「 どっちが甘い?」



天気予報のお姉さんがいつもと変わらぬ笑顔で、いつものように手元の情報を澱みなくすらすらと述べていたのは今朝のこと。
食事の用意をしていた聖さまが横目に、あーあ、今日もあっつそうだねえ、とぼやくように零していたのもやっぱり今朝のこと。
朝食は軽めにトーストとトマトのサラダ。自分にはカフェオレを入れながら私にはもっと大きくならなきゃねー、とコップなみなみに乳白色の液体を入れてくれて、何ですかコレは、と問ったならば(答えならわかりきってるほどわかりきってる)
「え? 知らない? 一気に飲んだら祐巳ちゃんもあっという間に令みたくおっきくなれる魔法の飲み物なんだけど。ああでも、背じゃないほうがいいかな。んー、ま、でもとりあえず一気で」
「――――――。」
とりあえずカフェオレのほうを飲み干したら、なにか酷く物言いたげな非難がましい眼差しを受けた。でも被害者は確実に私のほうだ。そのあとぶつぶつ言いながら朝食を取っていたけれど、結局一緒にお出かけという頃には上機嫌で用意しはじめるのだから呆れてしまう。まったく山の天気よりも聖さまは転がりやすい天気をしている。
そうしてラフな格好であったとはいえ予想以上というかあまりにも早く準備し終えるので、焦りながら私も準備していたら玄関先で名前を連呼されるという荒技を決められた。なんて人だろうと何度も何度も思ったそれをまた今日も改めて思って。
そんな聖さまのマンションから飛び出たのは正午を迎える少し前のこと。
天気予報のお姉さんがにこやかに暑い一日となるでしょうと予想してくれていたけれど、燦々と降り注ぐ陽射しの厳しさを直に肌で味わってしまえば予想も予測も、リアルな体感の前には実に薄っぺらいものだと思わずにいられない。


本日快晴。
雲の一つない空の、今日はそんな暑い一日であった。






「暑い」
渋面で呟く聖さまにさすがの祐巳も異を唱えることなく、
「今年は残暑厳しいって言ってましたからね」
本当にと苦笑しつつ同意しながら、買ってきたばかりの荷物を部屋のソファへと置いた。よいしょと思わず年寄りめいた声が出る。なにも堂々と不満を零す聖さまだけでなく、祐巳だって額に大粒の汗を浮かべ、ぶつけようのない不快感と内に残る熱気がだるくてだるくてしょうがないのだ。
出かける前の元気さが嘘のように早速リモコンを握ってクーラーをつける聖さまの行動を、今はただありがたく見つめるばかりである。すぐに涼しい風が吹きつけてきてほっと安堵し肩を落とす。だがそれはどうも祐巳だけであったようで、
「あーつーいー」
「すぐに涼しくなりますよ」
「うー」
ばたばたと子供のようにソファの半分を奪って暴れだす聖さまを、そんなに動いたら余計と暑いだけなんじゃと祐巳はやはり呆れながら眺め見る。聖さまは変なところで子供っぽい。時々はっとするくらい思慮深い一面を見せるのに、どうしてだか時折やたらと子供っぽい一面を見せることがある。……これは甘えてくれてるのかとも思うのだが、どうにも半信半疑で自信がもてない。
「もう……あ、じゃあ、涼しくなるまでこれでも食べてましょうか」
予想と予測を現実として味わっただけに、思わず手が伸びてしまったモノを思い出して、祐巳はがさがさと不透明な買い物袋の中をさぐった。すぐに指先にひやりと張り付く冷たさに触れ、微笑してそれを掴み上げる。
手のひらサイズのアイスカップ。
その突然の出現に暴れていた聖さまの動きがぴたりと止まった。
「ん? なに、アイス?」
「はい」
「そんなの買ってたっけ?」
目を丸める聖さまに祐巳はまた笑顔ではいと頷いた。
掴んだアイスを目の前のテーブルに置きキッチンにスプーンを取りにゆきながら、
「聖さまが冷凍食品みて笑ってるときに買いましたから。会計のときは酒屋のほうに行ってたから見なかったんじゃないですか? あ、でも一つしか買わなかったから半分こしましょうね」
「ふうん…けどなんで一つしか買わなかったの? 二つ買えば良かったのに」
「……笑われるのは一度で充分です」



次の瞬間、祐巳の予想通り、買ってきたアイスカップを改めてまじまじと見つめた聖さまが盛大に吹きだした。ご丁寧に起き上がってソファでくの字に身体を折りつつの大爆笑だ。ご丁寧すぎて頬が引きつる。



(……やっぱり)
スプーンを二つ持って戻り、祐巳は笑い転げる聖さまの隣に控えめに腰掛けた。
「な、なにこれ、祐巳ちゃん」
「だから……アイスです」
これが!? と尚も大きく笑う。一体どこまで、というよりいつまで笑い続けるのだろうかこの人は。
ちらりとテーブルのアイスに目をやり、覚悟はしていたがそこまで笑わなくたってと思わず祐巳は憮然とする。別に変ではない。変なアイスだというわけではないのに……。
おしるこで爆笑する人であったことをどうも軽く見すぎていたようだ。



あずき濃厚・ぜんざいミルク。
カップラベルのそれを見て、まさかおしるこの件を思い出してるわけはないと思うけれど、そういぶかしく思うくらいには聖さまは情け容赦なく笑ってくれた。やっぱり頬が引きつる。



「いやさすが祐巳ちゃん! 選ぶものが渋いなあ、予想以上だよ」
そんな変なところで感心されても。
「で、これって美味しいの?」
「……食べればわかりますよ」
「ああ、まあ、そうだね」
期待に満ちた目でやっぱり子供のようにはしゃぐ聖さまを横目に渦中のカップを開ける。見えたわけではないが冷気があがり、続いて隣で「あ、色はちゃんとあずき色なんだ」と納得するような呟きが聞こえた。それに小さく祐巳は笑う。
「お先にどうぞ。私はあとでいいですから」
「え、なんで? 祐巳ちゃんが先に食べればいいよ。買ってきたのは祐巳ちゃんなんだし」
「……聖さまが暑がってたから買ったんです。だから、聖さまからどうぞ」
言うと、へ? と間の抜けた声が零れた。そのまま沈黙。コウコウと備え付けのクーラーが少し耳障りな音を立てリビングを通って、祐巳の鼓膜の奥へと染み込んでゆく。そうしてあまりにも沈黙が続くので、押し付けがましかったかと気恥ずかしく思ってそっと横を窺い見てみれば、渡したスプーンを片手に沈黙を背負いやや俯きがちに、何故か静止している聖さまがいた。熱気がたまったのか、ほんのりと少しだけ頬が赤い。
「聖さま? どうし」
「……じゃあ、頂く」
なんとも形容しがたい、表現のしにくい表情のまま。
アイスを柔らかく砕く音がして平たいあずき色の地に丸い出来たての穴が一つ作られる。
そして。
一口、掬い取ったアイスが消えて。


「………………甘い」


「わっ、だ、だめでしたか?!」
ぼそりと呟き零れた平坦なその声音に、慌てて祐巳はトレードマークのツインテールを揺らした。だが長く伸びた横髪に邪魔されて相手の顔をよく見ることができない。こういうときなんだか不便極まりないと思ってしまうのは単なる自分の我が儘だろうか。ツインテールが主な祐巳は俯いたくらいではその表情全ては隠し切れないのに、聖さまはこうして軽く顎を引くだけで隠し切ってしまう。時々そうして何を考えてるのかをあやふやに、曖昧にされることだってある。それはけして少なくはなく、そうした時、そこにあるのは聖さまなりの気遣いや思慮深さなのだと理解もしている。――……してはいるけれど、それをずるいと思うのは。
「聖さま、…どうでしたか?」
自分の、我が儘なんだろうか。
或いは幼さゆえの子供じみた主張でしかないのだろうか。
窺うように祐巳は呟いたが確たる返事は得られず、だがなかった代わりにまたあずき色の地に穴が一つが出来た。二つ目のそれに、え、と瞳を瞬かせる。
そして顔が向けられた。
ほんのりと未だ頬に赤みの残る笑顔をのせて。
「けど美味しいよ」
にっと笑い、「はい、どうぞ」とアイスがのったままのスプーンを向けられる。
「え? …あの?」
「いいから黙って食べる」
「は、はいっ」
それはかなり強引だったけれど。
のせられたと気づいたときには、すでに舌先に甘く冷たいアイスの味が広がっていたけれど。


「―――美味しい?」


そう言って嬉しそうに倖せそうに。
いっそあどけなく微笑って問いかける、その表情を見てしまえば。
文句など言えようはずもなく、伸びた髪を頬に散らして子供のように何のてらいもなく笑う聖さまへと祐巳はただ頷くことしかできなかった。甘いアイスが溶けて咽喉の奥に滑り落ちてゆく。嚥下してもまだ甘い。
「甘い、ですね」
「ん? 知ってて買ったんじゃなかったの?」
「あ、はい……それは。だけど前に食べたときはまだもうちょっと控えめだったというかここまで甘くはなかったという――か――」


その瞬間。


フイ打ちはその名の通りふいに訪れ、大きく目を見開いた祐巳が驚きに声を失っている間隙をついて、あっという間に成された。
唇に、ではないが頬でもない、まるで本物の猫のように。
ぺろりと。
こともなげに唇のすぐ真横を舐められてあまりの突然さと衝撃に祐巳は固まる。
「……っ」
「はい、静かにね」
しい、と内緒話をするかのように。
笑みを浮かべたまま、真っ赤になった祐巳へと今度は人差し指をくれる。そのまま上から覗き込むようにして微笑まれ、

「甘さのお裾分け」

――実に勝手な理由を押しつけられた。
というより同じものを食べておいて甘さのお裾分けも何もあったものじゃないという、比較的正しい祐巳の言い分は羞恥心を煽られ動揺が先走り、結局言葉として咽喉を通ってゆくことはなかった。嚥下した甘さがそれを押し留める。必要ないとまるで告げるように。
やがて瞳を閉じるには充分な時間を置かれ、戸惑う祐巳を観念させるかのような綺麗な微笑を眼前で披露され、つと深められてしまえばもはや身動きなどとれようはずもない。
「……ん…」
躊躇いを消すように軽く触れてから分け入ってくる柔らかな体温を精一杯受け止め、意識を保つことだけにただ必死となる。だがそんな理性を飛ばしかねない行為の最中であっても、聖さまの優しさを変わらず感じ取ることができ、だから余計と恥かしくて恥かしくて、せりあがってくる甘さに心が溢れそうになるのだ。
こういうとき目を閉じることができて、本当にほっとする。
そんないつもより少し長めのキスは、いつもよりほんの少し冷たいものでもあった。
そしてようやく解放してくれた聖さまの他愛ない嫉妬めいた問いかけに思わず笑ってしまうほど、
「で。どっちが甘かった? アイスと私の――」






いつもよりずっと。
甘い甘い、味がした。


fin.

(04/08/01)
……わたしが甘いと叫んでもよろしいでしょうか。〜〜〜〜甘い!!(一票!)
なんかこうもうちょっと、書きようってものがあるだろうと思いながら、後半の出来の悪さにわたしは甘いのが本当に下手だなと思いました。心底。(撃沈) ぜんざいミルクってなんだわたし。あずきバーにしとけよと思いながらも、好きだけども、カップじゃないので却下。
…どうでしょうか。訊くのも恐ろしいくらいにどうでしょうか。今回は聖さまをかわゆく書くというのが目標でもありました。照れてるところとか幸福そうなところとか。聖さまは、実に嬉しそうに微笑んでいてほしいひとです。瞳細めながら微笑んでいてほしいひと。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。一周年もありがとうございました!




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