内容 : −1−神の眼差し
      −2−キリスト教的なシンボル

                

見よ、主は御目を注がれる、主を畏れる人,主の慈しみを待ち望む人に。   詩編33,18


 
   
        宇宙万物の創造から神は ご自分で造られたすべてのものをご覧になる 。  「見よ、それは極めて 良かった」(創世記1,31)。 神は 良い方だからこそ、神の眼差しも良さを持っている 。  神は 度々人間と彼らが 住んでいる環境を見ることが大好きだ 。  慈しみと哀れみの眼差しをもって 神は 絶えずご自分の創造を祝福する 。  また、ご自分の救いの計画を実現するために、神は 「天から人々を見渡し、目覚めた人、神を求める人はないかと探される」〔詩編53,3)。  このような人を見つけると 神は すぐ彼に呼びかけ、彼に特別な使命や役割を与える 。

   世界の歩みを見守るために、神は 「その聖所、高い天から見渡し、大空から地上に目を注ぐ 〔詩編102,20〕。  神の目は 全てを見抜いている。  神は人のはらわたと心を究め、正義を持って正しく裁く主である。  神は隠れた善と悪をよく見てから、それに対して豊かな恵み、あるいは 正しい罰を下す。  もし 神が見えなかった振りをするなら、それは いつも人が自分の過ちについて反省するため、又は、自分の犯した罪を はっきり認めて 悔い改めるためである。  このように、罪を犯して 自分を隠したアダムに 神は 「どこにいるのか」と問いかける。  弟を殺したカインに対しても 「お前の弟アベルは、どこのにいるのか」と 神は たずねる(創世記3,9と4,9)。  神は また、次のように言われる。 「私は 人間が 見るように見ない。 人は 目に映ることを見るが、私は 心によって見る」(サムエル記上16,7)

 主は悪事を行う者をご覧になっている、沈黙なさらないで下さい。主よいつまで見ておられるのか。
詩編35,17-19) 

 
  
             慈しみ深い神は 平気で、無関心に世界の歩みをご覧にならない。 むしろ 敏感になって それを見てから 適当に行っている。 罪をはじめ、不正、偽り、偽証,盗み、殺意、などは 神の厳しさを引き起こす。  苦しんでいるひと,泣いて悩んでいる人、貧しくて乏しい人は かえって 神の憐れみの眼差しと共に 必要な助けや救いを受ける。 「私は、エジプトにいる 私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ 彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 それゆえ、私は下って行き、エジプト人の手から彼らを救い出す」(出エジプト記3,7-8) 。

   父なる神を啓示されたイエス・キリストも 神と同じ眼差しを持っている。 イエスは 父なる神のように 人の心にある悪い考えや恨みやねたみなどを 簡単に見抜く。 また人の隠れた罪を指摘し、同時に人の信仰を発見して皆に見せる(マルコ2,1-12)。 イエスは 愛を持って苦しんでいる、泣いている、悩んでいる人に 救いの手をのべ、金持ちの青年、罪の女にも 同じ愛の眼差しを注がれる。 更に、イエスは 最初から,信じない者たちが だれであるか、また、自分を裏切る者が だれであるかを知っている。 イエスは、前もって 受けるべき受難を見、弟子たちに その内容と展開を説明する。 復活の出来事も、また ペトロの離反をも 同じように前もって見、教え、予言する。

     

  イエスは 大勢の群衆を見て、飼い主のない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。                                                                 マルコ6,3

                                   

  
   人間と彼の業の上に 注がれている神の眼差しは 必ず その人とその業を 真理の光に引き寄せている。 この光のなかで 人は、自分を見つめ、心を変えようと 神の方へ進むか、自分の過ちの暗闇に,頑固に閉じ込むかを 自由に決める。 神の眼差しは裁きではなく 人々への 救いの呼びかけであり、改心するための 招きである。 「。。。あなたたちの中で 罪を犯したことのない者は、まず、この女に石を投げなさい。」・・・「婦人よ、だれもあなたを罪に定めなかったのか? 私も・・・行きなさい。 これからは、もう罪を犯してはならない」 (ヨハネ8,1-11)。

   人は 神から裁かれるのではなく、自分の決意で 裁き 又は 救いや罪の赦しを選ぶ。 とにかく、憐れみ深い神は あきらめずに 人の回心を望み続ける。 神の眼差しは 愛でみたされて いつも人間を立ち上がらせる力と希望となるからである。 「さあ、ここを立ち、父のところに帰ろう・・・ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走りよって首を抱き、接吻した」(ルカ14,18-20)。
      

    


神のまなざしは
私にそそがれる
まるで 贈り物のように
いつくしみと 愛をこめて。

私は目をあげる
私にむかって つつましく
まるで 小さい子供のように
お父さんに すべてを期待して。

神と私のまなざしが 出会う時
言葉は もういらない
大昔から 知り合っている人のように
たった一つのまたたきで
 大切な事が分かり合う。

神を知るる事 
ちょうど 神が私を知っておられるように
神を愛すること
 ちょうど 神が私を愛しておられるように
神を見つめること
 ちょうど神が私を見ておられるように
神の内にとどまること 
ちょうど神が私の内におられるように。

(神の栄光を歌う真珠の首飾り グイノ神父作)より

神のまなざしが きみに
優しく向けられているのと同じように
なんと きみのまなざしは
いゆも神に注がれていることか

神の両手が きみを支えるために
きみに向かって
 グッと伸ばされているのと同じように
なんと きみの両手は捧げ物として
神に向かって高く挙げられていることか

きみの祈りを聞き入れようと
きみのほうに傾けられている
 神の耳と同じように
なんと きみは神の言葉に
耳をそばだてていることか

なんと きみの行いと言葉は
神のみ業とみ言葉を映していることか
きみは 神に似た者として造られたから


(神への道にまかれた小石 グイノ神父作)より
キリスト教的なシンボル
           初代教会のシンボルについて 「祈り」のページーを御覧下さい。




          
           四旬節のシンボル 赤毛の牛と 驢馬 (ロバ

   御降誕の場面には 赤毛の牛と驢馬が幼きイエスのそばに立ち会っています。 これは 「牛は飼い主を知り、驢馬は主人の飼い葉桶を知っている。 しかし、イスレルの民は 私を知らない。」(イザヤ13) という 神の言葉を思い起こさせるためです。 それに従って、キリスト教のシンボルとして、赤毛の牛は 異邦人を示し、驢馬は 異教徒を現わします。 又、モゼの時代に 赤毛の牛は生まれたら、この牛は いつか 必ず 焼き尽くすいけにえとなり、イスラエルの民の罪の許しを得るために その灰を清い水に混ぜた後 清めの式の時に 祭司は 国民全体の頭の上に注がれる習慣がありました。 その理由で、キリスト教のシンボルとして 赤毛の牛は キリストのあがないの神秘を表します。(民数記 19210)。 カトリック教会の 灰の水曜日の式の由来はここにあります。

   更に、 キリストは エルザレム入城所の時 驢馬に乗っていたし、そして驢馬が 茨やアザミやある種類のとげを持つ草を食べる習慣があるので 自然に 驢馬が キリストの受難、あるいは 聖週間を思い起こします。 
(茨の冠や 十字架の釘や キリストのわき腹をやりで突くことなどを思い起こす)。その理由で、驢馬は 特に キリストの救いの神秘のシンボルとなりました。

         
            復活のシンボル 不死鳥 (火の鳥・フェニクス) と 蝶

   昔の伝説によると 不死鳥は 長年満ちると自らを炎の中に身を投じ、やがてその灰の中からよみがえり、新たな一生を始めるそうです。  自然に1世紀の初代教会のキリスト者は 死からの復活と、永遠の生命の死に対する勝利という特別な意味から、この神秘的な鳥を キリストの死と復活のシンボルにしてしまいました。

   どように,蝶は全ての人の復活のシンボルとなりました。  これは毛虫、さなぎ、蝶 という変化の3段階が、それぞれはっきりと 人間の生と死と復活のシンボルとなることに由来しています。  一方、蝶は古代には 魂のシンボルでもあります。  キリスト教の美術では蝶は 「魂と復活)という この二つの役割を良く現わします。


               キリストの聖体のシンボル ペリカン

   俗説によれば、ペリカンは 自分の子らに愛情を注ぐ動物の中でも最も愛情こまやかであって、自分の胸をつついて引き裂き、その血で子を養うという。そこから全人類への愛の為に、自分を十字架に犠牲としたキリストのシンボルとなり、ひいては聖体の秘跡をも象徴するようになった。


              聖霊降臨のシンボル 牡丹(ボタン)の花

   5月に咲く「花々の女王」とも呼ばれる牡丹の花は 昔から出産の時に薬として使われていたので 教会の誕生の祝い日にぴったりのシンボルとなりました。 実は、「聖霊降臨のばら」というもうひとつの名で知られている 牡丹の花は 5月に 即ち、聖霊降臨の時期に当たって咲きますので、自然に その祝日のシンボルともなりました。 この花は シンボルとして特に、聖霊の豊かさ、愛、真理、穏やかさ、敬意を表し、又 永遠の命と幸福の充満さを表します。




        教会のシンボル 石榴(ざくろ)と 孔雀(クジャク)

   1つの実の中に無数の種がはいっていることから、石榴は 一般に教会を暗示しています。又各々の種は 香り高く、豊かな赤い果液で囲まれているので、 キリストの受難を思い起こさせると同時に キリスト者が 一つの信仰に集められて、キリストの血の中で清められ、あがなわれていることを思い起こさせます。 このように、石榴という果物は キリストの教会の一致をも表し、教会の中に 救いが実現されていることをも表します。

  昔のうわさに基づくと 孔雀の肉は腐らないと言われているので 孔雀は 不死や復活を象徴しています。 また 孔雀の栄光ある尾羽の「百目」は「全てを見る」聖なる教会をよく現わしますので、そのシンボルとなりました。 更に、羽毛は年毎に生え変わり 尾羽を広げると後光のように見えることから 孔雀は教会の持っている栄光と聖性のシンボルとなっています。


          知恵、修道者、目覚めて祈る人のシンボル ふくろう

    ふくろうは、暗闇に隠れ、光を恐れるところから、ある時代に 暗闇の主サタンと魔女の世界を示すシンボルになりました。悪を追い出すために、ヨ-ロッパの田舎の迷信深い人々が自分の家のドアに ふくろうを 釘で付ける習慣がありました。ここに、悪に打ち勝ち、人類を救うために犠牲となったイエスの姿を見分けることも出来ます。しかし、ふくろうの古代からの意味は 知恵であり、ギリシャのアテナの女神を初め、神の知恵であるキリスト自身と 神の英知を受けたカトリック教会の博士の表象とシンボルとして有名です。更に、ふくろうは 孤独のシンボルであり、特に隠遁者や修道者の生き方を現わします。また、ふくろうの夜の活動は 自然に、真夜中に目覚めて祈る人々、キリストの到来を目覚めて待ち望んでいるキリスト者のシンボルとなりました。


魂、説教術、教会、マリア、体の復活のシンボル みつばち(蜜蜂

   蜜蜂は その勤勉な習性から 活発、労働、勤勉、良秩序のシンボルとなりました。キリスト教のシンボルとして蜜蜂は 特に魂の活動を現わします。又、蜜を作り出すことから、甘美、説教術のシンボルとも知られています。 それから、その雄弁が蜜のように甘美であったと伝えられる聖アンブロシウスや聖ヨハネ・クリソトモス,聖ベルナルドのアトリブュート(表象)とみなされています。

  同時に蜂の巣は敬虔で統一のとれた共同体のシンボルともされています。更に、その優れた習性によって 蜜蜂は聖母マリアの処女性を象徴することもあります。古代の伝説によれば、蜜蜂は決して眠らないことから、キリスト教では時に用心と美徳の追求の熱心さを暗示することもあります。最後に、冬の時に蜜蜂が 姿を隠して、
3ヶ月位巣から出ません。 そして、急に 春と共に蜜蜂が現れますから キリストの復活を思い起こさせ、体の復活のシンボルとして キリスト者の墓の主な飾りとなっています。


   無原罪、純潔、殉教と偽善のシンボル 白鳥 (はくちょう)

    ギリシャの神話を参考にすると 純潔で、優雅なこの鳥は まず 神の見えない現存の印であり、又は 王権のシンボルであり、純潔や清さのシンボルであります。従って、白鳥は 天にある世界の清らかさ、あるいは 神の光、神の愛、神の聖性の印となりました。 当然 カトリックの芸術は この白鳥を 神の母、聖霊で満たせれ、神と共にいる、天の后の聖母マリアのシンボルとすることに決めました。 更に、白鳥は 羽毛の純白の下に黒い肉体を隠しているので マリアは 原罪から守られていたことのシンボルであると同時に、偽善のシンボルでもあります。 死ぬ時に 白鳥は必ず歌うという伝説から、賛美を捧げながら、死を迎える殉教者達を表すこともあります。


       死、不死性、命の木のシンボル 糸杉 (いとすぎ)

     ギリシャの神アポロの友人キュパリッソスは 愛鹿の死を悲しみ、そのあまり糸杉に変身しました。 アポロはそれゆえ、この木をいつまでも嘆き続ける木としました。 その異教のイメージが 直接に反映して その木は 死のシンボルとして キリスト教美術によく表現されています。黒い葉、あるいは一度切ると決して再生しないなど、死を思わせる理由は様々に考えられます。特に、ヨーロッパでは 糸杉の木は 墓地の明白な目印となっています。その上、昔から、死者の棺は 最上の糸杉で作られています。 

しかし、糸杉は 逆に、常緑樹であること、天に向かって細く、まっすぐに伸びることなど、不死性のシンボルとも考えられました。『私は命に満ちたいと杉』(ホセ
149)『レバノの栄光は、糸杉、もみ、つげの木と共に、あなたのもとに来て、私の聖所を輝かせる』(イザヤ6013)という聖書の個所において命と結び付けられました。 更に、ビザンティン美術では 糸杉の木は キリストの十字架、永遠の命の木の目に見える印となりました。 最後に 糸杉は アダムとエヴァが失われたエデンの園を示し、また 死後の命の不滅のシンボルとなりました。


     天の国,信仰、英知、キリストの勝利のシンボル 真珠

   地上の宝物の中で最も貴い宝石とされている真珠は、古代のギリシア人にとって愛と結婚生活のシンボルでした。 初代教会の信徒が それを 神の救いのシンボルとしました。 マタイのキリストの言葉の引では、全財産で手に入れるべき天の国を表し(1345)、豚に真珠のたとえでは(7,6)、信仰と英知のシンボルとなったのです。 また、黙示録の新しいエルサレムの12の門は、それぞれ1個の真珠で出来ており、この都を飾る他の宝石と共にキリストの勝利を表します。 更に、真珠は、カキの殻の中に隠れているので 当然 真の謙遜と霊的な完璧さのシンボルとなりました。 それに従って 聖エフレムは 真珠を マリアの無原罪とキリストの誕生の神秘的なシンボルとしました。


 王権、道徳的な清さ、純潔のシンボル 白てん、オコジョ、白いイタチ

  イタチに良く似ている ヨーロッパに住む「オコジョ」という小さい動物の夏毛が 黒いです。 しかし、冬になると あっと言う間に オコジョの全身が 真っ白になります。 この白い毛皮が「アーミン」と呼ばれ、高級で 昔から今日まで、ただヨーロッパの王様の服だけに 主な飾りとして使われています。 そのために、オコジョは 王様と そしての 彼らの王位のシンボルとなりました。 カトリック教会では、中世から 第二ヴァチカンの会議まで、教皇を初め、枢機卿たちも 自分たちの服に「アーミン」の毛皮の飾りを付けていました。 それは キリスト教の道徳的な清さ、絶対的な信仰の純潔さや教えの正しさを表現するためでした。 それに従って 裁判の道徳的な判決を表すために 今も、あらゆる国の司法官の礼服に 「アーミン」の毛皮の飾りをつけるようになっています。


神に委ねる人、結婚生活、共同体、イエスとマリアのシンボル 白いうさぎ

  臆病で無防備の兎は、キリストの受難に希望を託す人のシンボルとなる。また結婚生活で家名を継ぎ、領地を守るための後継者を生むことを期待され、「純潔」とならんで「多産」が重視された時代には、特に多産のシンボルとして、願いを込めて結婚祝用に描かれた。又は、キリストにおける信仰をもつ信徒の数が 絶えず増え続けているので 兎は 共同体のシンボルである。長い耳の兎は 神の言葉をよく聞き、注意深く耳をかたむけるキリスト者のシンボルでもある。更に、芸術家は 白い兎を 純潔のシンボルとして 聖母マリアの足元に描くことにした。新生のシンボルとして 昼に寝て、夜に活動する兎は 昔からお月様や春の再臨や夜に行われる聖週間および復活際と関連されている。よって、すべてを新たにし、命あふれるキリストの復活のシンボルです。


マリアの純潔とキリストのシンボル 一角獣 ユニコーン(unicorn)

   語源は「単一の」を示す接頭詞のuni-に角(corn)を繋げたものです。別名にはモノケロスMonoceros)もあるが、この語源も同じようなものであります。ヨーロッパでは神聖なと純潔の象徴とされ、神秘学的には様々な象徴として扱われます。処女の前にだけその姿を現すと言われています。この伝説がキリスト教に取り入れられ、処女を聖母マリアに、一角獣をキリストに結びつけました。の額に長いを持ち、ヤギひげと割れたひづめを持つ獣の姿で描かれることが多いです。ユニコーンの原型は旧約聖書に登場するといわれる。またアリストテレスの著書『動物誌』、プリニウスの『博物誌』、紀元前5世紀の歴史家クテシアスの『ペルシア誌』などの中でも言及されている。ユニコーンは美化されていることが多いが、この伝説によれば 実際は、獰猛で、下品な面もあります。

  
ユニコーンの角(アリコーン)には解毒作用があると考えられ、教皇パウルス3は大枚をはたいてそれを求めたと言われています。また、フランス宮廷では食物のの検証に用いられたと伝えられています。言い伝えによれば、ユニコーンの角は毒に触れると無毒化する効果があるとされたが、後に毒物の成分が含まれた食物に触れると、汗をかくとか色が変化するなどの諸説も生まれたようです。特に、その角で悪竜が毒液を注いだ水を浄化するという奇跡の場面は、中世未の美術にしばしば表現されました。悪と罪に対するキリストの勝利を表現するためです。

    語源は「単一の」を示す接頭詞のuni-に角(corn)を繋げたものです。別名にはモノケロスMonoceros)もあるが、この語源も同じようなものであります。ヨーロッパでは神聖なと純潔の象徴とされ、神秘学的には様々な象徴として扱われます。処女の前にだけその姿を現すと言われています。この伝説がキリスト教に取り入れられ、処女を聖母マリアに、一角獣をキリストに結びつけました。の額に長いを持ち、ヤギひげと割れたひづめを持つ獣の姿で描かれることが多いです。ユニコーンの原型は旧約聖書に登場するといわれる。またアリストテレスの著書『動物誌』、プリニウスの『博物誌』、紀元前5世紀の歴史家クテシアスの『ペルシア誌』などの中でも言及されている。 ユニコーンは美化されていることが多いが、この伝説によれば 実際は、獰猛で、下品な面もあります。

 ユニコーンの角(アリコーン)には解毒作用があると考えられ、教皇パウルス3は大枚をはたいてそれを求めたと言われています。また、フランス宮廷では食物のの検証に用いられたと伝えられています。言い伝えによれば、ユニコーンの角は毒に触れると無毒化する効果があるとされたが、後に毒物の成分が含まれた食物に触れると、汗をかくとか色が変化するなどの諸説も生まれたようです。特に、その角で悪竜が毒液を注いだ水を浄化するという奇跡の場面は、中世未の美術にしばしば表現されました。悪と罪に対するキリストの勝利を表現するためです。


          司祭職のシンボル 猪 (いのしし)

   猪は、国々の伝説によれば神聖な動物で、昔から宗教的な権威をもつ者(司祭、神主、僧侶など)や、霊的な生き方のシンボルです。 猪は、超自然力や魔力を持つからはく製にされたその頭首は、生命力や活力の源泉として健康の保証、魔除け、来る年の豊作と幸運をもたらすと信じられてきた。更に 猪は、勇気、勇敢、争い好き、無謀のシンボルとして知られている。

  残念な事に、猪が残酷で、怒っぽい動物だと見られ、家畜化された豚と同一視されたので、中世のキリスト者は決局 猪を 悪の象徴としてしまった。


        復活と救済のシンボル (海豚)いるか

   いるかは、キリスト今日美術では一般的に復活と救済のシンボルです。 ギリシャの神話によるといるかは、最も強く最も早いさかなであると看做されたので、三余の川を渡って死者の霊を岸に送り届けると考えられていました。 またその場面が しばしば描かれています。更に、錨と船と一緒に描かれる時は、キリスト者の魂、アルイハキリストによる救済へと導く教会のシンボルとなります。いるかは、時にヨナの物語における 「大きな魚」の代わりに表現され ヨナ、これが転じる復活の象徴となり、また、まれには キリストのシンボルともなっています。

                                   司祭服、など、など
  祭服は、ミサの挙式、秘跡の授与、行列、祝別式、その他司祭としての公の勤めを行う際に着用する特別の服装のことです。
  その起源は、アロンが祭式用の衣服を着用したことにはじまると言われています。


          アミクトゥスamictus



長方形の白い麻でできた布で、ミサの時に司祭が肩をおおうために、祭服の一番下に着ますが、現在ラテン典礼において着用は「随意」となっています。アミクトゥスを肩に着けるとき、司祭は次の祈りを唱えます。「主よ、私が敵の襲撃に立ち向かうことができるために、
私の頭に救いの兜をかぶらせてください。」

アミクトゥスの原語は、ラテン語の“amictus”「衣服、外とう」です。動詞の“amicire”「着衣する」と言う言葉に由来します。アミクトゥスの起源については、古代エジプトの隠修士たちの服の一部であるとか、古代の一般の人たちが防寒用のショールとして使っていたものであるとか、祭服を汗などから防ぐため使われたと言われ、はっきりしていません。
最も古い典礼儀式書の中にも、アミクトゥスは祭壇に仕える、犠牲をささげる者の使用する衣服の一部であると記されています。
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世紀ごろのフランスベネディクト会の修道士たちの間では、アミクトゥスをまず頭上にあてて後ろに垂らして祭服と首のまわりの装飾としていました。そのため、刺繍(ししゅう)などがほどこされ美しいものとなりました。


         アルバalba

 アルバは、祭服の中で最も基本的なもので、全ての奉仕者に共通した祭服です。白い布地で作られた長い下着です。古代ギリシアやヨーロッパにおいて、アルバは足首まである長いトゥニカ(tunica下着)で、男女を問わず着用していました。しかし、短い下着の方が実用的であったため、次第に短いものになり、4世紀ごろに教会の典礼儀式においてのみ使用されるようになっていきました。中世には、絹や金、銀などの刺繍(ししゅう)が施されていましたが、16世紀ごろにはレースを用いるようになりました。アルバは、キリストの十字架の死によって取り戻された純白な清らかな心を象徴していますので、装飾も単純で少なめの方がよいとされています。布地は麻が望ましいです。


         ストラ

   右の肩にかけていたクラビクルム(claviculum)はローマ皇帝の権威の印でしたが ストラ(stola)と言う名では、司祭の両肩にかけて キリストの「くびき」のシンボルとなりました。叙階された者の権威を表すもので、細長い帯状のものです。4世紀頃ころから、祭服の一部として使われは始めました。ストラは司祭の尊敬と力のしるしであり、キリストの絆と、その王国のための誠実に勤めるキリスト者の義務と、不滅の希望のシンボルです。また、ストラの下の部分に 時についている「ふさ」は司祭職とつながっている信徒の共同体を表します。感謝の祭儀を挙式する際に司教、司祭、アルバの上から首の周りにストラをかけ、助祭はこれを左肩からたすき状にかけます。ストラの長さは、2m30cmから2m60cm 、幅は12cmから25cmで、ストラの色は4色あり、典礼暦によって変わります。


         チングルム ひも

       チングルムは白麻で作られた縄で(羊毛もしくは絹の場合もある)で、アルバとストラの上から腰に締めるひもです。長さはストラと同じです。受難の時、キリストを柱に縛り付けた縄を暗示します。シンボルとしては、貞節、節制、自律を意味します。







        スータン(soutane)

    スータンとは、カトリック教会の司祭や神父が平常着る足下くらいまで長い服のこと。キャソックともいう。イタリア語の上着 cassacaとシギを意味するsottanaに由来します。聖職者の平服を指すもので、キリストと教会への献身を示すものであります。伝統的に33個のボタンを付けていますが。 これは即ち、キリストが地上において人間として過ごした年数であります。 スータンの色は 次のように決められています。 司祭は黒く,司教は赤紫 枢機卿は赤、教皇は白です。

         

       




           スルプリ(surplice)

   スルプリ〈ラテン語superpelliceum)は袖幅の広い白い、小さなチュニックであり、スータンの上に起用されています。多くの場合、秘跡の授与その他のいくつかの典礼の際に用いられます。とくに、説教者、聴罪司祭、神学生と侍者はスプリを着ています。昔のスプリは綺麗な手編レースで作っていました。更にスルプリは、正義と史実の神聖さにおいて、新たに生まれかわったひとのしんぼるです。















         ダルマチカ (dalamatica)

  ダルマチカは助祭固有の祭服で、アルバとストラのうえに着用する袖幅がひろく、着丈の短いチュニックです。司教のミサ祭儀のときに助祭が着用します。十字架の形を表すダルマチカは勿論きりすとの受難を思い起こし、また観喜、救い。正義のシンボルです。

     カズラ(casula)

  ラテン語で「小さな家」を意味するCasulaが語源であり、典礼の司式者が正装する際、最後に見に付けて、他の衣服を覆うものです。色は教会歴もしくは挙行される典礼の種数によって、白、赤、ピンク、緑、紫、黒、すみれ色、金、銀などが用いられます。カズラは 他の衣服を覆うから キリストの愛は 他の全てに超引越する美徳であることを表します。そのために カズラの背面には キリストの受難を暗示する十字架が刺繍されているのです。このカスラは 特に、司祭が実現するべき キリストの愛の完全と霊的な働きのシンボルです。


       聖職者の剃髪 (トンスラ)

   
 カトリックでは、聖職者になる時、頭の上部を剃る儀式をします。頭の上部の脳天のところを剃って、額の生え際とか、耳の上とか、後頭部とかの髪は残します。その結果,残った髪が、脳天が剃られた状態で、頭を囲むような形で輪を描きます。これをトンスラ(ラテン語でtonsura)と言います。これは、最初に僧となる時に剃るもので、この儀式のことも、トンスラと言います。

  中世では、最初の儀式の時に剃って、その後もずっと剃り続けたようですが、近世以降になると、普段は、髪を生やしているケースもあります。フランシスコ・ザビエルは、イエズス会の修道士ですから、当然、ずっと剃髪し続けていたはずです。ただ、男性の頭は、歳と共にはげてくる人がいるので、そういう人は、別に頭を剃らなくとも、自然にトンスラの状態になります。

  トンスラは三つのシンボルを意味します。第一に聖職者が守るべき誓願、即ち(貞潔、従順と清貧)、第二にキリストの茨の冠、あるいは栄光の後光、第三に聖職者が目指している完全な生き方と おこってくる欲望に対しての霊的な勝利を示します。 トンスラの儀式は1972年に廃止されました。


       パリウム

     パリウム (Pallium)は一方の肩から首にまわしてもう一方の肩に着ける羊毛製の白い帯です。この羊毛はローマの聖アグネス聖堂において祝福された2頭の羊のもので、前面と背面に一つずつ、6つの黒い十字架で飾られた2つの短い垂れ緒が就いています。ローマ教皇権のシンボルであり、祝福されて、聖ピエトロ大聖堂のペトロの墓所の上に捧げられた後、教皇から大司教へ教皇権分与の証として授けられます。着用すると 「Y」字型となるが、古来「Y」は十字架のヴァリアント(変形)として用いられてきました。 そのためキリストの受難のシンボルともされます。


     ティアラ(三重冠)

   ティアラは(ラテン語tiara,またtriregnum3つの円形の黄金あるいは 銀の王冠を積み重ねた形のもので、頂上に十字架が付けられ、教皇のみが用いました。ティアラの背部に教皇の肩に垂らす2つの帯があって、これはキリストの「くびき」を現します。旧い由来をもっているが、現代の形の最古の例は1315年のものです。19641113日に教皇パウロ6世が貧しい人々の為にティアラを売りました。そのときから教皇はティアラをかぶりませんが、ヴァチカンの文書の中ではペトロの鍵と合わせた姿で記されています。教皇の3つの王冠については多様な解釈があり、例えば、三位一体のシンボルはそうです。また神の国の3つの段階を示して、まず、既に天にある「栄光の教会」、次に、煉獄での清めの試練の中の「苦しんでいる教会」、そしてこの世にキリストを証する「戦う教会」です。おそらく最も正しい説明は次の事でしょう。ティアラが教皇の3つの霊的な権能を表します。彼が、キリストの代理者であると同時にペトロの後継者であり、また 天と地に対する神の権能を持ち(ペトロに与えられた鍵)、キリストの名によって間違いのない教えを伝える恵みを持つと言うことです。


     ミトラ(mitra

    ミトラはエジプト語で、教皇、枢機卿、司教の権威の印です。現代のミトラは天辺に十字状の裂け目の入った頭飾りで、その形は 尖頭アーチに似ています。ミトラは、宝石の象眼や銀糸刺繍が施されたものや、無装飾りのものがあり、麻か絹で作られています。ミトラは、ユダヤ教の大祭司が 権威のシンボルとしてかぶっていた尖頭帽を連想させますが、直接これに由来していません。ミトラの2つの角部は モーゼが神からいただいた、2枚の石の板でかかれた十戒を示すと同時に、旧約と新約の聖書も現します。ミトラの背部の着用者の肩に垂らす2つの帯はキリストの「くびき」を現します。














      教皇、枢機卿、司教、修道者の指輪

   指輪は高位聖職者が指にはめ、キリストの花嫁である教会と、あるいはキリストとの霊的な結婚、そして指輪をはめる人の聖なる務めのシンボルです。教皇の指輪は「漁師の指輪」と呼ばれ、純金で、人々の漁をする使徒ペトロの姿が彫り込まれています。新しい教皇が選出されると、その名前が彫られて指にはめられ、教皇が亡くなられた時に、砕いて壊されます。また教皇はカメオの指輪も常に着用していますが、彫刻を施された宝石を身に着けるのは教皇だけに許された特権です。

  枢機卿の指輪はサファイア製で、選ばれた時の教皇から授けられ、内側には、教皇の紋章が彫り込まれています。司教の指輪は、やはり宝石がついていますが、これは枢機卿のみつけることが許されるサファイア以外の宝石からはめる本人が選ぶことができます。これは「司教指輪-annulus pastoralis」と呼ばれ、典礼の時にも用いられます。この典礼の時の指輪は美しく大きな宝石が付けられ、又手袋を付けたままでも、楽にはめられるよう、大き目に作られています。

  大修道院長および女子大修道院長も、大変質素な宝石のついた指輪を付けます。十字架をかたどるか、全く無装飾の金属の指輪は、修道女がつけるもので、キリストとの結婚のシンボルになります。これら全ての種類の指輪は 結局、神との永遠の契約を示し、公然と授けられた聖なる使命と同時に 神と諸聖人や教会の皆さんの前で 自分が宣言した誓願のシンボルです。




司教杖

   使徒たちの時代に羊飼いの杖は歩行用として一般にも用いられていました。その後、スティック(クロス)とも呼ばれているこの杖は、司教たちや大修道院長、女子修道院長の司教杖になりました。だが、彼らの杖は素朴な木製で創られています。スティックはもともとギリシア語のタウ(T)の形をしていましたが、12世紀からその上端は湾曲した形になり、現在では最も広範囲に広がっています。

スティックは3つの特徴を持っています。弱い人を支え、強めるためにスティックは固いです。迷った人に追いつく、引き戻すためにスティックは曲げられています。躊躇する人を決意させるためにスティックの端はとがった形をしています。

スティックは、「ソケット」 「結び目 」、 「十字架」と呼ばれている3つの部分をもち、十字架の部分は芸術的に綺麗に装飾されています。 様々な式の時に司教はスティックの曲がった部分を人に向けます。






    

  バレッタ(典礼)

中世のラテン・ ビレタムから借りられたイタリアの ベレッタ自体のバレッタは、厚手の布地、厚紙または革で裏打ちされた正方形の服飾品で、以前は聖職者が着用していなかったマイターの使用、時には教会の外での通常の頭飾りとして。 バレッタの上には3本または4本の角があります。本の角があります。 聖職者は スータンと同じ色 のバレッタを のバレッタを のバレッタをかぶります 。すなわち司祭 は黒、 司教 は紫、枢機卿 は赤です。


      
神の承認と恩寵のシンボル アーモンド
 

   イスラエルの12部族の指導者達が神の幕屋の前に置いた枝のうち、大祭司アロンの枝に芽が吹き、ついでアーモンドの実を結びました。(民数紀171111623)このことからアーモンドは神の承認、摂理、また恩寵を現します。また、受粉せずに実を結ぶとされたことから 聖母マリアの純潔を象徴します。更に、美術によれば キリストとマリアの体を包むマンドルラ(mandorla)つまり光背はアーモンド型で、神の承認と恩寵を具体的に現そうとします。


      天国のシンボル さくらんぼ (桜桃)

   さくらんぼの赤く甘い実は しばしば天国の果実と呼ばれています。幼いイエスの手にあるさくらんぼは、祝福を受けた人、即ち天国の幸せに召された緒聖人の喜びを現します。又さくらんぼは、善行によって高められた人格の美さを象徴します。中世の時代の人々は 桜の木が 豊富な実を結ぶ事から 天国の木だと思い込んで、桜の木を「永遠の命の木」と名付けました。更に、中世の伝説によれば、マリアとヨゼフが人口登録のために ベツレヘムを訪れた冬中に ある桜の木がその花が咲き、実をつけて、彼らの飢えをいやしたそうです。15世紀の宗教劇の1幕として この場面が登場します。


      
マリアの悲しみと王権のシンボル アイリス

  アイリスは、特に紫色のものは 高貴な花として 王侯貴族にたとえられて、ゆりの花に次いで聖母の花です。キリスト教のシンボルとして 初期フランドル派の画匠の作品に現れ、聖母像の中でゆりと一緒、あるいはゆりの代わりとなります。このシンボル的意義は、アイリスという名前が『剣ゆり』を意味することから、キリストの受難における聖母の悲しみを暗示すると受け取られています。アイリスは「あなた自身も剣で心を刺し貫かれる」(ルカ2,35)と言うシメオンの預言を思い起こさせます。スペインの芸術家は アイリスを 「天の元后」であるマリア、又「無原罪」の聖母のシンボルとしてよく使っていました。


試練の真只中に忍耐する正しい人のシンボル サンショウウオ

  古代の人々はサンショウウオが火の中に置かれていても絶対死なず、かえってその火を完全に食い尽くすと固く思い込んでいました。また 古代エジプト人は この動物がとても冷たいから 火を消す力を持っていると信じて、神殿の壁に見受けられる「サンショウウオ」のヒエログリフは「冷死した人」を意味しています。フランスの王フランスワ1世は 自分の家の紋章として サンショウウオを選んだ上で、次のモットーを決めました。「私は火を食べて生き、必ず火を消す」と。彼はこの意志を、城のあらゆる壁、天井 特に、各部屋の大きな煙突のマントルピースに飾りました。このサンショウウオは王様の冠の下に描かれています。中世の錬金術師たちは サンショウウオを「火と不燃性の(つまり燃えない)硫黄」のシンボルとしました。従って、キリスト教の伝統は サンショウオを「試練や迫害の真只中に、平和を保ち、神への信頼を絶対失わない正しい人」のシンボルと「永遠の命」のシンボルと決めました。さらに、サンショウウオがいつも隠れているので 貞潔、羞恥心を示し、聖母マリアの童貞を表現するものとなりました。


       基本方位 (東、西、南、北)のシンボル

ヨーロッパの教会は十字架の形をする。この基本方位(東、西、南、北)は 命の由来のシンボルである。

   北:寒さ、飢饉と夜を示す方角であり、初期キリスト教時代には異邦人の蛮人の住居とされた。故に、教会の祭壇の北端で福音が読まれる時は 異教徒を改宗させようとする教会の願いを表す。また、南がキリストの出現後の福音の世界を示すのに対し、北は 旧約の世界である。北は 教会の福音宣教のシンボルである。

   東:東は太陽の昇る方位であり、それゆえ正義の太陽としてのキリストのシンボルとなる。初代教会時代から、洗礼式は 必ず東に向かって行なわれている。また、8世紀以来、全ての教会はエルサレムに向けて建てられ、聖堂は主祭壇を置く内陣を東に向けて作られることが慣列となった。ただし位地条件などから例外もある。東は 誕生や改心、刷新と生まれ変わることを示し、更に、キリストにおける信仰のシンボルである。

   西:太陽の沈む方角で暗黒の地、悪魔の住居であり、老化と,死をも表す。西は、結局 見知らぬ世界の神秘を意味する。しかしながら、教会の「バラ形の窓」は復活と命の光を示して、西向きに設置される。従って、西は 死に対するキリストの勝利と 復活への希望のシンボルである。

  南:光と暖かさの所在する場所であり、収穫と豊かさ、喜びと祝祭につながっている。 そのために旧約と新約聖書、特に使徒たちの手紙が読まれる時、福音宣教の実りと豊穣を意味する。 従って、南は 美徳を表し、特に 愛徳のシンボルである。


     悪との戦い、キリストと魂の豊かさのシンボル 鹿

   伝統によれば 鹿は 蛇の潜む穴を探し、足で蛇を踏み殺して、食べてしまいます。また、毒蛇にかまれて身体に熱が出ると、鹿は泉へ急ぎ、その水を飲んで毒を消します。聖書の詩篇42番がそのことを語ります。「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める。」従って鹿は 「悪を捨て、生きた水であるキリストの助けを捜し求める人」のシンボルです。人の改心への希望を具体的に示そうとする芸術家は、鹿の角の間に十字架を置く習慣になりました。

   更に、鹿が、草を求めて移動する時は 互いに助け合うと言われています。従って鹿は 「隣人愛」のシンボルともなっています。また、鹿は あけぼの光の知らせると伝えられていますので、自然に、「あけぼのの光」、「正義の太陽」であるキリストのシンボルでもあります。更に、鹿の足の速さが 魂の霊的な進歩、信仰の熱心さのシンボルです。

   さて、鹿の角は 中世から「命の木」のシンボルとなっています。この角がいつも伸びますし、また切っても新たに出ますので、成長、豊かさ、刷新、若返りのシンボルとして認められています。


          結婚のシンボル オレンジ

   おそらく東方アジアから中世未に(12世紀初頭)ヨーロッパに持ち込まれたオレンジは その新奇さと象徴的な性格のために画家たちに愛好されました。彼らは それを「中国のりんご」と名付け、また、エデンの園の「知恵の実」としました。

  白い花のせいでその枝は貞潔、寛大のシンボルとみなされ、時に聖母マリアの清純を現します。そこから伝統的な花嫁の装飾となりました。ヨーロッパでは最近まで花嫁の頭の上にオレンジの花の冠をかぶせる習慣がありました。昔の中国では若いお嬢さんにオレンジを捧げることは確かにプロポーズを表現していました。更に、他の果物のように、オレンジの種は 多産性のシンボルであり、オレンジの汁は幸せと幸福のシンボルです。







    キルストの神性と人生のシンボル クルミの実

   古代ギリシャの伝説によれば、クルミの木が預言の賜物や英知や洞察力とつながっています。クルミの実を味わうために、人は、先ず、非常に手をよごす 苦い緑の皮をむく必要があります。その皮は 罪人の状態のシンボルとなりました。次に、人は、固いクルミの殻を砕かなければなりません。この殻を人間性のシンボルとすると、隠れた実は 神性を現すのです。画家たちはキリストのそばに 緑の皮のない砕かれたクルミの実を置く事によって、イエスが、罪のほかは 全てにおいて私たちと同じように生活し、十字架に砕かれて死に、復活してから 神の状態に戻る事を現そうとしました。このようにして、クルミの実によって、キリストの人間性と神性、キリストの神秘性を示しています。「私は、くるみの園に下りて行きました」(雅歌6,11)と述べている聖書の中で その木は キリストの教会を意味しています。と言うのは、くるみの木が数え切れない実を結ぶと同様に 教会は全ての人を集めようとするからです。更に、人間として罪人であるキリスト者が 人となられた主イエスの神性にあずかるように召されているからです。


  従順、貪欲、無知、横倣のシンボル おうむ (鸚鵡

  おうむは 古代ローマではペットとして飼われていましたが、広くヨーロッパで知られたのは、はるかに遅れ、キリスト教美術上には 中世未からシンボルとして現れました。もう兵おうむの派手な色は命の美しさを表し、特に赤い羽は火を、緑の羽は土を、青い羽は水を示します。しかし他の人々が 鸚鵡の派手な色を貪欲や無駄使いや無礼のシンボルとしています。鸚鵡は聞いた言葉を考えずに、また理解せずに真似て、何回も繰り返すから無知とおしゃべり、意味のない反復を現します。鳥かごに閉じ込められている鸚鵡が ゆるぎない従順と結婚生活に対する忠実さのシンボルです。


賢明、心の平和、神へも飢えや渇のシンボル ヒヤシンス(風信子)

  そのシンボル的意義は次のようなことです。ギリシャの美青年ヒュアキントスは アポローンの神の友でした。が、ゼフィルという風の神は、その友情を非常に妬んでいました。ある日、二人が円盤投げをして遊んでいた時に、ゼフィルは わざと強い風を吹いたので アポローンが投げた円盤の起動が変化し、ヒュアキントスの頭に強く当たったので、彼は死にました。 アポローンは慰めを受け付けず、 その青年の血から 赤い色のヒヤシンスを芽生えさせ、その花びらに、ギリシャ語で「アイ」即ち「残念」と書きました。この異教神話から派生したシンボルは沢山があります。たとえば、青春、美しさ、友情の喜び、記憶、寂しさ、など。」また、春に咲くヒヤシンスの色は様々あるので(赤、青、紫、白、紅、黄 )この色に基づいて、色々なシンボルが出てきました。たとえば、賢明、ゆるぎない忠実、心の平和、単純さ、完璧さへの動力、などですが、ヒヤシンスは、特に 神への飢えと渇きのシンボルとなりました。


信仰の喜び、明るい祈り、慈悲のシンボル ひばり(雲雀)

   ひばりは、高い空を目指して飛ぶ時だけ歌いますし、またその歌声が 非常に美しいので 信仰の喜び、神への賛美の祈りのシンボルです。また、雲雀は、絶えず、天と地の間を飛んでいるので 神を求めている人のシンボルでもあります。従って雲雀は、霊性や神への飛躍を現し、更に、雲雀の飛び方は 自分を捨て、他人のために、愛徳の高いレベルまで尽くす人の慈悲をも表します。


       戦士、力、新生、改心のシンボル 熊


  ヨーロッパの長い歴史の中で、洞窟を住まいとする性格の難しい熊は 戦士階級のシンボルであり、また、暗闇や混沌のシンボルであります。 秋の終わりから春の初めまで冬眠する熊は、先見の明や命の力や新生を象徴します。 古代のギリシャ人が熊を恐ろしいアルテミスという月の神と一体化させたことから、熊は、特に、宗教の残酷ないけにえ、人間の突然の怒りや暴力、本能的な乱暴な行いのシンボルとなりました。 一方、熊の子は 最初は形をもたずに生まれ、母熊によって姿を与えられると言う伝説から、異教徒を改心させ再生させることのシンボルとしてキリスト教に用いられています。 たとえば、教皇ベネディクト16世の紋章は 「ロバの荷鞍を持つ熊」を描いています。 実祭、聖コルビアヌス司教によって飼い慣らされたこの熊は オーストリアからローマまで、彼の荷物を運んだそうです。 ローマにたどり着いた時に、司教は 報いとして この熊を自由にしました。 聖コルビアヌスは(680730)オ−ストリアのFreisingフレイシング市の司教でした。彼の熊は 特に「神の恵みを受け、改心して、神と教会に使え、奉仕する異邦人」を象徴しています。


警戒や用心、母性愛、幸せな結婚のシンボル(鵞鳥)がちょう

  古代エジプトでは がちょうはファラオの魂の象徴として 彼らが神の子であることの明白な印として知られています。 古代ギリシャとローマでは がちょうは「ヘラ」または「ジュノン」と呼ばれた「ゼウス」あるいは「ジュピター」の妻の神殿のそばで、神々の聖なる使者として飼育されていました。 カピトリーノ丘のがちょうの騒がしい鳴き声でガリア人の侵略からローマを守ったと言う有名な話から、がちょうは先見や警戒や用心のシンボルとなりました。 がちょうは生んだひなに対して最高の母性愛を持つので 母性愛のシンボルです。 更に、がちょうは幸せな結婚や忠実な結婚生活の象徴でもあります。 ヨーロッパの田舎では、結婚のプロポーズを拒む女性は相手に がちょうの一本の足を渡す習慣が残っています。

 フランスのモントリチャール(
Montrichard)という私の故郷の最初の宣教師聖マルチノは ツールの町の司教にならないように近くの田舎のガチョウの群れの中に身を隠そうとしましたが、がちょうは騒がしい鳴き声を出したので、ツールの市民がマルチノを見つけて、早速自分たちの司教としました。 怒った聖マルチノは、一羽のがちょうを捕まえて、自分のご馳走にしました。 私の故郷の地方の人々は、毎年、その出来事を思い出して、聖マルチノの祝日に(11月11日)赤いキャベツ(司教の服の色)と栗(栗のイガは外敵から内なるものを守るから)を詰めた好物のがちょうを作って、ご馳走します。


知識、不死、原罪、キリストのシンボル りんご

  ギリシャの神話の物語よれば、ヘラクレスは 策を弄して、ヘスペリデスの園の金色のりんごを手に入れて、盗みました。このりんごが知識と不死と限りのない幸せを与えるので 誰も取れないように 恐ろしい竜がヘスペリデスのりんごの木を守っていました。聖書のアダムとエヴァの物語によれば、逆に、りんごが善と悪を区別する知識と共に死と終わりのない不幸を与える果物であり、蛇が木を守るよりも その実を盗むようにさそう誘惑者として現れます。しかし、創世記が述べている果物は「りんご」ではありません。聖イエロニモ司教がヘブライ語の聖書をラテン語に通訳した時に 「果物は ポーマ(Pomma)」と書いたから、ヨーロッパの人は「ポーマ」を「果物」の代わりに「りんご」と聞き間違えて、自然にヘラクレスの有名な物語りの「ポーマ」と一致させました。結局、その間違えた理解は 時代から時代へと伝えられて 今日まで生き続けています。このように「りんご」は不幸や原罪の罪と死のシンボルとなりました。

  ところで、聖書のりんごは 確かに 優れた果物とし、「愛」のシンボルとしています。例えば、雅歌257923で次のように述べています。「りんごで私を力づけてください。私は恋に病んでいますから」とか「りんごの香りのようなあなたの息」とか「若者達の中にいる私の恋しい人は、森の中に立つ「りんごの木」。私はその木陰を慕って座り、甘い実を口にふくみました」と。それゆえ、人間の間違えから生まれてきた「悪いりんごは」 一方では、原罪の罪と死を表わしながら、他方では、聖書の「良いりんごは」 神の愛、つまり、神の救済を表現します。即ち、全ての人の罪を背負い、十字架にかけられたキリストが 新しいアダムとして全人類に「不死=永遠の命」を取り戻します。芸術家が 幼いイエスの手にりんごを持たせる事で 特に 救済を実現する彼のあがない主としての使命を示します。最後に、大人がそのりんごを持つ事で 芸術家は 神への知識、結婚愛、家族の幸福、多産、豊かさを象徴しています。




健康、豊かさ、回心、復活と巡礼のシンボル ひょうたん(瓢箪)

   様々の国の伝説によれば、ひょうたんは 豊かさや健康を引き寄せ、不幸と病を遠ざけます。あらゆる国の物語が同じように述べています。 つまり、あるヒーロ−が危険から逃れるために 非常に小さくなってから 一つのひょうたんの中に自分を隠そうとしました。それから、ひょうたんは 人間の体全体の象徴となり(生命力、力、才能、知識、力、感情、記憶、奥義、など)同時に宇宙万物のシンボルともなりました。キリスト教の芸術家は 預言者ヨナは 大きな魚の腹の中に三日三晩いたことを思い出して、ひょうたんを回心と復活のシンボルとしてしまいました。更に、芸術家は 度々、りんごのそばにひょうたんを描くことによって、悪と死を現すりんごに対する復活の勝利を表現しようとします。

   昔から、ひょうたんは、水を運ぶ容器として 旅に用いられたので、自然に、キリスト教の芸術家は ひょうたんを巡礼のシンボルとしました。また、ひょうたんは、回心を実現したい、罪から清められたい巡礼者の決意のシンボルとして有名です。ヨーロッパの巡礼者は 今も、昔のように、必ず自分の杖に一つのひょうたんを結びつけます。





苦悩の洋ナシ(拷問の器械)

束の間の人生、喪、苦悶、死、キリストのあがないと
いけにえのシンボル 洋ナシ


  ナシの白い花の咲く期間が非常に短いので、中国人は ナシと園花を束の間の人生や喪や葬儀や死のシンボルとしました。同様に、中東アジアの古代シュメール人は、ナシについて考える時、死と悲しさを認めて、ナシをパンと水と共に死者に捧げる果物にしました。古代キリシャ人は、有名な詩人ホメロスの言葉に従って、洋ナシを通して神々の優れたたまものを見分け、それを正義と清さのシンボボルとしました。古代ローマの人々は 洋ナシの栽培をヨーロッパ全体に広げた上で、この実を賢い、好意的で、思慮深い統治のシンボルともしました。他の国は、甘くて、皮に傷付きやすい、柔らかい洋ナシを通して、女性の特長を見、また、洋ナシの形の内にエロチクなシンボルを見ています。これらの観点から、洋ナシに女性の名前をつける習慣が生まれました。例えば:マーリンのジョゼフィーヌ、オーロラ、マグダレナ、マルゲリット・マリーラ、マリールイズ、シルバーベル、ラーフランスなどです。

  ところで、中世のキリスト教の芸術家は 洋ナシを キリストの苦悩や死やあがないや十字架ののいけにえのシンボルとしました。理由は様々あります。先ず、キリストのわき腹を刺したロンギヌスの長い槍の穂先は 洋ナシの形に似ていたそうです。あるいは、ステタフォンがキリストの口に差し出したすっぱい胆汁をふかませた海綿は 洋ナシの形をしたと思われたからです。更に、中世の時代に、人を拷問にかけるために、洋ナシの形をしている器械が使われていました。「苦悩の洋ナシ」と呼ばれたこの器械は 人の口に強制的に入れると、その人の叫び声を抑えるので、自然に、洋ナシは 受難の時に、恐ろしい苦しみを受けたにもかかわらず、無言であったキリストの苦悩、あがない、いけにえ、死のシンボルとなりました。それを具体的に示すために、芸術家は 普通マリア、あるいは、幼いイエスのそばに一つの洋ナシを置く事にしました。最後に、洋ナシの中にあるたった五つの種は キリストの五つの傷、つまり両手、両足、わき腹の傷を思い起こさせます。





賢明と知恵、豊かさと欠乏、幸福と不幸のシンボル ネズミ

   ネズミ(は 最も難しい問題を解決できる賢明さのシンボルです。ネズミは賢くて、好奇心の強さを持ち、愛情のこもっていて、遊ぶ事が好きな動物です。特に、人間の社会の同様に、共同体的な生活をし、お互いに助け合う事がよく知られています。

   昔の神話によれば ネズミは 神の使いです。例えば、古代エジプトでは ネズミが わにの卵を食べ、毒蛇を殺したので ネズミのミラを作る程、非常に尊重され、役に立つ動物でした。古代ギリシャでは、アポロと言う穀物の神は ネズミの保護者でした。この動物を通して、アポロは人間に祝福を与え、または、疫病であるペストで彼らに裁きを下すことが知られています。インド教のガネシュという知恵と学問の神も同じようにしましたが、インドのネズミは、特に、幸運のシンボルです。中国の伝説によれば、ネズミのお陰で、人間がお米を手にいれたそうです。日本では、大黒天の神の使いとして、ネズミは幸福と豊かさのシンボルです。ネズミのいる所に豊かさあります。しかし、豊かさある所にネズミもあふれ、疫病と害、飢饉などをもたらすとよく知られています。ですから、一方、ネズミは豊作や幸運と国の富のシンボルであり、逆に、他方では、ネズミは 貧しい国の不足、欠乏、害と飢饉のシンボルでもあります。

   歴史的には ギリシャ人のアリストテレス(紀元前384322)『博物誌』では、ネズミの繁殖力の強さは説明できない問題であること、農作物に害を与えることが述べられています。また、ネズミは、塩を舐めているだけで、交尾をしなくても受胎するという俗説が紹介されています。中世ヨーロッパでは、ネズミは不吉な象徴であり、悪魔魔女の使いとみなされました。また、ペストなどの伝染病を運んでくると考えられていました。フランスのカテドラルの中、又は、カルパントラス大聖堂でも同様に 屋根の上に「ネズミの球体」と言う彫刻が置かれています。(つまり、十字架を支える大きな球体の上に沢山のネズミがうようよしている彫刻です)。これは、地球では、キリストをまだ知らない人々が大勢である事を表し、福音宣教への具体的な招きでもあります。従って、中世の人は ネズミを「異教徒、異端者、悪と暗闇の世界」のシンボルをしてしまいました。

   更に、様々の国では、ネズミは泥棒のシンボルとなっています。江戸時代の有名な次郎吉は 背が低く、身軽でどこの家でも上手に入り込んだので「鼠小僧」と言う名が付けられました。

   昔からイエネズミは人間社会にとって身近な動物です。しかし、この頃の現代社会においては、ネズミはイヌやネコと並んで、人のペットとして飼育される事もあります。また、ネズミは、物語や漫画、ゲーム、アニメなどの動物キャラクターとして登場することが多いのです。これは、ネズミが人間生活と非常に馴染み深いことと関係があると思われます。また、小さな体格でチョロチョロと動き回る所から、可愛らしいイメージで見られており、キャラクター化しやすいとも考えられています。




















  奇跡的な薬や生命や幸福、そして永遠の命のシンボル
        宿り木(ヤドリギ)


   大地に根を持たずに木に繁殖するヤドリギは、昔から、欧米では神聖な不思議な力を持つものとして尊重されてきました。ヤドリギは常に人々の興味をひき続ける植物であり、西洋の多くの神話や伝説に登場します。英語ではヤドリギは「Mistletoe」、フランス語ではgui」又は「bois de ste Croix聖なる十字架の木」と呼ばれています。 しかし、ラテン語の「viscum」という名前は『どんな病気でも治す』と言う意味で、昔からヤドリギは普遍的な薬として知られた事を物語ります。

  たとえば、古代ギリシャ人は 神々の使いであり、健康の神ヘルメスとヤドリギが関係するものとされていました。ヨーロッパでは ヤドリギは豊かな穀物と関連がありました。ヤドリキはいつも緑で、不死、生命力、永遠の命のシンボルです。フランスの古代ケルト人(ガリア人)の宗教をつかさどった「ドルイド」(祭司)にとってヤドリギは 聖なる植物でした。紀元前58年から49年にかけてカリヤを征服したガイウス・ユリウス・カエサルが 自身の著書「ガリア戦記」に ガリア人のトルイドについて証を残しました。彼らは 神々の聖なる木であるナラの木に登ってから、金のなたのような鎌で ヤドリギを切る習慣があったそうです。ガリヤ人のドルイド達は 神々に捧げ物としてヤドリギを焼き尽くし、また、お守りとして全ての参加者に配りました。その後、皆がそれを自分の首と自分の住む場所の玄関や天井に、ぶらさげました。

  昔のまま、今もフランスではヤドリギの下に両親と子供、知人や友人やお客様とキスをすれば、幸せと長く生きる運を引き寄せると信じられています。特に、お正月の日に、真夜中に男性は女性にキスをする伝統が堅く守られています。フランスに限らずヨーロッパではあちこちに同じ風習があります。国によって恋人同士がヤドリギの下でキスをすると結婚の約束を交わしたことになるそうです。フランスではクリスマスイブや大晦日の晩に午前零時を迎えると、このヤドリギのもとで『Au gui l‘an neufオー・ギィ・ラン・ヌフ!(ヤドリギの許で新しい年に万歳!)といいながらハグしたりキスしたりします。このオー・ギィ云々の言葉が中世から時代を経て、『Bonne anneeボンナンネに変遷したそうです。実際、この叫びは 昔のガリヤ人の叫びの変化したものです。『O ghel an heu』つまり『麦が芽生え、豊かな穀物となるように!』という言葉です。

  キリスト紀元後4世紀に、コンスタンチヌス皇帝が太陽の祭りの日をキリストの誕生の祝い日に変化したのち、偶像礼拝と関係を持つヤドリギを 飾りとして使わないように命令が出ました。人々は、代わりに「ヒイラギ」を飾りとして使い始めました。しかし お正月には ヤドリギの伝統が中々消えませんでした。現代、クリスマスの飾りとして ヒイラギの赤い実とヤドリギの白い実がセットになっています。ヒイラキのとげがキリストの茨の冠、その赤い実がキリストの流された血を思い起こさせるからです。ヤドリギの白い実は永遠の命やとわの幸せを現します。

  さて、このヤドリギですが、治療効果もあるようです。(神経衰弱、メランコリーにまた血管系に効き、筋肉や関節や末梢神経など血管の痙攣から痛みが生じるところに効くとされている)また、ガン特効薬としてヤドリギエキスが注目されています。 今も、ヤドリギは力と権能のシンボルであり、医者や科学者や専門家はこの不思議な植物をずっと研究しています。

  




















マルコのライオン













聖ヒエロニモ と ライオン


キリスト、福音家マルコ、聖ヒエロニモのシンボル ライオン(獅子)

  ルネサンス美術の中では、ライオンは状況に応じて様々な意味で用いられています。たとえば一般に力、意見、勇気、知恵、正義、剛毅の印しとして知られています。しかし、中世の美術の中でライオンは動物寓話集によれば百獣の王とみなされ、全人類の王キリストになぞらえられていました。それは特に、聖書の創世記49章9節の「ユダの雄獅子の子。わたしの子よ、あなたは獲物を取って昇ってくる」と黙示録55節の「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開く事ができる」と述べているからです。 ところが、中世の知識によると 先ず(1)ライオンは高山に住み、山から降りる時は尻尾で足跡を消します。これは天に住むキリストがマリアの体内に降り、受肉によって人類を救うときに、神の子であることを悪魔に知られないように身を隠していた事に対応します。次に、(2)動物の生き方を説明する(2)Physiologos,(フィジオロゴス)と言う古代 ペルシャの書物 (紀元前4世紀)の伝説によると、生気なく生まれたライオンの子たちの鼻に 父親ライオンは息を吹き込むと、彼らは生後3日目に眠りから覚めるように大声を発してよみがえります。それは、処刑後3日目に墓の中に納められたキリストが、父なる神の声でよみがえった事に関連しています。最後に、(3)ライオンは眠っている間もまぶたを閉じることがないとされ、悪魔が主の羊の群れから1頭も奪う事がないよう、片時も休むことなく 善き羊飼いとして 人類を見守るキリストと同じだと思われました。

   アジア・ヨーロッパの古代から ライオンの像は 宮殿あるいは神殿の門の前で、置かれています。古代エジプトスフィンクス、古代アッシリヤのケルビヌであろうと、沖縄の家の屋根のシーサーであろうとも、 ライオンが悪霊からの保護者の役割を果たすことを表現しています。中国と日本では、ライオンの踊り(獅子舞)が11日と若干の祝日に催されています。獅子舞とは、中国に発する伝統芸能の一つで祭囃子と共に獅子が舞い踊るものです。 昔のままに、獅子舞は 普通神殿の前とか、個人の家の中でも行われます。 イギリス王室でも王冠をかぶったライオンが象徴として用いられていますが、これはノルマンディー公時代から受け継がれており、現在のフランスノルマンディー地方でもこれを使った旗が用いられています。勇猛なことで知られるイングランド王、リチャード1は獅子心王とよばれていました。

   珍しい例としては、ライオンの高慢さと獰猛(どうもう)さを取り上げて、特に迫害の時にキリスト者がライオンの餌食となったために 獅子は 迫害や悪を行なう人と悪魔のシンボルとして用いられます。これは「あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり、獅子の子と大蛇を踏んで行く」(詩篇9113) 又「身を慎んで眼を覚ましなさい。あなたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。」(1ペトロ58) に関連するからです。更に、神の人であるサムソン(士師記1456)、少年ダビデ(1サムエル記173437)について、預言者ダニエルは(ダニエル143134節)ライオンを殺すことによって あるいは、ライオンから守られていることによって、悪に対する勝利を表します。

   ところで、ライオンは福音家マルコのシンボルでもあります。彼の福音は「荒れ野で叫ぶものの声がする」という言葉で始まりますので、自然に初代教会の信者が マルコをエゼキエルの預言に現れる幻の4つの生き物の一つと一致させてしまいました。同じ理由で、書かれた福音の最初の言葉に基づいて、マタイのシンボルは人間となり、ルカは牛、ヨハネは鷲となりました。さて、紀元後4世紀に、最初に、ヘブライ語とギリシャ語の聖書をラテン語に翻訳した聖ヒエロニモは、修行中にやってきたライオンの足裏に刺さったとげを抜いてやり、以後忠実な親友になりました。更に、ヒエロニモが死んだ時に、このライオンは自分の足で 彼の墓を掘って、そこにヒエロニモを葬ったという伝説によって、ライオンはヒエロニモのアトリビュート(表象)です。つまり美術家が聖ヒエロニモを描く時,必ずそばに1頭のライオンをも描きます。


                                            


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