第66番札所 巨鼇山 雲辺寺 ( きょごうざん うんぺんじ ) への道 − 前半


第66番札所 巨鼇山 雲辺寺 は讃岐の打ち始めで、四国霊場のうち最も高い標高911メートルの所にあります。
第65番札所 三角寺の山門を正面に見て左の傾斜の緩やかな上り坂の道を行きます。
第65番札所 三角寺まで来た道をそのまま真っ直ぐに行く方向です。
 最初は緩やかな上り坂ですが、暫くして全般に緩やかな下り坂になります。
道端のお地蔵さんと道しるべ。
この写真の付近は旧土佐街道の道筋のようです。
ネット検索してみると土佐街道は愛媛県川之江から 現在の愛媛県道・高知県道5号川之江大豊線という道筋で高知へ通じている道の他に、徳島から高知へ向かう道と、 松山から三坂峠を通って高知へ向かう道も土佐街道と呼ばれているらしい。
 県道5号線と交差し、右に行けば
 四国別格二十霊場13番札所
 金光山 仙龍寺
 ( こんこうさん せんりゅうじ )
へ行く道ですが
ここは左へ行き椿堂 常福寺を経て
第66番札所 雲辺寺へ向かいます。
上の写真の所で左折した後すぐに右折し第66番札所 雲辺寺を目指します。

右折したところにある
「ゆらぎ休憩所」

へんろみち保存協力会の地図ではここの地名から半田休憩処と記されているようです。

左下に国道192号線が見えてきました。
右前方の白い大きな建物は川滝小学校で、その手前に椿堂の屋根や緑の杜が見えます。
192号線沿いに出光のGSのマークが見え、その上に「椿堂→」の看板が見えます。
 上の写真は小さくて看板の文字が読めませんが、
 肉眼では右の写真のように「椿堂」の文字が見えます。
 椿堂に到着しました。
 四国別格二十霊場14番札所
 邦治山 常福寺
 ( ほうちざん じょうふくじ )
なのですが、ここで弘法大師が地中に立てた杖から椿の芽が吹き大樹になったといういわれから「椿堂」 と呼ばれるようになったそうです。
参拝していきます。
椿堂を過ぎ20m.ぐらいで右折し192号線と平行して通っている旧道の雰囲気の道を歩きますが、 500m.ぐらい行くと192号線と合流し、長い上り坂の192号線の歩道を歩きます。
第二葱尾橋を過ぎたところに休憩処「しんきん庵・法皇」がありました。
川之江信用金庫からの寄付で建設され,小屋名の法皇は南側の法皇山脈からとったものだそうです。
七田橋バス停付近の道しるべ。
写真の中央付近の道標では192号線を直進すれば境目峠、佐野道。
文字がうすくなっていましたが左折して左の橋を渡っていけば曼陀峠道と書かれているようです。
現在の曼陀峠(H.570m)を越えて行く曼陀峠道との分岐点のようです。
写真の左端の白いガードレールは橋の手摺で、切れ目の右の灰色のガードレールの左端には 左向きの矢印のシールも貼られています。
今回は直進し境目峠を目指します。
七田バス停の所で192号線と別れて右折し、右の道を登って行きます。
道しるべをたよりに山道に入り境目峠まで登ります。

境目峠の手前で境目トンネルができる前の旧192号線の道に出会います。
旧192号線に出会ってしばらく行くと愛媛と徳島の県境を示す標識などがありました。
道の右側の標識はこちら側は裏面で向こう側から見ると愛媛県川之江市と書かれていて ここを境にこちら側は愛媛県川之江市になるという案内標識でした。
道の左側の石柱の道標には
従是東徳島縣三好郡
と刻まれています。
右下の小さい石の境界標には愛媛県境と刻まれています。
左後ろの標識には青地に白の文字で192と書かれていて境目トンネルができる以前この道が 国道192号だった時のものが残っている。
県境でアスファルトの舗装面や石垣の積み方や壁面の位置や高さが異なっていて 見所満載の境目です。
境目トンネルができる前は車もお遍路さんも越えていた境目峠。 現在は静かで趣のある峠になっている。
県境を数十m.通り過ぎた所で左に分かれる境目峠道を行きます。
まっすぐ行くルートもあり、まっすぐ行くと池田町佐野という所を経由して66番 雲辺寺に登ります。
佐野には66番 雲辺寺までの間で唯一の宿の民宿岡田があります。
この分岐点で66番雲辺寺の納経時間に間に合わないと判断して民宿岡田に予約の電話をする ことになる場合もあるかもしれません。
写真の道標は道の左側にありますが道の右側には旧い遍路石もありました。




第66番札所 巨鼇山 雲辺寺 ( きょごうざん うんぺんじ ) への道 − 後半 

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