第45番札所 海岸山 岩屋寺 ( かいがんざん いわやじ ) への道 


( 写真01 ) 44番 大寶寺の境内から写真左の石段を降りてきました。
写真中央の道を横切って写真右下の道を下ると山門に戻りますが 45番 岩屋寺への道は山門に戻らず,写真中央の道を向こうに行きます。
山道を30〜40分ほど登り峠御堂( とうのみどう )という名の峠を越えます。

この写真は通ってきた道を振り返って撮影しています。
( 写真02 )
( 写真03 ) 峠を越えると東側の景色が見える。

写真の中央付近に写っているのはゴルフ場らしい。
久万高原町役場付近から岩屋寺方面を通る県道12号の峠御堂( とうのみどう )トンネルの横に下ってきました。
( 写真04 )
( 写真05 ) 河合分岐 写真 峠御堂トンネルの横から県道12号を下って来ると河合休憩地への道標があり県道からは右に分かれますが、 この河合を通る道のほうが元の街道だと思われます。

( この分岐点の手前約200m.から右に分岐し河合休憩地へ来る道もあります )
河合への道に少し入った所で道しるべを振り返って撮影しました。

道はくねくね曲がりながら下ります。
( 写真51 ) 写真補充1
( 写真08 )  河合3 河合休憩地の横には古い道しるべもあり旧来のへんろ道であったことが分かります。

写真の左上に県道の白いガードレールが見えています。
東屋の横に河合のへんろ宿の説明の看板が立っています。

『この付近は,当時15軒のへんろ宿が建ち並び,春の彼岸頃は一晩300人からの泊まり客があり, 接待に忙しく賑わったそうです。おへんろさんは河合の宿に荷物を預けて,岩屋寺を打ち終わると 来た道を引き返して河合に帰ります。これを「打ちもどり」と言って珍しい巡拝コースです』
( 写真06 ) 河合1
( 写真07 ) 河合2 付近の家並みは旅館街だった雰囲気が残っているように思えます。 宿の看板が残っている建物もある。
下畑野川河合付近は歩き遍路で「打ちもどり」には便利な良い宿場だったが, 車の利用者が増えてきたため宿泊客が減ったらしい。
車の利用者にとって集落の中は道は狭く便利な場所ではなかったのかもしれません。
河合の休憩所を後にすると一旦12号線に出ますが少し行くと12号線の右側に沿って流れている川を渡り 川の右側の川沿いの道を行く。
写真の前方に川を隔てて左側の県道12号の白いガードレールが見えています。
道の横の所々に丁石を兼ねているらしい石仏がありますがどの区間なのか 何丁まであるのかはわかりません。
( 写真09 )
( 写真10 ) 県道12号に出会いますが,すぐに右へ分かれていく道に入ります。
小さな沢を飛び石で渡り ( 雨で増水している時は県道12号を通った方が良いかもしれません ) 20分ほど坂道を登ると,しばらくの間は写真のような平坦か,やや下りの道になる。
( 写真11 )
( 写真12 ) 八丁坂という坂の登り口に着きました。
左に道が分岐していて左の道を行くと古岩屋荘という宿の前を通って45番 岩屋寺へ行くこともできます。

今回は右の八丁坂を通ります。
写真は八丁坂を登り始める所にある説明板です。
( 写真13 )
( 写真14 ) 20分ぐらい登るとベンチや道標がありました。

昔はここに茶店があったらしい。

ここで登り坂が終わったというわけではなくて,この後も上り下りを繰り返します。
写真はベンチの傍にある説明板です。
( 写真15 )
( 写真16 ) 登り坂が無くなりどんどん下るだけになった道を行くとお堂らしいものがあり, その右側に岩の割れ目と門がある。

これが逼割禅定( せりわりぜんじょう )か。 逼割禅定はテレビで見たことがあるけれど左側にはお堂があるんだなぁ。
お堂には赤い不動明王像がまつられていました。
( 写真17 )
( 写真18 ) 逼割禅定 ( 逼割行場 ) とは

開山の法華仙人が、弘法大師に通力を見せた跡と伝えられます。岩の裂け目を鎖と梯子でよじ登り 頂上の白山大権現に詣でます。山岳修験者達の古くからの行場で、山岳重畳の眺望をほしいままにし、 はるかに石鎚を望むこともできます。
逼割禅定から山道を10分か15分ぐらい下って来て45番 海岸山 岩屋寺の山門に着きました。
( 写真19 ) 山門
( 写真20 ) 山門をくぐると大師堂があり,こちらから見て大師堂の奥に本堂があります。
写真では大師堂の庇の下に本堂の屋根が少し写ってます。

こちらは本堂です。

垂直の高い岸壁の下に建っています。
( 写真21 ) 本堂




第46番札所 医王山 浄瑠璃寺 ( いおうざん じょうるりじ ) への道 

最初のページへ