カトリック洲本教会 信徒たちの声
吉田 マリア クリスティナ 尚寛(たかひろ)の生まれた時の大きな奇跡
私は、吉田マリア・クリスティーナです。尚寛の父(夫)とは再婚です。 尚寛が生まれた時は私は33才で、尚寛の父とはまだ結婚をしていませんでした。未婚であった理由は、私の前夫が離婚届を役場に出していなかったからです。 私は、その時は日本の法律などは全く何も知りませんでした。 尚寛は、2月11日の午前4時44分に、兵庫県立淡路病院で妊娠7ヶ月で1400gの未熟児として産まれたのです。 人工保育機の中で3ヶ月ほど入院をしていたのですが、退院が近づいた時に大きな問題が発覚したのです。 私自身が前夫の戸籍に入っていたので、尚寛の父の保険証に尚寛を入れることができなかったのです。 前夫の保険証に入れるしか方法はなかったのですが、前夫は私がいくらお願いをしても断られました。 “わが子じゃないのに、なぜ入れらなあかんのか!”と言われました。 私と今の夫(尚寛の父)で色んなところに相談やお願いに行きました。
市役所、裁判所、法務局などに何度もお願いに行きましたが、みんな答えは同じ“前夫の保険証にしか入れません”でした・・・。 いよいよ、尚寛の退院の時が来ました。 私は友人の東 ロデリアさんに一緒に着いて行ってもらって、県病に行きました。 県病の院長が、尚寛の入院費の請求書を私に差し出しました。 570万円。 言葉すら出ませんでした。 すぐに涙がボロボロと溢れてきました。 一緒に居たロデリアさんも一緒に泣きました。 県病の院長が「市役所にもう一度行き、何とか保険証を作ることが出来ないか相談をしなさい」と最後に言われました。 私は何度も何度もお願いをしに行ったのに、断られ続けていたので、自信はありませんでしたが、ロデリアさんと尚寛の父と3人で洲本市役所に行きました。
車に乗って行っていたところ、突然夫が前を走っているトラックを見て、「お母さん、神様がおるよ! お願いして!」と言ったのです。 前を走っているトラックの荷台の後部ドアに、女神様(観音様)と龍の絵が大きく描かれていたのです。 私は頭の中が真っ白になっていて、神様が信じられなくなっていました。 “ずっと神様にお願いをして・・・、祈り続けて・・・、”何も答えが返ってこなかった。 その時、「神様なんていないわ!」と私は言ってしまいました。 洲本市役所に着いたとき、前に行ったところと同じところに行きました。 でも、前に応対をしてくださった方とは 別の女性が座っていたのです。
その担当の女性に、また同じことをお願いしました。 そのとき、前に応対をしてくださった担当の女性と違って、違う答えが返ってきたのです。 「お父さん、保険証を持っていますか?」と聞かれ、私たちはすぐに「はい!」と答えました。 「保険証を出して! 尚寛君の保険証を作るから!」と、その女性の方が言いました。 私たち3人は目が点になり、何が何だか分かりませんでした。 今まで何度も何度も泣きながらお願いをしてきたのに、どうしてこの女の人はできるんだろう・・・? 尚寛の入院費570万円が18万円になりました。 尚寛の退院の翌日、私と主人は市役所に行き、その女性にお礼の挨拶に行きましたが、その女の人は居ませんでした。
その課の誰に聞いてもそのような女性は知りませんと言われたのです。 あれから何度も市役所に行くのですが、13年間経った今でもその女の人は見かけません。 私たちはあの時の女の人を“ママ・マリア”と思っています。 あのとき、いったい何が起きたのか、今でも信じられません。 でも、私はあれからどんな悪いことが起こっても、神様のことを信じ続けています。
神への手紙 柏木 グレース
愛する神様、日本人の男性と結婚して、その日から、私はずっとあなたに感謝します。 勿論、主人と共に日本で生まれた二人の娘、双子の彩(あや)と万耶(まや)を育てます。 最も嬉しいことは、まだフィリピンにいた時、結婚以外に私が生んだ息子Nicko(ニッコ)を 主人が自分の子供として受け留めたことで大いに感謝しています。 主人の親戚の皆さんも同じ暖かい関係を示したことを感謝します。 主よ、結婚生活において私は、妻として、とても恵まれています。 日本で、あなたが私に与えた住む場所はとても美しい、その上、神よ、あなたが、カトリック洲本教会の支えを与えて下さったことを感謝します。 また、グイノ神父様はいつも私たちを支え、ミサの説教をとうして励ますので、この教会で 受けたすべての恵みのために 神よ、感謝する心をあなたに捧げます。
神への手紙 小松 イメルダ
愛する神様、私も、また、家族の皆さんも、あなたからいただいた全ての祝福を感謝し、更に、沢山の人々から受けた教え導きや支えを心からあなたに感謝します。 神よ、あなたが私の家庭にいつも健康の恵みを与え、保ちますように。 また子供たちがあなたについて勉強することを本当にとても楽しんでいることを何よりもまず感謝します。 しかし神よ、襲って来る様々の問題と戦うために私にあなたの力を与えてください。 更に、私の犯した過ちや罪も、そうして時々あなたを忘れることも赦して下さい。 どうか、神様、私達の歩みを正しく導いて下さい、主キリストの名によって、お願いいたします。 アーメン。
ヨゼフ吉田頌 インタビュー
僕は今、高校生です。 将来の仕事を考え中です。 今はまだ何かははっきりと分かりませんが、食品関係の仕事がいいなと思っています。 でも日曜日に働かない仕事とも考えるので悩んでいます。 いつか自動車の免許を取りたいです。 仕事と家族のために役に立つと思うからです。
家族に対しては、長男として大きな責任を感じています。 特に一番下、もうすぐ3歳になる「愛美」に対して。彼女の世話や、守ってやること、遊んでやることなどです。 僕は4人兄弟ですが、よく兄弟喧嘩をします。 喧嘩はやかましいけど楽しいとも感じます。そしてすぐ、仲直りをします。 そんな時に、家族が生きていることを実感します。
僕は、家のすべての部屋の掃除をするのが好きで、母が植えた庭の花に水をやる役目もしています。
こんなに大きい高校生であっても、侍者をすることがとても楽しいと感じています。 これからも、できれば侍者のみんなのリーダーとして、また、日曜学校のリーダーとして役に立ちたいです。
明るい未来に向かって自分の信仰を深めたいので、僕のため、僕の家族のためにお祈りください。
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マリア テレザ 新田 悠子
私は子供の頃、神戸でアメリカ人夫婦が教えているプロテスタントの日曜学校に通っていました。
その頃からキリスト教に引かれていたようですが、信者ではありませんでした。 父のお葬式をグイノ神父様にしていただいたのがきっかけで、1998年のクリスマスに 洗礼を受けました。 信者としては日が浅いのですが、その間に色々と神の恵みを受けました。
グイノ神父様がいつかミサで一人一人に守護の天使が付いていて守ってくれると説教の中で 言っておられましたが、正に私を守ってくれる神様と天使がいるのを実感しています。 困難があってもいつも何か良い方に向かわせてくれるのです。
マザーテレサの言葉、祈り、愛、笑顔、そして”キリストの渇き”を忘れないように暮らしたいと思っています。
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尾中 メルビナ インタビュー
私は日本に来て7年になります。 日本に来たのは、フィリピンの家族を助けるためです。 私は9人家族でした。 特に一番下の妹が大学に行きたかったので、彼女を助けるために日本にきました。 日本に来て、日本語を少し話すことはできましたが、やはり初めは少し寂しかったです。
この教会を知ったのは、友達に聞いたからでした。 初めは、前を自転車で通ってここがそうか、と見ていました。 フィリピン人の友達に紹介されて、この教会で友達がふえて楽しくなりました。
うれしいことは、娘二人(愛とゆかり)が教会で侍者になったことです。 日本のおばあちゃんもそのことを喜んでくれています。 初めて彼女たちの侍者の姿を見た時は、涙を流すほど喜んでくれました。 今も、教会に行かないの?と娘たちを教会に行くように促してくれます。 子供は3人で、愛、ゆかり、亮介です。 家で家族と一緒に祈ることも出来ます。
今少し辛いことは、難しい漢字が読めないことです。 子供の学校の勉強を教えてやれないことが辛いです。 でも、日本に来て幸せです。
子供たちのために日本で生涯暮らしていくことを願っています。 今は定期的に家族を助ける事はおわりましたが、フィリピンの家族の所に時々戻ります。 現在、かわかみ電機に勤めています
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堅信式の時子供たちの期待 (2010 年7月11日)
谷間 大樹 私は 聖霊の助けによって 社会の中で、特に、今、働いている老人ホームにおいて、キリストの姿になって、神の愛の印になりたいです。
山口 亜央生 ぼくは、聖霊の知恵と聖霊の力をもらって、人の言うことや悪口を恐れずに、正直に、生きていきたい。 ですから、どこへ行っても、どんな事があっても、喜んで、イエス様の証人になりたい。
山口 亜生 わたしは、イエス様が大好きですから、イエス様の友達になりたい。また、聖霊の助けによって、イエス様のように 人々を大切にしたいです。
黒田 凛生 わたしが、聖霊の力を受けたい理由は、イエス様のように、人に親切にし、少しでも役に立ち、そして、神様を信じる喜びを多くの人に伝えたいからです。
尾中 愛 わたしは、神様のことを学びながら、聖霊と共に よく考え、危険のない、明るい未来を準備したい。 わたしは、イエス様が大好きだから、ずっとイエス様の友達になりたい。
吉田 美花 わたしは、神の言葉をよく理解して、それに従って生きていきたいと思います。また、いつか、この教会の中で 自分の出来ることを見つけて、責任のある信者になりたいです。
吉田 尚寛 ぼくは、イエス様と神様の事をもっと知りたい、もっと愛したいです。聖霊の力によって、死ぬ日まで、忠実に、自分の信仰を守りたいと思います。
恵様 わたしは、信仰をしっかりと持って、正しく楽しい人生を送るために、祈りながら、聖霊の助けで 頑張ります。
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カトリック洲本教会の堅信式に参加して、ヨゼフ 亀田 ひろし
神戸の六甲教会の亀田と申します、以前より洲本教会のお祝い日に参加させていただいています、本日も洲本教会の堅信式に参加させていただきました。 7月11日は、洲本教会の堅信式、池長大司教の訪問、グイノ神父の叙階34周年のお祝いと、私は洲本教会の大きな祝いの場に同席できる喜びの内にあります。当日は、多くの子供たちが堅信を受けました、以前よりなじみの顔みしりでありますが、彼、彼女たちの成長をまじかに感じます、彼らは確実に成長しています、堅信式の中で受堅者は、ブルーのストラの受けました、それは教会の婦人たちが丹精をこめ、その日のために準備し用意したものでした。
堅信式の中で、受堅者は司教より秘跡である大きな恵みである聖霊の賜物を受けますが、彼、彼女たちの瞳が輝きました。目に見える形で信徒の司祭職を受けたに違いありません、多くの同席した者、家族も感銘を受けました、受堅信者のこれからの働きを信じて洲本教会の未来が明るいものを感じます。彼ら、彼女たちが神の恵みの内に歩みますように、私達も彼らのために祈りましょう。
ミサ後、私達の父である池長司教から、時間をいただき信徒とのお話をいただきました。洲本教会の状況交えながら、お話の中で、小教区の未来について多くのヒント、アドバイスをいただきました、洲本教会の人数はわずかですが、私達はその実践を求められています。また、フィリピン婦人の明るさと、日本人婦人これまでの地道な活動を聞き、弟子たちをエルサレムの婦人たちが支えたようにその力強さを感じます、洲本教会の未来を信じましょう。
その後、教会の婦人会の準備いただいた懇親会に参加いたしました、司教様との打ち解けた場のなかで、楽しい時間を過ごさせていただきました、去年の神戸地区大会での評判の阿波踊りを踊り、プィリピン婦人のプロ顔負けの歌、子供たちの喜びの顔、受堅者の家族の喜びの声、主任司祭の働きに感謝を示しましょう。懇親会の後、出席者一同と、記念者写真を撮り、盛会のうちにこの日の行事をおわりました。
洲本教会に伺うたびに親しくしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです、もちろん私達は神の民で当然のように、兄弟なのですが、神戸ブロックに限らず親しい交わりができればと願っています。本日は本当にありがとうございました。 神と共に居る民、真の神の司祭と共にいる喜びのうちに。
尾中 愛子 (80歳)
私は、愛ちゃんとゆかりちゃんの祖母です。他界した主人と共に、私は、昔から仏教の真言宗の教えに従っています。何年か前から、嫁や孫たちと一緒にフィリピンへ行ったのをきっかけに、はじめてカトリック教会に入りました。全く分からない新しい世界を発見したにもかかわらず、あっという間に綺麗なミサの典礼と信者たちの歌声が 落ち着いた雰囲気を私の心に注ぎました。
孫たちが侍者の役割を果たしてから、私は家族と共に6、7回位 洲本教会へ行きました。そこへ行く度に、特に、一人のお婆さんの美しい歌声に心を捕らわれて いつも感動します。また、神父様をはじめ、皆さんのにこにこしている顔や親切さや教会の楽しい雰囲気のお陰で 私を含めて、皆が互いに支え合っていることが分かります。それはとてもありがたいです。仏教ではこのような喜ばしい交わりがありませんから。
先月、孫愛ちゃんの堅信式に参加して、初めて大阪の大司教様と出会いました。彼の話の言葉も、また 堅信の時の愛ちゃんが皆の前で発表した言葉も、私の心に強い感情を刻み込みました。事実、家でも、愛ちゃんが神様について話すと、私にとってぴんと来る言葉が度々あるので びっくりしてしまいます。彼女が 知らず知らずに、私をキリストの方へ引っ張ると感じています。キリスト者になりたい気持ちが段々強くなります。が、何をしたら良いか まだ、迷うばかりです。嫁と孫たちが「一緒に教会へ行こう」と誘いますが 私は行きたいのに、なぜか遠慮してしまいます。
皆様、どうか、もっと素直に家族の誘いに答えることが出来るように、私のために祈ってください、お願いたします。
ヤコブ・ヨセフ 谷間 大樹
洗礼を授かって、はや三十年ほどになりますが、これまで「堅信式」の存在を知らず、受けているのかいないのかさえ分からないという恥ずかしい状況でした。
このたび、グイノ神父様がお声を掛け下さったのをきっかけに、しかも池長大司教様が来られるという機会に「堅信式」を受けることができたのは 神様のお導きによろものと感謝しています。 もちろん、洲本教会の皆様の協力があったことはいうまでもありません。 今一度、自分自身の信仰を見つめ直す良い機会であったと言えます。 堅信式の中で、神様に誓ったように 自分の信仰を撒きつつ、高齢化社会を支える1本の柱となって がんばっていきたいと思います。本当にありがとうございました。
マリア マルタ 奈木 ちか子
神に感謝! 毎月送られてくるジャフメイトと言う自動車連盟の月刊誌の巻頭に、星野富弘さんの絵と詩が掲載されています。 私はいつもこの絵と詩に信仰心を強められています。 星野さんは24歳の時の怪我が元で首から下の機能を失ったお人です。 『苦しむ人のそばには、いつも私はいます。』と言われたやさしいイエス様のまなざし、そしてお声が聞こえるような絵と詩です。
今月号は、みずみずしいさくらんぼにそえられた詩は、『私にできることは小さなことでも、それに感謝して、できたらきっと大きなことだ』です。 病弱な私も神の恵み豊かに八十歳を越えさせていただきました。 『神様は何時も良い時に良いようにはからって下さる』 イエス様は一緒にいて下さる喜びと安心で感謝の一日一日を生かされています。 先立った息子が残してくれた祈りです。 『真実の自分をさらけだし、神の愛を信じ、感謝をこめて祈る』
テレシア 藤本 映子
真言宗の家に育った私ですが、高校生の頃、また大学生の頃、友人を通してキリスト教の教会に少し出入りする機会がありました。 大学を卒業してしばらくした後に、私にとっては大きな転機が訪れ、何かに導かれるように、あるカトリック教会の会堂に入って座っていました。
その後勤めた職場で、聖書の言葉に触れ、プロテスタントの教会で洗礼を受けました。約15年後、また転機が訪れ、生まれ故郷に戻り、グイノ神父様に「改心式・堅信式」をして頂きました。中学・高校生年齢の子ども達と接する仕事に没頭する日々の中、時折しか教会を訪れない未熟な信者ですが、ミサを通して、「互いに愛し合いなさい」「無償の愛」「わたしは弱いときにこそ強い」「あなたは、人に喜ばれようとしているのか、それとも神に喜ばれようとしているのか」など、御言葉やメッセージが心に響き、思い悩んでいた事の答えが与えられ、霧が晴れたようにすっきりすることがあります。
何より、日常の汚れにまみれた自分自身を清めていただいているように感じます。 これからも日々神様に感謝して過ごしたいと思います。
ライアナ・ヴァレンティナ Liana Valentina
私はライアナ・ヴァレンチナで、28年前、スマトラ島のバンデュング(Bandung)という町に生まれた。 昨年、十一月に来日した理由は 看護婦としての体験と専問の勉強を深めるためだった。 私は、初めて、家族から遠く離れて、外国へ来た。 私の日本語はまだ中々上手ではないので、少し心配したが、今は、気にしないで 全てがうまくいくと信じている。 特に、主イエスがいつも私を助けてくださる事を堅く信じている。私が生まれてから、一度もイエが私を一人ぼっちにしなかった。 実に、私は白い一枚の紙によく似ていた。る。 紙はいつまでも白いままではない。 時間をかけて、いつか白い紙は様々な色を受けるはずだ。 カトリック洲本教会で、沢山の友達と出合ったから、白い紙であった私は沢山のとても美しい色で染められるようになった。(笑)確かに、主イエスは洲本教会の友達の顔にご自分を写して、私に示されていると強く感じている。 「神よ、あなたが洲本教会において私に下さった美しい色を、喜びにあふれて、感謝する。」これこそ神の大きな恵みである。 皆様、いつも、どこでも、神に感謝しよう! 私は神様が大好きだ!
東 ロディリア Rodilla
私が初めて日本に来たのは建設労働者としてで、姫路で働いた。海外に働きに出たのもはじめてだったが、うれしいことに、たいていの労働者はフィリピン人で、私を指導し、日本について教えてくれた。大阪のカトリック教会を紹介してくれたのは彼らだった。ある時、私を教会に連れて行ってくれ、日本で初めてミサに参加した。それから、大阪や神戸に行く前にミサに参加するというのが習慣となった。ただ遠かったので、2か月に一度しか行けなかったので、チャンスがあれば、教会に行って祈る努力をしていた。
その後、契約労働者として転勤していき、最終的に2年たらず淡路島の岩屋に滞在していた。面白いことに、私は姫路より大阪に近くなったと思ってよろこんでいた。その当時は大阪のカトリック教会しか知らなかったので、友達とその教会にいく計画を立てていた。淡路島にカトリック教会があるとは思いもよらなかった。それから、日本人の男性と結婚し相原の五色町に移った。淡路の中心、洲本ではフィリピン人に簡単に会えた。会話の中でミサに行けば、洲本に住んでいるもっとたくさんのフィリピン人に会えると言われた。その時ミサにいくためには島を出る必要がなく、現実にカトリック教会が近くにあること、いつでも祈りに行けることを知ってうれしかった。
現在、日曜日ごとに夫と娘のルイリン(Louielyn)と一緒にミサにいくのがふつうである。時々、日曜日でなくとも、とくに第1水曜と第1金曜には、ミサではなくても祈るために定期的に教会を訪れる。大阪とは違って教会が近いので、教会のそばを通る時にも祈ることができる。私の夫は心が広く、私の信仰を理解してくれる。彼自身は相原の警官で寺の管理人なのでさまざまな義務があるため、彼にカトリックになってくれるようにと強くはいえないが。私たちはいつも一緒に、家族のために神の導きと祝福を祈っている。
岩谷美禰子
子供の勉強会で教えて
私は神戸から洲本教会へ行き、子供の勉強を月一回ぐらい担当しています。テキストに従って今は旧約聖書のエピソードをたどっています。子供たちの方が教えられる事に慣れていて、教えてくれる大人たちをリードしている?ように感じます。でも彼らの間には年齢の幅があり、その日の聖書をそれぞれがどんな風に理解しているだろうか?と思いますが、一緒に読んでいる事の中に神が働いていると信じます。
彼らの世界である家庭や学校などで、神との関わりをいつも考えながら生きていけるように、聖書と親しんで欲しいと願っています。私は教えた後にいつも元気を貰って帰ります。(子供たちは神父様からエサ(ご褒美)を貰っていますが・・・)神様、有難うございます。そして子供たち、いつも正直で明るく、私に元気をくれて有難う!
ジョセフィン・エディット 新 あゆみ
私と教会の出会いは、主人がカトリック信者の家庭で育ち、結婚式を宝塚教会で挙げたことが始まりでした。その後は、主人の祖母、母、伯父の追悼ミサを受けるぐらいで、二人でお祈りをしたことがありませんでした。
主人は、12年程脳腫瘍を患い、4年前会社で心肺停止を起こし、低酸素脳症による高次脳機能障害で休職してリハビリに励んでいましたが、昨年の10月から急に足が立たなくなり、12月に実家の宝塚で家族に見守られながら、眠るように天の国へ召されました。私は、日に日に弱っていく主人の側で、母がくれたポケット版の祈りの友の「死に直面している病人のための祈り」を祈るようになっていました。その中で、「最後の戦いに打ち勝ち」という説に、人は、死にゆくまで戦わないといけないのだと、夫の死期を看取りの中で深く心に留めました。亡くなった時は、「今まで本当に良く頑張ったね・・・。」と何度も何度も声をかけました・・・。
私も、乳がんでリンパ節から肺に転移をし、夫婦で癌を再発するなど病気から離れられませんでした。こんな私を教会に行くよう背中を押してくれたのは、主人の浩一さんだと思っています。主人が亡くなって、外出や人との交流が辛く、自分の殻に閉じこもるようになっていきました。そんな私を、グイノ神父様、洲本教会の皆様が、そっと見守ってくれる気持ちを感じながらも、祈りの意味がわからず、神父様との聖書の勉強も、自分の罪を強く感じるばかりで、自分のふがいなさを責め続けていました。神父様から、洗礼の日を決めて頂いた時も、正直戸惑いました。私は、神様に委ねるという意味がまだわからない、心から受け入れられないと・・・。自分が一番知っていたからです。そんな自分が、信者になって良いのだろうか・・・。という気持ちで迎えた受礼式の日が、こんな晴々した気持ちになるとは思ってもいませんでした。暗闇に光がさしたような、何かふっきれるものが確実に私の心を打ちました。
それから私は、祭壇でお祈りを始めるようになりました。祈りの意味や、祈りの強い願いや想いが込みあがってくるようになり、自分自身の支えになっていました。グイノ神父様、洲本教会の皆様、本当に感謝でいっぱいです。すべての出会いに感謝しています。本当にありがとうございます。与えられた命を大切に、神様を信じ、祈り続けていきたいと思っています。こんな私を、皆様どうかよろしくお願いします。 。。。神に感謝。。。!
リタ 永田 リタ (カトリック六甲教会)
私にとって木曜日の午後は 大切な時間です。洲本教会の「御言葉のキッチン」で、皆さんと一緒に、御言葉を味わう時間が持てるからです。 御言葉を味わい、深く理解する為に 神父様がしてくださる 手助けやご一緒させていただいている。
皆さんがされる「なるほど!」と思う 実生活に基づいた質問などに 出会えて 「目からうろこ!」の経験をさせて頂いて居ります。 毎回、新鮮な時間です。 知っているつもり、聞いていたつもり、見ていたつもり、理解していたつもりだったと いつも 気が付きます。 御言葉を頂いて 神父様のお話を聞いて、聖書の中の出来事ではなく 今、そこにありありと感じることが出来る 不思議な感覚の体験をさせて頂いています。 心の底から湧き上がる喜び、恵み、感謝、希望、愛。。。!
本当に見る事 聴く事 解る事がどれ程必要かと解ります。 そのためには やはり 手助けしてくださる神父様や時間が必要です。 ですから 私には 木曜の午後はとても貴重な時間です。 そのような「御言葉のキッチン」がある事に 神に感謝しています。
三宮からバスで行きます 確かに近くではありませんが 車中、行きしなは ロザリオの時間にしたり 黙想したりしながら。 帰りは 聞かせていただいた事 その日に頂いた御言葉を 思い返し、又、味わいながら 黙想する時間が持てるので いつも、心が弾む楽しい道中です。
ご一緒させていただいている 皆様にお会いできるのも とっても楽しみです。 どうぞ、これからも宜しくお願い致します。
マザーテレザの素晴らしいところ ヨハナ長尾 千鶴子
ある1人の男性がマザーに質問された。 「なぜあなたは、なけなしの薬を、それを与えたら元気になるかも知れない人に与えないで、与えたところで死ぬに決まっている危篤の人に与えるのですか?」と聞いた。 マザーは「私たちの死を待つ人の家には、道端から死にかけの人が連れてこられます。 そのほとんどが望まれないで生まれた人たちです。 生まれてすぐに捨てられ、人々から邪魔にされ、嫌がられ、何十年かを生き、ホームレスとして誰にも見取られなく死のうとしている。 その1人の人格として、相手を見、彼らのぼうぼうの髪を洗ってやり、 うじがわいた身をきれいにして上げる。 そして生まれてから飲んだことの無い薬をおしげもなく与えられ看護をしてもらう。 すると、その人たちは必ずと言っていいほど『ありがとう』と言って死んでいくのです」そのような温かい看護を受けることによって、人を許し、世間と和解して「やはり、神さま、仏さまは、いらっしゃるのだ」という思いで死んでいくことが出来る。マザーの勇気と愛にみちた行動は本当に素晴らしい!
私は、若い時から、困ったり苦しいときだけ神様によくお願いしていました。 そういうふうな生き方で、人生を歩いていたら、途中で神様にいつの間にか出会ってしまい、教会に通うようになりました。 若い時に、マザーみたいにほんの少しでも勇気があって、神様をあかしすることができたら、本当によかったのになあと思います。 これから先の人生悔いのないよう、そして最後は、「ありがとう」と言って、神様、特にマリア様に感謝して、天国に旅立って行きたいと思います。
ライアナ・ヴァレンチナ Liana Valentina
私はライアナ・ヴァレンチナで、28年前、スマトラ島のバンデュング(Bandung)という町に生まれた。 昨年、十一月に来日した理由は 看護婦としての体験と専問の勉強を深めるためだった。 私は、初めて、家族から遠く離れて、外国へ来た。 私の日本語はまだ中々上手ではないので、少し心配したが、今は、気にしないで 全てがうまくいくと信じている。 特に、主イエスがいつも私を助けてくださる事を堅く信じている。私が生まれてから、一度もイエが私を一人ぼっちにしなかった。 実に、私は白い一枚の紙によく似ていた。る。 紙はいつまでも白いままではない。 時間をかけて、いつか白い紙は様々な色を受けるはずだ。 カトリック洲本教会で、沢山の友達と出合ったから、白い紙であった私は沢山のとても美しい色で染められるようになった。(笑)確かに、主イエスは洲本教会の友達の顔にご自分を写して、私に示されていると強く感じている。 「神よ、あなたが洲本教会において私に下さった美しい色を、喜びにあふれて、感謝する。」これこそ神の大きな恵みである。 皆様、いつも、どこでも、神に感謝しよう! 私は神様が大好きだ!
神さまからの宿題 フランチェスカ・シャンタル 矢田喜代美
今年1月26日、横浜に住む弟が仕事中の事故で、天国に旅立ちました。余りにも突然の旅立ちに家族の悲嘆は深く、まだ悲しみは癒されません。子どもをなくした母の悲しみは深く、写経をしている時間だけが悲しみを忘れられるようです。昨夜もテレビから「千の風になって」が聞こえ、「あの子も風になったのかなぁ」と母が涙を流しました。
聖トマス大学で開講されている「愛する人をなくすということ」という講座で、いろいろな方のお話を伺いながら、「私は、弟の死から何を学ばなければならないのか」、「神さまのメッセージは何か」を探しています。神さまから大きな宿題をいただいたような気がしています。大きな宿題なので、答えをいつ見つけられるかわかりません。天国で弟と再会するときまでには答えを見つけられるよう祈っています。
いつ、だれが、神さまに呼ばれるかわかりません。呼ばれたら「はい」と返事をして旅立てるよう備えていなければと思う今日このごろです。
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