メー






 やってみたいと思わなかったとは言わない。
 いつかそのうち……と、こっそりそのプランを胸にひた隠し、ついでにその重要な役割を負うであろう「ブツ」も見つからぬよう隠し、機が熟すのを待っていた――のは、認めよう。否定はしない。
(…………できない、の方があってるかな)
 無言のまま、リビングの扉の合間で立ち尽くし、それを見た瞬間、
「何、してるのかな…?」
 祐巳ちゃん、と馴染みの後輩を呼んで、かつての白薔薇さまこと佐藤聖は一瞬とはいえ茫然としてしまった自身を振り払うべく、そんな第一声をなんとか言い放った。
 平静を保ちつつ室内に足を入れると、何故か隠してあった「ブツ」のなれの果てがテーブルの上に置かれていた。
 透明ガラスのコップに移し変えられた、赤い液体。
(イヤ、移し変えたの、私だけど)
 それは単にいつも飲んでいるものを切らしてしまって。
 丁度置いてあったソレをひとまず飲んで。
 飲みきれず、なんとなく捨てきれず、コップに移し変えてしまっただけ。
 そしてそれを知らなかった彼女はついフツウに飲んでしまった、のだろう。
 ジュースかなにかと勘違いして。
 それがアルコール、つまりはお酒と分類されるものだとは露知らず。
「しまったなあ。勝手に飲んでいいよとは言ってたけど……まさかこうくるとは。おーい、祐巳ちゃん、それ実はお酒なんだけどー」
 久々の失態に頭を掻きながら聖は祐巳に近づいてゆく。
 「……あ。」
 部屋に置いてあるぬいぐるみ相手にどこぞの居酒屋で見られるような光景を繰り広げていた当の本人は、けれど、
「おかえり…な、さーい」
 一応素早い反応をみせ、赤らんだ顔のままにっこりと笑って聖を見返した。……口調がすでにあやしい。目も虚ろ。こっちを見ているのだけれど、どこか焦点があっていない。
(予想…通り、かも)
 笑いたい。
 いっそ笑ってしまいたい。これが、自分の画策したのちに訪れたことであったのなら躊躇いなく笑っていたことだろう。
 だが現実はそうではなく、違うのである。
「聖さま、聖さま」
 ぱたぱたと駆け寄ってこようとする祐巳の足取りは、本人の意図とは違い、ふらふらと千鳥足で今にもよろけて倒れてしまいそうだった。ついでにその際にはきっちりどこかに頭をぶつけて転倒してしまうに違いない。先日、大学の友人の加藤景にもらった「あなたって案外過保護なのよね、気づいてる?」という余計なお世話な発言がふと脳裏をかすめていったが、
「ゆ、祐巳ちゃん、いいから…! 走らなくてっ」
 ―――この惨状と状況からみて冷静にはなれない自分を、聖はよく知っていた。それはもう、骨身に染みて。
(過保護で結構)
 脳裏の友人にそう一言。迷いはあっけなく一蹴された。
 あやしい足取りを未だ披露する祐巳の満面の笑みは、無邪気でただただ可愛いばかりであったけれど、それよりもまず慌てて手を差し伸べることのほうが先であった。鑑賞はあとでゆっくり楽しめばいい。
「あ、こらっ、そっちは違う!」
「はぇ…?」
聖の手が宙を泳ぎ、目標物を捕まえようとあちらこちらと揺れる。ついでに目標物に対しての軌道修正も定まることなく繰り返される。
 ――捕まえ損ねたら転倒するのは目に見えているので、ひやひやと焦る聖の表情とは対照的に、楽しげに祐巳は笑みを零す。へにゃり、と気の抜けた擬音までなんだか聞こえてきそうである。
「ああ、もういーかげんに……」
 と、注意しかけた聖にその無邪気な目標物は、というと。
「あー…聖さま、だ」
 赤い目と、頬をしたまま。
「つかまえた」
 とろんと言って、およそ「捕まえた」との動作とは及びもつかぬ豪快な傾倒の末、なんとか聖の胸へと納まることができたのだった。それは一重に、床へのダイブを未然に防ごうと尽力を尽くした聖のおかげである。手にした荷物を咄嗟に放り出してしまったけれど、とりあえずの危機をなんとか回避できたことにほっと安堵する。
 今の祐巳の状態が正常ではないとはいえ、流石に頭をぶつけて痛くないわけがないだろう。そう考えての吐息だった。
 荷物の中には放り投げて困るものがなかったのも、幸いだった。まあ、たとえあったとしてもきっと今と同じことをしたに違いないだろうけれど。
 物が壊れるよりも、ずっと怪我をされるほうが怖い。
 嘆息しながら、聖は言った。
「あのね…」
「ふぁい?」
 返る言葉に反省の色は勿論ない。
 その自覚もないのだから当たり前だ。
 ぷくぷくいつもよりもちょっとあったかい祐巳の身体を抱きとめながら、さてどう言ったものかと聖が考えあぐねていると、
「ふぁ………せいさふぁ……」
 抱きついたまま、くぐもった声が発せられた。
 出所は見渡すまでもない。
「祐巳ちゃん?」
 顔を離すよう指示すると、ようやくくっついたままの頬が離れた。
 一度、深呼吸。ふうーっとまるで水の中からやっと出てきたみたいに。そうすると頬が赤いのは呼吸ができなかったせいのようにも見える。
 思って、聖はこっそりと笑った。
 水中からようやく地上へと浮き上がってきた姫君の目は、さてこれでやっと醒めただろうか。酔いという水底から。
 と。
「…………聖さま、だめです」
「は?」
 何が? と、思わず聖は目で訴えかける。が、相手は酔っ払い。意思の疎通は限りなく、果てしなく、難しかった。
「だめなんです」
 むー、と眉間に皺を寄せて精一杯怒った顔をしてみせる祐巳は未だ酔ったまま、そう続けた。その、寝ぼけ眼になりつつある瞳を覗き込んで、
「うーん、何がダメなの? それはこれからじゃ無理なこと?」
「…………」
「祐巳ちゃん?」
「……………………」
「おーい、祐巳ちゃん。戻っといで」
「…………聖さま……!」
「おわっ」
 がしりっと遠い目をしていた祐巳が突如力強くその名を呼び、聖のシャツを掴んだ。その勢いにさすがの聖もびびって腰を引く。すわ何事か、と構えかけるが、
「…それですっ!」
「へ?」
 なんだか気づけば普段とはまったく逆の立場になってしまっている。「は?」とか「へ?」とかちょっと連発しすぎている自分に、聖は苦笑した。…苦笑して、目前できらきらと目を輝かせはじめた祐巳を飽きずに眺めることにした。
 立場がたとえ逆になったとしても、することは一緒なのである。
「これから……最初から……ちゃんと」
「うん」
 愛しげに祐巳を見て、額にかかる髪を梳くってその柔らかな感触に微笑む。思考をどこかへと巡らす祐巳を待つ間、そうしてそんなささやかな倖せを噛み締める。
「…それで……ええと、ええっと……」
「落ち着いて考えてごらん。ちゃんと、……なに?」
「ちゃん…と…………ええと………あ…」
 ぱちりと目が大きく瞬いた。それからゆっくりと、
「ただいま、が……まだです。聖さま。だから、そう」
 紡いで。
「おかえり…なさい?」
「ああ、なんだ」
 聖は頷いた。ごく単純な、それに。
 当たり前のことだけれど、
「……うん。ただいま」
 当たり前であることが嬉しい。微かなぬくもりが胸にそっと灯る。そんなありきたりのことを教えてくれる、それにどれだけ救われているか。――――微笑んで、
「あと、よく言えました」
 帰りを待っていてくれた祐巳のかきわけた額に、触れるだけの軽い口づけを落としたのだった。


 こころのなかには、溢れるほどの愛おしさ。
 けれどそれを伝えることも、取り出して見せることも。
 ひとは、明確にはできはしない。
 
 だから。


「はい、…聖さま」
 照れくさそうに浮かべられた小さな笑みを、黙って見つめ、聖はただ倖せに思った。
 触れることは一瞬でできるけれど、大切なのは伝える相手がいること。
 ――――それはとても倖せなことなのだと想って。



「好きだよ、祐巳ちゃん」
 微笑んだまま聖はもう一度、今度は唇にむけて、その熱を伝えたのだった。







and , Happy end?




(03/08/01)

時期的に夏のふたり。
初めて書いた聖×祐巳。
……素敵に祐巳が別人です。聖さまはわりと甘やかしてますが。うわあん。
聖さまと絡めてわたしが書くとかなりの確率で祐巳は別人になります。(遠い目)
それでもここまで読んで下さった方、ありがとうございます。祐巳の酒癖を考えてたらできあがったお話。あまりのぬるさに「ひ、甘っ! こ、こ、この、ラブめが!!」思って、たまたまつけたタイトルに丁度良い謎を一つ残しておきました。叫んでみるもよし、冷笑するもよし。とりあえず何が言いたいのは自分でもよくわからなくなってきたので、このへんで。
というより、……続きます。(え)




戻る?