「 一、幾年も。 」



  あけましておめでとうと、そこかしこで口々に上がる新年の挨拶。色とりどりの、とりわけ朱色の花が多く咲き乱れる人の波に揉まれながら、その勢いに呑まれぬように必死の歩行――というのが今現在における祐巳の状態で。ばたばたと忙しない己れの歩みがなんだかまるで今年一年の行く末を示唆するかのようで、思わずそんな年賀の浮き立つ雰囲気から程遠いことを考えてしまった自分自身に軽い嘆息を洩らす。せっかくのお正月。もっと楽しいことなんていくらでもあるだろうに。
「あけましておめでとう」
「…えッ!? あ、あけましておめ……」
 耳元を掠めていった言葉に返事をしかえす最中でコツンと軽い拳が頭上を見舞う。肩を叩くの代わりのようなそれに「へっ?」と間の抜けた声を上げながら斜め横に首を回す祐巳の視界に、ある一つの顔が映る。馴染みの顔だ。
「こーら。誰に挨拶してるか、ちゃんとそういうのは確かめてからしなさい。じゃないと恥かくよ、って、あーもう遅かったか」
 ぼやくように、けれど愉しげにそう呟く主は、去年の暮れに美容院に行くといって結局行かずじまいに終わってしまった相手――佐藤聖さまに他ならない。醸し出す高貴な――孤高ともいっていい――雰囲気とは裏腹に大雑把でわりと面倒くさがりな一面を持つ聖さまは、そのまま軽く唇の端に笑みを刻みながら、あっち、と音のない声を紡いで祐巳にそれを知らせる。つられるままに左から右へと視界が変えると、くすくすと申し訳なさげに笑い合う婦人たちの姿が横一列に見え、
「あ…」
 決定的とも言える恥ずかしい一つの仮定が引き出され、祐巳を瞬時にして赤面させた。すみませんすみませんと羞恥心に翻弄されるままの謝罪を慌てて繰り返す。その際横で、おーこれで年明け早々の笑い話は決定かねえと茶化す聖さまの横腹には忘れることなくきっちり肘で一撃を入れておいた。何かぶつぶつと小声で文句を言われたような気もするが、それには聞こえないふりをする。そうして流れる人の波に押され離れてゆく婦人たちにもう一度最後の謝罪をしようとした祐巳に、ふいに、複数の朗らかな「あけましておめでとう」の声が届いた。突然のことに目を白黒させる祐巳の脇を今度は聖さまがこづく。
「ほら、おめでとうだって。祐巳ちゃんに」
「えっ、あっ!? あ――あけましておめでとうございます!」
 ぴょこんと一礼。今日はおろしてきた髪が両耳を覆って地面に垂直に垂れ下がる。顔を上げると婦人たちのあたたかい笑みが見え、さようならと手を振る姿を祐巳もまた微笑んで見送った。
 あけましておめでとう。
 見知らぬ人たちだけれど、たった一言のそれが出会いと別れを結んだ瞬間だった。奇妙な、それでいてあたたかい刹那の交流に祐巳は微かな感動を覚え、微笑んだまま首を元に戻すと――、
「初失敗に初笑顔。祐巳ちゃんらしいね」
 中途半端に伸びた前髪を指先でさらりと横に払った聖さまがくつくつと咽喉を鳴らし、笑っているところであった。
「聖さま、それ」
「褒めてる褒めてる。……え、褒めてない?」
「……。なんで私に訊くんですか。ああもう、聖さまも今年も聖さまらしい年明けですね!」
「む。なんか祐巳ちゃん、それ」
「褒めてるつもりです」
 開き直って言い切ると、
「…しまった。反論できない」
 真面目な顔してそう呟く聖さまがいて、互いに目を合わせ、ひとしきり笑い合う。他愛ない言葉のやり取りがひどく楽しい。くすくすと笑う祐巳は、そうしてようやく目的の場所の数歩手前へと到着する。朝から電車を乗り継ぎ、時間をかけて辿り着いた初めてきた神さまの社、その目前へと。途中色々とあったが大して迷うことなく着けたのは、あまり外を出歩かない自分にとってはかなり上々だといえるだろう。
 ほっと安堵する祐巳の視界左右から、小さな影がいくつもいくつも宙を飛んでは最終的には似たような場所へと落ちてゆく。首を傾け覗いてみると年季の入った古びた大きな賽銭箱が見え、右隣の女性も丁度財布の中身から小さな五円玉を取り出している最中だった。投げ込んだあとにご縁がありますようにと囁く声を耳にする。
「…聖さま」
「んー?」
「お賽銭、もう投げました?」
「いや今から。ちょうど五円玉しかなくてさあ、いやあー幸薄い年だったらどうしようって思……え、なに? くれるの?」
「どうぞ。聖さまが幸薄いとなんだか私まで困りそうですから」
「なんか……微妙に引っかかるんだけど、それ。――ま、いいや」
 えいっと野球の球を投げるような聖さまの豪快な賽銭投入が終わってから、祐巳も同じように数枚の小銭を軽く握り締めてから賽銭箱へと投げ入れる。ちゃりんと響く金属の音を聴いてから目を閉じ、手を合わせて新年の願い事をする。瞳を閉じる間際にまた前髪を払う聖さまの姿が見えた。その一連の行動を朝からここに来るまでの間、一体何度見たことだろう。面倒くさがって美容院に行きそびれてしまった所為で、朝から何度も何度も。けれど鬱陶しいのかと訊けば、そうでもないと答えるのだからやはり随分と聖さまは天邪鬼な性格をしている。きっとこれからもその性格はそうそう変わることはないだろう。思って、密かに祐巳は笑みを零す。
 合わせた手のひらに願い事。
 でも願い事なんてありきたりなものでいい。他に望むことがないのであれば、それだけで充分だと祐巳は思う。
 しばらくし目を開けると、さあ帰ろうかとごく自然に手をとって歩く聖さまがいて、返事をする間もなく祐巳は手を引かれ、ほとほとと歩きだす。またごった返す人波へと、帰りは手を繋いだまま。
「あーそうそう『初』ついでに」
「はい? ――――っ」
「……これもね。ちょうどいいから貰っておこうかと」
 突然近づいてきた顔が、ひょいと軽く離れてから、聖さまがあっけらかんとそう言い放つ。開けた視界には人、人、人の――人の群れ。たくさんの背中。ごった返す人の波の中、たとえ手を繋いだとしても気付かれはしまい。気付かれたといっても見知らぬ人だ。だから手はいい。そのくらいは。――けれど。でも。コレは。
「――ッッ、聖さま!!」
 真っ赤になって声を荒げると、
「あーはいはい。新年から元気だねえ、祐巳ちゃんは」
「ごまかさないでください! い、いまッ、聖さま、なにし――」
「あっはは。初ちゅーもらいー」
「もらいー、じゃありませんッッ! こんなところで何考えてるんですか!」
「倖せについて考えて、ついでに実行しただけ」
「ついでが余計です!!」
 とうとう怒鳴り声が空に甲高く響き渡る。しかしちっとも堪えたふうでもない聖さまは、祐巳の憤怒もどこ吹く風で周囲の歩みにあわせてゆったりと歩くばかりだ。これでは反応しまくっている祐巳がまるで馬鹿みたいのように思える。
 そして。
「続きはまた帰ってからー」
「…っ、知りませんっ」
「ありゃ、それは残念。うん、まあ……でも」
 そんな騒動の中、それでも離れることのなかった祐巳の手を握りなおし、寒くないようにとロングコートのポケットへと一緒に滑りこませながら、
「今年も、よろしくね?」
 嬉しそうに笑う。そんな聖さまが祐巳にはとても倖せそうに見えた。
 そっと胸の内だけで先程神さまへと願った新年の願い事を繰り返す。遠ざかってゆく神さまの耳に、もう一度だけ、そのささやかで大きな願いがきちんと届き、叶いますようにと祈りながら。

 あけましておめでとう。
 今年もどうか何事もなく、平凡でも良い一年でありますように。





fin.

(04/01/10)
マリみてアニメ化スタートにつられて熱、再上昇。
時期もお正月なので思い立っての聖祐巳話でした。「一、幾年も。」呼び方は(いつ、いくとせも。)
いや、わたしほんとに聖祐巳が一番好きなんだなあと実感しました。寧ろ、飢えてます。
ひょいってキスするのはなんだか可愛いと思いませんか。隙あり!みたいな感じで。
聖さまは、してやったり。みたいなことが大好きだと思うのです。子供みたいに。
そのあと祐巳に必ず怒られるのですけど、一日中上機嫌で笑ってるんです。そんな聖祐巳が
わたし大好き。(…飢えてる) 拙いものですが読んで下さりありがとうございました。(礼)




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