--------------「 君のさしだすカサのなか 」




つくづく、天気予報なんてものは見るものではないと思った。
そうでなくとも世間では一般に梅雨入りしたといっている。
それはここ数日気が滅入るほどに降り続ける雨音を聞いていてもわかることだ。
途絶えることなく、多少の強弱はあれど、格好の出番時だというような勢いに誰がそれを失念してしまうであろうか。
今は梅雨時期。
雨音は消えることなく降り続ける。
だから天気予報など、見るのではなかった。
雨だ、梅雨だと改めて実感さえしなければそんなことをふと思ったりはしなかったのだ。




「竹田君、これから誰かと会うのかい?」
さらさらと小雨程度に勢いが衰えた雨雲の下で、自称「世界の危機と戦う」彼は、その手にしっかと可愛らしい傘を携え、僕を見つけるなりそう訊いてきた。
その質問の意図を理解するよりも先に僕はその目前のものに茫然と目を奪われていて、問われたことへの対応をふと気づけば誤ってしまっていた。
「いや……別に誰にも会わないが……」
「ではその傘は――」
何なんだね?
否、と答えてしまったことによって彼の――ブギーポップの疑問は当然の如く深まってしまったようだった。ごくごく不思議そうに小首を傾げるさまは、普段僕と同じようにごく普通に喋る年下の彼女、藤花の仕草によく似ていて、思わずどきりとしてしまう。
違うのはその面に浮かんだ表情の違いだけ。
彼は笑わない。ただ生真面目に問ってくる。
その視線の先には、もはや行き場の失った一本の傘がひそりとその存在を露わにしていた。
傘はすでに頭上でさされている。
今ブギーポップが目にし、指さしているものは、閉じられ、僕の手の中で佇む一本の傘。
一人の人間に傘は二本もいらない。
自分の分をさしてしまえばそれまでだ。
そうするとその傘は他の「誰か」のものと考えるのはやはり当然で……
「あ、ああ」
(……しまった)
なんとか平静を装おうとするも、もう今更どうしようもない。僕の背筋には嫌な汗がつと流れはじめ、なにか他に良い言い訳がないかと必死になって思考回路が巡る。
そんな中でも相変わらずブギーポップは不思議そうにしているだけだった。
……ああ本当に。失念していた。
今は梅雨に入ったばかりで、普通に考えればどうしてこの雨の下、傘をささずにいられるというのだろう。なんとなく彼がそんなことを気にすると考えていなかったのだ。
しかしそうだ。
ブギーポップは、宿主の藤花のことを随分と気にかけているではないか。それは意識のある「自分」よりもずっと。
その気にしてやまない藤花に対して、風邪をひかすような行為に彼が安易に走るわけがない。
本当に、何故、こんな簡単なことを見落としていたのか。
「竹田君?」
首を傾げる彼の手には僕自身も何度か見たことのある、ふんわりと女の子の好むような柔らかい色合いをした可愛らしい傘が握られている。言わずもがな、藤花のものだ。
そうこうするうちに、ブギーポップの不思議そうな表情はすっかり不可解なものへと変わってしまっていた。
「熱は……ないようだが」
すこしひんやりとした手で彼は僕の額にぺたりと触れた。
そして言うのだ。
表情を崩すことなく、少し構えたふうな、けれどやはり真面目な面持ちで。
「こういった時期の風邪は性質が悪いからね。用がないなら早く帰ったほうがいい」
「い、いや……用は……」
来る前には確かにあったのだ。――とは、さすがに言えず、口ごもってしまった。
その代わり、
「……おまえはどうするんだよ?」
やや仏頂面になっているだろう自分を自覚しつつ、僕はそう訊いた。
ふむ? と、ブギーポップは僕への応えを考えるように、静かに傘の先からみえる曇天を見上げた。
雨はやまない。
そしてブギーポップの世界の敵との戦いも、彼がこうしている間はまだ終わらないのだ。…僕は知っている。他の誰が知らずとも、僕にそう告げたブギ−ポップがいることを。
「そうだなあ、今日はこの辺りでぼくも行くとするよ」
敵の気配はないようだからね、と彼は付け足した。
さらさらと降り続く雨にブギーポップは目を細める。
「……雨はいつまで降ってるだろうね、竹田君」
ぽつん、と。
傘の切れ間から零れ落ちた言葉は、何故だか妙に切なく僕の胸に滑り落ちた。
雨は天の気まぐれだ。いつ降り止むかなど、いくら天気予報という便利なものがあったとしても、正確な動向は本当のところ誰も知る術はない。
神様がいるとしたら、せいぜいその神様ぐらいだろう。
――――明日のことなど、誰にも知ることはできない。
それはまるでブギーポップと名を持つ、彼自身のことをもさしているようで。
咄嗟に。
考えるよりも早く言葉が口をついてでていた。
「明日になったら、また、確認すればいいじゃないか」
返答としてはちぐはぐなことを僕は言った。
何を言ってるのかと自分でも思わずすぐさま考え直したくらいだ。……本当に、今日はなんて空回りな日なのだろう。不要となった傘の柄を握り締め、力をこめて持ち直す。
そうして、さぞかしブギーポップはこんな意味のない返事をした僕に呆れているだろうと思った。
そして一旦そう思うと、彼の顔をうかがうことすらできず、僕は視線を地面へと逃そうとした。
けれどふとその拍子に、ブギーポップの双眸が見上げていた空から僕の方へと動くのが視界の隅に映った。
今、ようやくそれに気づいた、といった風に。嫌な予感がする。
やがて、もしかして、と黒いルージュで彩られた小さな唇が動いた。
「今、気づいたんだが……その傘は、ぼくの為に持ってきてくれたのかい?」
果たして、それは予感した通りの言葉だった。
僕の前でまたさっきまでのブギーポップの不思議そうな眼差しが浮かび上がってきた。
しげしげと僕の手の内にある傘を眺める。
「…………」
なんだか情けなくなってきた。ついで少しの苛立ちも生まれた。
さっきまで気づかなかったのに、なにも帰ろうとしてる今になって気づかなくてもいいじゃないか。
それでも気づいてくれたことが多少は嬉しかったりするものだから、こういうのをなんていえばいいのかわからない。
不明瞭な気持ちだけが雑然と騒がしく胸の中で暴れ出す。
厄介なのだ、本当に。……わからないけれど、色々と本当に。
「どうなのかな?」
上目遣いで返答を求められ、わからないけれど、やっぱり自分の返すべき言葉はそれ以外ないように思えた。
「ちょっと考えればわかることだったんだけどな」
そう言って苦笑してみせる。降参だ。
間抜けなことこの上なかったが、今更隠して仕方がない。たとえ嘘をついても彼はそれは易々と見破るだろうし、そうでなくとも僕は嘘が苦手なのだ。いっそ共に笑ってくれたら多少はこの気まずさ、居心地の悪さもなくなるだろうけれど――……と、そんなふうに考えている時だった。
笑わない相変わらずな彼の、次にとった行動を、僕は予想さえもしていなかった。
パチン、と自ら傘を丁寧に折りたたむと、ブギーポップは降り注ぐ雨の中でその手を僕にむかって差し出してきた。驚いて瞳を瞬かせる。そして。
「ほら、貸したまえ」
妙に芝居がかったような大時代的口調はいつもと同じだった。
同じだったのに、違っていたのは……何だったのだろう。
何かがいつもの彼と違い、僕もまた奇妙に落ち着かずにいた。
何だろう、これは。
これは、……一体何だというのだろう。
促されるまま、手にした傘を渡そうと軽く持ちあげた。その時、微かに指が触れた。
一瞬の熱が指先を通して伝わってきた。
ブギーポップの、彼自身の熱が。
……飾り気も何もないどこにでもあるような濃紺のビニール傘を手にすると、彼はすぐに雨に濡れぬようカチリと空に向けて留め金の音を立て、その傘をさした。
そうして、
「せっかくだからね」
言いながら、今度は自分の持っていた傘をグイと僕に押し付けてきた。
「……は?」
「ほら、君も使いたまえ。なに、多少浮いてみられるかもしれないが、気にしないことだ」
ひどく真面目な顔をして言うものだから、一瞬、何が起こったのかわからなかった。
……わからないままの方が良かったのかもしれない。
押し付けられて――どう見ても自分に似合わないだろう今までブギーポップのさしていた傘、いや元は藤花のだろうが――実に可愛らしい傘を、片手に……悲しいほど僕は情けない顔をしたに違いない。
ブギーポップは僅かに苦笑したようだった。
まるで、可笑しいといった風に。
空気にのせて彼が苦笑したのがわかった。
「おい」
どうしろというんだ、これを。
視線だけで訴えると、ブギーポップは短く答えた。
「傘は、さすものだろう?」
端的で、それでいて抜け目のない言葉。
釘を刺すように牽制をされ、僕は大いに戸惑った。戸惑うしかなかった。
これを? この傘を?
させというのか、こいつは。
やがて歌うように彼は続けて言った。
「それも青春のうちだろう、竹田君」
「………………」
ああ、本当に…………なんというのだろうか。
こういうのを。
「――――言い忘れていた」
もうこうなったら自棄だ。
多少の白い目がなんだ、と、勢い良くさした傘に、その一歩先をいっていたブギーポップが振り返った。僕の持ってきた傘をその手に、さしながら。
「ありがとう。――――明日、これは返すよ」


(――返しに、ゆくよ――)


……案外、ひとは自分が思っているよりも随分と、自分に都合のよいことを曲解するのに長けている生物なのかもしれない。
ブギーポップの言葉を聞きながら、僕は心底そう思った。
何故なら、相変わらずな彼の声に、僕は……そう僕は、本当に随分と勝手な解釈をその時していたのだから。






「あー……明日もまた、雨かな」
「さて。それは明日になったらわかるんだろう?」
素知らぬ顔で返す彼の傘は、まるで彼自身の心のように、楽しそうに揺れていた。




(了)





05/05/22
「ブギーポップは笑わない」(電撃文庫)より、竹泡。大好きなブギーサイトさんのイラストを見て打ち出した突発創作を、あろうことかそのまま強制贈与した話でした。おお、勢いってすごいね!大分時間が経ってるのでちょっとだけ眼に余る部分を修正加筆しました。
ブギーシリーズの最初の一冊さえ読んでれば内容わかります。というか「浪漫の騎士」の章が、竹泡すぎて泡かわいくて、あー、泡の子かわいい。大好きです。あんだけシリーズ続いてるのに未だに一巻以降から二人の再会が果たされない辺りがもうどうなのそれ、みたいな。竹泡は未だにものすごくときめく。誰にでも強気な泡の子なのに、竹田くんに対してだけは甘いというか弱いというか、……かっわいいなあ!(燃)




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