グイノ神父のホームページです |
内容: 1− 祈りって なに 2− 主の祈りについて 3-僕の祈りの仲間たち 4-初代教会のシンボル NEW 5−トランプの祈り
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どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、絶えず祈り続けなさい。エフェソ6,18 |
聖書によると、神は人間を創造された時 彼の鼻のうちに 命の息を吹き込まれたそうだ。 それは、ある意味で 人間が神と一致しながら 神と呼吸するためである 。 祈りは それを可能とする。 なぜなら、祈る人は 神に属することや神に寄り頼むことを示すと同時に 自分の心を神に開き、その奥にあるものをすべて ありのままに神に打ちあける。 人は どこでも、どんな時でも、自由に祈ることが出来る。 |
祈るときには、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、父に祈りなさい。マタイ6章6節 |
イエスは 人間となることによって、絶え間なく神に祈願する人類の一員となる。 彼は、「祈る時には こう祈りなさい」と言って、祈りの必要性よりも むしろ祈りの方法に重点をおいて教えた。 聞き入れられる という確信こそ 祈りの源泉であり、条件であるとイエスは教える。 特に 神が 遠い存在であるかのように、くどくどと同じことを繰り返さないこと、兄弟を赦すこと、兄弟的一致を実現しようと努めること、自分の過ちを思い出して悔い改めることこそ、肝心である。 また、絶えず祈ることも大切である。祈りにおける忍耐は試され、どれほど目ざめて祈っているか、明らかに示さなければならない。 |
キリストは、激しい叫び声をあげ、涙を流しながらご自分を死から救う力のある方に、
祈りと願いとを捧げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられた。 ヘブライ5,7
詩編書、それは150編の詩、命と死の間を進む150の歩み、反抗や信頼、死の苦しみや復活を映し出す150の人間の姿を集めた小さな書である。 一冊の書物というよりは、むしろ 神と人々に話しかけ、苦しみ、つぶやき、不平、苦情、死をそして 永遠の門出に復活して歌う存在である。 |
詩編書の中に見つける様々な種類の祈り 巡礼の祈りー都に上る歌 詩 120-134 救いと創造の神を賛美する祈り 詩 8,104,113,114 近くにおられる神を賛美する祈り 詩 84,119、139 希望の祈り 王である神 詩 2,21,45,101,110 嘆願と感謝の祈り 詩 22,51,109 生きるための祈り 詩 49,73,91,139 呪いの祈り 詩 109 悔い改めるための祈り 詩 51 死を真近に感じる病人の祈り、 不正に押しつぶされた貧しい者の祈り, 捕囚の民の祈り、受けた勝利のための祈り、 敵を前にしての祈り、 罪の告白の祈り、 昔の出来事を思い起こさせる祈りなど、など。 |
パンは 上に何かをのせてこそおいしいのであり、ジャムは 下になにかがあって 始めて実においしいと言うことを、 誰でも知っています。 |
初代教会のシンボル
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X(キー)と P(ロー)は、 ギリシャ語のキリストの名前の最初の字です。 また、イエスが十字架につけられたことも表します。 魚はキリストの象徴です。 |
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犂(すき)の形を示すこの絵は |
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これはペトロの組み合わせ文字です。 |
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更に、キリスト(X to P)の組み合わせ文字に |
魚はキリストの象徴です。 |
太陽と魚のことばは、 救い主イエスは世の光であり、 神の栄光であることを表しています。 |
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二匹の魚はキリスト者を示し、錨はキリストの信仰が与える揺るぎない希望を表しています。 |
ランプと魚は、 キリストは世の光であることを表します。 キリスト者はイエスの教えで 自分の日常生活を照らします。 |
この古いシンボルは キリストとキリストを信じる人の洗礼と共に復活を表しています。主イエス・キリストを信じる人には永遠の命の泉と共に、栄光と勝利の冠が与えられることを示します。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7,38) |
ダビデの星はキリストが ダビデ王の子孫である事を思い起こさせます。 又、このシンボルが現わすものは 1週間には7日あり、 その中で最も大切なのは 「安息日」「主の日」であるということです。 星の中央で それを示しながら 更に キリストに結ばれている 信仰者の共同体をも 現わします。 「主イスス・キリストの名によって、心を一つにし 思いを一つにして、固く結び合ってください。 1コリント 1,10 |
ギリシャ語のICHTUS(魚)の一つ一つの字に 意味を与えると I :イエス CH:キリスト T:神 U:息子 S:は救い主 iesus christos theou uios sauter となります。 「イエス・キリスト神の子救い主」 また 一匹の魚がキリストを示し 二匹がキリスト者の共同体を現わします。 「あなたはメシア、(救い主)生ける神の子です。」 マタイ 16,16 |
錨は、信仰者の希望がキリストであり、 |
良い牧者であるキリスト 「私は良い羊飼いである。 私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。」 ヨハネ 10,14 |
「わたしは羊飼いである。 わたしは自分の羊を知っており 羊もわたしを知っている。」 (ヨハネ 10,14) |
良い牧者であるキリストの絵 |
よい羊飼いは 「失った羊を見つけたら、 喜んでその羊を担いで、 家に帰ります」 (ルカ15,5-6) |
聖イレネオ司教が(2世紀) 主の祈り(Pater Noster)の最初の言葉を使って 信仰のシンボルを作りました。 言葉を上、下、縦、横、 どんな方向からも 読むことが出来ます。 S A T O R : 種を蒔く人(キリスト) A R E P O : 犂 (十字架 ) T E N E T : 掴む (掴む) O P E R A: 業 (いけにえ) R O T A S : 輪 (世界の運命) 「種を蒔く人は犂を手に持ち 自分の業によって 運命の輪をしっかり掴んでいる。」と読みます。 即ち、「キリストは 十字架のいけにえによって 死から全人類を救った。」と言う意味です。 T E TENETという言葉が自然に十字架を現わします。 E T |
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上の絵は イエス・キリスト(XとP)は 命のパンであること(パンの増加の籠) そして、人の魂は(鳩) 殉教の証によって キリストに結ばれて(Aの飢えにあるX) 永遠お命に初めに生きている ことを表しています。 |
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この絵も |
鳩は、キリスト者の魂を表し、 特に試練と迫害の時に、死ぬまで信仰を 守った人の魂を表します。 「仕掛けられた網から逃れる鳥のように、 わたしたちの魂は逃れ出た」(詩篇124,7) ぶどう、オリーブの枝、シュロの枝などは、 キリスト者は殉教者であることを表します。 「あなたがたが信仰の実りとして 魂の救いを受けているからです。」 (1ペトロ1,9) 水の入ったカップ、又は水の入った樽 (参照:次の項の絵)は、 キリストがキリスト者たちに豊かに与える 罪の赦し、永遠の憩い、救いの喜び、 終わりのない幸せを表します。 (左)キリストは、二人の殉教者に、 |
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この墓のユダヤ人の絵とギリシャ語の墓碑銘が |
(左)火の鳥、不死鳥 フェニックスは キリストの復活のシンボルです。 (右)神に向かって 生涯にわたって 祈った人は この世を去ってから 約束された永遠の命を受けています。 |
またクジャクも同じ意味を現します |
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神に揺るぎない信頼を示して、迫害の時でも、 執り成しをし、、絶えず祈り続けた人は この世を去った後 約束された永遠の命を受けています。 「私は 復活であり、命である。。 私を信じる者は、死んでも生きる。 (ヨハネ 11,25」 |
安全第一の社会を信じるとは 先日フランスの出身教区のニュースレターにこんなことが書いてあった。「1950?60年代に生まれたあなたはどうやって生き残れたか。今あのころを思い出すと,よく生きていたと不思議に思わないか。 車だって 安全ベルトやエアーバッグはなかった。危険を意識せず後ろの席で ガヤガヤと笑って遊んでいたのではないか。 ヘルメットなしで自転車に乗っていた。殺菌されたペットボトルのミネラルウオターではなく,水まきホースか泉から直接に水を飲んでいた。夜まで家に戻るという条件なら、外で 遊び続けても ゆるされていた。 携帯がなかったので 親など 子供がどこにいるか 何をしているか 知るすべがなかったって…信じられないね。 喧嘩などしてかすり傷だらけになっても,責任は他人になすり付けずに 自分自身が悪かったということになっていた。 甘いものやバターたっぷりの薄切りのパンを いくらかき込んでも肥満の心配でだれも悩んでいなかった。 いつも外で運動していたから 黴菌がうつるのを恐れなくても,同じオレンジジュースのボトルから2?3人で飲んでいた。 あのころプレーステーションとか 任天堂64とか ビデオゲームやポータブル,インターネットのチャットもなかったが,しかし 本当の友達数人がいた! 予告しなくても友達の家に飛び込んで,彼を遊びに引っ張り出しても 大丈夫だった。 外!本当に,危険に満ちた外だった。 しかも監視なしで! 隣の空き地で仲間が集まってサッカーの試合をやる時は,自分が選抜されなかったからといって,別に心の深い傷があったのではない。 たまたま、学校で自分が留年となった時でも,カウンセリングに連れて行かれなくても,ことが済んでいた。 あのころ、私たちには 自由があり,失敗も成功もあり,宿題と課題があった…がこれらのすべてを当然と受け止めて,抱えながら生活していた。 今考えてみれば よく生き残れた,よく成長できたと思うね。 私たちのことは 今の世代からすると,とんでもない退屈な人生を送っていたと思われるだろう。 そうかもしれないが すごく幸せだったと思わないか?」 これを読んでヨーロッパで日本並みの衛生の念が深まり,また「危ない」,「やめなさい」と我が子の安全で神経質になって言う過保護のお母さんは 日本だけでなく我が国にも増えたというふうに思った。 世界中に広まっている,財産と生命のすべてが保証されている保険万能社会にあって,安全というものの価値は最大の善とされる傾向がある。 安全の保証政策や実地は ある意味で 大きな進歩と言いえるが,あまりにも危険を恐れ,安全にこだわるなら,人々はがんじがらめになって身動きしなくなってしまうおそれがある。 危ないからといって 外の遊びがゆるされていない子供って,なんて気の毒だとも思う。 チャレンジがゆるされず,様々な発達の可能性が閉ざされてしまう結果になるから。 そして安全,安全といって,財産や生命が保証されても,魂の命はかならずしも保証されるとはいえない。 リスクに身を曝さずには,人間として充実して生きるということがありえるか。いつも身の安全を気にし,リスクの可能性を完全に排除しようとするならば,文化や経済を初め,人間の活動には発展性がなくなる。起業精神か冒険精神が生きていなければ,社会は停滞してしまう。信仰もそうではないだろうか。 信仰は賭けだとパスカルが言った。 目に見えない神の手にすべてをゆだね,自分自身をかけるのは確かに危険な行為。 目に見える世界の常識に安住したほうが無難かもしれない。 だがこの賭けを避け,安全地帯ばかりにとどまろうとするなら,自分自身の命を失ってしまうかもしれない。「自分の命を守ろうとする人は,それを失い,それを失う人は,かえって保つであろう」。(ルカ17,33)このイエスの言葉には 福音のもっとも考えさせるパラドクスがあるような気がする。 |
トランプを使って 祈りを学びましょう!
あらゆるものが私たちを神へ向かうように誘います
このトランプから 唯一の神だけが おられることを 思い起こしましょう! |
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2の数は 旧約聖書と新約聖書を読むように 語ります |
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3は 何よりも 三位一体の神の存在を 叫ぶ数です |
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4人の福音家、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが 頭に浮かびます |
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十字架の上で 受けられたキリストの5つの傷に 心が痛みます |
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神は 宇宙万物の創造に 六日間を 振り分けられました |
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そして、 七日目は 安息日、主の日です。 真心から 祝いましょう! |
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キリストが人々に語られた 八つの幸せの言葉、山上の説教を心に思い巡らしましょう |
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この数で らい病が清められたのに キリストのもとへ |
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私たちが守るように モーゼに与えられた 神の10戒が 自然に 心にわいて来ます |
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このカードは キリストが 神から遣わさらた「苦しむ僕」「メシア」「救い主」 |
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もちろん、これは神の母 天と地の后、罪人である私達のために |
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あわれみにあふれ、いつくしみ深く、怒るに遅い、全能の神、天におられる父なる神に |
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このカードから 悪魔の誘惑に陥らないように、神に反することを |
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同じ数の四つのカードは 四つの季節、東、西、南、北の四方向を示します。 |
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12人が集まって 神を 賛美するために 12ヶ月があると 教えています |
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13枚のカードは 月の13の位相に基づいて作られ、13ヶ月のあるユダヤ教の |
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トランプ全部の数 52枚は 神に感謝しよと 人々が 52週間使うように 勧めています |
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トランプの全てのカードの数を数えると 365点になります。 |
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黒と赤の色は 私たちが 昼も、夜も、起きている時も、眠っている時も、 |
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アーメン アレルヤ |