「馬鹿!!」
気づけば叫んでいた。
腹立たしい。
腹立たしい。
なんて馬鹿なのかしら。
いつもいつも気づきもしない。
だから怒ったのよ。
少しは気づきなさいよ。
本当に本当になんて馬鹿で鈍感なの。
あたしはいつも怒ってばかりだわ。
いつもいつもいつも!
あたしが王様だなんて忘れてしまうくらい、本当に……馬鹿なんだから!





--------------「ここからはじまる物語」






「主上は本当に可愛らしいですね」
その日は珍しく朝から二人きりで過ごす時間が多かった。
たぶんきっとそれは、まだ完全にお互いのことを理解しきれてないあたしたちへの、周囲の者たちがくれたささやかな配慮の一端だったのだろう。
それを知ってか知らずか、いつものように彼はあたしに向かって前述のような発言を放った。
にこにこと、上機嫌を教える嬉しそうな笑顔で。
もっともこの国の麒麟――供麒はいつだってあたしの前では笑顔でいるのだから、今更見慣れたものに深い感慨を覚えるほどあたしはおめでたくもない。
それに……供麒のその台詞は聞き飽きている。
王と麒麟として会ってから、幾度となく聞かされた。
ようやく会えた王に対して歓喜がおさまらないのだと言われても、もう充分ではないかと思うのだ。そのくらい聞かされつづけている。
――――その言葉の後に続く台詞も、もはや。
「本当にお小さいのにとても利発でかしこ……」
「喧嘩売ってるのかしら、供麒は」
(やっぱり言ったわね)
つい口調がとげとげしくなってしまったのは、どれだけ言っても直らない彼のうっかりのほほんとした性格が紡ぎだす、あたしに対する禁句が、やはり本日もまた懲りずに飛び出してきた所為だ。
それについては一体どれだけ口うるさく言ったかしれない。
なのに懲りずにそれを言うのだから、本当に腹立たしいことこの上ない。
「売ってるの? 喧嘩。ああ、そう売ってるのよね、よくわかってるわ」
訊かずとも。
折り畳むようにして返答を問答無用で拒絶した。
「い、いえ、そういう意味では……」
「だったらどういう意味なのかしら、一国の王に対してそれを言うのは」
しかもこのあたしに。
それはあたしにとって嫌味でしかないのを重々わかっていて。
それなのにいつまで経っても彼のその言葉は直らない。
だから余計と腹立たしいのだ。
険のこもった問いに彼は瞬く間にしゅんとうな垂れてしまった。
一瞬前までの笑顔なんてどこにいってしまったのだろう。
意気消沈――まったくもっていつもと変わらない対応。
そろそろ学習能力の一つでも身につけてほしいところよ。
これが自分の国の麒麟なんだから笑っちゃうわ。
なんて覇気のない。
まるで子供のようだわ。
あたしの手よりずっと大きいくせに。
あたしよりずっと高い場所を見ることができるのに。
なのに……!
考えれば考えるほどだんだん苛立ちが募ってきた。
これもかなりいつものことだとわかってはいたけれど。
そして「いつものこと」は、同じくいつものようにその後に続いた。
「……主上」
目線を合わせられる。
いつものように彼が膝を折って。
その仕種がいつも自分の小ささを思い出させる要因となる。
あたしはこんなに小さいのに。
任された国はこんなにも大きい。
その差がどうしても埋まらないような気がして、いつもいつも不安になる。
じわりと滲むような焦燥感が生まれるのだ。
その時もやっぱり突如として沸き起こった感情の行方をあたしは持て余して、当然のように叫んでいた。ふつふつと沸き起こるものをぶつけるように、彼に向かって。
ああ、もうなんで二人きりになんてなっちゃってるのかしら。
止める者がいないからこそ、飛び出てゆくあたしの言葉に躊躇いはなかった。――声を大にして、叫ぶ。
「……なんで!?」
「主上?」
「こんなに大きいくせに……! あんたなんて、あたしなんかよりずっとずっと大きいくせに……簡単に膝なんて折らないでよ、折ってほしくなんかないわよっ! なのになんでそうやって……!」
いつもいつもいつも!
あたしの目線に合わせるのよ。
そりゃあたしが小さいからだってわかってる。それは仕方のないことだわ。
供麒に言ったってどうしようもない。
だけど!
だけど腹立たしい思いは消えない。
どうしても埋まらない。
なんであたしはこんなに――――――こんなに……。

ヒョイ

「供…供麒!?」
「大丈夫ですよ、主上」
ひどく幸せそうな彼の笑みが、風になびいた金髪とともに視界を埋めた。
麒麟は一般的に穏やかな気質を持つという。
情の象徴だと。
でもうちの麒麟はきっと他国の麒麟よりもずっと情けなくて、弱くて、甘い、のだ。
いくら慈悲の生き物だとしても、いくら王が大切だからといっても、この甘さだけはどうにも普通よりは違う場所にあるような気がする。
だから思うのだ。
王として見てはくれているのだろう。
その反面、子供扱いをされている、と。
「お、降ろしなさい! 降ろしなさいよ、供麒!!」
声が癇癪玉のように自分の耳にもはじけて届く。
子供特有の甲高い声。
そうでなくても子供で、――――少女めいた声なのに。
「供麒ッ!」
一喝する勢いで叫んだ。
すると彼はほんの少しだけ困った表情をして、それからあたしを腕の中でしっかりと固定するといつものように穏やかに微笑んでみせた。
「主上は供麒の腕では不安ですか?」
「何を――」
「王は麒麟にとって唯一無二の存在です。だから、私は王以外の者には膝はつきません。私が膝をつくのは、王だけです。私は、王との距離を少しでも埋めたいのです……主上は、」
「子供扱いはやめてと言ってるでしょう!」
声が一際高くなる。
まるで悲鳴のよう。
紡がれる言葉が怖かった。
泣きたい。
でもあたしは泣けない。
だって王だから。
一国の王が、民を導かなくてはいけない王が、こんなことで泣くなんてみっともない。
だからあたしは――どうしても、結局のところ怒るしかできなくなってしまう。
そんなあたしを供麒もよくわかってるはずだ。
それでも。
だからこそ。
その幼い感情が我慢できずにあたしも供麒に対して悪循環を繰り返してしまうのだ。
「子供扱いなどしておりませんよ、主上……主上は王です。子供扱いなどできるはずがありません」
「だったらどうして王だからって膝をつくの!? そんなにしょっちゅう膝をつく麒麟なんて聞いたこともないわ。それは、あたしが小さいからでしょう?! わかってるわ、あたしはこんなにも小さい! みんなあたしよりもずっと大人だわ、そんなこと知ってる。あたしが怒ってるのは、供麒がいつもいつもあたしと目線を合わせるために膝をつくってことよ! そうやってあたしが小さいことを供麒はいつもあたしに知らしめるのよ! だからあたしは膝をつく供麒なんて……っ」
嫌い、と言いかけた言葉はそのまま喉の奥で止まってしまった。
供麒がとても淋しそうな表情をしていたから?
ううん、――あたしがそれを言ったら駄目だから、だ。
供麒が嫌い?
そんなことあるはずがない。
麒麟にとって王が大切なように、あたしにとっても供麒はとても大切な存在だ。
国よりもまず最初に認めてほしいと思うくらいの大きな存在だ。
「王」としてではなく、まず最初に「あたし」を「あたし」として。
「主上…」
また……供麒の困った眼差しをうける。
でもそれはとても穏やかで慈しみに満ちた瞳だった。
いつもあたしに叱られてしょげてばかりいる供麒の双眸ではなく、見透かすようなあたたかい光を宿した……「あたし」への眼差しだった。
ぐっ、と胸のうちにせりあがってくる思いを堪えようとあたしは懸命にその眼差しを正面から受け止めた。腕に抱えられ、子供のような自分が恥ずかしくて。
「――馬鹿!!」
あたしはやっぱり怒鳴った。
たしかにあたしはあたしを認めてほしいと思ってる。
でもあたしは知ってる。
そう望んでおきながら、王であることを忘れそうになる自分が嫌なことに。
「あたし」を認めてもらうことで「王」になりきれなくなる自分にあたしは怖れている。
…………麒麟は総じて優しいから。
あたしはきっと一度「あたし」に戻ってしまったら甘えてしまう。
王であることの誇りも責任も一切放り投げて、その重圧から逃れようとしてしまうだろう。
供麒はそんなことを許してはいけない。
「……供麒は鈍感だわ、あたしは王さまなのよ。少しはっ、もう、なんでもいいから気づきなさいッ」
あたしがどんなに葛藤しているか。
どんなに望んでいるか。
王らしく在るための自分を。
「……馬鹿……」
簡単に抱き上げないで。
あたしは王さまなんだから。
それ以上口を開くと本当に泣いてしまうような気がして、あたしは小さく呟いた。
すぐそばに顔があるんだから、はっきりといわなくてもそれはきっと聞こえただろう。
その証拠に、
「でも、」
供麒が微笑みを浮かべてあたしを見た。
抱き上げる腕を一度力強く持ち上げて、あたしを覗き込むように眺める。
「でも主上の見えないものがもし私に見えるのであれば、それを王に見せるのは私の務めです。主上はそれはお嫌ですか? 供麒の腕から見える世界は」
「……っ」
何、言って……?!
「主上がお小さくていらっしゃるのは、わたしがきっと大きいからですよ」
「――――」
そう言って朗らかに笑う供麒は、確かに麒麟の中でも結構大柄な方だとあたしも思う。
そのくせ気が麒麟だからという理由でなく弱くていつもあたしに叱られっぱなしで、でも懲りずにあたしについて回ってきて……。
心配症でとても過保護な供麒。
身体の大きさ半分もの度胸もない。
いくら気性が穏やかな性質だからといっても余り余ってお釣りがくるほど……気が弱いくせに。あたしは知ってるのよ。
「主上、私は主上に御仕えできていつでも倖せです」
あたしに、……いつも怒られてばかりのくせに。
なのに。
なんで笑うの……?
あたしが小さいのは供麒が大きいからだ、なんて……そんな馬鹿みたいなこと、本当に……そう思ってるわけ?
あたしにそう思えって言うわけ?
――――――ああもう、なんて……!
「主上が見えない世界を私が見せてあげられる……私は主上の麒麟で本当に良かったと思っております。だから、主上……」
どこかうっとりと言う供麒を遮ってあたしはまたしても怒鳴った。
心の底から、幾度となく繰り返した怒声にいつもと違った感情を密やかにのせて。
あたしは渾身の力をこめて、叫んだ。
「――ッッ、馬鹿じゃないのっっ!?」
「え…?」
怒声にきょとんと供麒の瞳が見開かれる。
ただ純粋に驚いているようだった。そこへ。
「常々っっもうこれ以上ないってくらい知ってたつもりだったけどっ! 本っっ当ーに、どうしようもなく救いがたい馬鹿だって今日改めて思い知ったわっっ」
「主…主上」
ひどい、なんて傷ついた眼差しをくれたって、もう駄目よ。
わかったんだから。
もう、わかっちゃったんだから。
「だいたいあたしがこの先たおれたらどうなるのよ!?」
「え、と申しますと…?」
「次の王をさがさないといけないでしょうっ!? それでもって次の王があたしなんかとは全然比べようもないくらいごっつくって百戦錬磨のお堅い武人だったらどうするわけ? それでもお似合いだとかのたまうわけ? 馬鹿じゃないの!?」
「あ、いえ、それは……か」
「考えてなかったとか言ったら、今すぐ、この場で、張り倒すわよ」
ぐ、と拳をきつく握り締めると、目に見えて供麒が動揺した。
零れ落ちた空気を慌てて拾い集めるように、忙しく口の開閉をする。
ほらみなさい。
そんなこと、軽々しく、言うからよ。
言いよどむ唇から何とフォローの言葉がでるか、それはそれで聞いてみたいと思ったけれど、それよりも先にあたしが言葉を風にのせた。
少しだけ落ち着いた声で。
微妙に居心地の悪そうな供麒に、
「――――だからあたしが王でいる間は、容赦しないわ」
そう言って笑ってみせた。
甘やかさない。
たとえ相手が麒麟だからって。
あたしは王なんだから。
それに。
「馬鹿ね……供麒は、あたしの麒麟なんだから。景色なんて、あたしはあたしが見たいときにいくらでも見せてもらうわ。だって供麒はあたしよりうんと――――」

(……大きいんだから)

最後の言葉はあえて声には出さなかった。
出さなくてもわかってくれると思った。
遅い確認だわ。
本当に、なんて遅い。
最初からわかっていたのは供麒で、望むように扱ってくれてたことに、あたしのほうが今頃気づいたんだから。
無自覚でも、供麒はわかっていたんだってことにもやっと気づいた。
馬鹿だわ。本当に。
つくづく、供麒も――――あたしも。
でもだからこそ、やっていけるのかもしれない。
この国の王と麒麟として。
「あたし以外の者を抱き上げたりなんかしたら、許さないから」
王の傍には麒麟が必要なのよ。
そこはあたしの指定席なんだから。
誰にも譲らない。
それに……あたしが王様だなんて忘れさせてくれるのも、うちの馬鹿な麒麟だけ。
だから覚悟してなさいよね。
あたしは自国の麒麟だからって容赦はしないわ。
この国を、あたしは、あたしのこの小さな手でも守っていく。
(供麒と、一緒に……守ってゆくんだから)
「……腕、疲れない?」
ふと思いたって訊くと、しばし動作の止まっていた供麒が、やがてぎこちなくあたしを見据え――。
「いいえ、供麒は丈夫ですから」
そう言っていつものように嬉しそうに微笑んだ。




力強く、抱き上げられる。
その腕の先には、今朝官僚たちが綺麗ですよと言っていた深緑に彩られた木々の葉がみえた。柔らかそうな葉がくるまってそこから空に向かって真っすぐに伸びてゆこうとしている。
あたしの背ではとてもじゃないけど、見れるものではない。
(二人だから見れたのね)
声に出さず、そう思う。
言ったらきっとこの供麒のことだ。
また笑顔でいつもの言葉を連呼するに違いない。
わかっている。
そんなことはもうとうにお見通しで。



――――だけど。



あたしたちはまだきちんと出発地点にも立っていなかったのよ。
国なんて救おうなんて思える場所にも辿りついていなかった。
だから。
「供麒は、あたしのこと……好き?」
「――は?」



あたしたちはまずここからはじめる。
お互いの再確認から。
そうしてすべてははじまってゆくのだから――――。



覗き込んでくる眼差しが微笑みを浮かべる。
そして勿論です、と断言する言葉を耳に入れ、あたしはゆっくりと破顔した。



fin.




有名小説・十二国記シリーズから。恭国のふたり。(01/11/15)に執筆。

珠晶ちゃんと供麒です。
ここの麒麟はこれで倖せなんです。多分とても。
個人的には楽陽が好きなんですが、このふたりも大好きです。
珠晶ちゃんの話ももっと読みたいですが、どうでもいいから早く続きと、
泰麒の不遇っぷりをなんとかしてあげてほしい今日この頃です。
(あと更に陽子と景麒の二人も好きです。どの国も王と麒麟はナイスコンビ)


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