「 存在の 」 | |
「重さってさ、たまにわかんなくなるよ」 「それ、何の話?」 たまにわからないのは、そう問い返したこっちのほう。――本当に、たまに弟の祐麒はこんなふうにいきなりよくわからないことを言い出す。 男の子だからなんだろうか。 そのわりにはお年頃な祐巳の部屋にしょっちゅう来ては、涼んでゆく。 けれど祐巳がちょっかいをかけると、微妙な顔をして逃げ去っていくのだから、一体全体なにがやりたいのかわからない。 今日は持ってきた本をわりと静かに読んでいるかと思えばこれだ。 これが同性のきょうだいだったならば少しは違ったのだろうか。 ……そんな疑問がとめどなく思考に溢れ、ついでに祐巳の眉間に皺を寄せさせる。性別が違うって本当に大変だ。 最近、祐麒に対してやたらと祐巳はそう思う。いつの間にか追い越されてしまった弟の背中を見るたびに、それはもう強く。 (ちっさかったのになあ) ついでに可愛かったなあ、と本人を前にしては決して言えないことを心のなかで零す。 (あ、そういえば) 小学生の頃。祐巳が愛用していた木製の椅子を一緒に片付けたことがあった。あの時には、もうすでに背丈は同じくらいになっていたような気がしなくもない。まだその時は追い越されてはいなかったはずだが。 (で、それからしばらくして抜かれて) ―――現在に到る。 同じ目線であった期間はひどく短かったように思える。 それどころか、もうほとんど変わることのない祐巳の身長と、これから益々成長期といったふうでもある祐麒との差は、広がってゆく一方だろう。けしてもう追いつくことはない。 (……やっぱり男の子ってずるい) 逞しくはまだそうないけれど、祐麒の身長はまだこれからもどんどん伸びるだろうし、力ももっとついてくるようになる。差は開くばかりだ。 男の子と女の子。 たったそれだけの境界線のせいで。 「…………」 「祐巳? なに変な顔し――いてっ……て、て、ちょっ……祐巳!?」 えい、と無言で無防備な祐麒の頬を両手でもって左右に引っ張る。だがすぐにふりほどかれてしまった。それがまたなんだか非常に悔しい。 「なにするんだよ」 「祐麒がわかんないこと言うからよ」 「……ってそれだけのことで俺はいわれなき暴力をうけたのか」 「私としては充分な理由だし。――で、なに、重さって」 憮然とする祐麒の視線をすり抜けるようにして話題をぐるりと元に戻す。もともとふってきたのは祐麒なのだから、答えてもらおうとするのは至極当然の行為だろう。ごまかすにはちょうど良い。 「重さっていったら重さだよ」 「だから何の」 「……別に。深い意味なんてないよ。ただちょっとそう思っただけ」 なんだか妙に歯切れが悪い。 言い出したのは祐麒なのに、言ってしまってから後悔したのか、祐巳の暴挙にそれ以上の不満を零すことなく手元の本にまた視線を落とす。 ――というより、そのままなんとかこの会話を終わらせようと焦っているように見えた。だがそうなるとこっちだってもっと気になるというもの。中途半端に終わらせるくらいなら最初から言わなければいいのだ。 「祐麒、言いなさいってば」 「いいよ」 「私がよくないの。ほら、いいから」 読み始めようとする本の端を引っ張ってその邪魔をする――もとい、注意を引く。「やめろよ」と憮然とする祐麒の声など、もちろん聞く耳持たない。白状するまでやるまでだ。 そんな祐巳の頑なな決意を薄々感じ取ったのか、はたまた単に面倒になったからなのか、しばらくしてようやく観念したふうに祐麒が口を開いた。曰く、 「だから……ひとの重さだよ」 「は?」 それって体重のこと? 目で問うと、違う、というようにやっぱり目で返された。 (うーん) 体重ではない。だったら一体なんの重さというのだろう? 一応真剣に考え込んでみる。だけど回答らしきものを見つけ出すことは結局できなかった。ベットの横を背もたれにし、座り込む祐麒を見て、 「……。祐麒ってたまにわかんないこと言うよね」 「だから言いたくなかったんだよ。……俺、もう行く」 「わ、わっ、え、怒ったの?」 言葉通り立ち上がって部屋を出て行こうとする背に、椅子から手を伸ばしてその服の端をはっしと掴む。もともと身を乗り出していたところから、更に無理矢理身体を捻ったものだからちょっと…いやかなり体勢的に辛いものとなった。歩き出されたらあっという間に椅子ごと後ろに引っくり返ってしまいそうだ。 それを察してか、慌てて祐麒も足を止める。 「怒ってないよ。危ないから、ほら、もう手離せってば」 「やだ。ちゃんと答えるまで離さないんだから」 「……あのさ」 「もうちょっとわかりやすく言って」 食い下がる祐巳に、だが今度は祐麒が短く「やだ」と言う。……頑なだ。福沢家族は庶民な家であって、頑固一徹な家ではなかったはずなのに。自らの所業を忘却の淵へと追いやって、祐巳はそんなことを思う。 「いいじゃない、少しだけ。あ、ヒントでもいいから」 「祐巳、しつこい」 だってそれは祐麒がしゃべらないからだ。隠されれば隠されるほど、ますます気になってしまうのが心情ってものだろう。それなのにしつこいとは失礼な。 「ゆーみ」 離せ、と目で訴えてもしらない。 「教えてくれるまで離さないんだから」 祐麒の呆れた声になんだか意地になって服を握る手に力をこめる。どうも以前から思っていたけれど祐麒にとって、姉の威厳は紙切れよりも薄っぺらいのではないだろうか。ここらで一度がつんと決めておかなければ。強調したいわけではないけれど、姉たるものの威厳として。 「子供じゃないんだからさ……そんな、意地張ってどうするんだよ」 「祐麒こそ子供じゃないんだから隠すことないでしょ」 「べ、別に隠してなんか」 「隠してるわよ。ほら、もういい加減観念しなさい」 「だから引っ張るなって」 眉間にまた新たな皺を寄せる祐麒は、「危ないから――」とそれでも心優しい忠告をくれたのだけど、本題から逸れているので耳を貸さぬまま更に追求しようと祐巳は俄然気合いをいれる。 面白いほど慌てる祐麒の姿がちょっとおかしかった、というのもあったのだろう。基本的に心優しいこの弟が本気で怒ることはないとタカをくくって調子に乗っていたのも……まあ、認めよう。 だから何が悪かったと結論づけてしまえば――きっと他でもない自分だったのだろうけれど。 ぐらっと視界が揺れる直前まで、そんなことは考えもしていなかったのだ。そんな――寄りかかる椅子が祐巳の思惑に反して、勢いよく前のめりになるなんてこと。 ……迂闊にも、思いもしなかった。(でも後から思えばそれはそうだったのだ。気づけば全体重をかけるような形になっていたのだから) そして。 「――――へ?」 「祐巳!」 揺れる視界に、間の抜けた自分の声。 後を追うようにして祐麒のやや焦った呼び声が飛ぶ。 「ひゃっ!?」 「ば……っ!」 慌てて椅子から身を起こすも、もはや時すでに遅く。引っくり返りそうな椅子に身体を捻ってもたせかけていたものだから、逆らう術なく引力が祐巳を引き落とそうと襲いかかる。 「祐巳っ!」 「わ、わっ!?」 もう駄目だ、と目を瞑りかけたところで、救いの手は、まるで世界の救世主のようなタイミングでするりと祐巳の視界に飛び込んできた。 だから、とその手の主が低く、間近で囁く。 「あ――ぶない、って……言っただろ」 最後がどこか憮然とした声だったのは、多分単にテレが入ってしまったのだろう。そのくらいは祐巳にだってわかる。だってその救世主は祐巳のよく知る――――。 「祐麒…?」 「ほら、もう……ちゃんと立てよ」 「あ、ありがとう、ごめんね」 「……うん。怪我は?」 「平気。どこもぶつけて、ない…………と思う」 「なんだよそれ」 攫うようにして横抱きにされている状況にしては少々間抜けな、呆れの溜め息が零れる。多分これが弟でなければロマンスの一つも生まれるようなシチュエーションだったのかもしれない。 だが実際は。 (姉の威厳が台無しだ……) この期に及んでまだそんなことを思うのだから、やっぱりロマンスなんて生まれるはずもない。 「……あのさ、祐巳」 「なに?」 「いい加減、腕が辛いんだけど」 「あ、ごめん。考え事してた」 「……いいけど……」 どこか不満そうに祐麒が呟く。もう少しくらい支えてくれていてもいいだろうに、なんだか早く離れろと言わんばかりの態度である。 「……祐巳?」 「やめた。もう少しこうしてる」 「は? ちょっ、おい……っ!?」 途端に焦りだすものだから、やっぱりなんだか面白くない。 「何してんだよ、おい! 祐巳」 「なにって姉と弟のコミュニケーション。いいから黙ってお姉ちゃんに甘えときなさい」 「甘えって……この場合、どっちが甘えてんだよ。ていうか、俺は別にこんな変なコミュニケーションとりたくない……!」 ……そうきたか。 「じゃあ、重さの秘密を教えてくれたら離してあげる」 「またその話か」 いい加減うんざりしたふうに祐麒が肩の力を落とす。 お、諦めたかと思うも、 「もー……いい。祐巳の勝手にすれば」 そっちを諦めるのか、弟よ。 なんだ根性がないなあと、思い描いていた予想を覆され、面白くなくて祐巳はちらりと祐麒を盗み見る。そっぽをむいて、心なしか頬が赤い弟の横顔が振り仰いだ先でまっすぐに祐巳の視界に映り、 「祐麒、もしかして……照れてる?」 「――――」 どうやら当たってしまったらしい。空気が止まる。 双子のように良く似た弟の、そんな初々しくも笑える一面を知り、 (……あ、そっか) すとん、と。 解答がみつかった。 重さの秘密。それはたぶん――。 「ねえ、祐麒。重さは変わっても……距離は変わらないよ?」 毎日、毎日。 たとえどんな瞬間、どんな日々があろうと。 驚いたように祐麒が祐巳を見返してくる。その見慣れた顔に祐巳は笑みでもって返す。 「あたり?」 「……微妙だけど、半分以上は」 「え、うそ、全部じゃないの?」 残念ながらと言う祐麒は、それから「でも、全部じゃなくていいんだよ。祐巳は」と謎の多いことをまたも零す。……本当にたまによくわからないことを言う弟である。――だけれど。 「まあ、祐巳にしてはいい線いってたと思うよ。……思うから、いい加減離れろって。もうほんと、頼むから」 そう言って振り払おうと思えばそうできるのに、決してそうはしない、心優しい弟の嘆きに、 「………。もうちょっとだけ、こうしてる」 「なっ……!?」 もう少しだけ甘えることで、ささやかな報復を試みることにする祐巳なのであった。 fin. |
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(05/01/20) 昨年出した福沢姉弟本「1mg.」収録のうちの一つ。先に書いたぶんの数年後、みたいな感じで短く書いたのでもう一つのほうがないと脈絡がないかも…しれないけれど、あえてこっちのほう。原作風にしたかったのですが…………次こそリベンジ!次こそー!(納得がいかない…) |