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「たとえば君が」
            発行 2004.03.28

新書フルカバー付/P90/80g/\700

聖祐巳+志摩子さん本。

他は加東さんと祥子さまと由乃さん。
乃梨子ちゃん。

わりとシリアス。小説で2段組。
20×20原稿用紙200枚ほど。
前編と後編詰め込んでの聖祐巳、完結本。サイトの甘いのとはまた別で、こっちは切ないのが通常世界。

再販予定はありません。あるだけ。
左画像はコピー本(前編のみ)の表紙です。新書の場合はまた違う表紙(制服の二人の表紙)をしてますのでお気をつけあれ。























 それは本当に些細なことだった。



「なぁーんか。どっかで見たことのあるような顔が、どっかで見たことのあるような表情して、さすがにそれはないだろうってところから途方に暮れてるのが見えるんだけど。……それって私の目の錯覚?」
「白薔薇さま!」
 まず、そう叫んだのは由乃さん。それから志摩子さんが「お姉さま!?」と驚きの声をあげ、――最後に祐巳が、
「……どうして、ここにいるんですか?」
 さも当たり前のようにして出現した、前白薔薇さまこと、佐藤聖さまを苦々しく見つめ返した。ついでに忘れず、問いかけへの問いかけもして。
 実際、いつもいつも謎過ぎる出没の仕方をするひとである。しかも祐巳にとってはあまり嬉しくない瞬間に。でもお姉さまではないぶん、ほっと安堵するべきなのかもしれない。先ほども思ったが、お姉さまだけにはこんな醜態は見せたくないし、見られたくもない。
 ―――仮にも、紅薔薇さまの妹なのだから。
 ズズンっと重くなった胸のもやもやに落胆の溜め息を零しかけるが、それよりも先に祐巳の耳には聖さまの「まあ、いいじゃないの」というあっけらかんとした返答が戻ってきた。ひょっこり顔をだしては、これだ。いくら思い出深い場所であろうとも、さすがにこれでは追及のひとつもしたくなるってものだ。が、しかしそれが敵う相手でないのは、祐巳も、他の二名もよおく知っている。すべては聖さまの胸の内、真相は闇へと葬り去られる。さっぱりとした性格でいて、実は秘密主義でもあるような気がするのはきっと祐巳の気のせいではないと思う。
 くっくっく、と笑い声を抑えようともしない聖さまは、
「しかし、でっかい小鳥だねえ」
「でっかいは余計です!」
「ありゃま。そっか、じゃあそういうことにしといたげる。んーで? 何してんの? 祐巳ちゃんはそこで」
 そういうことは一番初めに訊くのでは、というようなことを散々笑った後で、またもあっけらかんと訊いてくる。
どっと疲れが増し、思わず脱力してしまった。
「………。根本的に、何か間違ってると思いませんか、聖さま」
「全然。」
 そうですか。
 ああ、もうわかりましたよ、と何ら納得はできぬまま無理矢理納得して、かくがくしかじかと懇切丁寧に事情を説明しはじめる由乃さんと志摩子さんのふたりを上空から――否、木の上から祐巳は眺めて待つ。
 しばらくしてようやく事情が呑みこめたらしい聖さまは、
「ははー、で、今度は祐巳ちゃんが取り残されてるってわけか。いやあ、さすが祐巳ちゃん。外さないわ」
「それ、褒めてませんよね……?」
 やっぱり笑っていた。






「どうしたの? 祐巳? なんだか顔色が悪いわ」
「あ、いえ、ちょっと昨晩考えごとをしていたもので……」
 大好きなお姉さまの凛とした声が、鼓膜を通って、指先や心臓、ありとあらゆる器官に浸透してゆく。そこにあるのは表現するには多くの時間を費やす「歓び」という感情で。巡る血のように常に新しい糧となって、祐巳の身体すべてを幸福で満たしてくれる。
 お姉さまの声に限らず、お姉さまがそこにいてくれるだけで、それは祐巳にとって福音の鐘がいつだって高らかに鳴り響いているようなものだった。
 だからその時も、祐巳は嬉しかった。幸福に満たされていた。お姉さまの気遣う声も、額にかかる髪をさらりと横に梳いてくれた指先も、心配そうに翳るその眼差しだって。
 祐巳はとても嬉しかったのだ。
 それは祐巳を見てくれている証拠だから。
 ―――でも。
「何か悩みでもあるの?」
 お姉さまが、昨日の加東さんと同じことを口にする。そんなに顔にでているのだろうか。ならば隠したところで余計心配させるだけだと悟って、祐巳は素直に心情を吐露した。
「悩み、というわけでは……むしろ悩みというより、何か、よくわからなくて……」
「? わからないから悩んでいるのでしょう?」
「あ、そうですね。そうかも…」
 或いは――わかりたいから、悩んで、いる?
 お姉さまの助け舟は、確かに祐巳の迷いに光をあててくれたけれど、沈みすぎた船底にもう一つ、気づかずに見落としていた穴までをも鋭く知らせてくれた。指摘されなければ気づいていたかどうか。
「あまり考えすぎないようにね。真面目なのはあなたの良いところだけれど、よく無茶もするから……。別に心配するのは苦ではないの。だけどあなたの為にも、あまり心配させないでちょうだい」
「はい。気をつけます。お姉さま」
 こっくりと頷く。
 愁い顔のお姉さまはそれから祐巳のタイを丁寧に直してくれた。そうしてくれている間、確かに祐巳は倖せだった。
 器官から器官へと伝わってゆく歓喜の熱が祐巳をそうさせてくれた。
 悩んでいるのは自分なのだから。
 大好きなお姉さままで悩ませないように、心配をかけないように、満ちてゆく幸福に心から祐巳は笑ってツインテールのリボンを揺らした。






「ね、祐麒」
「なに?」
 入るんだろ? と目で言ってから門を通ろうとする祐麒の背中に、祐巳はもう少し甘えることにした。
「私のこと、好き?」
「なっ何だよ、急に!」
がたがたと掴んだ門を揺らしながら祐麒が祐巳を振り返って見る。
 その、予想以上の動揺に、確かに急な問いかけだったかもと祐巳は思い、反省した。
 だが今だからこそ聞いてみたいと思ったのも確かだった。熱でもあるのかって告げる祐麒の眼差しがちょっと気に入らなかったけれど、重ねて祐巳は聞いた。
「いいから。答えて」
「………」
 ハア、とやっぱり気に入らないリアクションを一つして。
「……そんなの当たり前だろ」
 若干、肩を落としたまま祐麒が小声で呟いた。それから回れ右をして、脱兎の如く勢いで家の中へと逃げ去る。まるで嵐のような逃げ方だった。






「何かを選んだら、ひとはその引き換えに何かを失ってしまう。それは本当に些細なことだったり、とても大事なことだったりするけれど……祐巳さんは、それを無意識のうちに心に留めているのね」






「だからね、これで最後にしよう」
「……どうしても、ですか?」
「うん、そう。どうしても」
 手は未だ繋がったままでありながら、にっとまるで気まぐれな猫のように笑って聖さまは祐巳の顔を覗き込んだ。薄い影の落ちる視界には端整な聖さまの見慣れた笑顔。その頬に、不意に触れたい衝動が沸き起こる。けれどそうするとこの手は離れてしまう。だが今言った聖さまの言葉が本気だとすると、それは自ら選択せずともこれからすぐ現実として我が身に降りかかる出来事なのだ。……僅かに躊躇った後、
「…………嫌です」
触れられぬ代わりにと、精一杯の強がりを祐巳は懸命に言い募った。語尾の震えた声に聖さまの笑顔が少しだけ緩み、そして曇るのが見上げた祐巳の瞳に映った。






 冷たい指先には、まだ開けない扉。

 まだ、開けられない、ただひとつの、一人だけの扉。






「もし、祐巳ちゃんがジュリエットだったらさ……きっとね、物語の最後も変わってただろうね」




(「たとえば君が」一部抜粋/内容量は3Pくらい…)