「 ツー×カー Lv.0 」




目の前にあるのは一本の腕だと、ことさら冷静に確認した直後のことだった。


「彼女ができたんだそうだ」
「……そのようですが」
彼女の上司でもあり、東方司令部の大佐でもある彼の突然の言動は時々不可解すぎて理解し難いものがある。――改めてそんな認識を深めながら、リザ・ホークアイは眉根を寄せ、いぶかしげな眼差しをそんな上司、ロイ・マスタング大佐へと一先ず向ける。唇の端にはいつもの余裕に満ちた笑みが刻まれており、それがまたリザの疑問を誘う。そもそも今の言動がどうして自分に対して紡がれ、繋がりをもつのか。それがわからない。
(行動が突然なのは以前から変わらないことだけれど……)
他人が聞いたら実に彼女らしい見解だと述べそうな、しかしロイにしてみればにべもない反応に頬を引きつらせそうなことをさらりと思いながら、
「それが、私に何か?」
つい先ほど発覚したハボック少尉に彼女ができたという――否、できて「いた」という過去形にならざるおえない話について、自分への関連性を静かに問う。斜め左へと向けた眼差しにはいつも通り不敵な様子のロイがいるのだが、どこか不自然なぎこちなさが窺える。気の所為だろうか。これもよくわからない。
とりあえず自らの歩行を塞き止めた彼の腕へと目をやって、
「大佐。何をされたいのか、ご理解致しかねます」
「……君は本当に本気でそう言ってるのか」
僅かに見開かれる眼差し。
だがリザはどこまでも冷静に、あくまでいつも通りの落ち着き払った態度で現状への対処につとめようとする。ロイ相手には特に、自らの姿勢を崩さないことが、彼女が常日頃から心がけていることであり、物事を円滑に進めるために努めて成していることでもあった。
なにせ相手は東方司令部で悪名高いロイ・マスタング大佐である。いつでも気を張っていなければ、隙をみせたら最後、どこに消えるかわかったものではないのだ。
だが今はそれらに思いを馳せている場合ではなく。
「…私が特には冗談を好まないことは、すでに大佐もご存知だと思いますが」
「それは知っている。知っているが……だが、しかし……ここまでやってとは」
珍しく狼狽したふうに苦渋の色をみせるその眼差しに、「大佐?」と怪訝な眼差しでもって対応する。通せんぼをするように――実際その通りなのだが――リザのすぐ横の壁へと垂直に伸ばされた腕の持ち主は、そう言って、こころなしか焦りの色もその瞳に浮かべていて。
珍しいことだわ、と密やかに思うも、やはり今この時には関係のないことだと即座に意識を元に戻す。少なくとも彼のその状態とハボック少尉の件が結びつくものだとは思えない。
「それで、結局大佐は何が仰りたいのですか」
「……ハボック少尉に彼女ができていたんだそうだ」
再度繰り返される台詞。
けれど今度は思い出したかのように発言が過去形になっている。
「……。それは先ほどお聞きしました。私はその真意と意図についてお訊きしたいのですが。それと――」
瞬間、ロイの苦悩が僅かに……否、決定的に深まったのだが、これにリザが気付くことはなかった。いいや、気付きはしたのだがその表情における真の意味を読み取るまではいかなかった。彼女は真剣にロイの浮かべた表情の意味を拾い上げることができず、故にまさか自分の発言がその原因となっているとは露ほども思わず、
「通行の邪魔をされるような覚えも、私の方にはないのですが……」
トドメの一撃を淡々と紡ぎだす。
彼女にしてみればいつも通り呟くようにして発した独白であったのだが、それは瞬く間にロイの表情を凍りつかせ、
「……大佐?」
ぐらり、と。表情のみならず、傾いだロイの身体から、ようやく彼女の行く手を阻んでいた腕をも退かせるに到った。目前が塞がれた時と同じくらい急にすっきりと開ける。逆に、見上げたロイの顔色はそれとは対照的にどうも思わしくないものへと移り変わっていて、さすがのリザもこれにははっとなって、ある一つの可能性を口にする。曰く、
「大佐、もしかしてどこかお身体の具合でも」
「イヤ、だからそういうわけでは」
「中央への移動も決まったわけですから、この際、普段の不摂生も改善されるべきです。だいたい大佐は普段から無茶ばかりをされていて、その自覚もまるでな」
「…………中尉」
「はい」
ぴしりと背筋が伸ばし、まるで、その背が答えたかのような澱みのないはっきりとした言葉を即座に言い放つ。たとえ、だらしない上司を戒める言葉を容赦なく放っていようと、雨の日は無能だと誰に憚ることなく公言していようと、主に女性問題を多数保有し部下からその筋で多くの恨みを買っていようと、リザ・ホークアイという女性にとって彼は紛れもなく一筋縄ではいかぬ、有能な上司でもあるのだ。
基本的な土台にそういった深い忠誠心があるからこそ、彼女は彼に対してあらゆることで妥協しない。それはある意味でひどく厳しいものなのかもしれないが、純粋すぎるがゆえに、とも云える。そしてほんの少し窮屈な生き方であるのではないかと、彼本人からリザはかつて指摘されたことがあった。昔話というほどのものではないが、気軽に持ち出すにはほんの少し躊躇いを覚える、それは遠い日の出来事だ。
あれからずっと共に、或いはその傍に控え、忠誠を誓い仕えてきた。それ故にロイのことならばある程度のことは理解していると思うし、その自負もある。……だが今という時間においての彼は、どうも自分の理解の範疇を大きく超えた場所にいるような気がしてならない。
「いや、呼び止めて悪かった……行きたまえ」
「…あの」
「急いでいたのだろう」
「いえ、ですから」
大佐と呼びかけながら、一歩、二歩、三歩。
前に進み、背後を振り返る。
「私の用があるのはこの部屋ですので」
「―――」
呼び止められ、通路を遮られてから歩んだ、数歩先の扉を前にして静かにロイを望む。するとロイの頬がまた僅かに引きつって見え、
「大佐、やはり顔色があまりよく」
「い、いや、何でもない。行きた……いや、そろそろ私は行くとするよ。本当に、呼び止めてすまなかったね」
「いえ……ですが、本当に大丈夫ですか? 私にはあまり良いように見えないのですけれど」
「大丈夫だ」
リザの指摘通りの、濃縮した疲労の濃い、低い声を洩らしながらも、それでも実にはっきりとロイはそう断言する。その様子にこれ以上の押し問答をするべきではないと気付き、そうですか、とリザは短く頷き、その場は引いた。
本当は「心配するほうの身も考慮して下さい」と――中央云々を言い出したときから――そう続けて言いたかったのだが。
大丈夫だと本人が言うのならば仕方がない。
「私は執務室にいるから、…何かあったら声をかけてくれ」
「はい。わかりました」
頷き、一礼をする。
頭を垂れ、遠ざかってゆく足音に耳を澄ます。しばらくしてリザが顔を上げると、ちょうど廊下の角を曲がるロイの横顔がその視界に映って見えた。……なんとも形容のし難い表情をしている。
それを遠目にしながら――。
結局。
質問に対して何の回答も得られぬリザだけが後に残されることとなり、
「……何だったのかしら、あれは」
その場にロイが居たら更なる失墜の闇へと葬り去る一言をぽつりと洩らし、微かに首を傾げながら、当初の目的通り、リザは目の前の扉へと顔を向けたのだった。




了.



■ コメント ■ 
ロイアイ本「ツー×カー」の序章部分です。最後にもう一文きますが。(それは本で)
ひたすらに鈍いリザさんが書きたいと思って、短めに書いてはいたのですが、
さすがに大佐が可哀相になって続きを本で書いたという、そんなお話。

あと、押して駄目なら引いてみなって感じのお話。(どうだろうそれは…)
ついでにロイアイ本のわりにハボックさんが好評な本。(ナゼだ。)

(04/05/15)


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