神の救い
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主よ、私は貧しく身を屈めています。 あなたは私の助け、私の逃れ場。 私の神よ、 速やかに助けに来て下さい。 詩篇40,18 |
恐れるな、 私は民全体に与えられる 大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で あなたがたのために救い 主がお生まれになった。 ルカ2,10-11 |
見よ、この方こそ私たちの神。 私達は待ち望んでいた この方が私達を救って下さる。 その救いを祝って喜び踊ろう。 イザヤ25,9 |
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私はあなたのそむききを雲のように、罪を霧のように吹き払った。 私に立ち帰れ、私はあなたをあがなった。 イザヤ44,22 |
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御父が御子を世の救い主としてつかわされた。 1ヨハネ4,14 |
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死者の中から復活したイエス・キリストのことを思い起こしなさい。 彼は私たちの救い、永遠の栄光です。 2トモテ2,8-10 |
お父さん 私は家にかえってきました お父さん あなたのそばにいて どんなに気持ちがいいことか 私は あなたからはなれて 遠くに出かけました 理性を失い おろかな夢を追い 妄想にかられて。 すべてに対する軽蔑を いっぱいかかえて出かけました 自分にふさわしい幸福を 他で見つけられると信じて・・・ この世は 自由をうぬぼれを 私にくれました そこで私の心は富にまみれて 無感覚になりました! 毎日あなたの現存の喜びを 味わっていました 私と共にあなたは自分のものを すべて分かち合っていました。 けれども 私は親切なあなたの手から 遠ざかりたいでした そして私の人生は あなたの不在で暗くなりました。 私は 不幸と死の道をたどり 迷いました あなたへの信頼のうちに 平和に生きる代わりに。 お父さん 私は家に帰ってきました お父さん 今晩 私の子どもの心は あなたのもとへ帰ってきました。 お父さん 痛悔と信頼の心で 私は帰ってきました お父さん あなたのご意向を 喜びにあふれて生きましょう。 お父さん 私はここにおります あなたは家に 私を迎えてくださる お父さん あなたのそばにいて どんなに気持ちがいいことか! (神の栄光を歌う真珠の首飾り グイノ神父作)より |
主よ あなたがして下さった すべてのことをありがとう 私たちのために 私たちによって 私たちと一緒にして下さったことを あなたのすべての善意をありがとう 私の喜びにあふれる心が いつまでも あなたに歌いますように! 主よ あなたが あなただから ありがとう あなたが言われたすべてのこと あなたが約束されたすべてのことを あなたの摂理 あなたのあわれみを ありがとう 私の人生が あなたの愛のすばらしさを 歌いますように! 私の心が あなたの許しのやさしさを 味わいますように! そして イエスにあがなわれた全地が 世紀から世紀にわたって あなたに歓呼の声を あげますように! (神の栄光を歌う真珠の首飾り グイノ神父作)より |
聖母の訪問の絵について(san Michele,, Carmignano, Florence たて 202cm、よこ156cm)
この絵を描いたのは、ヤコボ・カルチです。 しかしポントルモという町で生まれたので、ポントルモのヤコポとも言われます。 独りで生活し、絵を描く時に他の人からわずらわされるのを 嫌って,戸を閉めて 生活していました。 例えをあげると フィレンツェに行って カッポニの教会に3年間 閉じこもって 誰からも邪魔されずに この教会のフレスコを描きました。 彼にとって 絵を描くのは 福音を味わい、具体化すること同時に それを霊性に生きる事でした。 彼は レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの有名な人の影響を受けましたが、自分が独立して 非常に霊的な人でしたので、いつも 祈りから いただいたものを 自分の描く全ての絵の中に 表わそうとしました。
この絵は1529年で描かれました。 この時代には イタリアでは ペストや戦争が多く、特に スペイン人のチャールス5世の攻撃を受けていました。 死と絶望の暗闇で覆われたこの無茶苦茶な時代に 希望の光や命と喜びの息吹を与える為に ヤコポは この落ち着いた絵を描きました。
平和な雰囲気の中にある 霊的な二人の出会い、挨拶の接吻を描いていますが、ここで 私達の心に 浮かびあがるのは 先ず 雅歌1章2節の言葉「どうか あの方が、その口の口づけをもって、私に口づけして下さるように」です。 次に 詩篇85,11−12の言葉が この絵から湧き出ています。 それは「慈しみとまことは 出会い、正義と平和は 口づけし、まことは 地から もえいで、正義は 天から注がれます」という言葉です。
何も言わずに、ただ 互いに抱き合う マリアとエリザベトの眼差しは 深いデリケートや繊細さのある愛情を表します。 又、この出会いの中には 知識があります。 エリザベトとマリアは 言い表せない喜びをもって お互いの秘密を知り合って、それを深く味わいます。 沈黙と静かさが この絵を満たしていますが、同時に マリアとエリザベトの服の流れ などに 命が豊かになると思わせるような動きが一杯あります。 風はないが 服は 確かに風に ふくらんでいます。 ヤコポは、聖霊の働きかけを こんな風に 表わそうとしました。
マリアとエリザベットは、顔と顔をあわせ、腕と腕をあわせていますが、更に、彼女たちの足を見ると 躍っているように感じられます。 確かに、彼女たちの足の指先は 地面に触れていません。 聖霊に満たされた二人は 既に 神の方へ 引き寄せられている感じがします。 ヤコポは こんな風に 救いの喜びと共に 聖霊によって 二人の心が喜び躍る というのを 見事に 表わしました。 ここには エリザベトの言葉:「あなたの挨拶の言葉の声を 私が耳にした時、胎内の子は 喜んで踊りました」(ルカ1−44)と マリアの言葉も:「わたしの霊は 救い主である神を 喜びたたえます」(ルカ1−47)響いています。
さて、ヤコポ・ダ・ポントルモは わざと 時間の流れを無視して マリアとエリザベトとを 同じ状態で表わそうと 目立つように描かれています。 聖霊が 二人の体を芽生えさせ、実らせ、生命が 聖霊によって開花しています。
しかしながら 深い暗闇が この救いの喜びを覆うのです。 ここで示されるのは 夜でなく、むしろ「朝早くまだ暗いうちに」という復活の雰囲気が 既に 示されています。 確かに、左側に 門のすぐそばに 座っている二人の人物を見分ける事が出来ます。 彼らは 私たちに まず、ヤコポ自身が 抱いている平和な時代への 強い期待を現し、次にザカリアの預言を思い起こさせます。 それは「高い所からあけぼのの光が我々を訪れ、暗闇と死の陰に座っている者を照らし、我々の歩みを平和に導く」(ルカ1,78−79)と。 洗礼者ヨハネとイエスの誕生によって 全てが 新たにされることの第一歩です。 これこそ 救いの実現の始まりです。
ここで マリアは 神の正義や 神への希望とゆだねの意味する 濃い緑の服を着ており、頭にピンクのベールをかぶっています。 マリアの後ろに立っている女も 同じピンクの色で 体をまとっています。 シンボルとして ピンクの色は 神の知恵と慈しみ、神への忠実、又 人の若さと幸せ、そして 福音的な貧しさを表します。
年老いたエリザベトは マリアの服よりも もっと薄いグリーンの服を着ています。 この色は 生命力を初め、若返りや刷新、そして 新しい春の始まりを示します。 更に、エリザベットが まとっている服のオレンジ色は 神の愛の啓示と 人に与えられた聖霊の賜物、又、人が示す 節制や忍耐や我慢強さを表します。
天からくだってくる光りは、皆の顔、特にマリアの首、エリザベトの顔、二人の手、次いで エリザベトの足を照らしています。 ある意味で、マリアとエリザベトは 頭のてっぺんから 足の指先まで 聖霊によって 命の光と救いの喜びで輝いています。 この命と光りの神秘が 私たちを引き寄せようとします。 なぜなら 命の実りで満たされている この二人が 暗闇の世界から出てきて、光をはなつ事によって 全人類に 輝かしい救いの道を開こうとしているからです。
この後ろに 身動き出来ないように 描かれた二人の女性がいます。 召し使いと 思われるこの二人とも 表情のない、うつろな眼差しで 遠い所から来る何かをじっと見つめています。 彼女たちは 自分たちの目の前にある 場面を見ようとせず、又、私達の眼差しを 捜そうともしないので、私たちに不思議な気持ちを感じさせます。 ここには ヤコポ ダ ポントルモ の祈りが 結んだ実りがあり、又、シンボルとしての 意味もあります。
ピンク 又は グリーンの服を着ているこの二人の女性は 召使ではありません。 実際に、この二人をよく見ると、ピンクの人は マリアによく似ていて、他のもう1人は エリザベトに似ています。
第二のマリアのうちには 古いエヴァと 新しいエヴァのシンボルを 同時に見る事が出来ます。 つまり、彼女の髪の毛の形が エデンの園の蛇を現し、彼女の耳が 赤いリンゴのように見えます。 ここには 簡単に 原罪の罪のドラマが 描かれています。古いエヴァと違って、新しいエヴァは 耳が赤くなる程 神の言葉を聞き留め、思い巡らし、全身を尽くして それに答えます。 新しいエヴァのマリアは その眼差しと姿勢によって 次のように 私達に宣言します。 「神が 何か言いつけたら、その通りにして下さい」と。(ヨハネ2−5)
第二のエリザベトは 年老いた第一のエリザベトより 美しく、若いように見えます。 というのは、若返りの恵みを味わっている彼女の姿勢は 体の復活を表現しよとします。 彼女は 既に、はるかに遠い未来に実現される 神の救いの完成を見ていて、その証人となっています。言葉を信じることによって、人が 内面的にも、外面的にも あらゆる面で新たにされる時が 必ず来る という事の証人です。 希望のないところに希望を置いて、信じ続けたエリザベットは 新しい出発と共に 全人類の刷新を 示しています。 若くなった彼女は 過去を忘れ、前のものを目指して、自分のすべてを尽くして 神が キリストによって与える救いを 待ち望む姿を示しています。 今から後 命、愛、真理、正義、平和が あふれ続けることは 確かです。
後ろに 立っている 二人は、身動きも せず、うつろな眼差しで 暗闇を取りぬけようとしています。 そして、これから 始まろうとしている 言葉では 言い表せない未来へ 移っていく確信を 示しています。 前で 抱き合っている二人は 救いの光を浴びて、喜びに踊りながら 神の愛の神秘と 自分たちの内に働いている 生命力を深く味わっています。
そう言うわけで 絵の左のすみに 暗闇の中に座り込んでいる二人の人間は 人類の過去を表わすのです。 そして、前に 絵の中央に 抱き合う二人は キリストが生れる時、救いの時を 私たちの現在として表わします。 更に、うしろに ぼうぜんとして、身動き出来ない二人は 私達の未来を表わします。
さて、皆様、ヤコポ・ダ・ポントルモが 祈りの内に描いたこの絵は 私達自身の祈りの材料の土台となることが 出来るのではないでしょうか?
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