中国、九州北部ローカル線乗り継ぎ及び鍾乳洞、島原等観光旅行


 学生時代、夏休みなどの長期の休みには青春18切符や周遊券を使ってよく仲間たちと鉄道旅行に出かけていた。しかし、社会人になってからはなかなか時間が取れず、就職したころの数年間は鉄道旅行にほとんど出かけられなかった。
 ある日、知人(以降ツーリング氏と呼ぶ)から冬など寒い時期には普段バイクで出かける旅を休んで鉄道であちこちに出かけるという話を聞いた。そこで青春18切符を使って二人で旅行しようということになった。 

(1日目)平成10年3月7日

 ツーリング氏とは家が近いこともあって、近所の駅に5時過ぎに待ち合わせをした。大阪駅を6時に出る快速列車にも間に合うのだが、岡山駅での接続の関係から1本あと6時21分発の快速列車に乗ることにした。この列車も大阪駅始発なので少し早く行けば十分座ることができる。
 列車は定刻に発車した。朝早かったのでさすがに眠い。途中の駅でサラリーマンや学生が乗って来たり降りたりするがさすがに早い時間なのでラッシュ時のような騒がしさはない。姫路駅に到着すると橋を渡った隣のホームに岡山駅行きの列車が止まっていた。乗り換え約6分。乗り遅れたら後の行程がめちゃくちゃだ。それより座れるかどうかが心配だった。しかし十分に席は空いていた。とは言っても発車間際にはほとんど席が埋まってしまった。せっかくの久しぶりの鉄道旅行だったので、本当は赤穂線回りで岡山駅に行こうとも考えたが、時間的に無理だとわかったのであきらめた。岡山駅到着。次の列車まで待ち時間約30分。ここからこれから通る伯備線総社駅まで吉備線が伸びている。せっかくだから久しぶりにディーゼル列車に揺られて先まで進もうと思ったが適当な列車が無かった。先に気づいていれば大阪駅の始発列車に乗っていたのだが今更しかたがない。予定通り新見駅行きの列車に乗った。この先広島まで続く芸備線は14時過ぎまで列車がない。かといって新見で何時間もいてもしょうがない。ツーリング氏と私は新見手前の井倉駅で降りた。

実はガイドブックで井倉駅から歩いて行けるところに井倉洞という鍾乳洞があることがわかっていた。とにかく列車に揺られているだけではせっかく遠くにきたのにもったいない。学生時代は全国の鉄道すべてに乗ることばかり考えてほとんど観光していなかった。今から思うと本当にもったいないことをしたと思う。だから時間があればできるだけ途中下車し観光しようと決めていたのだった。次の列車まで2時間足らず。次の列車に乗ったとしても新見駅で十分時間が余るのだがその次の列車だと間に合わない。ローカル線は本当に列車の接続がうまく行っていない。新見行きの町営バスもあるようだが適当な時間に発車する便がなかった。

 せっかく来たのだからどうしても見ていきたい。自然と歩く速度が速くなる。
 井倉洞は駅の南西歩いて数分のところにあった。まだ小雪の舞う季節。観光客はほとんどいなかった。高梁川を挟んだ旅館やみやげ物屋のある対岸に高い滝がありその水が落ちる流れの中腹付近の横に鍾乳洞の洞穴が見えた。入場(入洞)料を払い橋を渡って鍾乳洞に入った。狭い通路を抜けるとこうもり岩、金すだれ、三段峡、月の廻廊、見返りの池など鍾乳石の芸術というべき神秘の世界がそこに広がっていた。鍾乳洞は上に向かって伸びていた。時計を気にしながら奥へと進む。頂上とおぼしき場所から下に向かってまっすぐ道がついていたのには少し興ざめした。

 鍾乳洞を出るとまだ次の列車まで時間があったので、最初は新見でお昼にしようと思っていたのだが、みやげ物屋をひやかしがてら隣接した食堂で昼食をすませた。
 このあたりは美しい渓谷で、井倉洞のほか、絹掛の滝やバスで40分のところにも満奇洞という鍾乳洞があることがパンフレットでわかった。いつか機会があれば訪れてみようと思う。

 井倉駅に戻り12時45分発の新見駅行き列車に乗る。新見駅で1時間以上の待ち時間があるがこの後の列車は14時20分過ぎまでない。これでは14時05分発の備後落合駅行きには間に合わない。
 新見駅のホームにはすでに備後落合駅行きのディーゼルカーが止まっていた。改札口を出て町の散策をすることも考えたが芸備線は本数が少ないから1両だけでは座れるかどうかわからない。我々は散策をあきらめ席の確保と駅構内の観察をすることにした。とりあえず改札口まで途中下車印を押してもらいに行く。

 14時05分、列車は定刻に発車した。我々以外に鉄道ファンとおぼしき旅行者が数名。あとは地元の学生と病院通いか買い物がえりの女性が多かった。これだけ本数が少なくては通勤通学には利用しにくい。学生もけっこう長い区間乗っていたようだがいつも通学で利用しているのだろうか?乗り遅れたりしたら遅刻だろう。普段は車で送ってもらっているのかもしれない。ともあれ中国山地の谷間を縫うように線路がしかれており約1時間で備後落合駅に到着した。ここからは島根県の宍道駅まで木次線が走っている。3段スイッチバックと延命の水で有名な出雲坂根駅と駅そばで有名な亀嵩駅がある路線である。本当はそちらに乗りたいのだが、今回はこのまま芸備線でホテルを予約している広島駅まで行くことにしている。備後落合駅には三次駅行きのディーゼルカーがすでにとまっていた。新見駅からの車両もそうだったが、ここから三次駅行きも1両であった。少しでも良い席を確保しようとみんな駆け足でホームを走る。ほとんどの人が乗り移ったようだ。 定刻に発車。朝早かったせいか乗ってまもなくうとうととする。気がつくと塩町駅についていた。ここから広島県の福山まで福塩線が走っている。三次駅16時41分着。島根県の江津駅までは三江線がつながっている。私はこの三江線と福塩線、木次線にはまだ乗ったことはない。いずれ乗ることになるだろうが三江線は乗るには忍耐がいるような気がする。これから乗る広島駅行き普通列車は国鉄時代から活躍しているキハ58の複数両連結の列車であった。私は古くてもこのような列車のほうがすごく落ち着く。旧型車両が廃車される中このような車両がまだ活躍していることは喜ばしい限りである。しかし沿線の住民にとっては早く新しい車両になったほうがいいのかもしれない。車内はすいていた。ツーリング氏も私もそれぞれボックスを占領し脚を伸ばしてくつろぐ。まだ3月初旬であるからだいぶ暗くなってきた。広島駅に近づくにつれボックスを占領できないくらい乗客が増えてきた。18時34分、列車はほぼ定刻に広島駅に到着した。

 久しぶりの大都会である。 駅前の案内地図をながめ、とりあえず予約していたホテルに向かうことにする。地図によるとホテルは駅前から発着する広島電鉄の路面電車で約3駅目くらいのところにあるらしい。我々は歩くことにした。ホテル着。夕食は広島風お好み焼きを食べることにしていた。屋台村というところがあるらしいとガイドブック片手にホテルを出発した。ツーリング氏がいきなり反対の方向に歩き出す(オイオイ)。以外にも彼は方向オンチらしい。じつは私も地下街では方向オンチになる。夜の都会はどれだけ歩いても遠く感じないから不思議だ。広島風お好み焼きを食べた後、夜の平和公園に行った。私はここに来るのは二度目である。夜の原爆資料館。さすがに閉館していたが、最初に訪れた小学生のとき、展示されていた写真の生々しさにすごいショックを受けたことを思い出した。川沿いの道を原爆ドームに向かって歩く。と川端を歩いていたツーリング氏の姿が突如見えなくなる!消えた!!次の瞬間ツーリング氏の声が・・・「いたーっ」。(こけたのね・・・ばらしてすまん)。夜の原爆ドームは犠牲になった人々の魂が漂っているような気がして早々に引き上げた。今の平和のありがたさを再認識する思いである。

 ホテルに戻って明日の予定を話し合う。

 就寝。




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