イコンの由来

   イコンの神秘  ・  神の国の美

          
    ポンペイの消像画           ファユムの墓地の消像画        エトルリヤ人の消像画 
 


 
  イコンは 急に現れたものではありません。 それには 数多くの祖先となる芸術があります。 特に、古代ギリシャの神々の「アケロポイエテスーacheropoietes]像、すなわち「人間の手によって作られていない」という 種類の像に イコンの由来を見つけることができます。  例えば、よく知られている エフェソのアルテミス神の像の話ですが、この像が 「香り高い花で飾られて、天から降りて来た」そうです。  有名なプラトンは 「これは迷信だ」と あざ笑いましたが、同時に 「素朴な人々にとっては このような 神々の具体的なイメージが 必要だ」と真剣に 説明しました。

   ギリシャ・ローマの文明は エジプトの死者の肖像画のうちに 最も優れた遺産を 残しました。  エジプトのファイユームの墓地から取り出された 数え切れない数の男、女、子供のミイラは 彼らが生きていた時の様子を 様々の肖像画として描いています。 これが 全てのイコンの祖先ですが、

   同様に イタリアのエトルリア人の墓に 描かれた人物の絵、あるいは ローマ人が 残した ポンペイのフレスコとか、ユダヤ教の会堂の壁画なども イコンの世界を 広く開きました。 19世紀の終わり位に発見され、砂漠の暑い砂と雨の少ない気候のおかげで、完全に保存されたファイユ−ムの肖像画は、プトレマイオス時代から、キリスト紀元後4世紀までのものです。  ギリシャ人が エジプトに伝えてから、次にローマ人が もっと盛んにしたこの描き方は、 キリスト教が 国教となった時に、 皇帝テオドシウスの命令によって禁じられました。  薄い板の上に、あるいは麻布の上に描かれたこの美しい肖像画は 色素−顔料を混ぜた溶けた蜜蝋や暖かいワックスで作られていました。 そして出来上がったミラの顔の上に肖像画を長細い包帯で固定して、支えていました。  人の顔は正面向きか あるいは現代のイコンのように横向きに描かれています。 絵の高さは 35cmを超えません。

   聖ルカが マリアの肖像画を描いた という ありそうもない物語を通して 6世紀のキリスト者が 公に 聖マリアのイコンを 芸術として 誕生させました。  何世紀も過ぎてから ビザンチンの芸術が 生み出した描き方は さけることの出来ない模範として 参考にされました。  同時に、最初から、教会の色々な会議が どうしても 守らなければならない 描き方の規則や基準を決め、それを 聖なる芸術のあらゆる面において、すべての形に適用しました。

ファイユームの肖像画    

  
   さて、歴史をさかのぼって ファイユームの肖像画を見てみましょう。  雨の少ない気候と 砂漠の砂のお陰で 完全に保存されていた ファイユーム墓地のミイラは 19世紀の終わり位に 発見されました。  
紀元前3世紀 つまり (PUTOLEMAIS)プトレマイオス王朝から キリスト紀元後4世紀までのものである この数え切れないミイラは 700年の歴史を語りながら 美しい肖像画を 私達に残して、見せてくれます。

  しかし、キリスト紀元後 379に (THEODOSIUS)テオドシウス皇帝の命令によって 偶像礼拝が 厳しく禁止され、キリスト教が 国の唯一の宗教になりました。  その後、 何世紀にも渡って この肖像画の描き方は ギリシャ人とローマ人によって盛んになりましたが、 残念なことに、自然に 消えてしまいました。  人の魂が 生きのびる為に ミイラは 魂の支えとして もはや 役に立たないので 死者の体を守る必要が 自然に なくなったからです。

  ファイユ−ムの肖像画は じくの付いた鉄筆を使って 薄い木の板、あるいは 麻の布の上に 自然な色素 即ち 顔料(がんりょう)の入った 溶けた蜜蝋や 熱いワックスで作られていました。  この燃えるような 絵画技法は エンカウスティーク(Enkaustik)と呼ばれています。  ローマ時代の肖像画にも この熱い蜜蝋で 木の板の上に描かれたものが 見受けられる事から、この技法の起源は 古代ローマ帝国にあると思われています。  この技法が そのまま古代ローマの影響下にあったエジプトに 受け入れられたと 推測されます。

  人が生きている内に 描かれたこの肖像画は その人が ミイラとなった時に その人の頭の高さのところに 細長い包帯を巻いて、支えていました。  大抵の肖像画は 前向きですが のちに 今は キリスト教的なイコンが 示すように 度々、3分の2の横向きも描かれています。  各肖像画の大きさは 35センチを超えません。

  面白いことですが 人が生きている内に 必要に応じて 既に描かれた肖像画は 小さな変化や修正を時々、受けていました。  たとえば、若い人の顔に ひげを加えたり、婦人の首に首飾りをつけたり、大人の黒い髪の毛が 白く変えられたり 又は はげ頭になって しまったりしました。

ユダヤ教のフレスコ画

  
 イコンの歴史について話すと、たいていの人は 
イタリアのエトルリア人の墓に 描かれた人物の絵、あるいは ローマ人が残した ポンペイのフレスコ、 又は 様々なカタコンベの壁に残っている 数え切れないフレスコ画を参考にします。  しかし イコンに強い影響を与えたものは ユダヤ教のフレスコ画の芸術です。

   昔  最初のキリスト者は エルサレムの巡礼をした時 記念に ユダヤ教のフレスコの絵をかいた 油の器を 持って帰りました。  そのお陰で 北アフリカ、中東アジア、ヨーロッパが 知らず知らずのうちに ユダヤ教の描き方の影響を受けました。  このように 最初のキリスト教的なイコンは エジプト、ギリシャ、ローマの芸術の影響を受けながら、特に、ユダヤ教のフレスコ画の知識をも 受けついで いった と思われます。

 聖書が 絵と挿絵を禁止しても 紀元前332年から ユダヤ教の世界は 絵と挿絵で 自由に現わすようになりました。  旧約時代の出来事を思い起こさせる イメージは 会堂の壁を覆うようになり、面白いことに その描き方は 自分の特長を持ち、地中海の どこにでも ある ギリシャ、ローマ、エジプトの影響を 全く 受けていませんでした。

  例えば キリスト紀元後3世紀のシリヤのドウラ−ヨロポス(doura-europos)のフレスコ画を見ますと、描かれた人物の姿勢に キリスト教的な美術品の主題となる材料を 見つけることが出来ます。このように、天の方へ 高く上げられた手は 普通 祈りや奉献や委ね、又、心の喜びと永遠の幸せを示します。

  服の下に 隠された手は 大抵 人の礼拝と聖なるものに対しての尊敬、又は 偉大な人物に対する 謙遜の態度を示します。
  服のひだ のとり方は 責任と権威、社会の中で 人が持っている立場や階級を表します。
 最も責任のある人は ローマ皇帝のように 王座に座ったまま、自分の足を 小さな足台に置いた姿で 描かれています。

  自分たちの会堂のフレスコのデコレーションに慣れていた キリスト者となった ユダヤ人は この会堂の芸術と ローマやギリシャの芸術を混ぜて 今度は キリスト者が集まる家の壁、あるいは 祈りの場所とカタコンベの壁も 同じように 綺麗に飾るようになりました。

 
皆さんが 今ご覧になった 3世紀のユダヤ教のフレスコの特長は 後の時代に 生まれて来るイコンに 見受けられます。 確かに ローマのカタコンベで見付ける キリストの最初の肖像画の由来は ユダヤ教の芸術に 根を下ろしています。

聖ルカとマリアの肖像画の関係とは?



ホディグイトリア


エルエサ


プラティテラ

    6世紀の伝承によると ルカは マリアが生きていた時に 彼女の実物をモデルにして 3回その肖像画を描きました。  たとえ、その可能性があったとしても マリアは きっと年老いた人だったに違いありません。  この信じにくい話は 忘れましょう。事実は 次のような事だと思われます。  多分、若いマリアの 三つの肖像画を描いた人は、おそらく、エジプトのいんとん者で ルカと呼ばれていた ある司教でした。

   初代教会は 初めから 救い主、あがない主の母マリアに 特別な立場と身分を与えました。  次々の世代が それを守りながら、規則として決めました。  そして 偶然 福音史家 ルカの伝説が 現れた時代に 教会は (テオトコス)即ち 神の母として マリアの役割と立場を 神学的に強調していました。 それで フィクションと 事実とを はっきり 分けることなしに ルカによって描かれた これらの 三つのマリアの肖像画は ギリシャとロシアの東方教会にとって 真似るべき 全てのイコンの模範となりました。

  よく知られているイコンの 最初のモデルは ホディグイトリア(hodiguitoria)即ち 「道を教える方」と名付けられています。  前向きのマリアは 一本の手で ひざの上にイエスを支え、他の手で 従うべき道であるイエスを示します。  キリストは 右の手で 私たちを祝福し、彼の左の手は 自分について預言された一つの巻物を持っています。  それは イザヤの書と思われます。  この巻物は 特に、キリストが マリアから生まれた 神のみ言葉であることを現します。

   第二のモデルは エルエサ (elouesa)  即ち「あわれみの母」「いつくしみ深い母」と名付けられています。  私たちを見つめている マリアの顔は 人間に対する神の優しさと 慈しみを 現そうとしています。  母マリアを見つめている 幼子イエスは マリアの腕の中に 避難所を見つけようとします。  あるいは、彼女のマントを 引張って、 マリアの方へ 手を伸ばして、その母を熱心に誘うのです。  それは 自分のあわれみといつくしみを マリアを通して 私たちの上に 与えるためです。  そこで マリアの手は イエス自身が あわれみと いつくしみの泉であることを 示しています。

   第三のモデルは プラティテラ(platytera) 即ち「祈っている母」又は「印の母」とも名付けられています。  マリアの胸に 描かれたイエスの姿は、全ての祈りが 主キリストの取り成しによって だけ 神に捧げられていることを はっきり示しています。  そこで 司祭のように 手を高く上げてマリアは 、私たちも一緒に 主の名によって 祈るようにと 誘います。又、マリアの胸に描かれたイエスの姿は 祈りたい人が、まず、マリアのように 神の御言葉を 絶えず 心に思い巡らす 必要性がある と教えています。

さて、ビザンチン帝国のイコンの芸術とその政治体制との関わりを肯定的に考えなければなりません。  エルサレムの破壊の後に それに加えて 野蛮人によって略奪され、破壊されたローマは衰退期でも あったのです。  確かに コンスタンチノープルが 「信仰の新しい都」であると共に 「新しいエルサレム」となりました。  聖ソフィア聖堂の聖別式の時に ユンスタンティヌス皇帝は 次のように宣言しました。  「私が これほど素晴らしい聖堂を建てるのに ふさわしい者だと 思われた神を 賛美します。  私は 見事に ソロモン王の神殿の美しさを はるかに越える聖堂を建てました。  私が 確かに ソロモン王に 打ち勝ちました」と言ったのです。  それにも増して、西ヨーロッパは 長い歴史の間に コンスタンチノープルの芸術や ビザンチウムの文化を ほとんど 無視していました。  理由は 様々あります、 例えば 典礼と聖なる芸術に対する 規則と基準の厳しさが ヨーロッパのキリスト者の 自由と自発性に 合いませんでした。  更に、終わりのない 神学的な議論や ビザンチウムの皇帝の 政治体制や そして 特に 1054年の東方教会の カトリック教会からの 分裂の出来事の影響も ありました。

 
 ところで、聖ソフィア聖堂を作った時に 雨が良く降りましたそうです。  建物を守るために 非常に大きなテントのようなものを 作って、掛けていました。  このテントは イコンの芸術の主なシンボルとなって、人に上に 神の守りがある とか、人の上に恵が注がれている とか、あるいは 描かれた場面が 建物の中で行われている ということを示すようになりました。 例えば 描かれた 神のお告げを受けているマリアの上に、 あるいは エルサレムの神殿の上に掛けられている 赤いベールが それを表しています。 


  このように、帝国と教会の頭として、コンスタンチノープルの皇帝が イコンに重大な影響を与えました。 Christ Pantocratorパントクラトルのキリストは 皇帝の姿を思い起こさせます。
赤い
や 青いマントーは 皇帝の権能の印であり、右肩に置かれた「クラビクルムclaviculum」即ち 黄色のバンドは 軍隊の指揮する人や 階級の高い人の印であります。  また、当時の 有名な貴族の若者が 自分たちの長い髪の毛を 細長いひもや ヘヤーバンドで 頭の後ろから支え、結んだので このファションが イコンの天使と 大天使のものになりました。 天使たちの細ひもの はしは、 特に 神に対して 耳を傾けている姿勢と 従順の態度を 表すものとなりました。 

  さて、皆さんがよくご存知のように、旧約聖書の教えが 「今まで 人の目が見なかったものを再生すること、そして それを示すために 作られたものを 礼拝することを 厳しく禁止しています」。  しかしながら 神の子イエスが人間になりました。  その上 キリストの人間性と神としての神性が 切り離せない状態なのです。  更に、イエス・キリスト自身が 「私を見る者は 私を遣わされた方を見るのである」とか「私を見た者は 私の父を見たのだ」(ヨハネ12451419)と言われた時 ある意味で 御自分が 最初のイコンとなられたわけです。 これについて、考えましょう。  普通の絵は 額 あるいはフレームで囲まれているので 窓から見るように 限りのある世界だけを見せるのです。  したがって、私たちが生きている地上の世界も 神の霊的な世界と比べると 取るに足りないものです。  かえって、全くフレームのない イコンを通して  霊的な世界の門が 私たちのために 大きく開かれているのです。  そいうわけで 全てのイコンは 礼拝するものではなくて、むしろ イコンが 現そうとしている 神への礼拝の誘い となるものです。  同様に、 私達が イコンを見るのではなくて むしろ 神が 私達を御覧になる という事実をも 理解する必要があります。

                     イコンの色の意味

   さて、東方教会の色の意味は ヨーロッパとは 全く違います。 東方教会にとって 赤色は 命と豊かさを現しながら 戦争と戦いや 悪に対する勝利をも 表しています。  この色は 大抵 イコンの背景として 使っているのです。 青い色は いつも 神の知恵を現しています。  この色は、神がとどまる天の世界を思い起こさせますから。  特に 三位一体の神とキリストの衣のために この色は良く使われています。 緑色は 神によって造られた 宇宙万物の創造 と 人の若さを示しています。  東方教会にとっては この色は 特に、殉教者の服の色として 決められています。  白い色は 神の神性、神の啓示、神の光を現しています。 主の変容、主の復活、そして神と出会った人の 内面的な霊性や 神との親密さを現しています。

三位一体のイコン

    皆さんが きっと、アンドレイ・ルブリョーフの美しい三位一体のイコンをご存知と思います。  父と子と聖霊の神の 神秘を示している 3人の天使が お互いに見つめ合って、自分たちの前に 空いた空間を残しています。われわれ各人が その空間にはいって、座って、そして、三位一体の神の眼差しのもとで ゆっくり神と出会い、親しく分かち会うように 招いています。

   モスクワから80キロメートル位、離れている ザグロスク(Zagorsk)という町に 有名な三位一体の修道院があります。  特に 修道院の教会のイコノスタシス (iconostasis) の為に このイコンは 描かれました。  ギリシャとロシア教会の特長であり コノスタシスと呼ばれているものは 東方教会の身廊内陣の間仕切る聖なる壁です。  即ち、教会の入り口から 祭壇にかけての中央部分と 司祭がおこなう 主の晩餐の祭儀の 聖所を分け隔てる壁です。  その壁には、沢山のイコンが 順序よく 並んでいますので イコノスタシスと呼ばれています。  壁についている戸の上にある 第一のレベルが デイシス(Deisis)と呼ばれ 中央にあるキリストを囲んで、マリアと洗礼者ヨハネ、又、有名な弟子たちのイコンが 見うけられます。  その上の 第二のレベルに 東方教会のおもな祝い日のイコンが並んでいます、  第三のレベルには 預言者と 旧約時代の人物のイコンが 飾られています。

  さて、イコノスタシスの一番下のレベルで 中央に付いている 2枚のドアは 王の門 又は 天の門と呼ばれています。  その右側と左側には もっとも大切なイコンが 置かれているのです。  例えば 修道会の創立者、または、教会の保護者、あるいは 教会の主な祝い日を現すイコンが 必ず、「王の門」のすぐそばに  置かれています。  アンドレイ・ルブリョーフの三位一体のイコンは 王の門の右側に 飾られています。


  1422年と1427年の間で、祈りのうちに描かれた このイコンは 聖書の創世記に述べられている アブラハムのもてなしを 土台としています。  三人の不思議な旅人が 年をとったアブラハムの世話を受けた後 彼に一人の息子イサクの誕生を約束し、告げます。  「私たちは 来年 ここに戻って来る。  その頃、あなたの妻サラには 必ず 男の子が生まれている」と言いました。   昔から、伝統的なイコンは もてなす為に、大急ぎで準備する アブラハムと その妻サラが 天使のように描かれた 三人の不思議な旅人の左側と右側に 立っているのを描いています。  又、度々、整えたテーブルの前で 一人の召使が 子牛をほふっています。  そこで 三人が イサクの誕生を告げます。  面白いことですが、伝統的なイコンには 時々 ほふられた子牛の場面の代わりに ずっと後で 行われるはずの アブラハムが イサクを いけにえ にしようとする 場面が 描かれています。  このテーマは ルブリョーフのイコンの中に浮かんでいます。  キリストの誕生の計画を話し合っている三位一体の神は 同時に キリストの十字架上の いけにえ を 話題にしています。  イコンの中心となっている祭壇と杯が それを具体化します。  


  見えない円は イコンの三人の天使を 組み入れています。  この三人は ことなる三つのペルソナを保っています。  つまり 父と 子と 聖霊の神としての アイデンティティと性格を そのままに 
唯一つの同じ実在の中に 入れています。 このように 三位一体の神の一致が 示されています。 更に、シンボルとして、初めと終わりのない円は いつも 神の無限と永遠を現わし、又その絶対的な聖性と完全さをも現わします。  真ん中の天使の手が ちょうどこの円の中央に置かれています。  それは 神が 全てを支配し、全てを成し遂げられる という意味です。  天使の特長であリ、注意深く、耳を傾ける人のシンボルである 細長いヘヤーバンドが 三人の頭に結ばれています。  確かに、三人が お互いのことなる特長と アイデンティティを尊敬しながら 注意深く 話し合っている話題に 耳を傾けます。  その対話の内容は 救いの杯に違いありません。  この小さな杯が ヨ−ロッパ風の祭壇の上に置かれていますので 何よりも先ず、ミサ祭儀を思い起こさせます。 又、このイコンは 東方教会のイコノスタジス(iconostasis)の主なパネルですし、その後ろに 司祭たちが ミサを行っている事を 決して忘れてはなりません。

    その上 目に見えない杯も イコンの中に示されていて、聖書の言葉を思い起こさせます。「あなたは、私のために体を備えて下さいました。  あなたは、罪をあがなう 焼き尽くす献げ物 や いけにえを 好みませんでした。 そこで、私は言いました。 ご覧下さい、私は来ました、御心を行うために。」(ヘブライ人105-7)。 
    ですから、目に見える杯と 目に見えない杯は ミサ祭儀 即ち、キリストの晩餐と共に キリストの受難を 思い起こさせます。


  教会の歴史を知らない人々が イコンの祭壇のうちに、あるいは、祭壇の前にある小さな窓のうちに 宇宙万物のシンボルを見分けますが 彼らは 大変間違っています。  事実、あがないの杯を支えるこの祭壇は ロ−マにある 聖アレクサンダーのコンフェシオ(confessio) と呼ばれる 5世紀の祭壇に 良く似ています。  祭壇の前に 開けてある 小さな窓のような場所には 巡礼者の崇拝の為に 普通 殉教者や 聖人の遺体、あるいは  聖遺物を入れます。  つまり、迫害の時から キリスト者が 殉教者の墓の上に建てられた祭壇の上で 主の晩餐の祭儀を祝う習慣がありましたから、次々の時代の信者たちも その伝統的なやり方を こんにちまで つづけました。  わざと イコンに描かれた この種類の祭壇が 前もってキリストの受難と キリストの墓を示します、又 この祭壇が カトリック教会の特徴を はっきり現わしますので 「東方教会が もう一度 西方教会との一致の恵みを味わうように」 という ルブリョーフ自身の希望を表現しているものだ と思われます。


  さて、三人の天使のように描かれた 三位一体の神を見てみましょう。  天使の顔が 非常に似ている理由は 三位一体の 各ペルソナが 神として同じ性格、同じ神聖を 持っているからです。  しかし 父と 子と 聖霊の役割が 違っているので、天使たちの姿勢が 別のやり方で示されています。役割が それぞれ違っていても 三人とも 唯一つの目的を目指して 一致しています。  さて、父と子と聖霊の座る場所について 様々な説明がありますが 私は、ギリシャ教会の教えを 土台とすることに 決めました。

  右の手で全てを納め、全てを完成する 中央の天使は  父なる神であり、その右側に座っている天使は 聖霊であり、 父の左側にいる天使は イエス・キリストです。  これは イコンの上にある 三つの明白な印によって 示されています。


   先ず、大きな岩があります。 聖書全体の伝統的な教えによって この岩が いつも 土台になるキリストを現します。  この岩が わざと、キリストを示す天使の頭の上に 置かれています。  従って 左にある建物は、聖霊の神殿である キリストの教会を現すので 左の天使の頭の上に 置かれると 聖霊を現しています。  更に、中央にある木は 創造の物語の命の木でありながら、その緑色は 特に 創造主である神をしますので 中央の天使の上に 描かれているのです。  その上、三人の天使が 着ている服の色も その立場を表しています。 

  中央の天使はローマ皇帝、あるいは コンスタンチノープルの皇帝の青いマントーと 赤の衣を着ていますし、また、皇帝のシンボルであり、黄色のクラビクルムが(
claviculum) 彼の右肩にかけられています。  典礼を行う時 父なる神の名が いつも最初に言われているから ちょうど イコンの中央に父なる神が描かれています。

  父なる神の左側に キリストが父のような青いマントー とやさしい、うすい緑色の衣を着ています。  青い色は 英知のシンボルであり、緑色は 自然を表します。  ここで、受肉された知恵、人間になったみ言葉、創造と宇宙万物を 新たにするキリストが 示されています。  が、決して忘れてはならないことは 東方教会にとっては この緑色は 殉教者の服の色として 決められていることです。  ですから この色は あがないのいけにえ となる キリストに もっともふさわしい色です。

  右の天使の服は はっきりしない色、又は 言い表せない様々の色を通して 聖霊の神秘を現そうとしています。  確かに イコンの技法、即ち 約束ごとに 聖霊のシンボルとなっている色は 全くありませんから。


  三人の顔の美しさと 平和な安らぎを現すために ルブリョーフは 彼らの首と服のデコルテを 良く見せています。  大きな輪の中に描かれて、非常に似ている三人が それぞれのものを見ているのです。  父なる神が 頭を少し聖霊のほうへかしげて 彼を御覧になりますが、父の体は 御心にかなう 愛する子 イエスのほうに向けられているのに 目を留めましょう。  イエスの生涯にわたって 彼の使命を教え導き、支え、特に、受難の時に 力づける聖霊は 確信と柔和を与える眼差しで キリストを御覧になります。  キリストは ご自分の従順を現すために 聖霊の方へ頭をかしげますが 彼は 注意深く 杯に中にあるものを 御覧になります。この杯の中身は 過ぎ越しのほふられた 子羊ではなく、 むしろ受難の時のキリストの顔の姿です。  ここでも、又 キリストの誕生の深い意味と目的が はっきりと示されています。
 

この杯の中身は 過ぎ越しのほふられた 子羊ではなく、 むしろ受難の時のキリストの顔の姿です。  ここでも、又 キリストの誕生の深い意味と目的が はっきりと示されています。


  さて、父なる神と 聖霊の右の手が キリストと祭壇の杯の方へ向いています。  彼らが キリストの使命の保証人ですから。  二人の右の手は キリストの名で 祝福を与えます。  二人の手の指が 独特の状態で描かれています。 それがイエス・キリストの名前の最初と最後の字を現すためです。 即ち IC と XC を現します。  右の人差し指と曲がっている中指は I と C を現します。  薬指と親指がX という字の形を示すために 交差しています。  最後に 小指は 少し曲がった状態で Cを現しいています。


  三人のペルソナ皆が 左の手で 細長い杖を持っています。  これは 大抵の人が 思っているように 王しゃくや 王の杖ではなく、むしろ、旅人や 巡礼者の杖です。この杖の先にある 見えにくい物は 靴に付いた泥を 落とす為の「へら」です。  この三人の旅人は サンダルをはいています。

  三位一体の神は 自分たちの前にある空間に 私たちが 彼らと共に座るように誘っています。  疑いもなく、座る前に 私たちが 日常生活の泥を自分たちの靴から落とすように 神は 望んでいます。  そうして、このイコンが 紹介している 三位一体の神秘から、御言葉の受肉の神秘へ、 イエスの従順の神秘から キリストのあがないの神秘にまで 彼らと共に ゆっくり歩むように 私たちを招いています。  さあ、皆様、巡礼者になって、このイコンが 開く 限りなく美しい 神の愛への道を 歩きましょう。


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