傍に居られて。 声を聴けて。 望むことは全部ではないけれど、 半分だけ叶った。 言えない気持ちを言葉にだせて。 この想いを、伝えることができて。 それで良かったと、思った…………それなのに。 |
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―――― 永遠よりも近く ―――― | |
「欲が…出そうになりました」 空を駆け上がるバイクの音に混じって、そうぽそりと呟いたのは、今しがたこの世の未練を断ち切ったはずの少女だった。 背後からの小さな声は苦笑めいていて、いっそ冗談のようでもあり、けれどその裏の裏では少女の迷いに迷った心情が素直に吐露されているようでもあった。 きっと後者なのだろうとナベシマは思う。 だがだからといって動揺などするはずもなかった。 今まで乗せてきたこの背の後ろで、どれだけの者がそう言ったであろうか。 未練と呼ばれる生前の後悔にも似た感情を、優しく受け止められ、昇華することができて……還りたいと願うその心を、これまでもナベシマは幾度となく見てきた。 還りたいけれど、もう帰れない。 もうその現在という世界には、どう足掻いても還れはしないのだ。 時間はリセットされ、また新たな魂を抱き、生を享けるそのときまで。 帰る、ことなどできるはずもない。 そんな未練を残さぬためのGSG――極楽送迎でもあるのに、そうやって今までに儚い苦笑を零す者は、別にこの少女だけに限ったことではなく数多くいた。 しかし今回はいつもとは違った気持ちでナベシマはそれを聞いていた。 生きていれば、実ったであろうその恋。 叶わなかった恋に未練を残し、伝えることのできなかった想いを口にし、――少なくとも、その、未練の主でもあった少年の心にその心は残っただろう。 好きだと言った、少女――緒川千里の気持ちは。 ただ、視える体質とともに、その対象がよりにもよってGSGのバイターでもある提円であったことが、今回いつもと違った感情をナベシマに抱かせているのだ。 好きだといえず、思い出だけを持っていこうとしていた少女。 だが幸か不幸か、言えぬはずだった……聞きとめてもらえぬはずだった声が、届いた。 想い人であった少年に届いてしまった。 故に――――思うのだ。 心底。 「生きてたら……もっと違ったことになったのかなって……」 欲が、出てしまいました、と。 気配だけではあったが、もう一度彼女はそう言うと、微かに笑った。 笑った、ように……思えた。 この駆け上がる空を引き返すことができぬように、想いが届いても、戻ることはできない。 時間は、とまったのだ。 なくなってしまった。 千里という名をもつその身体にあった時間は。 「………………」 「千里さん……」 思わずといったようにゆずこが声をかける。 すると焦った千里の声がすぐさま返ってき、 「あ……やだ。すみません。困らせるつもりで言ったわけじゃなくて、ええと、その、ただ少し」 「――――――淋しいか?」 「そう、淋しいな……って………………ぇ?」 「ナベシマさん」 意外だというようにゆずこが言った。 ナベシマは振り返らずにバイクを走らせる。 だから表情は見えない。 それは千里も同様で、駆け上がる空一面の星空に目を背け、千里は俯いた。 『淋しい?』 ――――――……そんなの。 ……本当に本当に、そう、思っているからこそ……胸中を言い当てられ、懸命に浮かべていた僅かな微笑も壊され、掻き消えて。 ぽつん、と千里は呟いた。 「………や…やだなぁ、堤くんにも聞いてもらったばっかりなのに……私」 なんて我が儘。 淋しいなどと言えるような立場ではない。 ……言えるような……時間も、もう、ない。 「……ごめんなさい、気にしないで下さい。ただの感傷ですから」 感傷と呼べる思い出ができたことだけでも倖せなことなのだ。 これ以上、何が言える? 「………ごめん、な…さい」 「千里さん……大丈夫……?」 二度目の謝罪は何に対してだったのだろう? 自分の我が儘に? 押さえ切れない自分の気持ちに? それとも。 「伝えたら、誰だって欲は出るだろう。別に責めてるわけじゃないさ」 「――――――――」 ……涙が零れる。 心の痛みに叫びを上げて。 違う。違うの。 淋しいから――――そうじゃ、なかった。 そんなことじゃなくて…………困らないといった彼に。 ただ。 「……え? ナ、ナベシマさん!?」 急に視界がぐるりと反転した。 驚きの声を上げるゆずこに、ナベシマはただ一言、 「忘れものだ」 そう言って、駆け上がっていた空をそのまま引き返す。今来た道を。 来たばかりの道を。 滑らかに、落ちるように、下ってゆく。 その先に待つのは…………。 「ナベシマさーん……」 「………………」 黙ったままのナベシマにゆずこは不安そうに瞳を揺らす。 らしくない、といったらそれまでだが。 こんなことをして、怒られるのはナベシマ本人で、それをきっと承知の上でやっているのだからゆずこがそれについてとやかくいう術はない。 だけど……。 チラリとゆずこは背後を振り返る。 自分同様、驚いている少女に……それは辛くないだろうか? どうしたって動かない時間を今一度目にすることは。 今一度、目の当たりにすることは。 …………辛くないのだろうか。 「タイムリミットは3分だ」 「あ、あの……?」 「それ以上は待たない。過ぎたら容赦なく連れてく」 だから、とナベシマは続けた。 「もう一度、会ってこい。ただし絶対に見つからないようにな」 「――――――」 きらきらと花火の残したひかりと星の仄かなともしび。 夏に残った気持ちと、確かな思い出。 淋しいから? それを望んだ? ――――――――それは、違う。 淋しさは消えないけれど、伝えられて倖せだった。満足だった。 だからただ本当に……。 そんなことではなく。 ふわりと空気中を舞い降りて、千里は背後からその背を眺める。 少し色素の薄い髪、青いシャツから伸びたその手の優しさはもう充分に知っている。 交わした会話はほんの少しだったとしても。 一緒に過ごせた時間が他の誰よりも短いものだったとしても。 好きになって、後悔をしたことはただの一度もない。 好きだった。 好きだった。 ――――とてもとても、好きになれた。 それだけで自分はもう一生分の倖せをこのたった一瞬の間に手に入れたのだ。 夢のようなひととき。 だから欲が出た。 夢ではなかった証にと…………もう一度だけ、会いたくなった。 (ただね……会いたかったの) 交わす言葉はなくてもよい。 自分の存在に気づかなくてもよい。 ただもう一度、この目に、この心に、その記憶を刻み付け……刻み付けて、逝きたかった。 (――――――) ごめんなさい。 ありがとう。 ――――――――――ありがとう。 透き通る手でその髪にそっと触れる。 宙に浮いた身体はもう、何も感じることはできないけれど。 心だけは。 痛いほど気持ちが溢れている。 (…………ありがとう) 好き、と言う勇気がなかった自分を追いかけてきてくれて。 困らないと。 嘘でないと。 我が儘を、聞いてくれて――――。 本当に本当に。 (――――ありがとう――――) 背後からの内緒の思い出。 柔らかなその髪に落としたくちづけに、どうか一生気づかないで。 この思い出だけは私が内緒で持ってゆくから。 どうか。 ――――――――どうか倖せになって。 |
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◇ ◇ ◇ | |
「よし、行くか」 「はい」 吸い終わったばかりの煙草のけむりに包まれながら、ナベシマが言う。 その脇には優しく笑うゆずこの姿がある。 改めて、お迎えにきました、と言わんばかりに。 何事もなかったかのように、彼等は千里をバイクに乗せた。 手を貸そうかと振り返ったゆずこに千里は笑って首を振った。 「大丈夫です。もう、大丈夫ですから」 迷いのない瞳で、千里ははっきりと言う。 大丈夫。 もう、大丈夫。 それに気づいて、ゆずこはほんの少しだけ瞳を見開くと、すぐに表情を和ませ、 「良かったね」 にこりと笑うと、千里も笑った。 「――――はい」 煙草のけむりが消える。 そして駆け上がる二度目の空に、小さく、星が瞬いた。 |
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(……倖せに、なってね) | |
fin. |
「お迎えです。」(田中メカ/白泉社)より円千里。
永遠よりも近く。
ちさっちの円ちゃんを想う気持ちが好きでした。
好きになって良かったなあって笑顔の彼女が、
とても綺麗で好きでした。メカさん漫画の中で
一生懸命頑張ってた娘だと思います。とてもいい娘でした。
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