「 届かぬ祈りにぬくもりを 」 | |
やわらかい声を背後に感じて振り返ろうとした――その瞬間に、するりと首を伝っていった熱に今まで堪えていた涙がどっと瞼の縁に溜まるのがわかった。それでも声だけは出すまいと懸命に口唇の端を引き結んでいると、頑固な自分のそんな頑なな心さえも打ち破る勢いで、湿った空気に実にそりあわぬ軽快な爆笑が辺りへ響き渡った。 …なんてことだろう。本当の本気で、このひとは笑っている。 (なにが、おかしいんですかっ…人が、こんなに、真剣に) くっくっくと、背中にもたれかかる僅かな重みの主は、けれどこちらの不満などどこ吹く風で、そうして遠慮なしに思い切り笑い飛ばしたあとようやく感情に一区切りがついたのか、 「まあねえ、わからないことでもないけどさぁ?」 独り言のようなそれをあっけらかんと呟き落とした。 「……笑いながらそんなこと言っても説得力なんてありませんっ」 「はいはい。そりゃ悪かったね」 「悪いです……本当に悪いです! なのにっどうして、こんな…こと」 「あー……それはまぁ……好きだから?」 「……だから、そんな、こと、わたしに……訊かないで、下さ…」 「だってあんまり通じてなさそうなんだもん」 けろっと言い放つ言葉の重大さを、本当に、このひとはわかっていない。だけれど、わかっていないのはきっと自分も同じなのだ。 だからこそ、会話がこんなにも平行線で、噛み合っていなくて、もどかしくて、いっそ腹立たしいのだ。 どうして自分だけがいつもいつもこんなふうに乱れなければならないんだろう。 勝手な感情をぶつけてきて、それで笑って、 「っていうか、いい加減そろそろ諦めて、わたしにしときなさいな? ――ね、祐巳ちゃん」 平気で、そんなことを言う。まるで歌でも歌うように。 こんなの、我が儘言い放題もいいところだ。唯我独尊って言葉を、今度電報か何かで送りつけてやりたいような気分になる。 正面から見ていたらきっと思う存分睨みつけていたに違いない。 たとえ涙が零れていようと、迫力が足らないと指摘を受けたとしても。 きっと――今、その瞳を見返していたら。 「聖さまなんか、好きじゃ…ありません」 「うん」 「私が、好きなのは……っ」 「うん」 「好き……なのは」 たったひとり。 あのひとだけ。 なのに。 ……なのに、どうして。 「うん。……知ってるよ」 ――――どうして、背中から零れる声に、冷たさと淋しさを感じてとってしまうのだろう。どうして、聖さまの叶わぬ想いを可哀相だと思う心の端で同じように自分もまた可哀相だと嘆いてしまうのだろう。……そんなのは傲慢だ。叶わない恋なんて、この世には沢山ある。 ただその多くの恋のなかに、聖さまの心と、自分の心がいっしょに入ってしまっただけのことだ。相憐れんで、一時の気の迷いに心を偽って受け入れてもらって、それであとに一体なにが残るというのだろう。……叶わないからといって。 (なのに……) 振り返っては駄目だ、いけないと、戒める自分に、聖さまはそれでもいいからとやさしい言葉をかけるのだ。もうずっと前から。会うたびに諦めず、ときに冗談めかして。 なんてずるい人なんだろうと思う。 そして自分はなんて弱い人間なのだろう。 叶わない恋に疲れて、揺らぐ足元の頼りなさに、あろうことかその差し出された手に迷いを感じはじめている。掴み、頼ってしまうことで得られる心地よさに逃げようとしている。 「……き…なのに……っ」 こんなにも。――だけど叶わない。 どんなに声を嗄らして叫んでも。 届いてほしいあのひとには届かない。それはとても悲しくて苦しい。 「………。もう、口唇が切れてしまうから、そのへんにしときなさい」 「う…っく」 嗚咽は涙を零す合図となった。震える身体を背後からそっと支えられて、乱れた息が白い空気を吐き出す。それはまるで、古い古い、誰もに忘れられ朽ちてしまった工場の、最後の名残りに吐き出した物悲しいスモッグのように思えた。 どこにも届かない。 どこにも辿り着かない。 声も、息も、言葉も、心も。 あたたかなぬくもりを与えてはくれない。 「どうして、かなあ」 「聖さ、ま?」 「祐巳ちゃんが私を好きじゃなくてもね。私はずっと好きでいるよ」 「…………」 「好きだから、本当はちょっと悲しいかな、なんて思うんだけど……参ったなあ。それでもやっぱり祐巳ちゃんが泣いてるほうがずっと悲しいから、……いいよ」 「え」 今だけ身代わりにしても。 言って、くるりと身体を反転させられ、気づけば目の前には聖さまのコートがあった。瞳を瞬かせて、零れ落ちる涙をそのままに顔をあげようとしたけれど、それもまたやんわりとした力によって遮られてしまった。 そして唐突に息も絶えんばかりにきつく抱きしめられて、眦の雫はすべて包み込まれたぬくもりに吸い取られてしまった。そのこころさえ……あたためるように。 やがて。 「それでも」 聖さま、と呟く声も消え。 「……それでもいつかね、私のことだけ好きになってくれると嬉しいかなあ」 淋しそうにぽつんと囁く聖さまの声が、洪水をおこしかける双眸に少しだけ防波堤をつくった。押しては引き寄せる、その勢いをせめて少しでも留めるようにと。 ほんの少しだけ。 その涙を止めた。 fin. |
|
(03/10/11) 「揺れるもの」と同じく、上記の日に日記で書いた短い一場面・聖祐巳創作。 なんとなく今日(04/3/14)のホワイトデーにちなんで少しだけ修正してアップしてみました。当時のコメントにもありましたが、この元ネタはわたしの夢でして。背後から泣いてる祐巳を抱きしめてる聖さまが、もういいから私にとしきなさい? と静かに、緩やかに笑って言って祐巳を慰めてる夢でした。それでちょっとアレンジ加えて、こんな感じだとわたしが嬉しいなーと一人悦りで打っただけのシロモノでして……なので一場面創作。祐巳の言うところの「あのひと」は各自ご想像にて。 ちなみにこの話の後日談としては聖さま粘り勝ちしてます。(愛) そんなこんなでサイト基盤の「たとえば君が」の聖さまとは真っ向正反対な聖さまになってしまいました。あっちは「好きだから、好きにならなくていいよ」みたいな消極的な聖さまで、似てるのはどっちも笑ってるとこだけです。本の聖さまはちょっと弱いので…これくらい強気なほうが聖さまらしくていいかな、とも思います。ともあれ、ともあれ。粘りがち、万歳。 読んで下さってありがとうございます。(礼) |