗したりせず、全て、全く神に方向づけられた者であるためです。  聖霊の賜物であり、信仰の遺産である”ave Maria" の祈りは、自然に、又効果的に 祈る人の心と考えを キリストによって守ります。  更に、キリストのご託身は この祈りの中心と頂点ですから、繰り返し繰り返し祈るこの祈り方は 知らず知らずの内に 聖体と赦しへの飢え渇きを深めます。

   たとえば、聖体拝領が ほとんどされていない時代であるにもかかわらず、12世紀のイノセント3世の”ave verum Corpus Christi",又13世紀、つまり 丁度760年前にの10月16日に、ベルギーで最初に行われたキリストの聖体の祭日も、ロザリオの黙想から 自然に生まれたに違いありません。  ロザリオの祈りは、マスターキーの様に 全てのドアを開けられる小さな鍵です。  この鍵は 特に聖霊に対して閉じられているドアを 簡単に開けるのです。  ロザリオの目的は、このマスターキーを使って、三位一体の静かな優しさで 私達の心を軟らかくし、又聖霊の力によって 私達の心を粉々に 単純なものにし、細かく砕くことです。

   さて、ロザリオの15奥義の黙想は 私達の心を完全な豊かさに導きます。  なぜなら、教会の典礼の順序に ぴったり従っているこの奥義を黙想する人、特に司祭は、ある意味で典礼的な行いを実践しているからです。  確かに、日々キリストにおける奥義に親しむ事によって、司祭は 「霊と真理のうちに」 ミサ祭儀の中で この同じ神秘を祝う準備をしているのです。  このようにして ロザリオの祈りは、必然的に全教会の祈りとなり、又典礼と同様に キリストの神秘を私達のうちに受肉させたいのです。  従って あがないの神秘から即ち、救いの泉から毎日水を汲む司祭は 「高い所から高い所へと進み、光の内に光を見る」 ようになります。

   さて、ご存知のように ロザリオという呼び名は マリア像の頭にバラの冠をかぶせる習慣から生まれました。  聖ベルナルドと 聖ドミニコが ロザリオの祈りの形と使い方を固めたと思われます。  又、言い伝えによれば 中世の一般のキリスト者は 書く事も 読む事も出来なかったので、修道者のように 150の詩編を唱える事は不可能でしたから、教会はその代わりに ”アヴェ マリア”150回を唱えるように勧めたそうです。  ところで、十字軍の時代に聖ベルナルドから大変影響と指導を受けた エルサレムの神殿の騎士達の誓願によれば、カレラハ、マリアが抱いた15の喜びを度々唱えたり、黙想したりする義務がありました。  ここからロザリオの玄義の数と、喜びと栄えの奥義の内容が 出てきたと思ってもおかしくないでしょう。

   とにかく、10世紀の終わりの典礼の本の中で、天使祝詞の第一部分が見受けられますが、第二の部分は 13世紀ぐらいに定められていたようです。  この第二の部分は”Regina Coeli" の復活の祈りをまねて生まれたと思われます。 


 


             

 
   至福1000年説に直面して、ペストの疫病がヨーロッパを脅かした時、キリスト者は昔の出来事を思い出しました。  それは、紀元後590年にペストがローマを襲った時の事です。  大勢の人が死んだので,大聖グレゴリオは疫病の終結を願って、ローマの全てのキリスト者が ラテラノ教会から聖ペトロの墓のあるヴァチカンまで 聖ルカの描いた聖母のイコンを運ぶ行列に参加するように命令しました。  ヴァチカンの地区とローマの町をつなぐ橋の所についた時、突然 マリアのイコンの上のほうから 天使たちの歌声が聞こえました。 「天の元后,喜び給え。  あなたに宿られた方は仰せの様に復活された」 と。  それを聞いたグレゴリオ1世は 天の賛美の歌に地上の嘆きと祈願を加えました。  「我らの為に祈り給え」 と。  民衆と聖グレゴリオは 目を上げて、アドリアヌス皇帝の墓のある建物の上に 血だらけの剣を拭ってから 鞘に収める死の天使の姿を見受け、マリアのお陰で 疫病が終わったと言う事を理解しました。  この出来事を思い出す為に アドリアヌスの建物は 「天使の城」 と呼ばれ、そのてっぺんに 剣を鞘に収める死の天使の像があり、又、ヴァチカンとローマをつないでいた昔の橋も 大勢の天使の像で飾られています。  そうして”Regina Coeli" は 死に打ち勝つ希望を与えた記念の祈り、復活祭の賛美となりました。

   さて、ペストに加えて至福1000年説に直面して 世の終わりの恐怖を抱いたキリスト者は 今述べた出来事を思い出しました。  この危機に当たって 教会はヨエルの予言に基づいて 「Dies irae -神が怒るその日」を作りました。  しかし、改心を目指しているが、同時に恐怖を与える "Dies irae" よりも キリスト者は 希望を与える祈りを好みました。  それで、前の "Regina Coeli" の祈りに 地上の祈願を加えた様に 天使ガブリエルと エリザベットの言葉に、「今、死を直面している、今、死にかかっている私達の為にお祈りください」 という言葉を付け加えたと思われます。  この様にして 「アヴェ マリア」 の第二の部分が生まれました。  実に"Regina Coeli" は 人間になって死に打ち勝って、復活したキリストを証し、"Ave Maria" は 人間になって死んだキリストと一致するものと言えます。  この二つの祈りは、よく似ていて お互いに補い合っています。

         

  
   さて、12世紀までに教会が作って 考えた祈りは (Sub tuum 3世紀、栄光の讃歌4世紀、Regina Coeli 6世紀、アヴェ マリア10世紀、Salve Regina 11世紀、お告げの祈りと Ave verum Corpus 12世紀)全て「Verbum caro factum est」 即ち 人間となったキリストの受肉,御託身を 大事なテ−マとしています。

   このテーマはマリアの心から一度も離れませんでした。  マリアは自分の心と身体に神の御言葉を受けました。  神の言葉を受ける妨げとなるものは 何一つなく、神のやり方に対しても妨げるものはありませんでした。マリアは 神にとって何一つ不可能な事はないと信じ、神の望みにすぐ答えました。  「主の言われる事は実現すると信じた人は幸い」 という エリザベットの言葉は 聖書の中では マリアに対する唯一の誉め言葉です。  「神の言葉を聴いて それを行う人は 幸い」 と言ったキリストの言葉も マリアとぴったり合います。  マリアについて どんな方かと言うならば、神の言葉を聞いた方、そうしてそれを心の中に思い巡らしながら 実現した方と言えるでしょう。

   ルカは 「これらのことを全て心に納めていた」 と繰り返して述べていますが、 キリストの復活後、マリアは弟子たちと共に 自分の人生とキリストの人生に起きた全ての出来事を キリストの復活によって得た眼差しと 霊的な知識によって 理解しようとしました。  人間になった御言葉を、即ち、キリストの出来事を 復活の光で理解し、これを考えながら祈る事、これこそロザリオの祈り、マリアの祈りと言えます。復活の後のマリアの祈りは,長い,深い、終わりのない黙想であり、間違いなく 被昇天と天の元后の奥義を除いた ロザリオの奥義の黙想であったと思われます。

   ロザリオを祈る人は、マリアの手を握ると言われていますが、それはキリストの神秘,人間になった御言葉の奥義を マリアと共に手を携えて一歩一歩 歩む為です。  丁度、マリアが自分に内在するキリストの神秘をあれこれと思い巡らしたように ロザリオを祈る人は、マリアの目で 自分の内に働かれる 神の業を眺めるのです。  実に、私達は 皆、マリアのように 自分の肉の内に キリストの神秘を生きるよう,且つ、マリアの様に 御言葉を身ごもる様に召されています。  教会の鐘の音にあわせて毎日3回唱える "Angelus お告げの祈り" それを絶えず具体的に想いおこさせます。


        


  アヴェ 恵みあふれる聖マリア、主はあなたと共におられます。 

   
   ところで、旧約の時代に 神は乳と密の流れる土地に ご自分の民を導くと約束されました。 キリストの言葉を岩の蜜であるとすれば、成長を促す乳は聖マリアの祈りではないでしょうか?  その故に、マリアの祈りを唱える人は、丁度乳を飲みながら成長する子供のように キリストの一つの言葉、一つの奥義から汲み取られた 霊的な糧で自分を養います。  この様に 成長しながら キリストの神秘から得られる様々な体験、喜び、恵みという霊的な蜜を味わっていると言えます。 

   実に 祈りが私達を変えていくのは 内部から始まって外部へであって、その反対ではありません。  私達が自分の内部の奥深い在り方と 関わりのない祈りの生活を築こうとするなら、 私達は、いつかその祈りの生活を 無縁のものであるかのように 放り出してしまうでしょう。  と言うのは、その様な祈りの生活は 私達と溶け込まないからです。

   ロザリオの一つの種がそれぞれ独立して 一つずつの奥義を示しています。  しかし、その一つに触れるとつながっている他の全ての奥義に どうしても触れるようになります。  又、マリアは一つ一つの神秘を生きたわけですが、各神秘は キリストと共に生きたマリアの全生涯を 隠すと同時に示しています。  実に、マリアの人生は 神の神秘に覆われています。  私達の知っている15の奥義だけで マリアの人生の全貌、その全体像は分かりません。  その為に ヨハネ・パウロ2世は 新しい5奥義 〔光の奥義〕を ロザリオの祈りに加えました。  マリア自身も この全体像を主の恵みによって知る様になります。

   さて、マリア自身が、一つの神秘ですが、その心に隠されている彼女の祈りも又、一つの神秘と言えます。マリアの祈りは ただ、キリストのみを目指し、キリストに向かっており、 『胎内の子は祝福され、聖なる者」 と言う大天使ガブリエルとエリザベットの宣言は マリアの絶え間ない黙想の材料となりました。  そうして 「私達の命は 受肉したキリストと共に神のうちに隠されている」 ので、マリアの祈りは 当然 私達から離れません。従って、ロザリオの祈りを身に付ける人は マリアの心を自分の心として、人間になられた神の神秘と同時に 自分としての人間性の神秘をも発見し、理解しようとします。

   更に、栄光の中にいるマリアの目を自分の目として、キリストの神性と同時に 自分に与えられた神の子としての資格が持つ神秘をも探るのです。  何と言う恵み、何という喜びでしょう!  生きるにしても、死ぬにしても 私達の為に死んで、復活されたキリストの為に,私達も生き,死に、復活します。  「母の胎内に造られる前から私達を知って、愛して、選んだ神は」 御自分の愛の内に キリストと共に隠されている私達の命を、全ての人の母となられたマリアの胎内に 委ねられました。 ここにこそ、私達の為に捧げられている マリアの祈りの由来と必要性があります。       ところで、旧約の時代に 神は乳と密の流れる土地に ご自分の民を導くと約束されました。 キリストの言葉を岩の蜜であるとすれば、成長を促す乳は聖マリアの祈りではないでしょうか?  その故に、マリアの祈りを唱える人は、丁度乳を飲みながら成長する子供のように キリストの一つの言葉、一つの奥義から汲み取られた 霊的な糧で自分を養います。  この様に 成長しながら キリストの神秘から得られる様々な体験、喜び、恵みという霊的な蜜を味わっていると言えます。 

   実に 祈りが私達を変えていくのは 内部から始まって外部へであって、その反対ではありません。  私達が自分の内部の奥深い在り方と 関わりのない祈りの生活を築こうとするなら、 私達は、いつかその祈りの生活を 無縁のものであるかのように 放り出してしまうでしょう。  と言うのは、その様な祈りの生活は 私達と溶け込まないからです。

   ロザリオの一つの種がそれぞれ独立して 一つずつの奥義を示しています。  しかし、その一つに触れるとつながっている他の全ての奥義に どうしても触れるようになります。  又、マリアは一つ一つの神秘を生きたわけですが、各神秘は キリストと共に生きたマリアの全生涯を 隠すと同時に示しています。  実に、マリアの人生は 神の神秘に覆われています。  私達の知っている15の奥義だけで マリアの人生の全貌、その全体像は分かりません。  その為に ヨハネ・パウロ2世は 新しい5奥義 〔光の奥義〕を ロザリオの祈りに加えました。  マリア自身も この全体像を主の恵みによって知る様になります。

   さて、マリア自身が、一つの神秘ですが、その心に隠されている彼女の祈りも又、一つの神秘と言えます。マリアの祈りは ただ、キリストのみを目指し、キリストに向かっており、 『胎内の子は祝福され、聖なる者」 と言う大天使ガブリエルとエリザベットの宣言は マリアの絶え間ない黙想の材料となりました。  そうして 「私達の命は 受肉したキリストと共に神のうちに隠されている」 ので、マリアの祈りは 当然 私達から離れません。従って、ロザリオの祈りを身に付ける人は マリアの心を自分の心として、人間になられた神の神秘と同時に 自分としての人間性の神秘をも発見し、理解しようとします。

   更に、栄光の中にいるマリアの目を自分の目として、キリストの神性と同時に 自分に与えられた神の子としての資格が持つ神秘をも探るのです。  何と言う恵み、何という喜びでしょう!  生きるにしても、死ぬにしても 私達の為に死んで、復活されたキリストの為に,私達も生き,死に、復活します。  「母の胎内に造られる前から私達を知って、愛して、選んだ神は」 御自分の愛の内に キリストと共に隠されている私達の命を、全ての人の母となられたマリアの胎内に 委ねられました。 ここにこそ、私達の為に捧げられている マリアの祈りの由来と必要性があります。

  
   ところで、ご存知と思いますがトルコに対するレパントの海戦の時、ロザリオの祈りによってもたらされた勝利を記念して 教皇ピオ5世は 10月7日をロザリオの聖母の祝日としました。  が、10月は ヨーロッパの農夫にとっては 種まきの時であり、又、収穫の季節でもあるので、自然にキリスト者はこの10月をロザリオの月としました。  種まきの時に合わせて、日常生活のあらゆる状況の中で ロザリオの小さな種をあちらこちらに絶えず撒き散らす人は 必ず豊かな恵みの収穫を得ると信じられていたからです。

   確かに、この考え方は 初代教会のディダケの祈りと結びついています。  つまり ディダケの9章4頂に 「山々の上に散らされていた種が集められて 一つのパンとなった」 とある様に,世界中にキリスト者がまき散らすロザリオの希望の種が集められて 喜びの収穫となり、神に栄光を与える祈りの一つのパンとなり、世の救いに役立つパンとなる様にと言うことです

   さて、以上の様な意味から ヨハネ・パウロ2世の勧めに従って、マリアと共に 21世紀を準備するように、信仰の遺産であるロザリオの祈りを大切にしたいと思います。  ヨゼフに言われた 「マリアを自分の家に迎え入れるのを恐れるな」 という言葉を、私達に言われたものとし,私達の内に マリアを迎え入れたい者です。  独身生活を送る司祭である私は "old boy - くそじじい" にならない様に、いつも そばに留まっているマリアを 私の人生の唯一の婦人としました。  いつか キリストとの出会いの決定的な瞬間が来る時に、 もし私が 地上でロザリオを握り締めていたなら、天にいるマリアも そのロザリオを手にしているから 決して私を手放さない事を私は固く信じています。
   

               

         聖母マリアの神秘への道…苺。

 

            昔の信者は自分の信仰を支え、養う様に自然からを学んだ。  中世美術に現わされている聖母の絵には、苺がよく描かれている。  その意味は次の通りである。  五月は一年の内で一番美しい月で、聖母の月と言われ、この時期にはその年の最初の果実である苺が実る。  五月の『聖母の訪問』の祝日に、苺は先ずマリアの訪れを思い起こせ、次に 聖霊の十二の果実を現わす 〔正義、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、誠実、善意、柔和、信頼、節制、純潔)。  昔から 苺は 完全な公正のシンボル、もしくは心の正し人の善行を表現している。 その甘い味はマリアの優しさへの招きである。

   葉……一本の軸に三枚ずつある葉は、マリアが,三位一体の神の神秘で満たされた方である事、又、出産 〔前・中・後〕童貞である事を示す。  更に一日中三回唱える 『お告げの祈り』 の三つのアヴェ マリアを思い起こさせます。  又、マリアの信仰、希望、愛 と言う三つの対神徳をはじめ、ロザリオの三つの奥義 〔喜び・苦難、栄光〕をも思い起こさせる。  苺の花の白と黄色と実の赤い色も 同じ意味を示す。  さて、緑色の葉は 私達が マリアに寄り頼む希望を表し、更に 苺の実に付いている十五枚の「がく」は五連 x 三環で十五連のロザリオ、又、マリアが生涯にわたって抱いた十五の喜びを示す。

   花…花弁の白色は聖母の清さ、貞潔、無限罪の状態を示す。  五枚の花びらは マリアの五つの徳 〔知恵、従順、謙遜、清貧,慎重) 又ロザリオの五連を思い起こさせる。  花芯の黄色は 神が聖母に与えた栄光を、そして白と黄色によって マリアが全ての恵みで満たされ、神の聖性で包まれている事を示す。

   実……赤い実は、キリストと一致したマリアの愛、受難の共感,殉教 (即ち剣に貫かれた聖母の心の七つの苦しみ)を思い起こさせる。  苺の身に付いている小さな種は一粒一粒が 涙の形をしていて、マリアの涙を思わせ、 又ロザりオの球のようにも見える。  最後に苺 〔花、葉、実〕 全体はマリアの母性、そして聖母の処女性を強調する 『閉ざされた園」(雅歌4,12) と言う貴重な役割を果たす。  聖母が 時に 苺の房で 飾られた衣服をまとうのはこの意味を語っている。  苺 と言う漢字で (母 +草冠) 即ち母の園と示されたのも 不思議に その意味を示している。 

   この様に 中世の信者は 花、果実、動物、鳥、昆虫、などの 自分の回りにの自然を見ながら 信仰の神秘を深めた。  それは あまり読み書きが出来ず、聞く事と見る事が 知る方法だったからである。  信者にとって自然の色や形、その味、香りなどは 御言葉に生きる 具体的な信仰の支えであり、当時描かれた 深い意味を持つ絵は 我々に残された信仰の遺産である。  この遺産を正しく伝えながら、更に、どのように私達の信仰を子孫に残していくか、その方法を探すべきではないだろうか?


 


              

              クリスマスって何 について...色々















 
クリスマスとは

   
イエス・キリスト降誕(誕生)を祝うキリスト教の記念日・祭日です。「神様が人間としてお生まれになったこと」を1225に祝います。しかし、イエス・キリストは 本当に1225日に生まれたのですか? そうではありません。 ルカの福音の話によれば、イエスは夏の時にお生まれになったに違いありません。 「ベツレヘムの羊飼い達が野宿をしながら、夜通し羊の群れの留をしていた」(ルカ28)と書いてあるので、確かに、そのような活動は 夏の間にしか行えないからです。
   さて、イエス・キリストの誕生日に関する記録は残されていないため、正確な日付はわかりません。そこで、初期の頃は色々な日に祝ったようですが、その内に1225日に祝われるようになり、4世紀にこれが確立しました。 また、ローマでは12月の冬至に太陽を祭るお祝いをしていました。ご存知のとおり、北半球で一番昼が短くなるのが冬至です。それまで次第に短くなってきた昼が、この日を境にまた長くなっていきます。つまり、勢いの弱まってきた太陽が冬至にふたたび力を取り戻し、光がよみがえるということを祝っていたのです。さらに、273年になると、時のローマ皇帝アウレリアヌスは1225日を太陽神の誕生日と定めました。ところで、313年に、皇帝コンスタンティヌスは キリスト教の自由を認め、保護しました。イエス・キリストは「正義の太陽」、「世の光」と呼ばれていることから、336年、当時の教会は太陽神の祭日を利用してイエス・キリストの誕生を祝う日と定めたということです。

   クリスマスは英語の「Christmas」ですが、これは「キリスト(Christ)のミサ(mass)」という意味です。が、Xmas」と書く時もあります。Xmas」の「X」は、ギリシャ語の「Xριστο?」(キリスト)の頭文字です。つまり、「X」で「Christ」(キリスト)を代用しているわけですが、それではクリスマスの意味が薄れてしまいます。 他の言語で言えば、フランス語の「Noel」とイタリア語の「Natale」は、共に「誕生日」を意味するラテン語から来ています。ドイツ語では「Weihnachtと呼ばれ、これは「聖夜(キリストが生まれた夜)」という意味です。 キリストは 夜に生まれたので 彼の誕生の祝いが1224日の夕方から始まります。クリスマス・イブと言われますが、イブ(Eve)とは「前夜」という意味です。

                 
                  クリスマスの馬小屋


   
 カトリックでは、待降節にはいると、キリストが馬小屋で生まれたことを記念して、小さな馬小屋が聖堂などに飾られます。馬小屋のなかのマリアとヨセフの前の幼子キリストの場所は空いています。クリスマス・イブのミサの際に司祭によって幼子キリストの人形が馬小屋に置かれます。これは、アッシジの聖フランチェスコによって始められた習慣だそうです。

    
 
クリスマス・イブの キャンドル・サービス

  
キリスト教に於ける儀式。クリスマスや大晦日といった特別な日に手にろうそくを持って、ろうそくの光の中で賛美歌を歌い祈りを捧げる礼拝のこと。言うまでもないことだが、serviceとはこの場合は「礼拝」意味する。クリスマス・イブに行われる「キャンドル・サービス」は、モラヴィア教会で1747年に子どもたちによって行われたものが、北ヨーロッパから北米に広まったものとされています。 クリスマス・イブの「キャンドル・サービス」は、「世の光」として、この世に来られたイエス・キリストの誕生を祝って行われるものです。 そして灯したろうそくの光に託して、私たち一人ひとりの心の中にも、「世の光」であるイエス・キリストが誕生するように願い、このキリストの光によって照らされた私たちが、この世の闇を照らす光となることができるよう、祈り求めます。「聖なる父よ、あなたはこの神聖な夜を、まことの光キリストによって照らしてくださいました。やみに輝く光を見たわたしたちが、その喜びを永遠に歌うことができますように。(主の降誕 夜半ミサの集会祈願より)


                 クリスマス・キャロル

   キャロルという言葉は、もともとはギリシア語で、ラテン語choraulaは 古いフランス語でcaroleと変化して「輪を作って歌い踊る」という意味です。 1150年から1350年の間に、中世の人々は教会の祝日の祭に この踊り方を変えました。つまり、プロヴァンス地方の踊り方のように手をつないで長い列を作りました。そして、クリスマスの夜、家から家へと、町の人々を誘う賛美歌を歌いながら、行列は、教会の中まで入り 準備された飼い葉桶に眠るイエスの回りで 踊るのが習慣となりました。それが、だんだん発展し、音楽だけが独立して、クリスマスの聖歌となっていきました。 はじめてキリストの誕生を歌った聖歌は、5世紀に作られたものです。今日のようなクリスマス・キャロルがはじめて作られたのは、13世紀のイタリア人聖フランシスコです。 聖フランシスコは、キリストの生誕を、福音書のメッセージを歌詞にして、その喜びをこめて歌にしました。これが、ヨーロッパ中に広まりました。 クリスマス・キャロルの特徴は、難しい教義ではなく、キリストの生誕の喜びを、声 高らかに歌う、とてもポピュラーなものであるということです。

   数え切れないクリスマス・キャロルの中で、最も人々に知られているのは、「きよしこの夜(サイレント・ナイト)」でしょう。この歌の誕生には、こんな物語がありました。 1818年のクリスマスが近づいたある日、オーストリア、ザルツブルグ近郊の村オーバンドルフでのことです。この村には、聖ニコラウス教会がありました。クリスマスの準備がすっかり整った教会に、オルガン奏者が練習にやって来ました。しかし、ちっとも音がでません。ねずみが、この古いオルガンのふいごをかじってししまっていたのです。 オルガンが壊れてしまっては、クリスマス・キャロルが歌えません。そこで主任司祭にわけを話すと、ジョゼフ・モア神父はしばらく考えて、クリスマスの短い詩を書きました。それから、友だちのオルガニスト、フランツ・グルーバーに、ギターの演奏で歌えるキャロルの作曲を頼みました。そして、クリスマス・イブの真夜中のミサの最後に、ギターの演奏で、作曲された美しい歌が歌われました。 これが今世界中で歌われている「きよしこの夜」です。



Joyeux Noel

Merry Christmas


 メリー・クリスマス」とはどういう意味ですか?

   メリーはMerry、「楽しい」とか「愉快な」という意味です。つまり、「楽しいクリスマスを!」ということです。日本的に言えば、「クリスマスおめでとう!」という感じです。「I wish you a Merry Christmas!」とか「A Merry Christmas to you!」(楽しいクリスマスがありますように!)とも言います。他の国々ではこのように言います。「メリー・クリスマス」は
Kala kristougennaギリシャ語では、カラ・クリスツゲナ!
Frohe Weihnachtenドイツ語で フローエ ヴァイナハテン!
Hyvaa Jouluaフィンランド語で ヒュヴァー ヨウルア!
Buon nataleイタリア語で ブォンナターレ!
Joyeux noelフランス語で ジュワイノエル!
Feliz Navidadスペイン語で フェリース ナビダ
God Jul - Mele KalikimakaCroszdestvom Christovim など。。。





















           待降節とクリスマスのリース

  リースの歴史は古く、聖書では、イエス・キリストは、茨の冠を編んだものをかぶせられ十字架にはりつけになった、とあります。 紀元後1世紀、古代ギリシャ、ローマ時代には、英雄、勝者、歌手、詩人などを讃え、名誉を表すものとして、頭に冠が捧げられました。 月桂樹、オリーブなどで作られ、聖油をかけて、頭を冷やしました。 今でも、マラソンなどの勝者に頭に冠を捧げるのは、そのなごりです。
 中世ゲルマニアでは、緑の葉の冠が見られ、王様の黄金の冠のもととなりました。 バロック時代には、花嫁の飾りとして用いられ、いろいろな花や葉を使ったものが生まれました。 17世紀には死者に捧げる物として使われ、クリスマスに使われるようになったのは20世紀になってからです。

   ドアや壁掛けとしての用途は20世紀終わりからになります。 その間、時代時代の流行でバリエーションをつけて変えながら、現代へと引き継がれています。 日本では、クリスマスのものというイメージの強いリースですが、西欧では、死者に捧げるものとしての用途が非常に多いようです。 これは、もちろん、キリストのイバラの冠からきています。

   リースのために使われる緑色や赤色は、次の意味を表わします。緑色は 生命力や若返りや新鮮さ、特に、人々が 神の救いにおける希望を表現します。また、緑色は、永遠の命を象徴し、神の愛の勝利や、イエス・キリストが全てを新たにする事をも現します。赤色は、イエス・キリストの限りない愛、十字架の上で流された血,つまりあがないと受難の神秘を表します。

  
リースは、輪という、ずっと繋がっていく線の循環であるところから、「 永遠の命 」「 輪廻転生 」「 尽きることなき神の愛 」「キリストの勝利」の象徴です。 「永遠に時を刻む」ということから、製作するときには必ず、時計周りの流れで、葉や花を入れていきます。 これは結構、でたらめにやっているものを多く見かけます。 リングの太さと中心部とのバランスも、美しく見させるバランスとして考える必要があります。

 素材は、いろいろなものを見かけますが、常緑樹(冬でも緑の葉を保っているモミ、ヒバなど)を使ったものは、枯れない緑、「永遠の命」の象徴です。 また、日本では、ドア用リースが多いですが、西欧では横置きにし、 4本のロウソクを取りつけ、クリスマス4週間前の日曜日から、1本ずつ、ローソクに 火を灯してゆきます。 この期間を、「アドヴェント」「待降節」といい、キリストの誕生の到来を待ちわびる、という意味があります。 これは、昔、アスマン先生というドイツのフローリスト学校の先生が、 延々と熱く語っていらっしゃったのですが、「ロウソクが、自らを燃やしてゆく姿は、自らが犠牲となったキリストの命の象徴である。 依って、ロウソクは、本物のロウソクでなくてはならない。」ということです。



  クリスマスの植物 ヒイラギとポインセチア

   「ヒイラギ」は尖った葉先がキリストの茨の冠を表し、赤い実がその血を示すとされて、キリスト教会によって積極的に取り入れられるようになりました。

   クリスマスの花として欠かせない「ポインセチア」は、メキシコでは、形がベツレヘムの星を思わせることから「聖夜の花」と呼ばれていましたが、1828年、初代メキシコ駐在アメリカ大使ポインセット博士がアメリカに持ち帰り、「ポインセチア」と名付けられたそうです。




























                   クリスマス・ツリ

  古代ローマ時代、冬になり太陽の光が弱まり、昼が短く夜が長くなってくると、暗い闇になってしまうのではないかと不安になった。
そこで、太陽を元気付けようと火を燃やし、地中の種子に真冬でも生命が宿り続けていることを示す(願う)ために家の中に常緑樹をつるした。
再び春が訪れ太陽の光や植物が活発になると、人々は祭った火や常緑樹が奇跡を起こしたと信じ、毎年同じ事を繰り返すようになった・・・。

 
クリスマスになれば、あちらこちらクリスマス・ツリーを見かける。その由来は8世紀のドイツにさかのぼると言われています。当時のドイツには、ドルイド教団員(キリスト教に改宗する以前の古代ケルド族の僧・妖術師・詩人・裁判官など)と呼ばれる人たちがいました。 かれらはオーク (木) と崇拝し、幼児犠牲を捧げていました。 伝説によると、イングランドからドイツに派遣された宣教師司教聖ボニファティウスが それを止めようとしてオークを切り倒した時に、い本のモミの若木に関わる奇跡が起こったため、それを記念するために ドイツではモミの木をクリスマスに植えるようになったということです。ボニファティウスは、北欧神話の神オーディンに人身御供として捧げられる場面に出くわす。生贄の人が樫の木括り付けられ、周囲の人たちは今にもその命を絶とうとしていた。そこでボニファティウスは、人々を説得し本当の神キリストについて語った。そして、人身御供の必要がないことの証として、その樫の木を切り倒し彼らの家に持ち帰らせた。

これがツリーを飾る始まりという。 
もみの木が最初に飾られた記録は1605年。
ストラスプールという町で部屋に小さなモミの木を立てりんごやお菓子、紙のバラの花を飾った。

  また、16世紀のことです。マルチン・ルターがクリスマス・イブ礼拝の帰り道、森の中で常緑樹の枝の合間にまばゆく輝く無数の星を見ました。その美しさに打たれたルターは、それを子供たちのために再現しようと、家の中に木を持ち込み、火を灯したろうそくを枝にくくりつけたそうです。それから、ドイツではクリスマスツリーが一般的になり、次第に色々なオーナメントが飾り付けられるようになってきました。 クリスマスツリーの習慣は、ドイツからの移民たちによって19世紀初頭にアメリカへ伝えられました。 また、イギリスでは1841年、ビクトリア女王の夫君であるアルバート公がウィンザー宮でクリスマスツリーを飾り付けたのが始まりとされています。 ツリーには必ず常緑樹を使います。この「常緑」、つまり強い生命力をもって一年中葉を茂らせる緑の姿は永遠をあらわし、さらに神の永遠の愛や、イエス・キリストが与える永遠の命を象徴しています。

   他には林檎は、中世の劇にまつわるものがある。
当時「天国」劇というのがあり、その中でエデンの園にあった木をりんごをつるしたモミの木で現し、劇は火を灯したろうそくの中で演じられた。劇をする習慣がなくなった後も、クリスマスのころにはモミの木を家の中に入れ、キリストをウェハースで表し木に飾るのが習慣となった。やがてウェハースは星、天使、花、ベルなどをまねた物になっていく。それが、17世紀半ばになるとろうそくや、きらきらした飾りが付けられるようになる。ツリーは最初、ライン川上流の地域での習慣であった。それが、徐々にドイツ全域に広まり、やがてはヨーロッパ各地に広まる。

  クリスマスオーナメント・林檎(りんご)の由来 ???
キリストが生まれた時、木々はいっせいに花をつけ、果実は実ったといわれています。林檎もまた花と実を同時に付けたそうです。林檎は、神の愛と恵みの象徴であるともいわれ、クリスマス以外でも、北欧の冬の祭などには常緑樹に吊るして神への奉げものにされてきました。スイスなどで毎年行われるクリスマスの為の寸劇で、アダムとイブの智恵の実をあらわす為に、この林檎を木に吊るした事から、クリスマスツリーに林檎を吊るすようになったとも言われています。林檎は、冬に腐りにくく貯蔵も利く果物であり、美容と健康にも役立つものです。

   現代では林檎のかわりに、色のついた小さいボールをもみの木の枝に吊るす。 これは原罪と共に、キリストが与える罪の贖いを思い起こさせる為である。


























    
クリスマスの日に食べるものとは?

  
クリスマス=ターキーというイメージがありますが、これはアメリカの慣わしだそうです。アメリカに渡ったオランダの清教徒が食卓に乗せて以来、クリスマス・ディナーの食卓に並ぶようになったそうです。今では、貧しい開拓時代を支えてきた七面鳥に感謝の気持ちを込めて焼いているようです。

  
19世紀後半にパリで作られるようになったクリスマスケーキ。ブッシュ(薪)の形を作り、様々にデコレーションを施します。フランス語でノエルが「クリスマス」、ビュッシュは「木、丸太」で「クリスマスの薪」の意味。その名の通り薪(または切り株)の形をしていて、基本的にクリスマスケーキとして有名で 美味しく食べられます。

日本でもクリスマス近くになると丸いクリスマスケーキと一緒に長いケーキをお店で見ることが多くなりました。この大きなかまぼこの様なロールケーキをフランスではブッシュ・ド・ノエルと言います。名前の通り、薪をイメージしてありますが、フランスではもう少しカラフルな物があり、ピンクのブッシュ・ド・ノエルも見かけます。

フランスのチョコレートケーキ「ブッシュ・ド・ノエル」

  ブッシュ・ド・ノエルは1870年以降にパリのパティシエによって作られるようになったそうで、今ではフランスの代表的なクリスマスケーキとなりました。なぜ
薪なのかと言うことは様々な説が有ります。一つには 北欧の古い宗教的慣習に(太陽信仰)由来すると言われています。「樫の薪を暖炉で燃やすと一年間無病息災で暮らせる」というYule log(ユールログ)という冬至のお祭りがありました。ユールログの燃えかすには、幸運をもたらす力があると言われていました。この伝統的な祭りとキリストの誕生の祝いとを一つにあわせて、人々は クリスマス・イブの夜に 最初の星を見てからすぐに、御降誕の日から主の公現の祝日まで12日間、大きな丸太を暖炉で燃やすそうです。さらに、ヨーロッパの人々は御降誕のミサ後、12種類のケーキを食べる習慣もありました。それは12カ月の幸せを具体的に表すためでした。

時代とともに、住む場所が狭くなり、昔のままの大きな丸太を暖炉で燃やすことが不可能になった時、昔の伝統的な祭りを忘れないように 木の丸太は 美味しいケーキ (Buche de noel)となりました。 輪切りにしていない長いままのロールケーキの表面をココアクリーム(ココアで茶色く着色したバタークリーム)で覆い、そこにフォークでひっかくようにして波型の筋をつけて、樹皮をかたどります。さらに枝を模したチョコレートや、雪を模したホイップクリームや粉砂糖でデコレーションして、このケーキを作ります。

  パスタの国イタリアの名物は、サンポーネと呼ばれる、豚の足に詰め物をして煮込む昔ながらの料理。また、お菓子ではパネトーネという、パンとケーキの中間の生地にドライフルーツを入れて焼き上げたものがポピュラーだそうです。ドイツではStollen(シュトーレン)というやはりドライフルーツ入りのケーキを食べます。ふわふわしたパネトーネと違い、固くて重い感じのパンケーキです。発祥地はドレスデンとされているようです。

  英国では、ドライフルーツをたっぷり入れた(Christmas pudding)クリスマスプディングが有名です。 フィンランドという国では、トナカイのシチューを食べるそうです。 チェコでは、鯉の内臓で作ったスープ・鯉のフライやポテトサラダなどを食べるそうです。チェコの昔からの言い伝えで、この日(聖なる日)に牛や豚の肉を食べないと金の子豚を見ることができ、この子豚を見るとお金持ちになれると言われているらしいです。また、鯉のウロコを財布に入れるとお金がたまるとも言われています。


    聖ニコラス と サンタ・クロス

   サンタクロースのルーツは4世紀の聖人、聖ニコラスとされています。 聖ニコラスは、裕福で敬虔なキリスト教徒の家に生まれました。彼はやがて成人し、数々の善行を施してミュラの司教になりました。 聖ニコラスは、様々な奇跡をもたらして不幸な人々を助けたことから、子供・乙女、船乗り、学生、パン職人、肉屋等の守護聖者として人気があり、尊敬されたのです。

   有名な伝説の一部を紹介しましょう。 貴族出身でかつては富裕だった父親が3人の娘とニコラスの近隣に住んでいました。財産を失い貧しい生活のため、父親は娘たちを結婚させることができませんでした。そこで、長女が身売りして妹たちの結婚資金を作ろうとしていたところ、これを知ったニコラスは、夜ひそかにその家の煙突から金貨を投げ込みました。金貨は暖炉に干していた靴下のなかに入っていたそうです。ニコラスは2日目の夜、3日目の夜とくりかえし金貨を投げ入れ、3人の娘は結婚できたのです。

   ヨーロッパ各地では、この聖ニコラス祭が12月6日に行われ、クリスマス前の重要な行事として今でも人々に親しまれています。オランダでは聖ニコラスをジンタ・クロースと呼び、13〜14世紀頃からこの日を「ジンタ・クロース祭」として祝いました。子供たちにプレゼントを配りにくる聖人を迎える伝統行事として、17世紀にはアメリカに植民したオランダ人が、現在のニューヨークでこの「ジンタ・クロース祭」を行い、英語読みのセント・ニコラスが18世紀にはサンタクロースとして呼ばれ始めました。つまり、アメリカのニューヨークがサンタクロースの生誕の地となったのです。

 
                 クリスマスのプレゼント

  クリスマスにプレゼントを贈る習慣は、幾つかのことから来ています。聖ニコラスが、人に知られずに困った人へ贈り物をしたこと、また、イエス・キリストの誕生の際に、東方から来た博士(賢人)達が贈り物を携えてきたこと、などです。 さて、クリスマスはイエスの誕生日です。それでは、イエスにバースデー・プレゼントをあげてはどうでしょうか。「でも、どうやって?」 イエスは、次のように言いました。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(マタイ25-40) つまり、困っている人を助けて、誰かに優しくすることは、イエスに対してしていることとなり、こうしてあなたもイエスにバースデー・プレゼントを贈れるのです。

  さて、イエスからあなたへのクリスマス・プレゼントもあるのです! それは、心の安らぎ、無条件の愛、そして罪の赦し、死に打ち勝つ復活と救いの恵み、永遠の命です。 今、心を開いて、そのプレゼントを無償で受け取ってください。ただこう祈るのです。 「イエス様、あなたの愛を感謝します。私のすべてをあなたに委ねます。どうか あなたの愛によって 私の人生を大勢の人にとって役立つものとしてください!」 そうして、クリスマスが、あなたにとって真に意味があり、イエスの深い愛を感じられるものとなりますように。

                  

            僕の心に納めている大好きな神の言葉                  

 
  あなたは私の前に歩み 全き者となりなさい。
  創世記17,1


  私の恵みはあなたに十分です。
  力は弱さの中でこそ十分発揮されるのだ。
  2 コリント 12,9


  私は主、憐れみ深く、恵みに富む神,忍耐強く、
  慈しみとまことに満ち、罪とそむきと過ちを
  赦す神である。  出エジプト 34,6


  私は柔和で謙遜な者だから、私に学びなさい。
  マタイ 11,29


  私は道であり、真理であり、命である。 
  ヨハネ 14,6


  二人または三人が私の名によって集まる所には
  私もそのなかにいるのである。  
  マタイ 18,20


  私は門である。私を通って入る者は救われる。 
  ヨハネ 10,9


  私を離れては、あなたがたは何もできません。
  ヨハネ 15,5


  一人の罪びとが悔い改めれば、
  神の天使たちのあいだに 喜びがある。
  ヨハネ 15,10


  女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
  母親が自分の生んだ子を
  憐れまないであろうか。
  たとえ、女たちが忘れようとも
  私はあなたを忘れることは決してない。
  イザヤ 49,15


  私は、平和をあなたがたに残し、
  私の平和を与える。私はこれを、
  世が与えるように与えるのではない。
  ヨハネ 14,27

  私はあなたを母の胎内に造る前から
  あなたを知っていた。  エレミヤ1,5


  私は世の光である。私に従う者は
  暗闇の中を歩まず、命の光をもつ。
  ヨハネ 8,12


  見よ、私はあなたをわたしの手のひらに
  刻みつける。 イザヤ 49,16


  誰も私の手からあなたを奪う事はできない。
  ヨハネ 10,28


  私はあなた方の中で、いわば
  給仕する者である。 ルカ 22、27


  私は命のパンである。
  私のもとに来る者は決して飢えることがなく
  私を信じる者は決して乾くことがない。
  ヨハネ 6,35


  私は地上から上げられるとき、 
  すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。
  ヨハネ 12,32


  私のいる所に、あなたもいることになる。
  ヨハネ 14,3


  私の言葉があなたがたの内に
  いつもあるならば、望むものを何でも
  願いなさい。そうすればかなえられる。
  ヨハネ 15,7


  見よ、私は戸口に立って、たたいている。
  誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば
  私は中に入ってその者と共に食事をし、
  彼もまた、私と共に食事をするであろう。
   ヨハネの黙示録 3,20


  安心しなさい。私だ。恐れることはない。 
  マルコ 6,50

  

僕が神に言いたくてたまらない聖書の言葉

 


  どうか主よ この僕に聞き分ける心
  をお与え下さい。 列王記 3,9


  主よ、私の魂は夜あなたを探し、私の中で霊は
  あなたを探し求める。
  イザヤ 26,9

  神はとこしえに私の心の岩、
  私に与えられた分。
  私は神に近くあることを幸いとし、私は主を
  避難所としその業のすべてを語り伝えよう。 
  詩篇 73,26-28


  私たちは神の御手にある。 知恵の書 7,16

  私に与えられた主の恵みに、
  何をもって報いようか? 詩篇116,12


  神よ、あなたは私の神。
  私はあなたを捜し求める。私の魂はあなたを
  乾き求める。あなたを待って、私の体は乾き
  きった大地のように衰え 水のない地のように
  乾き果てている。 詩篇 63,2


  主よ信じます。信仰のない私をお助け下さい。
  マルコ 9,24


  主よ、私たちに祈りを教えて下さい。 
  ルカ 11,1


  神よ、罪びとの私を憐れんで下さい。
   ルカ 18,13


  主よ、命の泉は あなたにあり、
  あなたの光に、 私たちは光を見る。
  詩篇 36,10

  神,あなたは心の誠実を喜ばれる。
  知恵の深さを私に教えて下さい。
 詩篇 51,8

  命ある限り、私は主を賛美し、
  長らえるかぎり、私の神に ほめ歌をうたおう。
  詩篇 146,2

   
   




 
   
 




              私の祈り
                                
   かぐわしい香のように 私を燃やしてください
   あなたの愛の 真っ赤に燃える炎で
   あなたの 栄光の祭壇のまえで

   かぐわしい香のように 
   私を焼きつくして
下さい
   あなたへの 賛美と崇拝のうちに
   兄弟たちのための とりなしとして

   私のいけにえの 渦巻く煙は
   なんと あなたのみ前まで立ち上る
   あなたの 栄光の賛美のために 



  神様 あなたは生命のみなもと あなたの為に
  私は喜びのみなもととして生きたい


  神様 あなたは焼き尽くす炎 あなたの為に 
  私は愛の炎となって生きたい


  神様 あなたは永遠のみ言葉 あなたの為に
  私は預言者となって生きたい


  神様 あなたは信仰の息吹 あなたの為に 
  私は希望の宣教者として生きたい


  神様 あなたは愛の力
 あなたの為に 
  私は信仰の証人となって生きたい


  神様 あなたは人類の光 あなたの為に 
  私は教会を照らす光となって生きたい


      (神への道にまかれた小石 グイノ神父作)より

   

   

あなたに打ちあけたい神の言葉

  心に責められることがあろうとも、
  神は私たちの心よりも大きく、
  すべてをご存じです。 1 ヨハネ 3,20


  神に近づきなさい。そうすれば神は
  近づいて下さる。 ヤコブ 4,8


  人にしてもらいたいと思うことを、
  人にもしなさい。 ルカ 6,31


  悪に負ける事なく、善をもって悪に勝ちなさい。
  ローマ 12,21


  思い煩いは,何もかも神にお任せしなさい。
  神が、あなたがたのことを心に
  かけていて下さるから。 1ペトロ 5,7


  あなたは 希望するすべてもないときに、
  なおも望みを抱いて、信じなさい。 
  ローマ4,18


  もしあなたが、神の恵みを知っているなら。
  ヨハネ 4,10


  私はあなたがたを友と呼ぶ。
  あなたがたが 私を選んだのではなく、
  私は あなたがたを選んだ。 
  ヨハネ 15,15-16

  私達は皆、神の満ちあふれる豊かさの中から
  恵みの上に、さらに恵みをうけた。 
  ヨハネ 1,16


  あなた方の命は、キリストと共に神のうちに
  隠されているのです。
 コロサイ 3,3

  あなたがたの天の父が憐れみ深いように、
  あなた方も憐れみ深い者となりなさい。
  ルカ 6,36


  神を愛する者たちには、万事が益となる。 
  ローマ 8,28


  神の前で、自分の正しさを主張するな。 
  シラ書 7,5


  あなたがたの信仰と希望とは
  神にかかっているのです。 1ペトロ 1,21


  福音は信じる者すべてに救いをもたらす
  神の力である。 ローマ1,8


  実に神のみ旨は 
  あなたが聖となる事にある。
  1テサロニ 4,3


私は 神のかば

   神の望みは私たちが完全な者になることです。 が、神の恵みなしにはとてもそんな事は無理だと分かっているので、私は 自分を励まそうと次の文句を自分の部屋の目立つ所に書いています。  「この瞬間のために、神は永遠の昔からわたしをまっている。」 私は いつも、全ての瞬間は 日常生活の出来事と同様に、神が与える恵みの時だと思っています。  しかしその時を上手につかんで、よく実らせるのは至難の業です。  自分のしていることについて考えますと、 ゆだねられた恵みに直面して、夢中になって、まるで 馬のように暴走するか、あるいは無関心、無頓着になって、時の恵みをむだにしてしまうことがたびたびあります。  多分 皆さんも体験された事でしょうが、結局 神がせっかく下さったこの瞬間を、なかなか永遠の値打ちのあるものとして見出せず、かえって 完全さから遠ざかってしまいます。  このように反省して,もう一つの文字を前のと同様に目立つ所に書きました。  それは詩篇73番の22節です。  つまり、「私は愚かで知識がなく、神の前でかばのようにふるまっている」。                                              
   私は 更に 日常生活に起こる出来事やすべての瞬間が、現在 私に与えられている神の恵み, 即ち聞き分けるべき 神のみ言葉だと信じています。  そうしてある意味で これこそ神と私の愛のデイトの場だと理解しています。 しかし思いがけず、時の流れの内に 神を無視したり、忙しいといって神と関係のない活動に打ち込んだり、たびたび 自分を失ってしまったりしがちです。  まるで 河の中に身を隠している河馬のようです。  実は このような自分なのですが、完全な者になりたいという希望を 私は 決して失った事がありません。  今も 私の目の前に浮かんでくる光景があります。  それは、「ファンタジア」という名作の中で、ディズニーがでかいかばの集団を かわいいバレリーナに変え、かばのバレー団が実に驚くべき踊りを演じている様子です。  この河馬のバレー団は シャボン玉の様に軽く、又 「時のダンス」の楽の音にあわせてトゥダンスをし、更に 優美に飛び上がって、なんと踵を打ち合わせてアントルシャを踊るのです。  全く至難の業というべきです。                                                                    

   このことから 私は 次のような確信を得ました。  つまり 不可能と思われる事を ディズニーは実現したのです。  が、神は ディズニー氏より 何倍も上手に、馬鹿なかばのような私が、いつか 三位一体の神のメロディに合わせて、美しく 正しく振舞ったり、信仰の飛躍によって 神のそばへ軽く飛び上がったりするのを きっと 皆さんに見せるでしょう!  多分 まだ長い間、私は 愚かなかばのように 人を傷つけたり、興奮して物をふんだり、回りの人や物にぶつかったりするかも分かりませんが、我慢して、又、皆さんのご指導に 私の固有の努力を加える事によって、重くてごつい私は、いつか 大天使ガブリエルのように, 神に対しても, 人に対しても、ニュアンスのあるチャーミングで デリケートな神父になることでしょう。 これこそ 神 が望んでいる 私の完璧さではないでしょうか? 

                                                   

                                                                             参考に使った本 : 新共同訳聖書 − 聖書思想事典 − 旧約聖書の世界への旅

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